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奪還
クバルはブラッドに告げた通り、すぐさま村の東西南北へ向けて斥候を出発させた。ツチ族に長く囚われていたアルから敵の習性や行動について情報を聞き、それぞれ二名ずつ騎馬を向かわせた。夕刻になってすべての斥候は戻った。そのうち東へ向かった組が、ひとりのみの帰還だった。
東へ数刻馬を駆った、大地の凹凸が激しい地点に野営地がある。目視で確認できる限りでは二十人ほどの小規模な隊で、アルの話によればツチ族は二百ほどの単位で統率されており、敵の偵察や奇襲をかける際には二十から四十の人数でキャンプを形成し行動しているという。
村の民を調べた結果、ヤミールとカミール以外に不明者はいなかった。ヘリオススからの一行は巡行を取り止め、ツチ族の野営地でふたりを奪還し敵を撃滅し次第、ヘリオススへ帰還することとなった。
村の代表者から激励の言葉を受け、昨夜よりも豪勢な夕餉が振る舞われた後、一行は村を後にした。
敵に察知されるのを防ぐため、松明に炎は灯さない。辺りを照らすのは黒い空に散った小さな星たちだけだったが、赤い大地に住む戦士たちはみな夜目がきくようだった。ブラッドも徐々に暗さに慣れ、目を凝らさずとも周囲の状況がわかるようになってきた。グランとアルを左右に、その周りを屈強な戦士たちに取り囲まれながら馬に揺られる。
「ツチ族が人を攫うのは、人質にして物資を要求するためか?」
「その場合もありますが、多くは奴隷にするためです」
ツチ族のもとから抜け出してきたばかりのアルがブラッドの問いに答える。
「男は労働のため、女は子を産んだりツチ族の男を慰めるために使役されます」
「……奴隷にするだけなら痕跡は消す筈だ。髪の毛を残したのには意味があるんだろう」
証拠を残したのは、探しに来てくれと言っているようなものだ。顎に手をやって思案していると、グランが口を開く。
「そうですね。ダイハン族に蹴散らされたその報復に、ふたりを殺した姿を我々に見せるためか、それとも罠か……」
「奴隷にされるのも、殺されるのも、冗談じゃねえ」
どの目的にせよ、攫われたふたりが酷い状況に置かれていることは間違いないだろう。想像すると憤りが募り、ブラッドは手綱を握る拳に力を込める。
「単に罠である可能性も十分あり得る。それはクバルも分かってる筈だが……」
「アステレルラ。ツチ族は二十人、こちらは五十人以上います。罠だとしても人数で勝るこちらが有利です。しかも連中の中には戦力にならない奴隷もいる筈です」
アルの言葉は確信を持ったように力強い。作戦が成功することを信じている目だ。
「……お前も奴隷として使役されていたのか?」
「え?」
拉致された他民族は奴隷として使役される。今本人の口から聞いたばかりだ。平然と語ったが、過酷な境遇だっただろう。
「ツチ族をよく知っているからと同行させられているが、もう関わりたくないんじゃねえのか」
「確かにあまり思い出したくない記憶です。ですが、おふたりを助けるための手伝いが俺に出来るのなら構いません」
「そうか。お前も立派なダイハンの戦士だな」
「……はい。ありがとうございます」
アルはまだ少年だ。背も高くはないし身体は薄い。今よりも幼い頃からツチ族に囚われて奴隷としての扱いを受けてきたのだろう。王族として生まれ城で何不自由ない生活を送ってきたブラッドには想像に難い。だが、他のヘリオススの男たちと比べても遜色ない勇敢な戦士だということは理解できる。
「――見えてきましたね」
グランが前方を見て呟いた。
岩の凹凸が激しい斜面を慎重に進んでいくと、岩肌からちらりと赤い炎がいくつも揺らめいているのが離れた地点に確認できる。ツチ族の野営地は、硬い斜面から少し下った平地に展開されていた。その周囲の地面から飛び出した巨岩に守るように囲まれている。
隊列の前方から馬がやってきて、ブラッドの斜め前に並走した。闇の中でも爛々と光る赤い瞳。クバルだ。
「約束通り、お前はこの高地で待て。俺たちが戻り次第すぐにヘリオススへ帰る」
暗闇の中の赤い光が見つめてくる。ブラッドはそれに硬い声音で返した。
「わかってる。必ずふたりを助けろ」
「言われずとも、それが目的だ」
交わす言葉も少なに、クバルは再び隊列の前方へ戻った。ブラッドたちの周囲を囲んで馬を駆っていた戦士たちが停止し、こちらも止まらざるを得なくなる。
本当はただ待っているだけなどごめんだった。だが、監視をつけても構わないというのがこちらにとって最大限の譲歩であるように、クバルにとってもブラッドを村から出して外へ連れてくることは最大限の譲歩であることも理解している。
「ではアステレルラ、俺はヘリオサたちとともに行きます」
「ああ、気をつけろよ」
「ここは安全ですが、万が一ということもあるので、アステレルラもどうかお気をつけて」
ツチ族に詳しいアルは戦士たちとともに襲撃作戦に加わることになっていた。馬上で軽く頭を下げて、アルは前方の戦士たちとともに遠ざかって行った。距離を取ると星空の下でも彼らの褐色の肌は闇に紛れてしまう。それは今回の作戦では有利な条件だった。
「結局、待っているだけだ」
「作戦が成功してふたりが戻るよう祈りましょう」
「祈るのは得意じゃねえが、失敗は困る」
馬から下り、硬くて不安定な岩肌の上に立つ。付き従っている、否、ブラッドの見張りをしている戦士たちも馬から下りて、暗闇の中に浮かぶ松明の炎を遠目に見つめた。その敵地へ、彼らの王と仲間の戦士たちが向かっている。
クバル率いる精鋭部隊がツチ族の野営地の背後から奇襲をしかける作戦だ。十人ほどの少数で忍び込み、ツチ族の天幕に火を放つ。炎から逃れて出てきた敵を、身を隠して待機していた他大勢の戦士で一斉に叩く。その間、並行してヤミールとカミールの居場所を特定し救出する。
もし万が一作戦が失敗しダイハン族が窮地に立たされた場合は、野営地に下りた戦士たちから合図を受け取り次第、高地に残されたブラッドたちは一番近い村へ走り情報を伝える手筈になっている。
「失敗した時のことは考えたくねえが、向こうもダイハンが襲撃してくる目算は持っている筈だ」
「先程も少年が言った通り、こちらの人数は敵の倍です。こちらの襲撃がある程度予測されていたとしても、人数で叩けば勝機は十分にあるでしょう」
「だといいが」
平地に展開されたツチ族の野営地を高所から見下ろす。ヘリオススでも見た、民たちが暮らす天幕ほどの大きなのものが四、五設置されている。あの中のどこかにヤミールとカミールが囚われている。あるいは、すでに奴隷として労働を強要されているかもしれないのだ。その可能性を思うと早く救出しなければと気持ちが急くが、安全地帯での待機しか許されていないブラッドにはどうすることもできない。
武器は持たない。戦わない。そうクバルと約束した。守る義理なんてない、譲歩はすれど自由を制限されていることには変わりない――頭の中で苛立ちに任せ指摘する自分もいれば、王との約束を守れば今後の待遇も変わってくるだろうと冷静に諭す自分もいる。ブラッドは自分の中の葛藤をぐっと飲み込む。
「不安ですか?」
「あ? 何が」
「作戦が成功しヘリオサたちがふたりを連れて戻ってこられるか」
ふたりは探す。仲間が攫われて黙っているのはダイハンの戦士ではない。
王の威厳を纏ったクバルの重々しい声が反芻される。自らの民の身柄を案じる王の声だった。ブラッドはクバルの傍若無人な振る舞いしか知らない。だが彼は、少年の頃からダイハンの長としてダイハンの民たちを守り続けている。
「万一のことなんてないだろうが――信じるしかねえだろう。俺は動けない」
たかが女王の下僕、そう口にしたユリアーンとは違う。ブラッドがダイハンの民を傷つけるのではないかと危惧しているくらいなのだ、クバルは自分の民の命を無下にはしない。悔しいが、それに関しては絶対的な信用が置ける。
「信じてここで待つしかない」
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