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Seven(2)

「しっかし、いくらピエタの大半がやられたからって、この警備はないだろ」  ざるじゃねえかと毒付きながら、北側のスラムの中を注意深く身を隠しながら進んでいく。関所付近には武装したピエタが数人いたが、一番警備しなければならないであろう街中には誰もいない。非常事態だからこそ警備を厚くするものじゃないのだろうか。  北側にあるピエタの派出所の前にいるのはライフルを持った兵士だ。それも一人だけ。いつもなら栄位クラスの腕章を見せたら素通りできるのだが、それはかなわない。さて、どうしたものか。  回り道をして北側のディエチ地区に入り込めないこともないのだろうが、土地勘がなくどうしても挙動不審になるだろうから、却って目立ってしまい兼ねない。  それならむしろ、堂々と行くべきではないか。そう思い立ち、ユーリはミリタリーバッグとバックパックを肩に担ぎなおして、北側の派出所前を通った。  兵士が不審そうにこちらを見ている。気取られないよう無心で彼に近づく。すると彼は突然背筋を伸ばし、敬礼をして見せた。 「ご無事でなによりです!」  兵士の後ろから別の声がした。どうやら警備は一人ではなかったらしい。そりゃあそうだ。こんだけザルでどうすると突っ込みたかったところだ。 「大事ありませんでしたか、准将殿」  別の声の男は、明らかにミクシアの人間ではないことに気づく。もしかして、さっきの准将殿の部下なのだろうか? それはそれでまずい気がする。そう思ったが、男はユーリのことをミカエラだと思い込んでいるようだ。髪を切っていてよかったと心底思う。 「ところで、准将殿。なぜそのようなマントをお召しで?」  ユーリがピエタの精鋭部隊が着用するフードマントを羽織っているからだろう。髪の色を見たらユーリだと一発でバレるからだ。フードを目深にかぶっていれば肌の色も一見ごまかせるかなと思いそうしている。 「汚れてしまったので、拝借した」 「ああ、なるほど」  男はまたもやあっさりと納得した。それはないだろうと全力で突っ込みたくなる。どうみても怪しい男を所持品検査もなく派出所前を通すなんて、オレガノの兵士は考えなしだと思っていたピエタよりもたちが悪い。  ミカエラを運び込んできたオレガノの兵士達はみな、ユーリとミカエラを錯覚して挙って驚いていたから適当にやり過ごせるかなと思ったら、どうやら本当にやり過ごせてしまったようだ。道中お気をつけくださいと丁寧に頭を下げられる。むず痒い気分になったが、ユーリは会釈だけして足早に派出所周辺を後にした。  オレガノは100年以上どことも戦争をしていないから平和ボケしているとミクシアの兵士達が揶揄していたけれど、本当にそうかもしれない。ユーリとミカエラがそっくりだとしても、軍章を確認するくらいしそうなものだ。もしそうなら西側に落としてきたとごまかそうとしていたのに、ほぼ素通りできてしまった。  ここは良くても、さすがに東側に抜ける門では同じ手は通じないだろうから、どこかで抜け道を探すか、チェリオを捜して地下街を抜けるか、そのどちらかが望ましいと判断する。チェリオのことだ。あの観察力と身体能力で西側の爆発からは逃れているだろう。おそらく北側のどこかにいるはずだ。  きょろきょろすると怪しまれるため、視線だけであたりをうかがう。このあたりにチェリオの姿はなさそうだ。彼ならもっと人気のない場所に隠れ家を設けるかもしれない。ユーリはふだんは近づかないディエチ地区へと向かった。  ディエチ地区は想像以上の人集りだった。どう見ても東側から逃れてきた人たちだろう。明らかに助かる見込みのない人たちにまぎれ、そこかしこに遺体が転がっている状態だ。軍部やオレガノの兵士たちはこれを黙認しているのだろうか。それとも彼らがここにいることを知らないのだろうか。このなかにチェリオがいないかと視線をさまよわせながら歩く。  ユーリははたと足を止めた。遺体の山のそばにロッカが蹲っている。ロッカに声を掛けようとしたが、まるで仇でも見るような、射るような視線を向けられた。 「今更なにしにきやがった、裏切り者」  ロッカは傍にあった石を拾い上げ、振りかぶった。こちらに投げつけてくることは覚悟していた。自分でもたぶん、差し伸べられたはずの手が、本当に助けてほしいときに助けてくれなかったのなら、そうしただろうと思う。ロッカは逡巡するような面持ちで、その石を地面に投げつける。悔しげな表情をそのままに、ユーリが声をかける間もなく立ち上がり、どこかへと走って行ってしまった。  ユーリは追いかけなかった。この状況だ。きっとアリエッテになにかがあったに違いない。そういうときには誰になにを言われても、慰めにもならない。それは自分がいま一番よくわかっていることだ。  遺体の山に一瞥を投げ、その場をあとにする。イギンたちのアジト周辺は入り組んでいるから、隠れ家にはもってこいだ。きっとチェリオはそのあたりにいるんじゃないかと踏んで、注意深くあたりに視線を向けながら歩く。角を曲がった時、壁際に凭れ掛かっている男が目に飛び込んでくる。生きているのか死んでいるのか、項垂れたまま動かない。ユーリが声を掛けようと近づくと、不意に足を掴まれた。 「よう、兄ちゃん」  しわがれた声には聞き覚えがあった。東側のスラムのノーヴェ地区にいた情報屋のネイロだ。  フードを脱いでネイロの前に跪く。無事だったのかという言葉を飲み込んだ。左大腿部から下がない。すでに誰かが処置をしたあとのようだが、包帯には真新しい血が滲んでいる。 「爆発に巻き込まれたのか」 「いや、気の迷いでアリエッテに手ぇ貸したらこのザマよ」  アリエッテはロッカの母親の名だ。やはりかと思う。ユーリは眉根を寄せて、意を決してネイロに尋ねた。 「彼女は? ハロじいちゃんは?」  ネイロが首を横に振る。 「もう焼かれちまったか、そこいらに転がってるだろうよ。チェリオに恩を売ってやろうとしたのがお天道さんに見透かされちまったのかもな。  ハロじいさんは、エリゼの野郎が軍部相手に啖呵切って連れて行ったって話だぜ」  自重気味に笑い、ネイロが目を伏せた。目撃者の話だと、エリゼは軍医団相手に今まで見たこともないような居丈高な態度で、『いま史上最高に機嫌が悪いので素直に引き渡さないとどうなってもしりませんよ』と嚇しをかけて、エリゼのエグさを知っているのであろうドン・フィオーレが軋轢が生じるのを恐れて北側に入院していた連中は引き揚げさせたのだそうだ。下流層街と北側の関所あたりにいるのではないかとネイロが言う。  ユーリは街に警備兵がほとんどいないことへの疑問を尋ねた。話によるとディエチ地区は東側と北側の関所がある付近から離れているものの、西側にほど近く且つ治安が悪いことや住人の質が東側のオット地区以西に匹敵することも災いしてかほとんど誰も来ないのだそうだ。 「ディエチ地区は見捨てられてる。だからここを拠点に選んだ」 「それにしても物騒すぎないか? 医療班すらいないなんて杜撰にもほどがある」 「俺らぁ元々少々の怪我くらいは自分でどうにかしていたんだ、元に戻っただけの話だ。使えねえピエタのかわりに動ける奴らがそこらへんを巡回してるぜ。チェリオとか、ロレンとかな」 「ふたりとも無事だったのか」 「あいつらの先導のおかげで俺らがこっちに逃げてこられたんだ」  チェリオならあり得るだろう。やたらと地理に詳しい上そういう気も回る。 「それで、チェリオはいまどこに?」 「東側に生き残りを捜しに行った。もうほとんどいないだろうに、熱心なこった」  言い終えないうちにネイロが突き上げるような咳をした。ひゅうひゅうと喉が詰まったような喘鳴がする。 「その傷から神経毒を持つ細菌に感染する可能性がないとも言えない。これを飲むといい」  ユーリはミリタリーバッグからピルケースを取り出して、黒い丸薬が数十粒入ったものを手渡した。 「なんだ、こりゃあ?」 「イェルナってのといくつかのハーブで作った丸薬だ。傷薬にも風邪薬にもなる」 「早い話しがイル・セーラ直伝の万能薬ってところか」 「だな。通常病院で取り扱っているものは薬価が高いから、安価で且つしっかり効いてくれるものを渡した方が良心的だろ」  ユーリが悪戯っぽく笑っていうと、ネイロはふんと鼻で笑った。ニヒルだがそこに嘲るような感情はない。ネイロが素直な性格ではないことを知っているユーリは、どこか満足げな笑みを浮かべて立ち上がった。 「ねえ、この処置をしたのは?」  ネイロは左大腿部を手で擦り、すいと片眉を跳ね上げた。 「聞きたきゃ情報料寄越しな」  金も煙草もいらねえと、ネイロ。以前エリゼと共にこのネイロと話をした時、いくつかの賄賂を渡していたことを思い出す。  ユーリはミリタリーバッグを漁り、20cm大のスチール缶を取り出した。ネイロの前に置く。 「携帯食だ。軍用食を研究しているチームが作ったものだから、栄養価も高いし腹持ちもいい。大学を出る時、備蓄庫からいくつかかっぱらってきた」  ネイロが唖然としたように目を見開いた。 「それは窃盗じゃ……」 「だーいじょうぶだって。どうせこのゴタゴタじゃその辺の管理まで行き届かねえよ」  転んでもただじゃ起きないってチェリオが言ってたんだとユーリが笑う。そりゃなんかちげえだろとネイロに突っ込まれる。ネイロはもはや呆れの色を隠せない表情で溜息をついた。 「存外に強かな兄ちゃんだな。それなら、裏の小屋に潜んでいるガキどもに食わせてやってくれ」 「もちろん、そうするつもり。それで? 足の処置をしたのは?」  ネイロはすっかり伸びたひげを触りながら、ユーリを見上げた。目を細くしてユーリを見つめた後で、ふんと鼻を鳴らす。 「おめえとよく一緒にいた、お嬢さんだ」 「キアーラ!?」  生きていた。ホッとするというよりも、ユーリは力が抜けてその場に座り込んだ。ネイロがぎょっとする。 「お、おいっ」  心臓が妙な速さで脈を打つ。異常なほどの動悸を感じて、ユーリは胸元を押さえて身体を丸めた。息が上がる。思わず呻いたからだろう。ネイロがユーリの背中を撫でた。 「大丈夫か、兄ちゃん」 「大丈夫、驚いただけ」  息ができず、それを整えようと呼吸をする。酸素がうまく取り込めないような感覚に陥る。 「5日くらい前の話だ。お嬢さんと、ナザリオの野郎に助けられたんだ。アリエッテもその時はまだ息があったんだけどよ、爆風を思いきり受けちまって、肺が熱風でやられたんじゃねえかってお嬢さんが言っていた」  そうかと返すことしかできない。こんなふうに不快な鼓動は初めてだ。キアーラが生きていたことはうれしいし喜ぶべきことだというのに、安堵したと同時に罪悪感が込み上げてくる。 「それからあのお嬢さんとナザリオの野郎のことは見てねえが、北側の診療所に恐ろしく腕の立つ医者がいるって話だ。だから俺はてっきりそこにおめえかお嬢さんがいるもんだとばかり」  ユーリは首を横に振った。手が震える。呼吸がままならない。はあはあと息を荒らげながら、ユーリは震える手でポケットからピルケースを取り出し、いくつか補充してきたカルマを飲み込んだ。固形物が喉を通る感覚がまるで首を締め上げられているのではないかと思うほどはっきりしている。息をうまく吐き出せず不自然な呼吸を繰り返していたが、少しして漸く息が吸い込めた。頭がくらくらする。視界が回る。ユーリは身体が大きくぐらつくのを感じたが、地面に手をついて倒れるのを防いだ。 「本当に大丈夫か?」  うなずく。震える声で大丈夫だと告げる。少し胸の違和感が落ち着いてきた。ユーリは胸元を擦りながらふうと大きく息を吐く。 「ずっと心配してたんだ。生きていてよかった」  ネイロが苦い顔をする。本当に大丈夫かと疑いのまなざしを向けてくる。サシャのことがあって以来、気にしないようにはしていたけれど、あれからなにか体がおかしい。ほとんど寝ていなかったのが災いしたのだろうと考える。 「お嬢さんも同じことを言っていた。俺ぁ脚を切るくらいなら殺してくれっつったんだが、ユーリが責任を感じるから生きてくれって、そりゃあすげえ剣幕で言われっちまって」  あのお嬢さんは見かけによらず怖えなと、ネイロ。ユーリはようやく表情を綻ばせ、頷いた。 「穏やかだけど、栄位クラスの班長だからな、肝が据わっている」  まだ微妙に違和感があるけれど、先ほどまでのようなものではない。キアーラが無事だったと聞いたくらいでここまで驚くなんて、平和ボケしているのもあるけれど、いろいろと限界なんだろうと悟る。驚いている場合じゃないぞと自分に言い聞かせるために、ユーリは自分の胸をドンと叩いた。 「よし、もう大丈夫。ネイロ、東側の門以外から、向こうに行ける場所を知らない? チェリオを捜しに行ってくる」 「バカいえ。土地勘のある俺たちですら命からがら逃げ出してきたんだぞ」  ネイロがしわがれ声を尖らせる。方法を知らないとは言わなかった。なにか知っているはずだと踏んで、ユーリはにやりと笑った。 「ネイロ」  教えてくれとせがむ。ネイロはユーリに一瞥をくれた後で、まるで紫煙を吐き出すかのように細く息を吐きながら、もう一度左腿を擦った。 「おめえはここにいろ。チェリオなら放っておいても戻ってくる」  でもと言いかけた時、ネイロに胸倉を掴まれた。言うことを聞けと、そう言っているような気がして、ユーリは言葉を飲み込んだ。 「東側には絶対に一人で近付くんじゃねえぞ。あそこは地獄だ」  嘘を言っているような顔ではない。真剣な眼差しには恐怖と後悔が乗っている。それに気づかないユーリではない。ユーリは頷いて、ネイロにここにいるから手を離してくれと告げる。胸倉をつかむネイロの手が緩まり、だらりと体の横に下ろされる。 「あの野郎は強心臓だし、あれでも一応デリテ街のトップなんだ。死にゃしねえよ」  デリテ街のトップと言われて、ユーリが目を瞬かせた。あそこを稼ぎの場として与えられているとは聞いていたが、トップとは知らなかった。ネイロが呆れたような表情で舌打ちをした。 「だからおめえを一人で東側に行かせたなんてチェリオに知られたら、俺がぶっとばされらぁな。あの野郎は男相手なら怪我人にも容赦しねえからな」 「わかった。包帯とガーゼを換えよう。どこか湯を沸かせるところは?」 「裏の小屋に一通り揃ってる」  ネイロが言うと、ユーリは頷いてすっくと立ちあがった。 「ほかに負傷者は? チェリオが戻るまで、ここで処置をする」 「誰も金なんて払えねえぞ」 「そんなのいままでだって取ってなかったろ。この緊急事態になに言ってんだ」  誰かがやらなきゃ万が一なにかがあった場合に全滅だぞと、ユーリ。 「街を見てきて思ったけど、ピエタも軍部も、北側の診療所付近を厳重警備しているんだろ? ディエチ地区は万が一の時の要だけれど、向こうは感染ルートも条件もわからない症状に竦みあがってここを放置するつもりらしい。  だけどここに感染が広がらなければ、ルートも条件も見つけやすくなる」  いくつかの足音と声が近付いてくる。ユーリたちのやりとりを聞きつけてか、数人の男たちが集まってきた。一人は相当な大男だ。ジャンカルロやドン・クリステンよりもでかい。典型的なノルマ族の容姿だが、ほかの男たちと違うのは、大男だけいやに迫力がある。右眉あたりに大きな傷のあとが残っているが、かなり古いもののようだ。ネイロが嫌な顔を隠そうともせずうげっと男たちを嫌厭するような声を出した。 「面倒なのがきやがった」 「イル・セーラじゃねえか」  額にガーゼをつけた大男が、ユーリにいやらしい視線を向けてくる。つま先から頭の先まで舐めるような視線を浴びせ、にやにやとあからさまな笑みを浮かべて近づいてきた。  ネイロの反応から察するに、デリテ街でも影響力のある男だろう。実質トップはチェリオだとしても、まだティーンだし様々な協力者が必要なはず。この男が協力者とは限らないけれど、悪人ではなさそうだと踏む。 「治療してくれよ。溜まって困ってんだ」  大男が壁に片手をつき、もう片方の手でユーリの胸元を撫でながら言う。明らかに誘っている。ユーリはニヤリと口元をゆがめて、挑戦的に片眉を跳ね上げた。 「手だけでいいなら構わないぜ」 「お、おい」  それだけで済むはずがないとわかっているが、ユーリはわざと煽るような含みのある笑みを浮かべる。 「そりゃねえだろ、ちゃんとヤラせてくれよ」  男がユーリの尻を鷲掴みにして揉む。後ろの男たちが下卑た笑いを上げ、せめて奥に連れて行ってやれよと笑う。両側から尻を掴まれ後孔を広げるように揉みしだく。ユーリはいつものことだと言わんばかりに鼻で笑って男の腕を掴んだ。 「それは条件次第だな」 「条件だと?」   大男が問い返すと、後ろにいた男たちが笑いながらヤジをとばした。 「すげえな、ファリスに条件叩きつけやがった」 「ヤるときゃ俺も呼んでくれよ、一回こいつを抱いてみたかったんだ」  うるせえと大男が声色を変えて吠える。まるで獅子の咆哮のような迫力に、後ろの男たちが怯んだように押し黙る。ものすごい声量にユーリは驚いたが、怯むことはない。ネイロも迷惑そうな顔をしてガリガリと頭を掻いた。 「うるせえんだよ、絶倫ファリス。ピエタが嗅ぎつけてきやがったらどうする」 「ああん? まだ生きてやがったか、ヤニカス。その傷から破傷風になっておっ死んじまえ」  ユーリはふうんと口の中で呟いた。やはりデリテ街の住人たちは、自分たちで治療をしていたというだけあって、割とその手の知識がある者もいるらしい。ファリスと呼ばれたこの男は使えるなと考える。 「俺の手伝いをしてくれるなら、応じてやってもいいぞ」  あっけらかんとした口調で、先ほどの携帯食をあげると言った時と同じような軽さで、ユーリ。ファリスと呼ばれていた大男が怪訝そうな顔をした。 「手伝いだあ?」 「そう。あんた力ありそうだしさ。  やることは簡単。負傷者を裏の小屋に連れてきて、処置をする。ネイロのように一人で動けない人を連れてきてほしいんだ」  簡単だろ? と、ユーリ。ファリスは怪訝そうな顔をそのままに、ユーリの尻から手を離さない。それどころか野太い指で衣服の上からユーリの後孔を刺激し始めた。 「俺にメリットは?」 「ディエチ地区以外の地区への感染経路を遮断したとなると、すぐにとはいかないけど軍部からの褒美がもらえるはず。それに諸々データを提供してくれるのなら感染リスクにおびえなくても済むように協力はする」  言いながら男の股間を揉み、膨らみかけたそれを指で絵取るように触れる。 「言っておくけど、俺をここで抱くってことは、ピエタにでも見つかったら処刑だぜ? あくまでも合意なら、問題ないけど」  明らかに反応し始めている男の股間を揉み、ユーリが男にしな垂れかかる。 「路上で獣みたいに犯されるより、ふかふかのベッドで優しく抱かれる方が好みだ」  ごくりと大男が唾を飲む音がする。男はまさかユーリがこんなにも艶っぽく且つ誘うように婀娜めいた表情をするとは思っていなかったのだろう。先ほどの表情とも、声色とも全然違う。ネイロまでもがその色香に囚われて興奮したような面持ちだ。 「キスはしない。それは約束。それ以外だったら、なんでもしていい」 「な、なんでもっ?」  じゃあ奥まで入れさせろと、ファリス。後ろにいた男たちが興奮したように笑った。 「よう兄ちゃん、ファリスのチンポはデカすぎて地下街の娼婦じゃなくてもナカイキする優れもんだぜ」 「ひいひい鳴いてんのをじっくり見てやるから、覚悟しとけよ」  ユーリは色を孕んだ視線を男たちに向けて、半勃ちのファリスを見下ろす。確かにデカい。それをすいっと指でなぞり、ユーリは興味本位でファリスの半立ちになったそれを手で支えて大腿部に足を掛ける。今度はファリスが驚いたような声を上げた。  へえとユーリがまるで猫が笑ったように目を細くする。 「すごいな、完全じゃなくてもここまでくる」  言って、ユーリが自分の腹のあたりを触る。くふんと甘えたように笑って、まるで期待に胸を膨らませるようにもう一度腹を撫でた。 「乱暴にしないでちゃんと優しく、ここでイカせてくれるなら、いいぜ」  小首を傾げ、艶めかしい仕草でファリスの股間を撫で上げる。興奮で鼻息が荒くなっているファリスは、ユーリの尻を揉む手を片方離して、顎を掴んでユーリの顔をあげさせた。 「前払いでしゃぶってくれ。おまえのせいで勃っちまった」  ユーリが目を細める。 「悪いけど、時間がないんだ。今日のところは収めてくれたら、もっといい思いさせてやれるかもなァ」  後ろより喉でイカせるほうが得意だったんだと、ユーリがファリスの耳元でささめく。ファリスは聞いたことがないパラロッチャを吐き捨てたあとで、後ろにいた男たちに負傷者を集めろ! と声を荒らげた。後ろにいた男たちはファリスの指示通りに方々へと向かっていく。  ふふんと得意げにユーリが笑う。先ほどまでの色香はどこに行ったのかというほどからりとした表情だ。それを見ていたネイロが舌打ちをしてガリガリと頭を掻く。 「ほ、ほかになにをすれば?」  あからさまに前かがみになりながらファリスが言う。ユーリは満足そうに笑みを深めてネイロに視線を落とした。 「ネイロの足の包帯を変えるから、丁重に小屋まで運んで。先に湯を桶一杯に沸かしてきて。  それから、一度処置をされている人のところにも声をかけて回ってほしい。こういうのは初動が大切なんだ。  あんたみたいに物分かりの良くて顔の広い人に出会えてよかったよ、ノーヴェ地区の闇市の支配人さん」  ユーリが言うと、ファリスは任せとけと鼻息を荒くしたまま行ってしまった。ネイロの視線が痛い。ユーリはネイロに視線を落とし、いたずらっぽく肩を竦めてみせた。 「嘘はついてない。あっちが勝手に『俺を抱ける』って勘違いしただけ」 「ファリスまで手駒にすんのかよ、おめえは。イル・セーラじゃなきゃシネマトグラフの俳優でもできたんじゃねえのか」 「いいね、敵国の軍部とかピエタに扮して、自分を信用したノルマを簡単に裏切って皆殺しにする役とかやってみたい」  ユーリが声を弾ませる。「この状況で不謹慎すぎるだろうが」とネイロが声を尖らせて咳払いをする。「ピエタに聞かれでもしたら取っ捕まるぞ」と真面目な顔で注意された。 「わりと本気かもよ」 「どうせならイカレ国王の頭をかち割る役でもやってくれ。  俺ぁ知らねえぞ、絶倫ファリスの相手なんざ、地下街の娼婦ですら恐れる。昔付き合ってた女が、ファリスに抱かれて割けたっつってたぞ」  マジかとユーリ。「体もデカいし、本当にデカかったもんなァ」と他人事のように言ってのける。 「知らねえぞ、絶倫ファリスは相手が潮吹こうが泡吹こうが失神しようが構わず、自分が満足するまでやり続ける」  まだ女性の買売春が合法だったころ、娼館の片付けを生業にしていたことがあるが、ファリスが部屋を使ったあとは血を含むあらゆる体液まみれで、娼婦も仕事に復帰できるまでに一週間ほど要するのが普通だったとネイロが教えてくれる。ユーリはきょとんとしながらその話を聞いているだけだ。 「おい、兄ちゃん、聞いてんのか?」 「聞いてるけど、俺が本当にあの人の相手すると思ってんの?」  ネイロがぶっと吹き出した。驚いたように、そして信じられないことを聞いたとでもいう表情でユーリを見上げる。 「ああいう手合いの相手は慣れてる。もし本当に手を出そうとしてきたら、別の手を考える。  収容所にいるとさァ、おかげさんでドラッグの知識とああいう手合いの躱し方だけは覚えられるんだよなァ。レアだけど、200cm越えの大男でも卒倒する“オクスリ”とかあるんだわ」  強かそうな笑みを浮かべてそう言うと、ネイロが白けた顔をそのままに、ガリガリと頭を搔いた。その反応を見て満足げに笑みを深めると、準備してくるねと言ってのけ、裏手にある小屋へと急いだ。

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