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Two(2)

 ナザリオの代わりに寄越されたのは、ナザリオよりもはるかに頼りなさそうな男だった。二コラからナザリオの部下だと紹介されなければ、危うく患者かと勘違いするところだ。  見た目はまだティーンでどう見ても成人しているように見えない。ノルマには珍しい綺麗なトゥヘッド。動くとさらさらと靡き、髪質の良さが見て取れる。瞳の色もジャスパーグリーンではなく青みがかったエメラルドグリーンだ。肌の色は抜けるように白く、透明感と爽やかさが一体化している。警邏隊の一員でありながらその白さは何故なんだと突っ込みたくなるほどで、どう見ても好色そうなやつに目をつけられそうな風貌。  華奢で見るからにひ弱そうな彼が本当にピエタなのだろうかと勘繰りながらじろじろと不躾に眺めていると、ふと彼と視線がかち合った。 「なあ、エリゼだっけ。あんたほんとにピエタの一員?」  話しかけると、エリゼは鬼にでも睨まれたかのように肩を跳ね上げて驚いていた。せわしなく目を瞬かせ、まじまじとユーリを見る。言葉が通じないのかと思うほどにエリゼはなにも言わない。 「貴方、しゃべれたんですね」  漸く言葉を発した。言葉が通じないのかという懸念はなんだったのかと言いたくなるほど流暢なノルマ語だ。聞き取りやすく、嫌味のない綺麗な声をしている。 「はっ?」  想定外の答えに思わず尖り声があがった。 「隊長が貴方の警備に着くと決まった時に、なにを話しかけてもつんけんしていて散々無視をされたと珍しく弱音を漏らしておられたもので」  虫も殺さないような笑顔で言ってのける。自分がとった行動だ。言われても仕方がない。罰の悪さに眉間をつまむと、エリゼがくすくすと笑う声がした。 「まあ無理やり酔わせて吐かせたんですけどね。隊長が自分から弱音を吐くことなどほぼないことですし、俺にそう漏らしたことも覚えていないと思いますよ」  ああそうですかと投げやりな返事をしてエリゼから視線を逸らす。どうやら見た目とは違いかなり強かな性格の持ち主のようだ。前言撤回だ。あの辛抱強いナザリオの部下だからこその強かさに違いない。真面目一辺倒のナザリオが信頼する相手というのだから、一筋縄ではいかないだろう。 「貴方からの質問の答えですが、俺は確かにピエタの所属でアリオスティ隊の一員です。  8年前に、パドヴァンとの国境付近でノルマ至上主義者と中立主義者との対立が起こった時に巻き込まれ、両親も兄弟もそこで亡くなりました。隊長はその時に俺を助けてくださいました。いわば俺の恩人です。  ピエタは組織として相当にあくどい行いをするので誤解が生じるのは無理もない話なのですが、彼の人となりを知ろうともせず毛嫌いしている貴方に興味があったので要請に応じました」  そう言われて、ユーリはエリゼに視線を戻した。なんだか含みを持たせた妙な言い方だ。別にナザリオだから毛嫌いしているわけではなかったが、そう見られていたのなら仕方がない。  エリゼはさわやかな笑顔を浮かべている。ユーリはエリゼの言いたいことを察して、肩を竦めた。 「まあ、あんたの大事な上司に不躾な態度をとったのは事実だからな」  ぽつりと誰に言うともなく呟いて、ユーリはすっと姿勢を正した。エリゼが目を細め、話の続きを促すように手を差し出した。 「二コラや本人がどう思っているかは知らないけど、べつに個人を嫌っているわけじゃない。ただどうも納得がいかないんだ。なぜ警護に選ばれたのが俺を手玉にとれそうなあんたではなく、“なぜナザリオなのか”」  エリゼが楽しそうにくすくすと笑ってみせる。街から持ってきたのであろう紅茶の香りが鼻をくすぐる。手際よくそれをティーカップにそそぐ。ふわりと甘い香りが強くなる。 「先ほどの言い分に誤りがありました。俺は一度貴方と会って話がしてみたかった。貴方のその無駄によく回る頭に興味があったんです」 「無駄にとは失礼だな」 「無駄ですよ。長年ミクシア市街に住んでいるノルマですら、“旧体制の軍幹部”が多く存在するピエタを避けて通るのに、貴方は微塵も気にする様子もなく彼らの悪事を暴こうとするのだから」  棘のある言い方に聞こえるが、そうではないことをユーリは見抜いた。今度はユーリが目を細める。 「へえ。それを俺に言っちゃっていいのか? ピエタが俺を監視するのは単に“俺を守る為”なんだろうか……って疑問に思っていたが、あんたのそのセリフで俺の疑問は払拭されたようなものだぞ」 「“ピエタ”である俺に直接それを言うなんて、貴方は本当にいい度胸をしていますね」 「そうだろ。あんたならナザリオにしか報告をしないと思ったんだ」  俺の勘はよく当たる。そう言ってやると、エリゼは人懐っこい笑顔を浮かべた。エリゼの腕章はほかのピエタたちと異なり、咆哮するレオが象られたものだ。制服の襟元にあるバッジもナザリオのものと同じもののようだ。ナザリオ隊はすべておなじ腕章とバッジをつけているようだが、それ以外のピエタは双頭のレオの腕章をつけている。ほかにもいるのかもしれないが、いまのところユーリはまだ目にしたことがない。それを不思議に思っていたが、尋ねたことがなかった。 「アリオスティ隊は“旧体制の軍幹部出身者”以外で構成されています。平均年齢も若いですし、早い話が頭の固いクソジジイどもとはなにもかもが合わないんです」  ユーリが吹き出した。あははと声を上げて笑う。エリゼはどこか嬉しそうに笑みをこぼして、少しだけ身体を乗り出した。 「納得していただけましたか?」  頬杖を突き、片手を差し出すようにしながら、エリゼ。ユーリは笑いが堪えきれない様子でこくこくと頷いた。 「したした。ついでに、あんたらが互いにストッパーとブレーキの役割をしているってこともわかった」 「それは心外ですね。いままで誰にも気づかれたことがないのに」 「ナザリオは考えが駄々洩れすぎる。そこで腹の内を見せないあんたが側近に選ばれたんだろう。そういう思考の持ち主は俺の考え付く中では一人しかいないんだが、少なくともドン・ヴェロネージの一派じゃねえってことだな」 「さあ。それはどうでしょう」  エリゼはにこりと笑って見せ、ユーリのほうへとまだ湯気の立ち昇るティーカップを寄せた。この香ばしさは時々キアーラが淹れてくれる紅茶と似ている。さわやかでほんのり甘く、スッキリとしたのみ味のそれは、ユーリのお気に入りのものだ。すぐにでも口をつけたいところだが、猫舌のユーリはすこし冷めた頃合いのものを好む。 「ところで、なんだって急にイル・セーラの保護をと言い出したんだ? 俺がスラムに診療所を作ると言い出したのが理由じゃないよなァ?」  そう尋ねるとエリゼはきょとんとした。目をしばたたかせ、ユーリを注視する。 「スラムに診療所を作るなどという危険極まりない行為を平気でやってのける貴方を保護するためだと、隊長から伺いませんでしたか?」  まるでユーリの考えはただの勘繰りだと言わんばかりの態度だ。 「ああ、それは聞いた。軍部、ピエタ、そして学長の一存だとな。  でも、なぜ? スラムに診療所を作る以上に危険極まりないことを何度もしてきたが、お偉いさんが動くことはなかった」 「貴方の存在が危険分子だと認識されたからでは? 死なれては困る存在なのにろくでもないことばかりするので、国家機関が介入して守るほかないということでしょう」 「すごい言われようだな」  思わず呆れてしまった。保護対象だなんだと言っていたくせにずいぶん貶してくれるじゃないかと恨みがましく言う。どうせ収容所の時と同じく死にさえしなければ尊厳もなにもかも守られないのだろうと付け加えると、エリゼはそこまで言わなければ自覚しないでしょうと何食わぬ顔で言ってのけた。 「イル・セーラが保護対象となった最大の理由を?」  そう尋ねられ、ユーリは眉をひそめて口元に手を宛がった。考えたことがない。収容所の劣悪な環境だったために激減したイル・セーラを絶滅させないこと、それ以外ならイル・セーラの過去の研究を掘り出して転用することが主たる目的なのではないか。ふとそう考えたがそれは勘ぐりだと言われてしまいそうで、素直に首を横に振った。 「ミクシア固有種のイル・セーラを絶滅させないための保護条例が下ったことが主たる理由です。  ミクシア固有種の成人個体数は南側で保護している者を含めわずか28名、幼児や未成年を併せても49名と50名にも満たない数しか残っていません。  そのなかでノルマ語、フォルムラ語(ミクシア、オレガノ、エスペリ、フィッチ等このあたりの近隣同盟国で通じる共通語。元々はオレガノの言語。医師や政治家等国外に赴く仕事に携わる者が習得する言語)を完璧に理解しているのは貴方と、そして貴方の兄であるサシャ・オルヴェのみ」 「49人? 俺がいた収容所だけで解放時に128人いたはずだぞ。収容所はほかに10か所以上あったって聞いている。それぞれ200人ずつ収容されていたらしいから、半分は残っていても不思議ではない」 「貴方と貴方の兄を含め49人です。南側を管理しているのは我々の部隊ですから間違いはありません。  ミクシア市街にいないだけで、解放宣言がなされたと同時に市街を出たイル・セーラがいることも事実です。彼らは保護下乃至管理下にないため、どのくらいの人数が存在していて、そのうちの何名が生き残っているのかを我々が把握していないのです。市街でもそうですが、郊外では未だにイル・セーラが手酷い扱いを受けていると報告を受けています」  エリゼの言葉を受け、ユーリは驚きを隠せなかった。市街で生きることを選んだイル・セーラがいることを知らなかったのだ。全員が南側のスラムで管理されているものだと思い込んでいた。真剣な表情でエリゼの話に耳を傾ける。 「軍部がイル・セーラを保護する目的の最たるものは“監視”です。ミクシア固有種保護を目的とした動きを阻止しようとしている組織がいて、彼らの手から貴方と貴方の兄を守るために軍部が動いた……というのが俺の推測です」  途中まで真剣に聞いていたユーリは、最後の一言でぽかんとした。 「はっ?」  怪訝な顔でいまのが現実に軍部で議論されたことなのかそれともすべてエリゼの推測なのかを問いただす。エリゼはなにかをはぐらかすように肩を竦めて見せた。 「あんたが言ってたイル・セーラの個体数も冗談だってこと?」 「さあ。それに答える義務はありません。どこまでが推測でどこまでが現実なのかはご自分で判断なさってください。  それともうひとつお伝えしておきます。我々はピエタの一員ではありますが国家機関――即ち軍部からの派出機関でもあります。上の命令は絶対ですから、隊長を遠ざけようとしても無駄だと思いますよ。あの方は俺や別動隊よりも任務に忠実ですから」 「それを俺に伝えておけば態度を軟化させるだろうっていう魂胆か?」 「そんな見え見えのことをされれば逆に貴方は我々を避けるでしょ」  エリゼは相当に食えない男だ。ユーリは難しい顔をして自分を落ち着かせるために息を吐いた。 「ピエタの分裂は耳にしたことがあったが、あんたらは系統違いの組織で雇い主も別にいるっていう認識でいいんだな? つまりあんたが寄越されたのは舌足らずでまじめだけが取り柄のナザリオでは俺を懐柔できないだろうと踏んだ……と」  エリゼはユーリの問いに答えることなく人懐っこい笑顔を見せた。 「これ以上のことはお話しできません。ですが貴方が思っているようなことをするつもりはないということだけは覚えておいてください」  あっそうと冷めた口調で返し、ユーリはエリゼが差し入れてくれたクッキーを頬張った。  ピエタには二人の司令塔がいるということは耳にしたことがある。片方は軍部とつながり、片方はスラムのマフィアたちとつながっている。ナザリオがどちらとつながっているのかと気にしたことがあったが、ニコラの伝手でもあるのなら軍部側だろうと推測していた。そもそもナザリオのような男がマフィアとつながっているとは考えにくい。  エリゼとナザリオの主張と二コラの言い分に齟齬があることにふと気づいたが、二コラを問い詰めたところでおおよその事情しか聴かされていないはずだ。とすると二人の主張がいまのところ最も信憑性が高い。甘さ控えめでナッツ類がふんだんに使われているクッキーを咀嚼しながら考える。  イル・セーラの激減が解放宣言後に行われていたとしたら自分の耳にも入っているはずだ。二コラはなにも言っていなかったし、毎日目を通している新聞にも書かれていなかった。自然死か、それとも病死か。いずれにせよ市外の情報が一切遮断されているのは問題だ。  エリゼが淹れてくれた紅茶を少し、また少しと飲みながら、エリゼに視線を送る。 「南側で起こったことを俺に報告してくれるって約束してもらえるなら、あんたらが護衛に回ることにいちゃもんをつけない。もうナザリオを撒いたりしないし、無視もしない」  エリゼは少し考えるようなしぐさを見せた後で大げさに両手を広げた。 「俺に決定権はありませんので、隊長に相談なさっては?」 「いまさらそんな打診なんてできるかよ。そもそもナザリオがエリゼの半分くらいは筋を通して話してくれれば、最初からつんけんした態度を取らなかったかもしれないってのに」  あくまでも自分は悪くないというスタンスでぼやくように言う。するとエリゼは首を斜めに傾けて、やや挑発的に笑ってみせた。 「それはお仲間が心配ですよね。わざわざ危険を冒してチェリオを探し出し、南側のスラムに通ずる隠し通路のことを尋ねるくらいですから」  ユーリがハッと息をのむ。エリゼは気を良くしたように笑みを深めて口元を怪しく持ち上げた。チェリオがナザリオやエリゼと繋がっているという証拠はない。むしろその逆だと考える。エリゼの揺さぶりか、それとも、――。  不穏な考えを懐いたが、ユーリはふんと鼻で笑ってクッキーを頬張った。 「新たな協力者としてチェリオを迎えいれたかァ?」  エリゼはどこか楽しそうに笑って、ええと素直にうなずいた。 「俺は隊長と違って手段を択ばないんです」 「だろうなァ。南側のスラムへの行き方なんて絶対知らなかったくせに、3日で調べ上げて戻ってきた。あいつは十二分に利用価値がある」  そう言ってやると、エリゼはいたずらっぽく笑って肩を竦めてみせた。 「危険を冒してまで食べ物を届けるほど気に入っている――の間違いでしょう?  まあおかげで俺も手間が省けましたし、隊長にお伝えしても構いませんよ。隊長が貴方に敵意がなく寧ろ命を賭してでも守るタイプだと分かったからこそ、牽制も必要でしょうしね」  内心を見透かされていたようで面白くない。白けた表情をそのままに、手をひらひらと動かして見せる。 「牽制は散々した。命を張る価値がないと分かれば、引き下がるだろうと思ったんだ」  ユーリの言葉に、エリゼは軽く首を横に振って見せた。 「逆効果だと思い知らされたでしょう?」 「それはもう十分なほどに」  たいていの人間は無視をされ続けると嫌気がさして任を解いてもらえるよう上官に申し立てをするものだが、ナザリオには一切効果がなかった。じつをいうとユーリの警護につくことを条件にピエタが近づいてきたのはナザリオが初めてではないのだ。 「隊長に辛らつな態度を取り続けるのも結構ですが、どこかで折り合いをつけて譲歩するほうが気が楽でしょう。隊長に慣れた今だからこそ、俺のことも簡単に受け入れた。違いますか?」  エリゼが訳知り顔で笑った。なるほどその解釈は正しい。ただ舌足らずだからユーリに説明しなかったのではなく、最初から説明したところでナザリオに対して警戒心を緩めることのなかったユーリが受け入れることはないと判断したからだったのだろう。すべてにおいて自分の疑り深さが招いたことだ。  ユーリはため息交じりに眉間をつまみ、善処すると唸るように言った。

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