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夜伽

 乾いた赤い大地の夜は静かだ。普段は辺りの音など気にも留めないのに、今夜だけはどうしてかそんなことを思った。  村にある他の住居はブラッドの天幕からは遠く離れており、人間の気配は皆無だった。天幕の外で時折乾いた風が吹き荒ぶ音がする。遥か遠くから獣の遠吠えが聞こえる。それ以外はしんと静まり返り、外で音を立てればすぐにわかるほどだった。  今夜は、ヤミールもカミールもいない。彼らは天幕の中でブラッドに湯浴みをさせた後、衣服を着せ、深々と頭を垂れて出て行った。普段であれば湯浴みの後は身体が冷める間もなく、ブラッドがクバルを受け入れるための準備を施し始めるが、今夜はその必要がない。  ふたりの僕の存在もなく、ひとりで王を待つのはいつもより時の流れが遅く感じられた。ヤミールとカミールの前準備に顔を歪めながら、王など来なければいいのにと心中で悪態を唱えているうちに、いつしかクバルが現れるのが常だった。  静寂の中、砂が踏まれる音にはすぐに気づいた。その足音の数がひとりではないことにも。  入り口の幕が押し開かれ、クバルが入ってくる。その後には彼の従者であるふたりの男が続いていた。昼間のことがあったからか、警戒して連れてきたのだろう。最初に犯された婚姻の日のように、ブラッドを拘束しなければならない事態になる可能性を見据えたのか。幕が開かれた際に女の姿も見えたが、彼女は天幕の中には入って来なかった。  昨夜までとは異なるブラッドの姿を見てクバルは眉を顰める。裸ではなく、服を着てベッドの縁に腰掛け、開いた脚に肘を置き仏頂面で見上げる女王の傍に僕である双子の姿はなく、事前の準備もなされていない。 「ヤミールとカミールはどうした」  問いかけるクバルの低い声には、尋問するような、あるいは叱責するような色があったが、ブラッドはそれを跳ねのけるように「必要ない」と言った。 「無理矢理捩じ込まれたいのか」 「それは無理だろう。お前の方も準備ができてない」  いつもはすぐに行為に臨めるようすでに勃起させた状態で現れるクバルも、今夜ばかりはその兆しが見えない。つまりすぐに犯し始める気はないということだ。天幕の外に女を待機させているのはそのためだろう。 「問題ない」 「そうか。ひとつ条件を飲むなら大人しく犯されてやる」 「何だ」 「他民族との争いの際は俺も戦いに加えろ」  昼間の衝動とは打って変わった静けさで主張するブラッドに、クバルは軽く瞼を伏せ、長く重く息を吐き出した。呆れている。  王は赤い目で女王を見据えながら億劫そうに息を吸い込んだ。 「なぜ剣を持とうとする」 「なぜ許さない」 「お前には必要ないからだ」 「必要かどうかは俺が決める。それとも、俺に剣を持たせたら自分が殺されると怯えているのか?」  下から睨め上げた挑発にクバルは表情を動かさず、しかし瞼をかすかに引き攣らせた。ヤミールの話が真実ならば、彼が怯えているのだとしたらそれは自分が殺されることではなく、自分の民が無為に殺されることに対してだ。 「アステレルラの身は戦士や従者が守る。お前自らが剣を持つような大事は起こらない」 「だから俺の務めは一日中安全な場所にいて、夜はお前に犯されることだけだと言いたいんだな」 「そうだ」 「……わかった」  クバルが片眉を上げる。反論しないブラッドをじっと見つめるが、口を閉ざした様子に見切りをつけ、天幕の外に声をかけると待機していた女が入ってきた。同時に、王に付き従っていたふたりの従者がベッドに乗り上げようと近づいてくる。  埒の明かない問答は終わりだ。 「――下がらせろ」  王の傍らに跪いた女と、ブラッドの腕を掴もうとした男の動きがぴたりと止まる。多少は共通語を解するのだろう、戸惑ったように自らの主を仰ぎ見た。  クバルは鋭い眼光を放つ目を細めた。 「何だと」 「お前らの言葉じゃないとわからないか」  睥睨するクバルを物ともせずブラッドは腰かけたベッドの上で脚を組み、王の従者たちに言う。否、命じた。「下がれ」と、覚えたばかりのダイハンの言葉で。  それでも困惑している様子に、ブラッドはよく威圧的だと表された、切れ長につり上がったグリーンの瞳で男のひとりを捉える。そして彼らの言葉で、ことさら低い声音で、言い聞かせる。 「お前たちの女王が命令している。下がれ」  ブラッドを窺う男の表情に明らかな怯えが生じる。彼だけではない。従者たちの臆した様子に勘づいたクバルが低く命じると、傍に跪いた女もブラッドを拘束しようとしていた男たちも、身を整えて天幕の出口へ消えたのだった。  太い腕を胸の前で組んだクバルが、ゆっくりとブラッドの目の前まで歩み寄る。 「何のつもりだ。俺を拒むのか」  かすかな苛立ちが、クバルの首筋を強張らせているのがわかる。睨み下ろすクバルの視線を感じながら、ブラッドは目を伏せてゆっくりと呼吸をし、両の掌を太股に擦り付ける。いつの間にか汗を掻いていた。しかし、もう決めたことだ。  ベッドから重たい腰を持ち上げると、視線が同じ高さで交錯する。背丈も身体の厚みも大差はない、気後れする必要はない。 「条件を飲まないなら、大人しく犯されてやるつもりはない」 「今さらだ。お前はすでに屈服しただろう」 「してねえよ。俺は、お前のものには、お前の玩具にはならねえ。絶対に」  クバルの腕を勢いよく引き、身体を反転させた。  ベッドの上に仰向けに転がったクバルの上へ素早く乗り上げると、王は一瞬だが目を見開いた。先制を取ってブラッドは口を開いた。 「今日は俺が全部やってやる。お前は黙って寝てろ」  押し倒されたクバルの顔の横に腕を突き、真上から見下ろす。口を開けて目を瞬く王の表情に、わずかだが胸のつかえが下りたような気がした。

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