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後日談(1-2)
「神崎さーん、神崎理人さーん!」
「あ、はい!」
豚の生姜焼き定食で満たされた腹を抱えながら通りすがった待合室に、すっかり耳慣れた名前が響いた。
ちょうど会計の順番が来たらしく、理人くんがいそいそと財布を取り出している。
もうほとんどの患者は用を済ませ帰ったのか、残っている人影はまばらだ。
「理人く――」
「神崎課長?」
支払いを終えた彼の背中に、俺のよりだいぶ高い声がかか――…は?
課長?
今、課長って言ったか?
「白石さん!」
俺の声を遮った女性の姿を認めると、理人くんは小走りに駆け寄った。
「お疲れ様です」
「お疲れ。こんなとこでどうした?」
「ちょっと娘の熱が高くて……」
「え、いつから? 大丈夫か?」
「昨夜からですが、だいぶ落ちつきました。念のためウィルス検査もしてもらったんですが、ただの風邪だったみたいで……」
「そうか。それならよかったけど、無理するなよ。週明け休んでも大丈夫だから、お子さん第一に考えて」
「ありがとうございます。明日の様子見て、またご連絡します」
「うん」
理人くんが満足そうに口角を上げると、白石さんとやらは呼応するように顔を赤らめた。
うーん、これはもしかすると……彼女の切ない片思いだろうか。
「ママ?」
「あ……ママがお仕事で一緒の神崎課長よ。ほら、こんにちはして?」
「……こんにちは」
「こんにちは。お熱なんだって? お大事にね」
「うん……!」
「そういえば、課長はなんでここに?」
「あー……健康診断の採血サボったの、三枝にバレた」
「またですか。もうっ」
白石さんがさも可笑しそうに噴き出すと、理人くんもほんのり頬を染めながら苦笑する。
なんだか見ていられなくなってきて思わず踵を返すと、視線の先に英瑠がいた。
「あれ、兄貴。診察は?」
「理人くんで最後だよ。今、昼飯食ってきたとこ。それより、理人くん……」
「理人さんがどうかした?」
「あの子、課長なんてやってんのか」
「やってる。しかもネオ株」
「ネオ株!? いやでも、まだ若いよな?」
「今度の三月で三十一だってさ」
「三十で課長……ってなれるものなのか?」
「社内でも最年少らしいよ」
「はー! 人は見かけによらないってほんとだな」
待合室では、理人くんが凛々しく手を挙げて白石さん親子を見送っているところだった。
でも振り返って俺たち――英瑠と視線がかち合うと、途端にそっぽを向いてしまう。
膨らんだ頬と尖った唇。
さっきまでとはまったく違う彼の姿を見て、英瑠の顔にいやらしいとしか形容できそうにない笑みが浮かんだ。
なんでだ。
なんで俺はまだこの場にいるんだ。
兄としては、
ものすごく、
いたたまれない。
「英瑠」
「ん?」
「まあ……ほどほどにな」
「えっ、うん……?」
謎の捨て台詞を残し、俺はようやくふたりに背を向けたのだった。
fin
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