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弔い

 燃え上がるツチ族の野営地から撤退した一行は、闇夜の中、出立前に滞在した村へ駆け込んだ。ヘリオススを出発した時は五十名ほどだった戦士たちの数は、半分に減っていた。生き残った半分の戦士たちも、程度に差はあれみな傷を負っていた。腕や足を失った者もいたことを思えば、ブラッドの負った傷など傷とは呼べないと、蝋燭の火の灯る天幕の中、筵の上に横になって呻く戦士たちの姿を見ながら思った。  あの後。村からの救援を連れたグランたちが現れた。早すぎる増援にツチ族も撤退を余儀なくされ、ブラッドたちの退路は確保された。当初の目的であったヤミールとカミールの奪還はなったものの、ふたりを救う作戦の中で大勢の戦士が死んだ。全滅は免れたものの、間違いなく敗走と呼べる戦いだった。  ブラッドが受けた傷は些細なものに過ぎない。腕の切創は深かったが命に別状があるほど失血が酷い訳でもないし、頬は皮一枚裂かれたような程度だったが、グランによって村医者の天幕へ連行された。天幕の中は濃い血の匂いと薬草の独特な匂いに満ちていて、巻かれた包帯に血を滲ませて天幕の隅にしゃがみこんでいる男や、筵の上で荒い息を吐きながらぶつぶつと唱えている男がいる。ブラッドはすぐさまアステレルラの手当てに取りかかろうとする医者を制止し、重傷者の処置を優先するようヤミールに伝えさせた。  切断した腕の断面を炎で焼かれ戦士が断末魔の叫びを上げながら暴れるのを、頭に包帯を巻いて片目が潰れた戦士が必死に押さえつけている。痛々しい光景から顔を背け、ブラッドは天幕を入ってすぐ脇に佇みながら、不服の表情をしている従者の女に苦々しく漏らす。 「この程度たいした傷じゃないと言っただろう」 「化膿したらいけません。感染症にかかる恐れもあります」 「別に死にはしねえ」  アトレイアとは衛生環境が違うのだと言いたいのかもしれないが、手足を失った者がいる中、女王が切り傷程度で大騒ぎして重傷者を押し退け手当てを受ける訳にはいかないだろう。傷口は熱を孕んでじくじくと苛んでいるが、衣服の袖を裂いて止血をするので間に合っているし、頬の傷口は乾き始めている。 「逆に、この程度の怪我で済んだのは幸運だった」 「運とは違うでしょう。殿下の実力です」 「俺に剣を教えた奴の教え方が良かったからだろうな」 「……ではその者に感謝せねばなりませんね」  顔を見合わせ口を綻ばせたブラッドに対して、グランは憮然とした表情のままだった。何が気に食わないのかといえば恐らく彼女の制止を振り切ってブラッドがクバルを探すため炎の上がる戦場へ駆けて行ってしまったことだろう。危険を承知で、だ。 「命が危ないのがお前でも俺は同じことをした」 「そういうことではありません。従者である私に命じれば良いのです。ヘリオサを探しに行けと。あなたが行く必要はないのです」  奇襲が発覚した時点で野営地に下りてヤミールとカミールの救出に向かうことを渋々同意したのだから、クバルを探しに行かせるも行かせないも大差ないだろうと思う。どちらにせよ、すでに危険な状況にあったのだから、今更だ。  ヤミールとカミールも、ブラッドの傍らで口を閉じているが、思っていることはグランと同じだろう。アステレルラ自らが来る必要はないと、殴打の痕が痛々しい顔で語っていた。 「結果的に無事だった。クバルも無事だった。ヤミールとカミールも、お前も無事だった」 「何も問題ないと仰りたいのですか?」 「俺の行動に問題はない。……クバルとの約束を破ったこと以外についてはな」  それも結果的には正しい判断だったと思う。剣は持たない、戦わない――を条件に同行したが、破らざるを得なかったと言える。それに、クバルはブラッドが約束を破ったことについて憤ってはいなかったように思う。戦場においては。  突然、ブラッドの真横の入り口の布が押し上げられ、ひとりの戦士が入ってきた。彼――ユリアーンは天幕の中を見回し、すぐ傍にブラッドの姿を認めると、急に眦を吊り上げて一喝した。何事かと思う間もなく強引に襟首を掴み上げられ、カミールが小さく息を呑んだ。 「ユリアーン……何のつもりだ」  唐突の剣呑な雰囲気に、真夜中に叩き起こされあくせく働いていた医者も、治療の手伝いをしていた村の民も、傷を負って天幕の隅で力なく蹲る戦士も、みな一様に関心を寄せる。王の右腕が女王を締め上げている図に、困惑と緊張が漂う。グランは鼻梁に皺を寄せ、腰に佩いた剣の柄に手をかけていた。  ユリアーンは、明らかに憤っていた。肩を怒らせ、鼻息も荒く、恐ろしい剣幕でブラッドを睨みつける。ブラッドには理解できないダイハンの言葉で怒鳴り散らした。その勢いはあまりに激しく、天幕の中の者たちは目を丸くし、横臥していた怪我人さえも上体を起こして瞠目するほどだった。  嵐に見舞われたようだった。何を言われているのかわからず、ただ黙って目の前の怒れる男を見ていると、傍らのヤミールとカミールが今まで見たことのない必死の形相で話し始める。反論らしいふたりの言葉にさらに腹を立てたのかユリアーンは、ブラッドを掴み上げたまま捲し立てる。  どういう状況なのか、おそらく当事者であろうブラッドは理解できない。責め立てられているということしか。止まることのないユリアーンの勢いに閉口していると、入り口の布が再び押し開かれた。  現れたのはクバルだった。 「ッ……クバル」  負傷者の処置が行われているであろう天幕の中の状況に、クバルは緩く弧を描く眉を顰めた。ブラッドの襟首を掴むユリアーンの手を王が強引に引き剥がすと、窮屈だった喉に空気が入ってくる。 「殿下、大丈夫ですか」 「ああ……この状況はよくわからねえが」  無理矢理手を剥がされユリアーンが、今度は王を睥睨して捲し立てる。おそらくは、なぜ止めるのだと怒鳴っているのだろうが、興奮している男に対してクバルは、冷徹ながらもどこか激しさと憤りの滲んだ声で叱責していた。  クバルの台詞は長かった。ユリアーンだけではなく天幕にいる者すべてに諭し聞かせるように、広く見渡しながら声を張り上げる。その様子を、ブラッドはただ黙って見つめることしかできなかった。  クバルが話し終えると、先刻まで負傷者の呻きや低いさざめきに満ちていた天幕の中は、音がどこかへ吸い込まれてしまったようにしんと静まり返った。最も早く行動したのはユリアーンだった。憎々しげに舌を打ち、乱暴な仕草で布を押し上げて出ていく。  一体、何だったのか。一応は過ぎ去ったらしい嵐に呆然としていると、クバルが再び口を開いた。 「死んだ仲間を弔いに行く」 「あ……ああ。俺はここで待ってる。わかってる」 「お前も行く」  打って変わった声音の穏やかさもだが、告げた言葉の内容にブラッドは双眸を見開いた。 「太陽が昇り始めたら出発する。準備をしろ」 「……わかった」 「……治療も済ませておけ」  即席で止血しただけのブラッドの腕を見やり、クバルは固まったままの医者に何かを告げると天幕を出て行った。王の足音が遠ざかるのを聞いてから、ブラッドは静かに口を開く。 「ヤミール。今、何があった?」 「……ええと」  ヤミールが言葉を詰まらせる。言いづらい内容なのか、それとも説明がつかないだけなのか知らないが、彼は首を左右に振った。 「ヘリオサは、正しいことを仰いました」 「……そうか」  よく、わからない。突然の嵐のような出来事もだが、クバルがブラッドに告げたことも。  今までブラッドの自由を縛り決して外に出そうせず、ブラッドの存在意義などないと言わんばかりの振る舞いをしていたクバルが。そこにブラッド本人の意思が介在するか否かは別として、クバル自らが来いと口にしたのだ。  犠牲になった仲間を弔いに行く。今回のツチ族との戦いで、多くの戦士が命を落とした。ヤミールとカミール、ふたりの命を救うために払った代償は大きすぎた。

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