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Two.
――今週から仕事で市街を離れるから護衛はできない。そう言ってジャンカルロが街を出て行ったのはもう20日も前のことだ。
2週間もしたら戻ってくると言っていたが、未だに便りもない。ジャンカルロのことだから、なにか危険な目に遭っている可能性は低い。検問で止められているのか、それとも誰かに頼られて帰らずにいるのかとどちらかではないか。ニコラはそう言っていた。
ジャンカルロ不在の間、ユーリが東のスラムに出かける際に護衛につくのは、必然的に二コラか、ナザリオかのどちらかになる。ユーリがナザリオを意図的に避けているため、ユーリが不機嫌になるのではないかとジャンカルロは最後まで心配そうにしていたが、ユーリはあっさりとナザリオの存在を無視し続けている。
今日もナザリオが護衛につく予定だったが、たまたま二コラが東の診療所にドン・クリステンから頼まれた用事があると言っていたので、くっついてやってきた。ドン・クリステンは軍部の最高幹部の一人で、軍医団団長でもある人だ。ユーリは直接面識がないが、二コラやキアーラの話を聞くに、国の中枢になくてはならない存在らしい。
一度だけ遠目に見たことがあるが、ニコラよりも長身で、端正な顔立ちに上品さが加わって、まさに惚れ惚れするとはこのことかと言いたくなるほどの存在感があった。さすがにニコラが心酔するだけのことはある。
その端正な出立ちのせいか、それともイル・セーラへの不当差別廃止を訴えた考え方のせいか、ドン・クリステンには敵が多い。ニコラがそれを知らないはずはないから好きで従っているのだろうが、ユーリにとってそれは大きな懸念材料だった。なぜなら、ただでさえイル・セーラである自分と親しげにしているニコラの上司がドン・クリステンだとすると、軍部ではどうか知らないがピエタからの風当たりが強くならないわけがないからだ。ニコラの亡くなった父親がピエタの委托医だったこともあり、ニコラはピエタに顔が効く。ニコラの父親はピエタに慕われていたようで、未だに命日近くなるとピエタを退官した人からもさまざまな物資が届くようだ。
ジャンカルロも多忙だが、ニコラも負けてはいない。栄位クラスというだけでなく、来夏には軍部の医師団への所属が決まっているためか軍部に出向いてトレーニングに余念がない。いままではあまり疲れた顔を見せなかったが、ここ2週間ばかりニコラはいつも気だるそうだ。ユーリがニコラにくっついてスラムに降りてきたのは、ニコラの負担を少しでも軽くしたいという思いもあった。自分自身のことで振り回しているという自覚がないわけではないからだ。
「こっちの在庫整理は終わったぞ」
未開封の薬瓶が丁寧に並べられた木箱を、ロビーフロアのテーブルに置きながら、ユーリ。ニコラは相変わらず眉間に皺を寄せて書類をまとめていた。生返事をして、ニコラが眉間を摘みながらため息をひとつ。
「消毒液を開封したならきちんとチェックをしておけ。粗雑者め」
ぴしゃりと告げられ、ユーリは眉を下げて肩を竦めた。昨日ディエチ地区の表通りで騒動があり、腹部を刺された男が担ぎ込まれた。発見が早かったこともあり事なきを得たが、そのあとにピエタと押し問答をしたことですっかり忘れていた。だが忘れていたでは済まされないことをユーリはよく知っている。素直に悪かったと謝ると、ニコラは意想外な顔をしてユーリの頭をわしわしと撫でた。
「わかればいい。少しでもピエタに目をつけられるような行動は慎むんだな」
ピエタと言われて、ユーリは診療所の入り口付近に視線をやった。そこには当然のようにナザリオが待機している。なにをいうわけでもなく、壁にもたれて佇んでいるだけだ。
ニコラはユーリにとって数少ない理解者の一人だ。立場もなにもかも理解してくれている。そのニコラが安全だと言っているのだから、ナザリオは信用できる存在なのだと頭ではわかっている。
いっそのこと、なにもせずに給与が出ていいご身分だなと言ってやりたい。毎日毎日懲りないことだ。ユーリは彼の存在を知りながらも敢えて触れも話しかけもしない。ナザリオもまた、なにをしても無視されることを承知の上で一定の距離を保ちつつ着いてきている。
「ピエタなんて解散させればよかったんだ」
旧軍幹部あがりの男たちにはろくなのがいない。ユーリがぼそりと呟く。ニコラの眉間にしわが寄ったのを上目に見て、ユーリはそそくさと自分がやっていた作業に戻った。テーブルに置かれた木箱の中に効能ごとにアルファベット順に並べた一覧表を入れ込み、蓋をする。誰かが開けたらわかるように、四方にテープを貼り付けて細工をするのも忘れない。
「スラムや中・下流層街の警備なんて民間傭兵で十分だろ」
ピエタの業務は中・下流層街とスラムの警備、犯罪者の逮捕並びに捜査に限定されており、上流層街、貴族街の警備は軍部が担っている。マフィアやごろつきたちとの癒着が横行して、ピエタ内部でも存続が疑問視されていると聞いたことがある。そのためピエタは上流層街や貴族街と関わりを持たないようにされているのだ。金さえ出せば動いてくれるピエタやマフィアは、狡猾な上流階級者や貴族にとっては体の良い駒になり得るからだ。
「それか全て軍部が担えばいい。いい給料貰ってるし、人数だっている。なのにそれをしない時点できな臭さしかない」
「ナザリオの前でそれはないだろう、なにを考えているんだ」
呆れかえったような声色で二コラが問う。なにって? と、特に他意を持たずに尋ね返す。診療所の入り口付近で姿勢よく立っているナザリオへと二コラが視線を向ける。そのしぐさでなにを言わんとしているのかに気付いたが、ユーリは敢えてわざとらしく肩を竦めた。
「言っている意味が分からないな」
それより問題は在庫整理だと話をすり替え、金庫に詰められた劇薬の管理表を手に取った。
「いい加減ナザリオの立場を考えろ。失礼だと思わないか?」
二コラが語気を強める。薬品整理の最中だ。気が散るとぞんざいな言い方をして、在庫チェックをしているふりをする。
端から疑う気などなかったが、ユーリは本能的に苦手だと感じたら意地でも心を開かないタイプだ。それを知っているニコラとキアーラがあまりにもしつこいため、少しでも警戒心を解くためにどこか共通点がないかと、ジャンカルロに頼んでナザリオの素行を調査してもらったことがある。
ユーリは素行調査をしてもらったことを心底後悔した。
勤務態度は極めて真面目。アリオスティ隊の部下たちからはよく慕われており、一部の上官への態度の悪さを除いては至極優秀なピエタだ。両親、兄弟ともに死別。恋人も子どももいない。趣味らしき趣味はなく、仕事一筋。ジャンカルロにそう聞かされて、ユーリはいままで以上にナザリオと付き合うのをためらうようになった。
その理由を二コラに言ったところで、理解はしてくれないだろう。理解してほしいとも思っていない。
「スラムで万が一のことがあったらどうするつもりなんだ」
二コラの表情は真剣そのものだ。
二コラとは大学に来てからの付き合いだが、年齢も立場もなにもかもが違うのに、ユーリの面倒をよく見てくれた。入学初日から差別主義者に目を付けられ、手を出されていたことに気づいたのも二コラだ。そんなものだろうとユーリ自身も黙っていたが、空き教室でマワされているところを二コラに発見された。入学して6日目のことだ。それが縁で非差別主義者且つ品行方正が服を着て歩いているような二コラとサシャ、ユーリが同室になり、サシャともどもお互いが非番の日以外は常に共にいる。
だからこそユーリは二コラの感情に敏感だ。二コラの瞳はいつも以上に力を宿しており、ユーリとしっかり目線を合わせている。普段も視線を合わさないわけではないが、目線を合わせてくるのは二コラが本気でユーリになにかをさせたいとき限定なのだ。
これは面倒くさい奴だと肌で感じたユーリは、さきほどまでのきょとんとした表情を白けた表情にすり替えて、聞こえるくらい大きな舌打ちをした。
「おい、勝手に人に着いてきておいてその態度はなんだ」
まとめていた書類をやや乱暴にテーブルに置く。語気と共に強くなったいら立ちを隠しきれない様子だ。二コラは真面目で融通が利かない上に3徹以上になると冗談すら通用しなくなる。今日がその3徹目じゃなかっただろうかとふと考える。今朝は日に日に濃くなる目の下のクマを心配して少しでも早く用事が済むようにと手伝っているつもりだというのに、二コラは自分の心配ではなく人の心配ばかりしている。
「ジャンカルロが帰ってくるまでの辛抱だろ」
「それはこちらのセリフだ。ジャンカルロだって暇じゃない。彼にも生活があるし、ナザリオにだって」
「うるっせえなァ。人の心配じゃなくて自分の頭の心配しろよ。簡単なスペルすら間違うほど頭ンなかふにゃふにゃな奴に説教される筋合いはない」
とっとと仕事済ませて部屋帰って寝ろと面倒くさそうに言いながら、白衣のポケットから出した万年筆でスペルミスがある部分をとんとんと叩く。二コラは指摘された部分を再度確認した後で、苦虫を噛み潰したような顔をした。眉間を指でつまみ、深いため息をつく。
「おまえにスペルミスを指摘される日が来るとは」
「はっ、おあいにく様。なんならここで添い寝してやろうか?」
誘うように言って、二コラの首に両腕をまわす。誘うように色っぽく、双眸を細めて二コラの胸に頬ずりをする。わざと体重をかけるようにしてやったが、二コラは普段から軍部の陸上部隊と共に訓練していることもありびくともしない。普段の二コラなら「なにをばかなことを」とか否定の言葉を発しつつ遠ざけようとする。それもいまはナザリオの前だ。これで目が覚めるだろうと思っての行動だったが、ユーリの細い腰にするりと二コラの腕が回される。珍しい行動にユーリは目を瞬かせた。
「なに、添い寝される気になった?」
こくんと首を斜めに傾けて、甘えるように言ってみる。碧玉の瞳がユーリを捕える。じわりと熱を孕む熱い視線だ。頬にかかる髪を指で耳に掛けられた。くすぐったくて体が竦む。
「なんだよ。人前なのに妙に積極的じゃないか」
ふにふにと頬をつままれる。慈しむように何度か頬をつままれた後で、急にその指に力を込めて引っ張られた。
「いってえなァ、なにすんだっ」
「その顔を例の少年にも見せたんじゃないだろうな」
ユーリはきょとんとした。例の少年というのは、チェリオのことだろう。それどころか情報を引き出すために抱かせようとしたなんてバレた日には、二コラの怒号が飛ぶこと請け合いだ。ユーリはへらりと笑って二コラの胸にぐりぐりと顔をうずめた。
「嫉妬かこの野郎。それは三徹目に入る前に聞きたかったぞ」
ネコ科の動物がマーキングでもするかのような行動だ。そのまま喉がぐるぐると鳴り始めるのではないかと思うほどご機嫌な表情のユーリをよそに、はたと正気に戻ったのか、二コラは「誰が嫉妬など」と誰に言うともなくぼやき、わざとらしく咳払いをした。
「ドン・クリステンへの報告がある。添い寝ならビスチェに頼む」
ビスチェは二コラが飼っている大型犬の名前だ。二コラが栄位クラスに選出された際、ドン・クリステンから贈られた毛並みも血統もよい犬で、日ごろからよくかわいがっているのを知っている。以前三徹の二コラを慰めてやろうとベッドに忍び込んだら、ビスチェと間違われてずっと頭を撫でられながら爆睡される羽目になったことがあるほどだ。
「この腕はなんだ」
口ではそう言いながらも、ユーリはいまだ二コラの腕の仲だ。身動きが取れない。逃がさないとでも言いたげな表情をしているのに気づく。
「ユーリ、ナザリオはおまえが思っているような男じゃない。ほかのピエタと一緒にしては失礼だ」
不意にナザリオの名前を出され、ユーリはむっとしたように表情をゆがめたが、すぐにいたずらっぽく笑って片方の眉をすいと持ち上げた。
「はっ、個人どうこうなんて興味はねえなァ」
二コラの顎を人差し指で撫で、くふんと笑って見せる。
「ピエタはピエタ。ほかの何者でもなく、あの腐った組織に属する者だ。あんたらとどう関わり合いがあろうと、どんなに信用のおける相手だろうと、俺にはそんなもの関係ない」
そう言い切ると、ユーリは二コラの手を振り払って、金庫のほうへと戻った。
「大体ピエタが護衛につくことを決めたのは、軍部と、学長と、ドン・ヴェロネージだろ。あいつはそれを承諾し、仕事だから勝手に俺に付き纏っているだけ。俺の許可を取る必要なんてないから、だから同じ空間にいて俺を監視している。どこが問題なんだ?」
二コラがあからさまに苛立ったような顔をして眉を顰めた。
「それを詭弁と言うんだ」
「違うね、正当な意見だ」
そう言い切ると、ユーリは面倒くさそうな表情をそのままに薬品の管理表を修正し、万年筆のキャップをしめた。二コラがなにかを言っているが聞こえないふりをする。管理表を眺めていて、ふと見慣れない薬品名に気づいた。明らかに書き加えられた薬品がいくつかある。管理表と金庫の在庫の数を黙視しながら、万年筆の先を口元にあてた。
「どうした?」
そのしぐさはユーリが思案しているときのものだからだろう。いち早く気が付いた二コラがユーリに寄ってきた。ごまかそうと思ったが、その薬品を“誰が”持ち込んだのかを知る必要がある。ここはユーリが無理やり作った場所だ。なにかがあれば責任を問われるのは自分だからだ。
「なァ、モルフィンとペンタゾシンは分かるんだが、この“ステアゾラム”ってのは?」
二コラが管理表を手渡すよう指示する。ステアゾラムは新たに書き加えられた薬品名なのだが、文字の書き終わりがいちいち跳ねるような癖のある字を書く相手は栄位クラスの中にはいない。
いや、そもそも栄位クラスの仲間が管理表に書き加えたのなら、なにか一言伝えるはずだ。ユーリは不審そうな表情をそのままに、管理表を覗き込む。
「薬品の詳細を?」
「知らねえから聞いてんだろ」
投げやりな言い方は、ユーリの不信感が募っているためだ。明らかになにかがおかしいと言わんばかりに眉を顰め、万年筆を口元にあてたまま思案する。
「ステアゾラムは、オレガノでよく使用されるモルフィンよりも強い麻薬だ。依存性が低く内臓への負担も少ないのだが、モルフィンよりも薬価が高い。通常なら軍医団しか使用できないものだが、管理表に書き加えられているということは、“もしものとき”を想定して取り扱いを許可されたのでは?」
もしもの時というのは暴動のことだろう。つい先日もスラム内で暴動が起こり、数名が亡くなった。そのときにステアゾラムがあれば、致命傷を負っていた患者以外は助かっていた可能性がある。必要な薬品さえあれば手術が可能だったからだ。そもそもスラムでは町と異なり何事もないことの方が少ない。有事の際に対応できるように、通常では扱えない薬品を使えるようにしてほしいと、ユーリは以前から何度も嘆願書を認めていた。
ユーリはふんと鼻を鳴らして白けた表情をした。
実際に有事が起こった後でこれだ。通常ならいくつもの書類を用意して、議会、貴族院、軍部の許可が下りて初めて国王の耳に入り、それから事が動く。先日の暴動が起こった後でユーリが二コラに薬を増やすように掛け合ってくれと頼み込んだ際にそう説明されたばかりだ。
その後に嘆願書を出していないし、仮にいままでの嘆願書が認められ軍部からの支給があったのだとしたら、キアーラも二コラも知らないわけがない。どうもおかしい。ユーリは怪訝そうに薬品を見つめた。ステアゾラムの薬瓶が20個もある。ほかの劇薬は多くて5個単位でしか補充されないというのにだ。
「もしもの時を想定して支給されたのだとしたら、あんたかキアーラのどちらかが知っているはずだろう。今朝俺はキアーラと話したけど、そんなことは一言も言っていなかった」
キアーラが伝え忘れたということはまずない。可能性としてそれは一番排除すべきことだ。となると、二コラが嘘を吐いている。或いは、二コラが知らない勢力が動いている。そのどちらかだ。二コラが眉間にしわを寄せてばかばかしいと吐き捨てるように言った。
「考えすぎだ。おまえの嘆願書を見た上層部が、急を要することだと思ったから支給した可能性がないわけではない。通常ならば情報が先に来るが、緊急時にはその手順を踏まないことだってある」
「マジで言ってんの? 手順大好きな軍部が、その手順を踏まないのがおかしい。ドン・クリステンから託された金庫の中に入ってたのに、それをあんたが知らなかったってのは道理が通らない。あんたが嘘を吐いているか、俺もろともハメようとしているか。そのどちらかだろ」
「おまえは本当にひねくれているな。何故そういう穿った物の見方しかできない」
二コラの声色に苛立ちが混じる。
「ドン・クリステンからの指示だ。あの方がおまえをはめるつもりだとでも言いたいのか?」
「そっちこそ、そいつが怪しいかもしれないとか、不思議にも思わないのかよ?」
「思わんな。そんな下らない諍いに俺やおまえを巻き込むようなお方ではない」
「だったらあんたにはステアゾラムが支給される理由くらい伝えるはずだ。俺はいままでモルフィンよりも強い薬品をと要望した。それなのに嘆願書を受け取ってすらもらえなかった」
そこまで言って、ユーリははっと目を見張った。ユーリがいままで認めた嘆願書は、すべて破られたか突き返されているのを思い出した。ただの一枚も上層部に渡っているはずがない。
「そうだよ。嘆願書があちらの手に”あるはずがない”んだ。いまさら受理されたは通用しない」
「ナザリオが監視につくことを条件に認められたのかもしれないだろう」
「軍部とピエタの関係性を考えたらそれはない。仮にピエタが監視についてるからというのが理由なのだとしたら、俺にはまるで暴動が起きるのを手薬煉引いて待っているかのようにしかみえないし、裏があるようにしか思えない」
「いい加減にしろ。確証がないことを言うもんじゃない」
ニコラの声色に怒気が孕む。いつもならここまで食い下がらないが、ユーリにはこの状況が明らかにおかしいとしか思えなかった。ユーリは二コラから管理表をひったくった。制止をする二コラを無視して金庫のもとに走る。
いつのまにかナザリオが背後にいた。近付くなと責めるような視線を浴びせて管理表を金庫に押し込む。鍵をかけ、それをロビーフロアのテーブルにやや乱暴に置いた。
「これは要らない」
「必要がないなら使わなければいいだけだ」
「ワケわからねえものをここに置きたくねえっつってんだ。全部言わなきゃわかんねえの?
仮に『暴動が起きた時に使えるように』ってのがピエタ側の正統な理由だとして、使用できるのは軍医団のみだ。軍医団に属しているわけでもない俺たちが使用した場合、罰則ものだろう。そんなもの怖くて置けるかよ。
それに、スラムで暴動に巻き込まれて瀕死の状態だったこどもを見捨てるように言ったのは軍部だぞ。子どもたちを救えるように、モルフィンより高価で副作用の少ない薬品を依頼したとき、あいつらはなんて言った?」
畳み掛けるように言うが、ニコラは呆れて物も言えないとばかりにため息を吐いた。二コラとユーリの考えには乖離があるうえ、あっさりしているようで疑り深い性格のユーリの悪癖を正せといつも言ってくるほど軍部を信頼している。ユーリの意見など微塵も気にしてくれないことはわかっていたが、見事に理解をしていないようだ。ならば凄まれついでにと、ユーリは二コラの白衣のポケットに金庫の鍵をねじ込んだ。
「鍵はあんたが持っていてくれ。あんたがここにいるときにしか、金庫に触れないという状況なら、金庫をここに置いておいてもいい」
二コラがあからさまに嫌そうな顔をした。
「もしも暴動が起きた際に俺がここにいなかったら、それこそ意味がないだろう」
「そんときはこっちでなんとかする。誰が用意したかもわからない薬品なんて、怖くて使えるか」
「勝手にしろ。そのどうでもいい憶測で怯みあがっていればいい」
「俺の憶測が“ただの憶測”で済んだ時には、あんたの思いどおりにされてやるよ」
挑発的なユーリのセリフを受け、二コラは心底呆れたと言わんばかりのため息を吐いた。短い髪に指を突っ込んでがりがりと頭を掻く。
「ナザリオ、おまえの貴重な時間をこの馬鹿に割いてやる必要はない。何事かあっても“自力で”どうにかできるから護衛などいらないとごねているんだろう。一度痛い目に遭えばいい」
「うーわ、ひっどいセリフ。それが親友に向けていう言葉かね」
親友という部分をわざと強調していってやる。黙れと言わんばかりに二コラの大きな手で両頬を掴まれた。
「親友だからこそだ。いいか、おまえが素直に軍部やピエタに従わないことで生じる軋轢はおまえの想像以上だ。セストも学長もそうであるように、イル・セーラへの差別は未だに強く根付いている。ジャンカルロがどうかは知らないが、ほとんどのノルマはおまえが窮地に立たされようが助けもせず便乗して襲ってくるだろう。イル・セーラはノルマにとっては手間のかからないおもちゃ同然なんだ。
だからこそ軍部には守ってもらえるように従順であると態度で示すべきだ。ここで軍部の“厚意”を撥ねつけては、後ろ盾をすべて失くすも同然だぞ」
ニコラの言い分が分からないユーリではない。それは十分肝に銘じている。大学に来てからの4年間、ユーリに色目を向けてこなかったのはニコラとリズ、そして別のチームのフレオだけだ。法律で縛られているから手を出されないだけで、常に侮蔑的な言葉や視線に晒されてきた。いまさらだ。
ふとなにかが鳴っているのに気付く。音の正体はナザリオの無線機のようだ。すぐに向かうと冷淡に告げた後で、二コラに向け軽く頭を下げた。
「地下街から救援要請が入ったので応援に行ってきます。一応ほかの信用できる者をこちらに寄越しておきます」
「そうしてもらえると助かる。俺もドン・クリステンに報告に行ってくる」
「では、すぐに手配します」
そう言って踵を返した後で、ナザリオがぴたりと足を止めた。こちらに振り返り、二コラに視線をぶつける。
「ドン・クリステンにはSig.オルヴェの言い分をお伝えになったほうがよろしいかと」
ユーリがふんと鼻で笑った。
「意外と話が分かるじゃないか」
「ピエタほどではありませんが、軍部とて一枚岩ではありません。貴方もそれを知らないわけではないでしょう」
そう言い残し、ナザリオが診療所を後にした。二コラが珍しく舌打ちをする。ユーリはなぜナザリオが二コラにあんな言い方をしたのかがわからなかった。不思議そうに二コラを見上げる。二コラと視線が合う。じろりと睨まれ、両手で頬を挟まれる。そうかと思うとこつんと額を合わせた。
「頼むからここでじっとしていてくれ。絶対に外には出るな」
それは保身のための言葉ではない。そのくらいはわかっている。ユーリは表情を綻ばせて、二コラの手に頬ずりをした。
「はいはい。ダーリンの仰せの通りに」
***
ナザリオの代わりに寄越されたのは、ナザリオよりもはるかに頼りなさそうな男だった。
見た目はまだティーンだ。どう見ても成人しているように見えない。ノルマには珍しい綺麗なトゥヘッドだ。動くとさらさらと靡き、髪質の良さが見て取れる。瞳の色もジャスパーグリーンではなく青みがかったエメラルドグリーンだ。肌の色は抜けるように白く、透明感と爽やかさが一体化している。警邏隊の一員でありながらその白さは何故なんだと突っ込みたくなるほどで、どう見ても好色そうなやつに目をつけられそうな風貌をしている。
華奢で見るからにひ弱そうな彼が本当にピエタなのだろうかと勘繰りながらじろじろと不躾に眺めていると、ふと彼と視線がかち合った。
「なあ、エリゼって言ったっけ。あんたほんとにピエタの一員?」
話しかけると、エリゼは鬼にでも睨まれたかのように肩を跳ね上げて驚いていた。せわしなく目を瞬かせ、まじまじとユーリを見る。言葉が通じないのかと思うほどにエリゼはなにも言わない。
「貴方、しゃべれたんですね」
漸く言葉を発した。言葉が通じないのかという懸念はなんだったのかと言いたくなるほど流暢なノルマ語だ。
「はっ?」
想定外の答えに思わず尖り声があがった。
「隊長が貴方の警備に着くと決まった時に、なにを話しかけてもつんけんしていて散々無視をされたと珍しく弱音を漏らしておられたもので」
虫も殺さないような笑顔で言ってのける。自分がとった行動だ。言われても仕方がない。罰の悪さに眉間をつまむと、エリゼがくすくすと笑う声がした。
「まあ無理やり酔わせて吐かせたんですけどね。隊長が自分から弱音を吐くことなどほぼないことですし、俺にそう漏らしたことも覚えていないと思いますよ」
ああそうですかと投げやりな返事をしてエリゼから視線を逸らす。どうやら見た目とは違いかなり強かな性格の持ち主のようだ。前言撤回だ。あの辛抱強いナザリオの部下だからこその強かさに違いない。真面目一辺倒のナザリオが信頼する相手というのだから、一筋縄ではいかないだろう。
「貴方からの質問の答えですが、俺は確かにピエタの所属でアリオスティ隊の一員です。
8年前に、パドヴァンとの国境付近でノルマ至上主義者と中立主義者との対立が起こった時に巻き込まれ、両親も兄弟もそこで亡くなりました。体長はその時に俺を助けてくださいました。いわば俺の恩人です。
ピエタは組織として相当にあくどい行いをするので誤解が生じるのは無理もない話なのですが、彼の人となりを知ろうともせず毛嫌いしている貴方に興味があったので要請に応じました」
そう言われて、ユーリはエリゼに視線を戻した。なんだか含みを持たせた妙な言い方だ。別にナザリオだから毛嫌いしているわけではなかったが、そう見られていたのなら仕方がない。
エリゼはさわやかな笑顔を浮かべている。ユーリはエリゼの言いたいことを察して、肩を竦めた。
「まあ、あんたの大事な上司に不躾な態度をとったのは事実だからな」
ぽつりと誰に言うともなく呟いて、ユーリはすっと姿勢を正した。エリゼが目を細め、話の続きを促すように手を差し出した。
「二コラや本人がどう思っているかは知らないけど、べつに個人を嫌っているわけじゃない。ただどうも納得がいかないんだ。なぜ警護に選ばれたのが俺を手玉にとれそうなあんたではなく、“なぜナザリオなのか”」
エリゼが楽しそうにくすくすと笑ってみせる。街から持ってきたのであろう紅茶の香りが鼻をくすぐる。手際よくそれをティーカップにそそぐ。ふわりと甘い香りが強くなる。
「先ほどの言い分に誤りがありました。俺は一度貴方と会って話がしてみたかった。貴方のその無駄によく回る頭に興味があったんです」
「無駄にとは失礼だな」
「無駄ですよ。長年ミクシア市街に住んでいるノルマですら、“旧体制の軍幹部”が多く存在するピエタを避けて通るのに、貴方は微塵も気にする様子もなく彼らの悪事を暴こうとするのだから」
棘のある言い方に聞こえるが、そうではないことをユーリは見抜いた。今度はユーリが目を細める。
「へえ。それを俺に言っちゃっていいのか? ピエタが俺を監視するのは単に“俺を守る為”なんだろうか……って疑問に思っていたが、あんたのそのセリフで俺の疑問は払拭されたようなものだぞ」
「“ピエタ”である俺に直接それを言うなんて、貴方は本当にいい度胸をしていますね」
「そうだろ。あんたならナザリオにしか報告をしないと思ったんだ」
俺の勘はよく当たる。そう言ってやると、エリゼは人懐っこい笑顔を浮かべた。エリゼの腕章はほかのピエタたちと異なり、咆哮するレオが象られたものだ。制服の襟元にあるバッジもナザリオのものと同じもののようだ。ナザリオ隊はすべておなじ腕章とバッジをつけているようだが、それ以外のピエタは双頭のレオの腕章をつけている。ほかにもいるのかもしれないが、いまのところユーリはまだ目にしたことがない。それを不思議に思っていたが、尋ねたことがなかった。
「アリオスティ隊は“旧体制の軍幹部出身者”以外で構成されています。平均年齢も若いですし、早い話が頭の固いクソジジイどもとはなにもかもが合わないんです」
ユーリが吹き出した。あははと声を上げて笑う。エリゼはどこか嬉しそうに笑みをこぼして、少しだけ身体を乗り出した。
「納得していただけましたか?」
頬杖を突き、片手を差し出すようにしながら、エリゼ。ユーリは笑いが堪えきれない様子でこくこくと頷いた。
「したした。ついでに、あんたらが互いにストッパーとブレーキの役割をしているってこともわかった」
「それは心外ですね。いままで誰にも気づかれたことがないのに」
「ナザリオは考えが駄々洩れすぎる。そこで腹の内を見せないあんたが側近に選ばれたんだろう。そういう思考の持ち主は俺の考え付く中では一人しかいないんだが、少なくともドン・ヴェロネージの一派じゃねえってことだな」
「さあ。それはどうでしょう」
エリゼはにこりと笑って見せ、ユーリのほうへとまだ湯気の立ち昇るティーカップを寄せた。この香ばしさは時々キアーラが淹れてくれる紅茶と似ている。さわやかでほんのり甘く、スッキリとしたのみ味のそれは、ユーリのお気に入りのものだ。すぐにでも口をつけたいところだが、猫舌のユーリはすこし冷めた頃合いのものを好む。
「ところで、なんだって急にイル・セーラの保護をと言い出したんだ? 俺がスラムに診療所を作ると言い出したのが理由じゃないよなァ?」
そう尋ねるとエリゼはきょとんとした。目をしばたたかせ、ユーリを注視する。
「スラムに診療所を作るなどという危険極まりない行為を平気でやってのける貴方を保護するためだと、隊長から伺いませんでしたか?」
まるでユーリの考えはただの勘繰りだと言わんばかりの態度だ。
「ああ、それは聞いた。軍部、ピエタ、そして学長の一存だとな。
でも、なぜ? スラムに診療所を作る以上に危険極まりないことを何度もしてきたが、お偉いさんが動くことはなかった」
「貴方の存在が危険分子だと認識されたからでは? 死なれては困る存在なのにろくでもないことばかりするので、国家機関が介入して守るほかないということでしょう」
「すごい言われようだな」
思わず呆れてしまった。保護対象だなんだと言っていたくせにずいぶん貶してくれるじゃないかと恨みがましく言う。どうせ収容所の時と同じく死にさえしなければ尊厳もなにもかも守られないのだろうと付け加えると、エリゼはそこまで言わなければ自覚しないでしょうと何食わぬ顔で言ってのけた。
「イル・セーラが保護対象となった最大の理由を?」
そう尋ねられ、ユーリは眉をひそめて口元に手を宛がった。考えたことがない。収容所の劣悪な環境だったために激減したイル・セーラを絶滅させないこと、それ以外ならイル・セーラの過去の研究を掘り出して転用することが主たる目的なのではないか。ふとそう考えたがそれは勘ぐりだと言われてしまいそうで、素直に首を横に振った。
「ミクシア固有種のイル・セーラを絶滅させないための保護条例が下ったことが主たる理由です。
ミクシア固有種の成人個体数は南側で保護している者を含めわずか28名、幼児や未成年を併せても49名と50名にも満たない数しか残っていません。
そのなかでノルマ語、フォルムラ語(ミクシア、オレガノ、エスペリ、フィッチ等このあたりの近隣同盟国で通じる共通語。元々はオレガノの言語。医師や政治家等国外に赴く仕事に携わる者が習得する言語)を完璧に理解しているのは貴方と、そして貴方の兄であるサシャ・オルヴェのみ」
「49人? 俺がいた収容所だけで解放時に128人いたはずだぞ。収容所はほかに10か所以上あったって聞いている。それぞれ200人ずつ収容されていたらしいから、半分は残っていても不思議ではない」
「貴方と貴方の兄を含め49人です。南側を管理しているのは我々の部隊ですから間違いはありません。
ミクシア市街にいないだけで、解放宣言がなされたと同時に市街を出たイル・セーラがいることも事実です。彼らは保護下乃至管理下にないため、どのくらいの人数が存在していて、そのうちの何名が生き残っているのかを我々が把握していないのです。市街でもそうですが、郊外では未だにイル・セーラが手酷い扱いを受けていると報告を受けています」
エリゼの言葉を受け、ユーリは驚きを隠せなかった。市街で生きることを選んだイル・セーラがいることを知らなかったのだ。全員が南側のスラムで管理されているものだと思い込んでいた。真剣な表情でエリゼの話に耳を傾ける。
「軍部がイル・セーラを保護する目的の最たるものは“監視”です。ミクシア固有種保護を目的とした動きを阻止しようとしている組織がいて、彼らの手から貴方と貴方の兄を守るために軍部が動いた……というのが俺の推測です」
途中まで真剣に聞いていたユーリは、最後の一言でぽかんとした。
「はっ?」
怪訝な顔でいまのが現実に軍部で議論されたことなのかそれともすべてエリゼの推測なのかを問いただす。エリゼはなにかをはぐらかすように肩を竦めて見せた。
「あんたが言ってたイル・セーラの個体数も冗談だってこと?」
「さあ。それに答える義務はありません。どこまでが推測でどこまでが現実なのかはご自分で判断なさってください。
それともうひとつお伝えしておきます。我々はピエタの一員ではありますが国家機関――即ち軍部からの派出機関でもあります。上の命令は絶対ですから、隊長を遠ざけようとしても無駄だと思いますよ。あの方は俺や別動隊よりも任務に忠実ですから」
「それを俺に伝えておけば態度を軟化させるだろうっていう魂胆か?」
「そんな見え見えのことをされれば逆に貴方は我々を避けるでしょ」
エリゼは相当に食えない男だ。ユーリは難しい顔をして自分を落ち着かせるために息を吐いた。
「ピエタの分裂は耳にしたことがあったが、あんたらは系統違いの組織で雇い主も別にいるっていう認識でいいんだな? つまりあんたが寄越されたのは舌足らずでまじめだけが取り柄のナザリオでは俺を懐柔できないだろうと踏んだ…と」
エリゼはユーリの問いに答えることなく人懐っこい笑顔を見せた。
「これ以上のことはお話しできません。ですが貴方が思っているようなことをするつもりはないということだけは覚えておいてください」
あっそうと冷めた口調で返し、ユーリはエリゼが差し入れてくれたクッキーを頬張った。
ピエタには二人の司令塔がいるということは耳にしたことがある。片方は軍部とつながり、片方はスラムのマフィアたちとつながっている。ナザリオがどちらとつながっているのかと気にしたことがあったが、ニコラの伝手でもあるのなら軍部側だろうと推測していた。そもそもナザリオのような男がマフィアとつながっているとは考えにくい。
エリゼとナザリオの主張と二コラの言い分に齟齬があることにふと気づいたが、二コラに問い詰めたところでおおよその事情しか聴かされていないはずだ。とすると二人の主張がいまのところ最も信憑性が高い。甘さ控えめでナッツ類がふんだんに使われているクッキーを咀嚼しながら考える。
イル・セーラの激減が解放宣言後に行われていたとしたら自分の耳にも入っているはずだ。二コラはなにも言っていなかったし、毎日目を通している新聞にも書かれていなかった。自然死か、それとも病死か。いずれにせよ市外の情報が一切遮断されているのは問題だ。
エリゼが淹れてくれた紅茶を少し、また少しと飲みながら、エリゼに視線を送る。
「南側で起こったことを俺に報告してくれるって約束してもらえるなら、あんたらが護衛に回ることにいちゃもんをつけない。もうナザリオを撒いたりしないし、無視もしない」
エリゼは少し考えるようなしぐさを見せた後で大げさに両手を広げた。
「俺に決定権はありませんので、隊長に相談なさっては?」
「いまさらそんな打診なんてできるかよ。そもそもナザリオがエリゼの半分くらいは筋を通して話してくれれば、最初からつんけんした態度を取らなかったかもしれないってのに」
あくまでも自分は悪くないというスタンスでぼやくように言う。するとエリゼは首を斜めに傾けて、やや挑発的に笑ってみせた。
「それはお仲間が心配ですよね。わざわざ危険を冒してチェリオを探し出し、南側のスラムに通ずる隠し通路のことを尋ねるくらいですから」
ユーリがハッと息をのむ。エリゼは気を良くしたように笑みを深めて口元を怪しく持ち上げた。チェリオがナザリオやエリゼと繋がっているという証拠はない。むしろその逆だと考える。エリゼの揺さぶりか、それとも、――。
不穏な考えを懐いたが、ユーリはふんと鼻で笑ってクッキーを頬張った。
「新たな協力者としてチェリオを迎えいれたかァ?」
エリゼはどこか楽しそうに笑って、ええと素直にうなずいた。
「俺は隊長と違って手段を択ばないんです」
「だろうなァ。南側のスラムへの行き方なんて絶対知らなかったくせに、3日で調べ上げて戻ってきた。あいつは十二分に利用価値がある」
そう言ってやると、エリゼはいたずらっぽく笑って肩を竦めてみせた。
「危険を冒してまで食べ物を届けるほど気に入っている――の間違いでしょう?
まあおかげで俺も手間が省けましたし、隊長にお伝えしても構いませんよ。隊長が貴方に敵意がなく寧ろ命を賭してでも守るタイプだと分かったからこそ、牽制も必要でしょうしね」
内心を見透かされていたようで面白くなかったが、ユーリは新しいおもちゃを見つけたように目を輝かせた。
「牽制は散々した。命を張る価値がないと分かれば、引き下がるだろうと思ったんだ」
ユーリの言葉に、エリゼは軽く首を横に振って見せた。
「逆効果だと思い知らされたでしょう?」
「それはもう十分なほどに」
たいていの人間は無視をされ続けると嫌気がさして任を解いてもらえるよう上官に申し立てをするものだが、ナザリオには一切効果がなかった。じつをいうとユーリの警護につくことを条件にピエタが近づいてきたのはナザリオが初めてではないのだ。
「隊長に辛らつな態度を取り続けるのも結構ですが、どこかで折り合いをつけて譲歩するほうが気が楽でしょう。隊長に慣れた今だからこそ、俺のことも簡単に受け入れた。違いますか?」
ナザリオが訳知り顔で笑った。なるほどその解釈は正しい。ただ舌足らずだからユーリに説明しなかったのではなく、最初から説明したところでナザリオに対して警戒心を緩めることのなかったユーリが受け入れることはないと判断したからだったのだろう。すべてにおいて自分の疑り深さが招いたことだ。
ユーリはため息交じりに眉間をつまみ、善処すると唸るように言った。
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