5 / 14

午後0時のサボタージュ(5)

「英瑠」 「あ、兄貴」 「理人くんは?」 「トイレで拗ねてる」 「はあ?」  これでもかと眉を寄せる兄貴に肩をすくめて応え、スマートフォンをポケットにしまう。  薄暗い廊下の奥の方で、ふ……と電気がひとつ消えるのが見えた。 「副反応がなさそうなら、もう帰っていいぞ」 「わかった」 「これ、領収証な。会社に提出するんだろ?」 「ああ、ありがと」  念のため……と内容を確認していると、細長い影が一歩俺に近づく。 「お前さ」 「ん?」 「あ、いや……」 「言いたいことは分かってる」 「……」 「こういう形は予想外だったけど、いずれちゃんと話すつもりではいた」  兄貴が、俺とよく似た目元を強張らせる。 「本気、なんだな」 「自分でも驚くくらいには」 「ま、こういうのは理屈じゃないからなあ……」  俺と同じくせっ毛の髪を、兄貴はガシガシと乱暴にかき乱した。  なにかを考える時の癖だ。  きっと言いたいことは次から次へと浮かんでいるんだろうけれど、俺のために言葉を選んでいるに違いない。 「びっくりするくらいのイケメンだしな。モテるだろ」 「ああ、なんかギャップ萌え? らしいよ」 「それにしても、なあ。あの怖がり方、うちの五歳児よりすごかったぞ?」 「俺も驚いてる」  三枝さんから理人さんの注射嫌いは『筋金入り』だと聞いてはいたけれど、まさか本当にあそこまでだとは思わなかった。 「英瑠」 「ん?」 「話、聞いてやれよ」 「え……?」 「注射とか痛いのが嫌いなのもあるんだろうが……あの子はきっと根本的にこの空間が怖いんだろ。過去に病院(ここ)で誰か大事な人を亡くしたりしたんじゃないか?」  大事な人。  もしかして、ご両親が亡くなったこととなにか関係があるんだろうか。  マンションの奥の部屋に祭壇があるのを、前にチラッと見たことがある。  毎晩寝る前に必ず手を合わせているのは知っていたけれど、なんとなく聞いてはいけないことのような気がして、俺からはなにも切り出せていなかった。 「ま、その……あれだ。なんかあったらいつでも連絡しろよ」 「サンキュ」 「おう、またな」  気をつけて帰れよ。  野菜食べろよ。  そんなことを振り返るたびに言い残しながら、兄貴は去っていった。  白い背中が角を曲がるのを見届けたところで、くん、と服が突っ張る。  振り返った先には、頬を膨らませ、唇で富士山を描いた理人さん。 「……佐藤くんなんか嫌いだ」  盛大に吹き出しそうになるのを堪え、すっかり冷えてしまった左手を巻き込んだ。 「気分はどうですか? 頭痛いとか、息苦しいとかないですか?」 「……ない」 「じゃあ、帰りましょうか」 「ん……あ、お兄さ、佐藤先せ……葉瑠先生、は?」 「もう帰りました」  領収証は預かったので、と白い紙を見せると一瞬だけ表情が安堵し、でもすぐに険しさを増す。 「大丈夫、だったのか」 「なにがですか?」 「その……キス……見せた、だろ。お兄さ、先生に……」 「ああ、とりあえずは応援してくれるみたいです」 「……よかった」 「え?」 「俺のせいで佐藤くんの家族のつながり壊したりしたくない、から……」  ああ、もう。  また、この人は。 「行きましょう」 「……うん」  指の間を埋める体温が、愛おしい。

ともだちにシェアしよう!