3 / 108

Zero(3)★

「へえ、なかなかきれいにしてあるもんだな」  東側の診療所の中を見まわしながら言うのは、ユーリがニコラの次に懐いている男だ。  ジャンカルロ・バロテッリ。流れの傭兵で、条件さえ合えば殺し以外ならなんでもしてくれる。ユーリが度々訪れるパニーノハウスのオーナーでもある。傭兵らしくがっしりとした体格をしており、ニコラとほぼ変わらない長身で、海を隔てた隣国・オレガノに住むネーヴェ族とノルマ族のダブルだ。その為かニコラやリズたちほど抜けるような白い肌ではない。薄く褐色がかっているのはジャンカルロが仕入れの為に度々埠頭を訪れるために日焼けをしているためもあるが、どちらかと言えば肌の色がユーリたちに近い。  初めて会った頃と比較すると、年齢を重ねたこともあり目じりにしわが刻まれているが、傭兵という職業上優しそうな目元をしている割には睨むような鋭い目力がある。それは仕事をしている際限定で、ユーリといるときにはほぼ見せない表情だが、一度だけ彼が麻薬の密売人を取り押さえている現場を見た。普段のジャンカルロはどこに行ったのかと思うほどにそれはもう苛烈な言葉使いとどすの効いた声で相手を威圧し、且つ有無を言わせない目付きで眉間の皺を強調していて、たまたま一緒に埠頭を歩いていた二コラに「あれ誰?」と素で言ってしまったくらいだ。豪快そうな風貌は昔からまったくかわっていないが、顎に蓄えられた髭と、いくつか増えた傷だけが違う。  ユーリはニコラの静止を振り切って大学を出た後、ジャンカルロに護衛を頼むことを思いつき、東側のスラムまで連れてきていた。そもそもジャンカルロ以外にユーリが頼める相手などいない。彼は仕事でミクシアを離れていることもあるが、今日はたまたまパニーノハウスにいたのを半ば無理矢理に頼み込んだのだ。 「前々から言おうと思っていたんだが、おまえはなんだって危ないことに首を突っ込もうとするかね」  やれやれと言わんばかりの声色で、ジャンカルロ。「イル・セーラは控えめで奥ゆかしく、慎ましやかな性格が奴隷としても好まれていたんじゃなかったっけな」と、ユーリとはまるで正反対の性質を持つ“本来のイル・セーラ”の気質を挙げ、ジャンカルロが薄く笑う。 「奥ゆかしさ、とは」  食べられるやつ? と、ユーリがとぼけてみせる。 「おまえのいいところは人懐っこくて、ほかのイル・セーラどもとは違い、感情を読みやすいところだ。サシャはまだしも、なに考えてっかわかんねえからな、イル・セーラは」 「わかるー、サシャの前で言ったら怒られるけど、収容所にいた大人のイル・セーラがよくやっていた『本音と建て前を使い分けるやつ』がきもちわるくてさあ」  “ユーリ”はそういうことしなかったからと、人ごとのように言ってのける。ジャンカルロは「食えねえやつだな」と笑いながら、傭兵が居住エリア外を出る際に着用が義務付けられているシックなブルゾンタイプの上着のポケットからたばことオイルライターを取り出した。  待合室にある簡素なつくりの長椅子に腰を下ろし、たばこに火をつけた。「ここは禁煙」とユーリが語気を強めると、ジャンカルロは「悪い悪い」とまったく悪びれた様子がなく言いながらも紫煙をくゆらす。肺に吸い込んだそれを細めて吐き出すと、胸ポケットから取り出した簡易灰皿に押し付け揉み消した。 「ニコラみたいにみんなわかりやすけりゃいいのに」  ぼそりと言う。ほかの栄位クラスのチームのメンツは、二コラのことを「わかりにくい」だの、「表情が読めない」だの、「機嫌がいいのか不機嫌なのかがわからない」だのと評するほど人付き合いが悪く、そして不要なことは一切しゃべらない。二コラは業務連絡程度しかしない主義だ。けれどユーリにとっては二コラのその微妙な感情の機微を読み解くのがおもしろく感じている節がある。不満な時にも、そして意に介さないことをされて驚いた際にも眉間にしわが寄るが、その深さが違うとか、眉が少し下がっているときはうろたえている時だとか、見分けがつく。  けれどもイル・セーラもそうだけれど、ノルマは愛想笑いが得意な連中が多く、笑っていながらにして腹の中でなにを考えているかがわからないという“におい”だけは敏感に察知してしまう。その点、ジャンカルロも二コラも、ユーリにとっては感情がちゃんと読める相手でもあり、それもあって気を許している部分がある。腹の内を読めない相手を連れ歩く趣味もなければ、そういう相手に懐きたくもない。ユーリが人懐っこくいられるのはあくまでも処世術だ。 「そういうなら、たまには二コラやドン・アゴスティの顔を立ててやったらどうだ? おまえの学費や生活費諸々、税金で賄われているとは雖もそれは栄位クラスになってからのことだろう」  ジャンカルロの言い分は尤もだ。ユーリが栄位クラスに推薦されるまでの間も税金で支援されていたのだが、それでも足りない部分はドン・アゴスティの私財で助けられていた部分がある。しかしそれ以上のことをジャンカルロは知らないようだ。 「栄位クラスに入ってからは確かに税金で……って話が出ていたけど、それは研究費の話で、いまの生活費もそれまでの生活費も、学長に一括返済してくれたそれはそれは奇特なお嬢様がいてな」  ユーリの言葉を受け、ジャンカルロは呆れたような表情で両手を大きく広げて見せた。お手上げだと言いたいようだ。 「セラフィマ嬢はなんだっておまえさんにそこまで肩入れすんのかね? もしかして惚れられたか?」 「万が一にもそれはない。あいつ婚約者いるし、俺は俺でどれだけ好みの女性だろうがノルマなんかと番う気はない」  ユーリがぴしゃりと言い捨てる。ジャンカルロは「いいご身分だな」と苦笑を漏らし、思案顔でガリガリと頭を掻いた。  ユーリ、サシャ両名に出資しているのはディアンジェロ家――つまりキアーラの家だ。さすがにスラムの件はユーリが貯めた金で工面しているが、それ以外は年に一度に振り込まれる有り得ないほどの金額から少しずつ使用している。キアーラからはアンゼラ地区ではなく上流層街の一角にある離れで暮らせと再三言われているのだが、さすがにそれは勘弁してくれと固辞した。  キアーラはこの国の誰よりもイル・セーラに対しての偏見がない。聞けば幼いころからイル・セーラを使用人として雇っていたらしい。ユーリとの出会いも4年前に臨床研究としてキアーラが収容所を訪れた時に、昔家にいたイル・セーラの友人だと思い込み話しかけてきたことからだ。つまりユーリとサシャのみならず、イル・セーラが収容所から出ることができたのは、ディアンジェロ家のおかげということになる。あのとき、キアーラがユーリのいる収容所に臨床研修にこなければ、今頃どうなっていたか。  その時のことを邂逅しつつも、ユーリはキアーラの強引さに多少うんざりしている節もある。出資のことをちらつかされたことは一度もないが、負い目があるがゆえにユーリ自身キアーラのお願いにはめっぽう弱い。あんなふうに泣かれてしまっては、いつかディアンジェロ家の使用人から投獄依頼が出るのではないかとも考えてしまう。そんなことを家でぼやくような彼女ではないが、分かりやすいが故に使用人なら気付きそうだとサシャでさえ言うほどだ。 「セラフィマ嬢からも危ないことをするなと言われねえか?」  ジャンカルロが真顔で尋ねてくる。言われないわけがない。だからこそ密告される可能性が少ないほうを選択しているのだ。 「キアーラは俺のことを友人だと言ってくれる。俺もそう思っているし、できれば彼女を傷つけたくないし、悲しませたくもない。だけどそれと今回のことは別問題だ」  白衣を脱ぎ、椅子の背もたれに掛けながら、ユーリ。 「別問題?」  訝しげにジャンカルロが問う。ユーリは頷き、いましがた持ってきた薬品箱に視線をやった。 「マフィアの連中は、俺と診療所が邪魔で妨害工作をしてきた。自分のシマに妊婦がいることをわざと匂わせて俺を誘き寄せ、捕えようとしたんだ。でも“まともな”ピエタからの邪魔が入ったってところだろう」  ピエタは以前から一枚岩ではなく、2人の司令官が指揮を執っている。警邏隊と捜査隊の中でさえ分裂しており、よく観察しなければどちらがどの派閥なのかもわからないほどだ。ただ一組だけほかのピエタとは異なる腕章をしている隊がある。それを“まともな”ピエタと呼んでいるが、まともなのはユーリに色目を使ってこないことと賄賂を絶対に受け取らないという行動だけで、ピエタに属しているというだけでユーリにとっては嫌悪に値する。 「その“まともな”ピエタは軍部と学長の犬。だから俺が護衛を頼めば一挙手一投足軍部や学長に情報が流れることになる。それは嫌だし困る。  それであんたにここまでの護衛と、俺がここにいる間の警護を頼みたいんだ。あんたがいてくれるならかなり心強いんだけど、引き受けてもらえないか?」  ジャンカルロは物珍しそうな視線をユーリに向けている。「そこまで考えていたとはな」と誰に言うともなくつぶやいて、無精ひげを触った。やはり思案顔だ。ジャンカルロは割と直感で動くタイプだが、なにか思惑があるのだろうか。 「俺がおまえの頼みを断ったことがあったか?」  断られるかと思ったが、ジャンカルロはすぐに表情を明るくして言った。「こちらに来い」と手招きをする。ユーリもまた表情をぱっと明るくしてジャンカルロに駆け寄った。  ジャンカルロのことは収容所にいる時から知っているが、ほぼいつもユーリのお願いを聞いてくれる存在でもある。わしわしと頭を撫でられ、ユーリはくすぐったそうに笑って肩をすくめた。 「昔の誼で依頼料は格安にしておくぞ」 「いや、それは悪いよ。危険を伴う可能性があることだし、ちゃんと言い値で払う」 「なんだ、しおらしい。値切った分は体で支払ってくれるとでも言ってくるかと思った」  冗談めかして笑うジャンカルロをじろりと睨み、「バーカ」と尖り声で揶揄する。そんなことが学長の耳にでも入ったら大事だ。そもそも本当に値切った分を体で支払うなんて言った場合、それが二コラにバレた時が面倒くさい。ユーリが一方的に懐いているだけでべつに好き合っているわけではないが、二コラは割と独占欲が強く嫉妬深い。絶対に面倒なタイプだからと一線を引いていたが、ピエタに違法薬物を打たれて混乱していたときの治療と称して一度関係を持っただけだというのにやたらと世話を焼いてくる。ごろつきたちにまわされた時など、二コラは彼らを殺しに行くんじゃないかと思うほどに息巻いていた。決して人付き合いの良くない二コラだが、一度懐に入れれば後生大事にする。彼はそういう性質なのだ。 「二コラが怒るし、隅々までいやって程洗われるから」  だから嫌だ。そう言ったユーリの表情は明らかに経験上のものだ。めったに見られないしょげたようなむくれたような表情を見て、ジャンカルロが吹き出した。 「おいおい、お友達に邪険にされたくらいでしょげるなよ」  明朗に笑いながらジャンカルロがユーリの頭をわしわしと撫でる。「そんなんじゃねえよ」と言いながらも、ユーリはその手を払いのけなかった。そんな気力もない。無意識にため息が漏れる。 「二コラに感情の機微を察してもらおうと思った俺がばかだった。あの堅物にそんな芸当ができるわけがない。あれは女性にもてないタイプだし、好みのものをリサーチせずに贈り物をして盛大に外したことがあるに違いない」  そもそも嫌だと言っているのに全身隅々まで洗うなんてひどいにもほどがある。口の中で呟いて、その時のことを思い出したら自然と寄ってくる眉間のしわを指で伸ばした。  あれはまだ入学してさほど経っていないころにピエタにマワされたあとのことだっただろうか。ピエタが押収した違法薬物を嗅がされて前後不覚になったユーリを、二コラがどこかの権力を使ってピエタの連中の手から救い出してくれた。  そこまではよかった。寮に連れ帰ってくれるならまだしも、自分の家に連れて行ってみたこともないような大きなバスタブに突っ込まれて隅々まで洗われた。本当に隅々まで。  ユーリの脚の自由が利かないのをいいことに、嫌だと喚くのを無視して散々隅々まで洗っておきながら、そのあとで二コラはユーリを抱かなかった。絶対にいいようにされると警戒をしたのに、散々中に出されたものを洗い流し、薬を塗って処置をしてくれただけで、それ以上はなにもしなかったのだ。  二コラにしてみれば傷付いた患部の処置として、そして中に出されたものを処理してくれただけのつもりだったのだろう。でもナカで快感を得るように刷り込まれ、躾けられているユーリに対してその処置は逆効果で、盛られた薬を中和するどころか余計にナカの疼きを助長させるだけだった。  だからユーリから誘った。熱が治まるまで犯してほしいと泣きついて、他人の家のバスルームで盛りまくったのは覚えている。覚えてはいるが、そのあとどうなったのかは記憶にない。二コラもなにも言わなかったが、数日後に手術を終えたあとの更衣室で一緒になったが、背中や腕には明らかに自分が付けたものと思われるひっかき傷が無数についていた。  「なんであんな面倒なのを誘ったんだかなァ」と、ユーリが誰に言うともなく呟いた。 「最初からジャンカルロを誘ってくれたらよかったんだ。よりにもよってピエタなんて」  「最悪」と意図的に嫌な顔をして見せる。 「そりゃあお友達の階級上仕方がないんじゃないか? 彼は中流階級と雖も親父さんの一件で上流階級に昇進しただろう。ピエタが危険極まりないのは下流階級とスラム街の連中、それにおまえたちイル・セーラにとってだけだ」 「それはわかってるつもりだけどさあ。あいつはいつも俺が言わなくてもいろいろと察してくれるから、たとえ学長命令でもあんなふうにピエタを連れてくるとは思わなかったんだ」  まるでぼやくように言う。むしろ自分のことを思ってくれているからこそ比較的無害な連中を連れてきたのだろうと頭ではわかっているのだが、如何せん心が順応しない。ユーリにとってピエタはそれほど信用が置けない機関なのだ。  二コラは元々中流階級のなかでも上層に属していたようだが、国医(同盟国間ならどこで診療・研究ができる権利を持つ医師)だった父親が殉職したことを期に、父親の功績を称えられ上流階級に昇進している。たしか二コラが16、7歳の頃だったと話していた記憶がある。それまでも中流階級だったこともあり、二コラにとってピエタは街のガードマンのような存在でしかない。きっとユーリがピエタを嫌っている理由など悟ってはくれないだろう。  珍しくしょげているユーリを見てジャンカルロがニヤニヤと笑っている。なんのためにジャンカルロをここに連れてきたのかをはたと思い出す。いかんいかんと頭を振り、ユーリは自分の両頬を勢い良く叩いた。 「よし、もういい。切り替える。  それでニコラがいない時にここまでの警備を依頼するとしたら、どういう条件なら受けてくれる?」  首を少し斜めに傾けて、色を孕んだしぐさで言う。ジャンカルロはそうさなあといいながらまたも無精ひげを撫でた。  人がいいとはいえジャンカルロも男だ。収容所にいた頃に何度か抱かれた経験がある。けれど今回はそれはなしだとあらかじめ伝えているから、割といい金額を請求されるに違いない。 「あのさあ、言い値でって言ったけど出来たら15リタス以内に納めてもらえるとありがたいんだけど」  ねだるように言いながらジャンカルロのほうを向いた時、銃口を突き付けられているのに気付いた。  状況が呑み込めない。明らかに殺気がないうえにまるで試すような表情だ。目をしばたたかせるとジャンカルロが片目を細めた。 「この国でノルマ以外が真っ当に生きようとすると誰かに媚びるほかない。俺だってそうだ。好きでもない軍部に従っていざというときに身を守ってもらうことにしている。  ノルマもネーヴェも、おまえたちイル・セーラが考え付かないほど狡猾で卑怯だ。馬鹿正直に生きていくなんてのは情けなくて反吐が出るほど嫌いな考えでね。だからお前がやろうとしていることに賛同者が少ない。  大概が人を信用させておいて裏で甘い蜜を吸う。そのほうが楽に生きることができる。信用を失おうと人から疎まれようと、その時が楽だからな。国の意識がそうでも、それでもスラム街をどうにかしてやりたいと?」  ユーリはうなずいた。  ジャンカルロが言っていることは尤もだ。二コラからも、そしてサシャからも言われた。関わり合いになるな。放っておけ。首を突っ込むことが彼らのためになるとは限らない。そうとまで言われて一時は諦めかけたのだが、どうしても外の世界を知ることもなく死んでいった仲間たちのことが頭をよぎった。 「階級制度や国のあり方を批判するつもりはない。そうすることで統制を取っているつもりなのだろうし、長く根付いたものはそう簡単に変わりやしないさ。俺が吠えたくらいで変わるのなら最初からこんな国造りなんてしていない。  そんなことよりも、生きる権利を平等にするのが先決だ。スラム街と上流層では受けられる医療の格差があるのは問題視すべきだけれど、それよりそもそも医療を受けられないことを是正していかなければ、よくなるものもよくならないだろ。  俺が奴隷だったころに適切な医療が受けられなかったせいで多くの仲間を失ったから、だからこそどうにかしたいんだ。ジャンカルロだってそうだろ。この国への居住権がない流れの傭兵も、怪我をしたところで軍部かピエタとつながっていなければ医療を受けることができない」  ジャンカルロがうなずきながら無精ひげを触る。少しして構えていた銃を下した。 「なるほど。ただのガキの我がままなら無理やりにでも脅してくだらない考えを改めさせようと思っていたが、そういうわけではないんだな」 「俺がただの我がままでこんな危険なことをしているとでも思ってたのか?」 「法律を逆手にとって相手をたぶらかした挙句に収監するなんていう無謀な賭けを思いつくおまえならやりかねないだろう」  真剣な面持ちで言ってのけると、ジャンカルロはレッグホルダーに銃を押し込んで腕を組んだ。 「その感覚はどこで養ってきたんだ? 10年以上奴隷生活を送ってきたなら多少はミクシアの腐った制度に毒されていても不思議じゃねえのに」  ジャンカルロは傭兵という立場上、フィッチ以外のあらゆる国を往来している。ミクシアは差別意識が強い国である特性上、スラム街の住人もそのほとんどがその考えに染まり腐っていくのだと話していたのを思い出す。 「奴隷だったからだよ。俺はミクシア外から来た客もとってたし、一日に何人も相手にしたくないから、わざと無知なふりをしてピロートークで時間を稼いでた」 「あっはっは、そうだったな。それなら俺は上客だったろう。あの収容所には何十回と赴いたけど、お前と寝たのは片手で足りる程度だ」 「手土産のクロスタータ(生地にアーモンドパウダーなどを練りこんだクッキー生地のタルト)と楽ができるのが目当てで、あんたが来てくれるのが待ち遠しかったよ」  おどけたようにユーリが言うと、ジャンカルロは満足そうに笑みを深めてユーリの喉元を指で撫でた。たこだらけの武骨な指だが不快な感じは一切ない。 「それなら俺からの条件は毎月1リタス。びた一文負けてやらんしそれ以上もとらん」  そう言った後で、ジャンカルロがユーリの額にキスを落とした。慈しむような眼の奥に情が孕んでいくのを感じながら、ユーリは口元を持ち上げた。 「その代わり、おまえの知識を安売りすんな。その知識は武器だ。生きるための術であり、身を守るための術でもある。いまやおまえしか知り得ないことも数多くある。それらをノルマ族のエリート様たちは喉から手が出るほど欲しがっているんだ。それをエリート様が目にする前に、スラムの人間がただで受けられるとあっちゃ、エリート様たちが怒って当然だ。おまえを消そうと躍起になる。  いいか、ユーリ。スラムで診療所を続けるつもりなら、決して手の内を見せるな。ノルマと同じ手を使え。なんならネーヴェの手でもいい。ノルマはネーヴェに虐げられ土地を追われた過去がある。いまの若者は知らんが、俺らくらいの年齢のやつらは大抵ネーヴェのやり口も頭に入ってるってもんだ。俺が言いたいことは分かるな?」  頷く。間を置いて、もう一度頷いた。  やはりジャンカルロは頼もしい。国の情勢もそうだが、幼いころからずっと収容所にいたせいで種族間の関係もスラムの成り立ちの詳細もなにひとつ知らないのだ。様々な国を傭兵として渡り歩いてきたジャンカルロの知識と勘は大きな武器になる。 「それらも含めて、あんたの知識が欲しい」  そう言うと、ジャンカルロはにっかりと笑ってユーリの頭を豪快に撫でた。 「わっ、やめろよ、髪が乱れるっ」 「ははは、交渉成立だな。お友達に言っときな」  ジャンカルロがユーリの髪を指に絡ませる。ユーリが髪を伸ばしているのは、ジャンカルロの趣味でもある。奴隷解放されたときに一度バッサリと切ったのだが、そのときにジャンカルロがおもちゃを取られた子犬のように寂しそうな顔をしていたものだから、仕方がなく伸ばしている。ユーリ自身はものぐさであまり手入れをしないが、キアーラは同性の友達がいないこともあり、ユーリの髪を手入れしたりアレンジしたりして楽しんでいる節がある。ユーリがそれを許しているのはキアーラに気を許していることもあるが、ジャンカルロに火をつけるためでもあった。 「銃を向けられても怯みもしないくせに、ピエタと一緒に歩きたくないなんてまるでガキみたいなことを言う。そのギャップがまたいいんだが」  言いながらジャンカルロがユーリの顎を掴み、親指ですりすりと頬を撫でる。表情は変わらない。けれど情欲を孕んだ目つきだ。武骨な手が首筋を撫でていく。 「そりゃそうと、ネーヴェがノルマと戦争をおっぱじめようとしている……なんていったら、信じるか?」  ユーリはきょとんとした。4年前まで奴隷だったユーリは国家間の情勢に疎い。この4年間でミクシア史を覚える機会は幾度もあったが、考査を終えればすぐに忘れてしまうほど興味がないのだ。よくわからないと正直に答えると、ジャンカルロは苦い顔をしてユーリを流し目に見た。 「フィッチがミクシアを欲しがっている。前ミクシア王は戦略に長けていて、彼が即位していた30年の間、ミクシアは戦争で負けたことがない。だが現ミクシア王――バルド王はいまいち信用に欠ける。ミクシアが生き残る方法を考えているとは到底思えないんだ」 「同盟国間協定……とかいうのがあるんじゃなかったっけ?」 「フィッチとは休戦中の上に国交断絶中。同盟国じゃない」  今日びガキでも知っているぞと、ジャンカルロに揶揄される。 「フィッチは強欲で、欲しいものを必ず手に入れる。いまはオレガノに締め上げられていて全面的にドンパチを繰り広げられるほどの余力がないだろう。だが、人口も戦力も大差ないミクシアとのバランスがもし崩れたら、海底資源も鉱物資源も豊富なミクシアを手に入れたいという欲が出る。もしそうなったら、フィッチは確実にミクシアを落としにかかる」  ジャンカルロの言葉には信憑性がある。ここ最近明らかに違法と思われる薬草や薬品が蔓延しており、それらはミクシアでは採取できない以前に自生しない薬草なのだ。ミクシアよりも気温が低い場所――すなわちフィッチしかない。  なるほど、話が読めた。ユーリは自分の髪を指に絡めて遊んでいるジャンカルロの手を取った。 「そういう話なら、格安でこの仕事を引き受けてくれたのは、あんたにとって好条件でしかないってわけだ」  「俺は大損じゃねえ?」と冗談めかして言うと、ジャンカルロは大口を開けて腹の奥から声を出して笑った。 「ばれたか」  「さすがに鋭いな」と、ジャンカルロ。リズもフィッチの違法薬物が持ち込まれているという話をしていた。スラムなら街ほどピエタの介入もないから裏取引もやりやすい。ジャンカルロはそこに目をつけ、軍部、あるいはピエタとの取引をしようと目論んでいるのだろうとユーリは考えた。 「状況は分かった。スラムにいればなんかしらの情報を小耳にはさむことだって多いだろうしな。一応武器を携帯しておいたほうが?」 「バカ。そのために俺がいるんだろうが。おまえが意外と腕っぷしが強いことは知ってるが、その手を傷つけられでもしたら元も子もない。  襲撃を受けることがあれば全力で逃げろ。ピエタから自衛の許可が降りていない状態で武器なんか持っていたら、それこそピエタに収監される。あそこは治外法権だから、なにをされても文句は言えないぞ。マワされた挙句罪をでっち上げられでもしたらどうする?」  まるで見てきたかのような言い分に、ユーリは鼻白んだ。それは数ヶ月前にも身をもって経験した。ただ乱暴に抱かれ、薬で前後不覚にされていたせいで、ほとんど覚えていないが。 「ピエタなんかにやられるより、あんたにねっとり抱かれるほうが好みだ」  熱を孕んだ視線をジャンカルロに向ける。大きな手が伸びてきて頬に触れた。親指で頬をすりすりと撫でられる。そうかと思うとジャンカルロの唇がユーリに触れた。かさついた厚い唇が重なる。舌が割り込んでくる。肉厚なそれに口の中を舐められたかと思うと、ユーリをその気にさせるかのように下唇を甘噛みされた。 「おまえまさか、連中と寝たのか?」  ジャンカルロが神妙な面持ちで言う。あからさまに不機嫌そうな声色だ。 「寝たっていうか、一方的に」  ユーリが言い終えるよりも早く、ジャンカルロがくそっと忌々しげに吐き捨てて舌打ちをした。 「ヴェルノートが自慢していたのは本当だったのか」  低く言った後でもう一度キスをされる。ぬるりと舌が入り込み、ユーリの舌に絡みつく。チュッチュッと濡れた音があがる。ユーリの口腔を好きなように犯しながら、ジャンカルロの大きな手がユーリの尻に触れ、感じる場所に指でくりくりと刺激を与えられる。ユーリから鼻に抜けるような色っぽい声があがった。 「上書きしてやろうか?」  色を孕んだ雄の顔をしたジャンカルロがユーリの耳元で囁く。ユーリは口角を上げ、ジャンカルロの股間を手の甲でするりと撫でた。 「最初からそのつもりだったろ、エロ親父め」  ジャンカルロに頬擦りをして、もう一度猛った股間を弄るように触る。ユーリの行動は合意と受け取ったジャンカルロは、ユーリを軽々と抱き上げて診療所のテーブルの上に押し倒した。荒々しい音がする。 「ずいぶん性急だな。俺を“独り占め”できるなんてまたとない機会だもんな」 「前回は余興ついでのようなものだったしな。衆人環視の中あれだけ派手なセックスをしていたが、ベッドで処女を抱くみたいに扱われたいタイプか? それとも激しくされたいタイプか?」 「あんたの好みでいい」  こりゃあいいと満足そうにジャンカルロが笑う。そうかと思うと下着ごとジョガーパンツを乱暴に脱がされた。レッグホルスターをつけっぱなしにしているせいで膝上あたりでジョガーパンツが止まって少しきついが、それ以上ずり下ろすつもりはないらしい。そのままの状態でユーリの足を上げ、臀部に指が触れた。あつい。じっとりとしている。ユーリに呼び出された時点でこうなることを期待していたのだろう。 「ローションは?」 「そんなもんねえよ。ワセリンならどっかに」  ユーリが言い終えるよりも早く、ジャンカルロが胸ポケットからなにかを取り出し、その液体をユーリの臀部に塗り始めた。粘度の高いそれのにおいは嗅いだことがある。マジか。思わずつぶやいたら、ジャンカルロが目を細めた。 「俺の好みでいいんだろ? マリーツィアをキメてのセックスは極上にいいぞ」  マリーツィアは合法のセックスドラッグだ。ユーリは収容所にいたおかげかその手のドラッグに知識も免疫もある。だからそれをローションがわりに使用されるとどうなるかの予測もつく。ジャンカルロがユーリの秘孔にマリーツィアを塗り込みその粘度を助けに野太い指を侵入させてくる。 「中流層街に入るときに引っかかんねえかな」 「バレるような粗悪品を俺が使うと思うか?」  言いながらジャンカルロが指を前後させる。ユーリは体質的にマリーツィアが合わない。用量が多すぎたり別の薬物と混合して使用すると大抵トリップする。ジャンカルロが粗悪品を使うとは思えないが、最近の売人は面白半分に別の合成麻薬を混合して密売するやつがいる為、気が気じゃない。処女を抱くみたいに優しくしてと言っておけばよかったと半ば後悔しながら、ジャンカルロが後ろを解す指の動きに集中した。 「ん、んっ」  鼻に抜けた声が出る。ジャンカルロは確か少し控えめな喘ぎ声が好きだったと記憶している。わざとらしいのは娼婦を抱いているみたいで好かないと言っていたのを思い出す。その判断は正しかったらしい。ごくりと喉が鳴る音がした。 「おまえのそのギャップはたまらねえなあ。エロい表情をする割には淫売女みたいに喘がない。そういうふうに仕込まれたのか狙ってやってんのか知らねえけど、めちゃくちゃにしたくなる」  ユーリはしばらく息を詰めていたが、ジャンカルロの指がユーリを喘がせるように何度もいいところを掠るような動きに変わり、色っぽい吐息が漏れる。半開きになった口から吐息に混じって微かな喘ぎ声があがり始める。ジャンカルロの喉がごくりと鳴ったかと思うと、指の動きがユーリのいいところにマリーツィアを塗り込むような動きに変化する。2本の指で丁寧に揉み込むような動きに、ユーリは全身で悶えた。背中がしなり、腰が浮く。快感から逃れようとする動きを上から抑え込まれ、ユーリはいやいやと首を横に振った。 「っ、あっ、っ!」  マリーツィアの粘度も手伝ってぐちゃぐちゃと粘着質な嫌らしい音があがる。ジャンカルロはユーリの足を自らの身体で押し上げて更に広げるような格好にさせ、右手でユーリの秘孔をほぐしながら左手で器用にベルトをくつろげた。ジッパーをおろし、ズボンと下着を乱暴に下げる。既に張り詰めていた布の中からジャンカルロ自身がぶるんと勢いよく姿を表した。ユーリはふふっと色っぽく笑った。 「相変わらず凶器だな」  赤黒く染まり、先端からじわりと先走りを滴らせ、ユーリの中に潜り込むのをいまかいまかと待ち侘びている亀頭をユーリが2本の指で愛しむように挟む。ジャンカルロが驚いて腰を引くと、ユーリは揶揄するようにカリ首を撫でた。 「ローティーンの俺に挿れていいシロモノじゃねえだろ、これ」  鬼かよとユーリが笑う。ジャンカルロは亀頭をいじるユーリの手を捕まえて頭上に押し付けた。 「先っぽしか挿れてねえし大体いつもお互い手で扱いて終わってやってたろ」 「ははっ、先っぽでも十分苦しかったしすっげえイッたわ」  「そもあんたに抱かれて初めてちゃんとイッたんだよなァ」と、ユーリがジャンカルロの耳元に顔を寄せ、吐息混じりにささめいいた。ジャンカルロの喉が大袈裟なほど鳴ったのを聞いて、悪戯っぽく笑ってみせる。ユーリの秘部にジャンカルロの猛った熱がじわりと宛てがわれた。

ともだちにシェアしよう!