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夜が明けたあと

 おもむろに寝返りを打つと、腰が鈍痛を訴えた。 「ん……」  身体をくるむ毛皮の中で、ブラッドはうっすらと目を開けた。瞼が重く、睡魔はまだ眠りへ引き摺りこもうとしてくる。霞む視界の中で、天幕の中央に設置されたテーブルの側に人影が見え、再び目を閉じた。  毎朝、ヤミールとカミールはブラッドが起床する前に衣服と朝食の準備をするのだ。目を覚ましたブラッドに服を着せ、白湯の注がれた杯を手渡してくる。頭が覚醒すると、丁寧に皮を剥いた果物を食べさせようとする。王に乱暴に犯され力尽きるように眠って迎えた朝、食欲がないと言い張っても問答無用で差し出されたことを思い出す。  もう一度寝返りを打つ。身体が怠く、ベッドから出ようという気になれない。残っているのは倦怠感だけで、毎朝顔を顰めるほどの肛門の痛みはなかった。倦怠感さえも、なぜだか今日は心地良い。  なぜだったか――思い返すと、じわじわと得体の知れない瘧が訪れて項が粟立つ。  昨夜は――。 「っ……!」  勢いよく飛び起きる。瞬間的に上昇した呼吸を抑えようと口許に掌をやる。  昨夜はブラッドが主導権を握っていた。王の歪む表情を見ておおいに溜飲が下がったことを覚えている。ヤミールが教えた通りに、不本意ながらクバルの上に跨がり、娼婦のように浅ましく腰を振ったことも。それは構わない。  思い出して首筋を掻き毟りたくなるのはその後のことだ。情動に任せたクバルに下から突き上げられ、あろうことか苦痛以外の感覚を植えつけられた。後孔に痛みはない。何度も出し入れされた入り口が、腫れぼったく熱を帯びている。クバルの手でペニスを弄られ、射精した。ヤミールとカミールの手でなく、行為中に達したのは初めてだった。  苦痛による呻きではなく、上擦った無様な声を漏らしたような気がする。ありえない、音をなさずにそう形作る唇に手の甲で触れる。そして、まざまざと思い出した。  唇に吸いつく濡れた感触。口の中を舐める舌の熱さ。耳元に聞こえる息遣い。  あれは何だったのか、ついぞわからないまま記憶は途絶えている。クバルの胸に身体を預け息を整えているうちに、寝落ちてしまったのか。  考えたくないと思っていても、頭は勝手に昨夜の行為を反芻する。触れた肌の熱さを身体は覚えていた。 「アステレルラ」  聞き慣れない男の声に肩が跳ねる。存在だけを捉えていた人影へ顔を向けると、女王の天幕にはいる筈のない男が、木で組まれた椅子にどっかりと腰かけていた。テーブルに片腕を乗せ、蛇のような鋭い視線でじっとりとこちらを見つめている。 「……ここはお前がいるべき場所じゃない」  硬い声音で問うた内容も、おそらく通じていないだろう。そこにいたのは朝食の準備をする僕の姿ではない。王の腹心であるユリアーンだ。  女王の天幕に足を踏み入れることを許されるのは、言わずもがな王と、女王の僕たち、従者であるグランだけだ。王の従者は王に同行する時のみ。ユリアーンはそのどれでもない。王の右腕と言えども、あくまで彼はヘリオススの戦士に過ぎない。  クバルが許可したのだろうか。だがその理由も思い当たらない。 「ここは俺の天幕だぞ」  ブラッドがダイハンの言葉にまだ慣れていないように、ユリアーンも共通語は理解しないだろうが、拒絶を込めて言い放つ。彼がここにいる意味がわからない。身体にかかる毛皮をぎゅっと握り締めたブラッドは、自分が裸であることに思い至った。肌を撫でる毛皮がくすぐったい。  昨夜は服を着たまました筈。それに加え後孔の不快感もない。ということは、眠っている間にヤミールとカミールが来て後始末をしてくれたのだろうか。しかし彼らは今、ここにいない。代わりにユリアーンがいる。 「……ヤミールとカミールは」  人名だけならばわかるだろうと思い短く尋ねると、ブラッドの意図が通じたのか、ユリアーンは肘をついたまま軽く左右に首を振った。知らないということか。  ユリアーンがダイハンの言葉で話し始めるが、さっぱりわからない。通訳してくれる僕がいないので、なす術がなかった。  ユリアーンはおもむろに立ち上がり、ベッドに近づいてきた。身構える間もなく、男の手は毛皮を握るブラッドの腕を強引に掴み、ベッドから引き摺って立たせた。掛布にしていた茶色の毛皮が足元に落ちる。 「離せ」  捕まれた手首から、ぞっとするような不快な寒気が広がる。振り払おうとするが、男の腰元に差したファルカタが目に止まり、ブラッドは動きを止めてユリアーンを睨みつけた。  女王の尊厳やら権利なんてものはほとんど皆無に近いのだ。ユリアーンはブラッドの牽制に対し、侮るように細い両眉を上げ、すべて露になった白い身体を眺めた。歪んだ唇に醜悪な笑みを浮かべ、上から下まで舐めるように視線を這わせる。  背丈は変わらないのに見下ろされている気がして、露骨に鼻梁に皺を寄せる。 「――」  再びユリアーンがダイハンの言葉で口走る。皮膚に纏わりつくような粘着質な声音も視線も、酷く不快だ。  仮にも王の妻である女王に無体を働くことはしない筈だ。自分と同じくらい屈強な男を手込めにする趣味もないだろう。だがユリアーンは先日も夕餉の席で不穏な発言をしている。いつ俺たちに回してくれるのか、と。その言葉が脚の付け根や胸元を這う視線を裏付けている。 「……」  睨みあったまま数秒間、沈黙が続く。嫌な緊張感だ。  破ったのは、ひとつの声だった。 「離しなさい」  凛とした、低い女の声。  はっとして天幕の入り口を見ると、片手を腰元にやったグランが立っている。恐ろしい剣幕をした彼女の大きな手は、剣の柄を確と握っていた。 「手を離しなさい」  言葉が通じないことを承知の上で、再度、ドスをきかせて言い放つ。剣の柄を握ったままグランがゆっくりにじり寄ると、ユリアーンは鼻を鳴らしてブラッドの手首からぱっと手を離した。剣を交えるつもりはないようだ。  ユリアーンは、再びダイハンの言葉で何かを囁く。そしてもう用済みだとばかりに軽い足取りで天幕を出て行った。グランは彼の後ろ姿が幕に隠されるまでじっと動きを追っていたが、外で砂を踏む音が遠ざかると、得物から手を離して浅い息を吐いた。 「殿下の天幕へ彼が入っていくのが見えたもので。無事ですか。何もされていませんね」 「簡単に手込めにされるほど軟弱じゃねえぞ、俺は」 「ですが丸腰で抵抗などできないでしょう。それに、素っ裸ですから……」  言外に服を着て欲しいと訴える年嵩の女の戸惑った声を聞き、ブラッドはベッドの周囲を見渡した。いつも用意されている白い衣服が見当たらない。仕方なく足元の毛皮を拾い、腰に巻きつける。 「何をしに来たんだあの男は」 「殿下、大丈夫ですか?」  グランが躊躇いがちに漠然と尋ねる。 「仮にも女王だ。ユリアーンだって軽率な行動はしないだろう」 「いえ、そのことではなく」 「……多少、腰は痛いが。いつもよりはしんどくない」 「腰?」 「は?」  ユリアーンのことでなければ昨夜のことかと思い返答したものの、見当違いだった。そういえばグランとは昨日、囚人のように馬に無理矢理乗せられてこの村に連行されて以来、顔を会わせたのは今が初めてだった。昨夜のことだってヤミールとカミールしか知らないのだ。自分自身の発言で、首筋に熱が上る。  グランは骨ばった手で項を擦りながら口を開いた。 「その……ヘリオサが辛辣なことを仰っていたではないですか」 「……ああ」  お前の務めは夜だけ。  思い返すだけでも腸が煮え繰り返りそうになる。 「酷く衝撃を受けられていたようでしたので。昨日はお側にいない方がよろしいかと、離れておりました」 「それは、適切な判断だ。お前は優しいよ、グラン」 「いえ、あの時殿下を庇うことができず、情けない限りです」  クバルが言う女王の務め。それをブラッドは昨夜自ら利用した。男としての矜持を捨て、王の上に跨がった。毎夜犯される捕囚の立場から抜け出すために。驚愕に満ちたクバルの顔を見たいがために。だが今となっては、昨夜の行為が正しかったのかどうか、わからなくなっていた。 「俺は問題ない。いつも通りだ」 「それなら、良いのですが」  全然、いつも通りではないのだが。昨夜、仕掛けた結果がどうなったのかなど、グランに教えられる訳がない。 「そういえば、ヤミールとカミールはいないのですね」 「昨夜は傍に置かなかったからな。……だが、いつもは俺が目覚める前に必ずいる筈なんだ」 「ユリアーンが殿下の天幕に入れたのも、彼らがいなかったからでしょう」 「だろうな。別に不自由する訳じゃねえが、いないといないで困ることがわかった」 「探して参りますか」 「そうだな。服がないのも困るし――」  突然、天幕の外が騒然とし始め、ブラッドは口を噤んだ。

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