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two.(4)

 東側のスラムでの一件があって以降、ユーリは一週間ほどスラムに降りていなかった。東側でのことを二コラがいやに気にしていて、トイレ以外ほぼ監視をされている状態なのだ。日誌をまとめているいまも真横にいる、本来なら非番のはずの二コラに視線をやり、ユーリは煩わしそうに眉を顰めた。 「それ、いつまでやんの?」 「それとは?」 「監視だよ、監視。トイレにまでついてくるとか変態かよ」  ちっとも落ち着けやしないと、恨みがましくユーリが言う。二コラは読んでいた本にブックマーカーを挟み込みそれを閉じると、体ごとユーリへと向き直った。 「体はもういいのか?」  それは複数人に乱暴されたことに対してだろうか? それとも違法薬物を使われたことに対してだろうか? とぼけてやろうとも思ったが、そうすると二コラの監視が解けそうにないことを二コラの思案顔で悟る。 「薬も抜けてるしぃ、あのくらい昔は日常茶飯事だったから、べつに」  そう言ったことをユーリは心底後悔した。ポーカーフェイスで表情の分かりにくい二コラが、あからさまにしょげた顔をしていたのだ。 「すまん、俺が迂闊だったんだ」  言いながら、わしわしとユーリの頭を撫でる。大きな手だ。子ども扱いをされるのは不服だが、二コラにされるのは嫌じゃない。ユーリは微笑みながら俯いて、くふんとくすぐったそうに息を吐いた。 「俺がいままでどういう状況で生きてきたか、少しは理解してくれたかァ?」  揶揄するように、ユーリ。ユーリが収容所にいたころは、複数人に乱暴されることなどしょっちゅうだった。もちろんそこには金銭が発生するし、逆らえば命の危険があったからほぼ無抵抗だったが、この間の状況とは異なっている。二コラがそれを心配していることはわかっていたが、ユーリにとっては金銭の授受があろうがなかろうがノルマに抱かれたという事実だけが残り、気持ちにはなんら変わりがないのだ。悲しいとも、悔しいとも思わない。幼いころからいつもそうだった。それだけだ。  二コラはユーリの頭を撫でる手を下ろし、そのままユーリの身体をそっと抱き寄せた。急なことにユーリはびっくりして目をまん丸くさせたが、二コラの腕は離れない。最初は遠慮がちなハグだったが、徐々に腕に力がこもっていく。 「なんに対しての罪悪感だよ? 半分は俺が撒いた種だ。あんたが気に病む必要なんてないのに」  へんなのと言いながら、二コラの背中をぽんぽんと叩く。二コラの腕の力がさらに強まっていく。たくましい胸に顔がうずまり、息が苦しい。慌てて二コラの名を呼ぶが、力を弱めてはくれなかった。  二コラが言い淀んでいるのは、やや強情な部分を持ち合わせているうえに、こういう場面での謝罪の言葉を持ち合わせていないのではないか。そう推察して、ユーリは二コラの腕の中でいたずらを思いついた子どものような表情を浮かべた。 「お清めセックスしようって言ったら、やってくれんの?」  色を孕んだ声色で、二コラの服の裾を掴みながら、ユーリ。言われたことの意味が分かっていないであろう二コラの表情を想像して、ユーリがくっくっと喉の奥で笑う。真面目一徹で色街にも出向かない二コラには、そんなことなど理解も及ばないだろうとほくそ笑み、二コラの服の裾を捲って素肌に指を触れた。 「どうせ抱かれるなら、あんたがいい」  二コラの胸に頬ずりをしながらささやくように言ってやる。馬鹿を言うなとか、なにを考えているんだと嫌悪を含んだ視線をぶつけられるのはわかっていたが、すでに開き直っていることを分からせておかなければ、二コラは延々と監視を続けるだろう。そう思ってのことだった。  不意に体が宙に浮いて、ユーリは声をひっくり返した。二コラに抱きあげられたのだ。戸惑うユーリをよそに、二コラはずんずんと仮眠用のソファーへと向かっていき、その上にユーリを仰向けに寝かせる。突然のことにユーリは理解が及ばず、目を瞬かせた。  二コラはなにも言わずにユーリのジョガーパンツを下着ごとずり下げながら、片方の手でユーリの服のなかをまさぐる。緊張のせいか冷たくなっている手が肌に触れ、ユーリは吐息交じりの声を漏らした。 「んっ、ちょっと」  待ってと言おうとしたが、二コラはやめない。つんとたった乳首を指の先で弾かれ、ユーリは思わず体を撥ねさせた。二コラはソファー横の戸棚に無造作に置かれていた医療用のクリームを手に取ると、それを指ですくってあらわになっているユーリの秘部に塗り付けた。指先でくるくると力を抜かせるように、あやすように触れられ、ユーリは恥ずかしさに顔を赤らめて二コラにしがみついた。 「ちょっ、それ、やだっ」  乳首と秘部を同時に愛でられる感覚に、ユーリはむず痒さを覚えた。二コラは乳首を愛撫する手を止め、ユーリのシャツを胸元まで捲りあげる。ユーリはなにをするつもりなのかと二コラの様子を窺っていたが、ユーリの胸元に二コラの顔が近づいてきて、悟った。 「二コラっ」  やめろと言うよりも早く、二コラの唇がユーリの乳首に触れた。びくんと大げさなほど体が跳ねた。ユーリは顔を真っ赤にさせて二コラの身体を押し返そうとしたが、秘部に触れているニコラの指がぬぐぬぐと入り込んできたせいでかなわなかった。  ユーリが快感を拾うように指が入り込んでくる。太くて武骨な指に粘膜を撫でられているが不快な気持ちはない。よく知っているニコラの手だ。むしろ心地よさすら覚えている。 「んっ、っ、ふ」  熱い舌で乳首を舐められ、吸われる。片方の手で秘部を、乳首をいじられ、ユーリは背中をしならせた。  爪の先で弄ばれたかと思うと、指でこりこりと扱かれる。痛みとは程遠い感覚に、ユーリは体の芯から熱くなるのを感じた。秘部に入り込んだ二コラの指がユーリの感じる場所を捜すように動く。くちゅくちゅと粘着質な音が上がる。いつ仲間が戻ってくるかわからない場所で、二コラと明け透けな行為に及んでいることは興奮材料なのだろう。二コラの固くなったものがユーリの腿にあたっている。ユーリは少し腿を上げ、二コラのそこを刺激した。息を詰めたような声が上から降ってくる。ユーリは満足げに足を動かしてやる。徐々に硬度が増してくるのを感じて、二コラのそこに手を伸ばす。ズボンのボタンを外し、ジッパーを下ろして下着の中から固くなったものを解放してやろうと、下着のウエスト部分を軽く引っ張ると、ぶるんと音がしそうなほど勢いよく二コラのペニスが飛び出てきた。ガチガチに硬くなっているそれにはいくつも筋が浮いており、ほどよく色付いている。 「はは、エロ」  指先で二コラの亀頭をすりすりと撫で、カリ首に指を這わせる。そのまま扱いてやろうと野太いペニスを軽く握った時、二コラの指がユーリのいいところをぐりぐりと押した。 「ふあっ!」  突然の刺激に甘い声が漏れ、ユーリは反射的に口を塞いだ。二コラの驚いたような表情が写る。そんな声が出るとも思っていなかったから、自分でも驚いた。二コラのそれはすぐに欲情した表情へと変わっていく。じっとりとした熱を帯びた視線を向けてくる二コラの瞳に映った自分の顔は、うっとりとしていてすぐにでも抱かれたいという甘えたものだ。  二コラは自分のペニスを扱き、それにクリームを塗りこむ。二コラのたくましいペニスが秘部に宛がわれ、ユーリは期待に体が熱くなるのを感じた。熱が秘部に触れ、ぐんと割り入ってくる。圧迫感に息を詰めるが、性急な動きではなく、あくまでもユーリの身体が慣れるのを待つかのようなじれったい動きだ。徐々に、ゆっくりと腰を進めてくる。ユーリの身体を傷めないようにという配慮なのか、ペニスが埋まった周りを解すように指を動かされ、腹の奥がうずいて堪らない。ゆるゆると入り口だけを擦るように動く。ユーリは思わず踵で二コラの腰を蹴った。衝撃で二コラのペニスが更に中に埋まる。いいところを亀頭で押しつぶされるような衝撃に、ユーリの身体が大袈裟なほど跳ねた。 「あっ、ぁ、あっ!」  ユーリが声をひっくり返して喘ぐ。二コラが再度ユーリが甘く鳴いた部分をえぐった。腹の奥がじわりと熱くなり、腰が震える。さっきの蹴りはじれったい動きをやめてくれという抗議のつもりだったが、図らずの自分のいいところを二コラに教えるような形になってしまった。完全に場所を把握した二コラはユーリの腰を少し上げさせ、ユーリが喘ぐ場所を端的に突いてくる。ソファーがギシギシと音をあげる。ユーリの吐息交じりの喘ぎ声が混ざり、ひどく扇情的な光景だ。 「んっ、んんっ、ぅ、っ!」  片方の手が胸に伸びてきて、親指で乳首をこねるようにつぶされた。急な刺激に腹の奥がずんと重くなるのを感じ、ユーリはいやいやと首を横に振った。頭上から二コラの舌打ちが聞こえてきた。そうかと思うと両手で足を抱えられる。腹の奥をえぐるかのような勢いでぐんとペニスを叩きつけられた衝撃に、ユーリがあられもない声を上げた。  声をひっくり返し、びくびくと体をしならせながらユーリが喘ぐ。感じている表情を見せまいと腕で顔を隠していたが、二コラの身体がぐんと中心に割入ってくるのと同時に、今度は両手を掴まれた。抵抗したが二コラの力にかなうはずがない。あっけなく両手を顔の横に拘束される。そっぽを向くように顔をそむけたら、首筋にキスをされた。 「ばか、あと付けるなよっ」 「つけない」  吐息交じりに言われたかと思うと、首筋をべろりと舐められる。ひっと情けない声が上がった。 「犬かよ」 「犬は嫌いなんじゃなかったのか?」  ゆるゆると腰を揺すりながら二コラが言う。 「嫌いだよ。あいつらは噛むから」  そう言ってやったら、今度は首筋を甘噛みされた。二コラがユーリの首筋に軽く歯を立てたまま腰を振る。尖った犬歯が皮膚に食い込んで痛いが、それすら妙な快感に変わっていく。両足を閉じる余地もないほど二コラの身体が密着していて、いまドアを開けられたらなにをしているか一目瞭然だ。規則的なストロークが続き、ユーリが甘い声を上げ始めると、今度は奥をずんと抉るような動きに変えられる。薬で前後不覚になったときに二コラに抱かれた経験はあるが、しらふで抱かれるのは初めてだから、恥ずかしくてたまらない。あやすようなセックスには慣れていないのだ。  二コラはユーリの両腕を拘束したまま徐々に体を密着させてくる。二コラのシャツの生地に乳首がこすれてむず痒い。心臓の音が伝わってくるほどの距離感。まるで恋人同士のような甘ったるいセックスだ。ユーリはいつものようによそ事を考えて快感を逃がすことができずにいた。ほかのノルマに抱かれるときにはわざと喘いでさっさとイかせるように努めていたのに、二コラ相手だとそれができない。むしろ気持ちが良くてもっと欲しいと求めてしまう。二コラの腰の動きを全身で感じられるほど密着され、まるで体を押しつぶされるかのような体勢だが、それすら苦しいとは思わなかった。そっぽを向いているためか、二コラに頬ずりをされる。 「こっちを向け」  低く言われ、ユーリはぎゅっと目を瞑った。 「やだ」 「いいから」  ぐんと奥を衝かれ、ユーリが喘いだ。少し腰を引き、ユーリのいいところをわざと外すような動きに変わる。二コラのたくましいペニスは中に入るだけでユーリのいいところを抉る角度なのだから、そのまま突いてくれればいいのにと恨みがましく二コラを睨む。潤んだ瞳で睨まれたところでねだるようなしぐさにしか見えないだろうが、ユーリは抗議のために敢えてそうした。 「奥、突いて」 「入れてほしかったらこっちを向け」  二コラが腰を軽く前後させる。もう少しでいいところにあたりそうなのに、――。二コラの下で体を動かしていいところにあてようとしたが、二コラが重くてかなわない。腹の奥がうずいてふわふわする。早くいいところを突いてほしい。ユーリはその一心で二コラの望むとおりに二コラを見た。ばっちりと視線が合う。 「これで満足かよ」  恨みがましく言うと、二コラがふっと笑った。慈しむような表情だ。徐々に顔が近づいてきて、唇が触れた。ちゅっと音が上がる。驚きを隠せず、半開きになったままのユーリの口の中に二コラの舌が潜り込んできた。くちゅくちゅと濡れた音が上がるのに加えて二コラの腰の動きが再開した。 「んっ、ふっ、っんんっ」  鼻に抜けるような声しか上がらない。いいところをこすられながら、二コラの舌が口の中を這いまわる。熾烈をなぞられ、舌を絡まれ、吸われる。喉の奥から競るような喘ぎが漏れ、ユーリは全身で二コラの熱を感じながらもそれから逃れようともがいた。  逃げるなと言わんばかりに二コラがユーリの舌を甘噛みした。同時にぐんと奥を抉るように腰を動かされる。ユーリは自分の上から二コラが転げ落ちるんじゃないかと思うほどにそっくり返った。 「んんぅっ、んっ、うぅううっ!」  ギシギシとソファーが鳴くのに交じって甘い声が弾けた。しつこいキスに飲み下せない唾液が口の横を伝う。それすらもったいないと言わんばかりに二コラが一旦口を離し、頬をべろりと舐める。ユーリが驚いて声を上げたのをいいことに、またしつこいキスを再開した。ユーリからは鼻に抜けた甘えたような、蕩けきった声しか上がらない。ひくひくと体が震え、いまにも達しそうなほどだ。乳首も、ペニスも、二コラの身体で押しつぶされて刺激される。全身を愛撫されているような感覚に包まれ、ユーリはもはや抵抗の二文字を忘れていた。  ユーリの両腕を拘束していた二コラの手が離れた。そのまま大事そうに掻き懐かれ、ユーリもそれにこたえるように二コラにしがみついた。 「くそっ、おまえは」  二コラの唸るような声が聞こえたと同時に、ユーリの中で二コラが弾けた。びくびくと野太いものが脈打つのに合わせて熱がほとばしる。その熱に侵されユーリは全身を強張らせて達した。ひくひくと体が震え、腰がいやらしく揺れる。その動きに合わせて二コラが最後まで中に絞り出そうと腰を揺すり始めた。 「っぁ、あっ! はっ、ぁ、っ!」  喘ぐユーリの口を二コラが塞ぐ。また熱い舌がユーリの口の中を這いまわり、ユーリもまた二コラを逃がすまいと追いかける。腰の動きが激しくなり、ぬちゃぬちゃと粘着質な音も大きくなっていく。ふたりはここがどこかも忘れているかのように貪り合った。  幾度かニコラの熱が腹の奥で弾けた頃、二コラが息を弾ませながら腰を引き始めた。熱い熱がユーリの中から抜けていく。ユーリは快感とは別に物寂しさを覚え、二コラの腰に足を絡めた。 「おい、離せ」 「まだ、足りない」  ユーリはまだ芯の残る二コラのペニスがいいところにあたるようにと自分から腰を振った。いやらしい動きに二コラの喉が鳴る。 「何人に回されたと思ってるんだァ?」  艶っぽい表情でわざといやらしく秘部を引っ張って、二コラを煽るように言う。 「腹んなか、あんたのでいっぱいになっても足んねえ」  くくっと笑ったせいか、二コラが呻いた。二コラの熱が再燃するのを期待したが、二コラはユーリの首筋にがぶりと噛み付いた。ユーリが驚いた拍子に自らの腰に絡んでいたユーリの足をよけると、二コラはずるりと熱を抜いた。ユーリが抗議するよりも早く、その足を掴んだまま体勢を変え、ユーリの秘部に舌を這わせた。 「わっ、ちょっ…!?」  予想外の行動にユーリが慌てた。ひくつく秘部を見られまいとユーリがそこを隠そうと手を伸ばしたが、二コラはユーリの中に出した自らの熱を掻き出すように指を潜り込ませ、べろべろとそこを舐め回す。ユーリは首を振っていやがったが、二コラはやめてくれそうにない。 「二コラ、やだっ、ヤダヤダっ、やめっ」  二コラを止めようと髪を引っ張ったが、逆に指でいいところを抉られ、ユーリは仰け反った。羞恥と快感のせいで腹がうずく。腹の上にぽたぽたと熱がほとばしるのを感じて、ユーリは溢れてくる生理的な涙をぬぐった。 「それやだっ、やめろよっ」  二コラの髪を掴んだまま快感に濡れた声で制止を乞う。二コラの舌は止まるどころかエスカレートし、指の力を借りて中に侵入してくる。ざらりと粘膜を舐められ、ユーリは腰をそらしてよがった。 「ああっ、ぁ、あっ、は、っ」  甘い声を押さえきれず、ユーリは二コラにしがみついたままイッた。妙な痺れが体全体を支配している。ひくひくと脈打つ腹を甘噛みされ、吸われる。半開きのままのユーリの口からは甘美な吐息が漏れ、ひどく扇情的だ。二コラはすっかり弛緩したユーリの足を広げさせると、秘部に猛ったペニスを宛がった。  なにも言わずに二コラが押し入ってくる。ユーリは吐息と共に甘えたような声を上げ、二コラにしがみついた。快感を逃がそうにも足がしびれてソファーをうまくとらえられない。逃げようとするのが分かったのか、二コラはユーリの腰の下に腕を差し入れ、一気に体を起こした。 「ふああっ!?」  二コラの固い熱が奥にがつんとあたり、ユーリはあられもない声を上げてイッた。がくがくと震え、二コラにしがみつく。きつい締め付けに二コラもまたユーリの中に吐精した。その熱と感覚のせいでユーリが震え、喘ぐ。二コラは愛おしそうにユーリを掻き懐き、いいところを穿つように腰を揺すった。 *****  あれから何度イかされたのか、まったく記憶にない。気が付いたら綺麗に体を清められ、ソファーに横たわらされていた。散々情事に耽ったあのソファーにだ。二コラは真剣な表情のままでナザリオたちとなにかの打ち合わせをしている。ユーリはさきほどまで自分に睦言を紡いでいた二コラの心地よい低さの声を聞きながらもぞもぞと体を動かした。 「あ、ユーリが起きた」  リズの声だ。リズがこちらに駆け寄ってくる。そうかと思うと勢いよく頭を叩かれた。 「エルン村の報告書がまだだって、政府がお怒りらしいよ」  エルン村と言われて、ユーリは怪訝そうに眉を顰めた。 「そんなわけないだろ、帰ってきてすぐに纏めて上に提出した」 「じゃあどこかの手違いで届いていないのかも。エルン村でアルマの初期症状を抑制した薬の詳細を教えろって、政府がせっついてきているらしい」  ユーリはおもむろに体を起こし、すぐそばのソファーに身体を預けているサシャに視線をやった。 「ちゃんと提出したよな?」  ユーリが問うと、サシャもまた頷いた。珍しく煩わしそうな表情をしている。 「俺とユーリとが連名で署名して軍医団に提出している。薬の詳細は従来通りのものを使っただけだ。ほかに特別なことはなにもしていない」  サシャの言葉にユーリもうなずく。二コラが困ったように肩を竦めた。 「政府はおまえたちが大人しく従わないのなら、国外追放も辞さないと」 「マジかよ? なんで正式な手続きを踏んで治療した挙句にそんなこと言われなきゃいけないんだ」  ふざけんなとユーリが息巻く。リズもまた納得していないような表情だ。ユーリは研究室の入り口付近にたたずんでいるナザリオに視線をやった。 「なあ、政府はあんたになんて言ったんだ?」  ユーリがナザリオと普通に会話を試みたからだろう。リズが素っ頓狂な声を上げた。 「嘘だろ、どうしちゃったんだよ!?」 「状況から鑑みるに政府の意見書を持ってきたのはナザリオだろ?」 「そうだけど! いやそうだけどさ!」  で? と、ユーリが話の続きをナザリオに促す。ナザリオは軽く頷いて、研究室の中央にあるデスクに近づき、そこに置かれた書類をトントンと指で叩いた。 「軍医団からの正式な召喚状です。いまセラフィマ嬢が事の詳細を確認しに行っていますが、ユーリとサシャが提出したと言っている書類は誰も目にしていないとのことでした」  ユーリはふうんと訝しげにつぶやいて、口元に手を宛がった。サシャに視線をやる。サシャは首を横に振って関わるなという意を示す。少しの間黙っていたサシャだったが、すっくと立ちあがり、ユーリの傍にやってきた。 「アルマの初期症状を抑えるために使用したのは、定石通りフェルマペネムだった。そうだよな?」  念を押すかのようなサシャの問いに、ユーリは素直に頷いた。フェルマペネムは軍から指示された時のみ使用できる薬品だ。ユーリたちが勝手に同行できる代物ではない。だからこそ軍医団に報告書を提出したというのに、それ自体がないというのがおかしい。ユーリはもう一度サシャに視線をやった。サシャの眉間にしわが寄る。言いたいことはわかる。ユーリはサシャに視線をぶつけたままで口を開いた。 「政府は代替品を作れと言ってきているんだろ、イル・セーラの古来の技術で」  ナザリオがそうですと頷いた。サシャは眉間にしわを寄せたまま首を横に振る。 「それは俺たちにはどうすることもできない。重要な資料はすべて焼かれたうえ、代替医療の権威たちを殺したのはノルマだろう。俺もユーリも収容されたときにまだ10歳にも満たなかったんだ。覚えているわけがないと政府に伝えてほしい」  サシャが言うと、ナザリオは複雑そうな表情で大きなため息をついた。 「ならば国外追放をと言われています。亡命ではなく追放なので、どのような目に遭わされるかわかりませんよ」  ナザリオが言う。そんなのおかしいよとリズが声を荒らげる。ユーリは大袈裟に両手を広げて肩を竦めた。 「方法がないわけじゃない」 「ユーリ!」  首を突っ込むなとサシャが強い口調で言う。ユーリはサシャの腕を軽く引いて、首を横に振った。 「せっかく収容所から出られたんだ。これ以上なにをされるかわからないような状況に身を置きたくない」 「それはそうだけど、保証はないんだぞ?」 「してくれるよなァ? いや、するように交渉してくれるだろ?」  なァ、ナザリオと、ユーリ。拒否権はない。拒否する余地もないとでも言いたげな表情だ。ナザリオは二コラに視線を向けた後で静かにうなずいた。 「まずあなた方ふたりの絶対的な身の安全、研究費の捻出に関しては絶対条件だとセラフィマ嬢が交渉してくださっています」 「なら話が早い。俺はオレガノなんかに行きたくないし、国外追放なんてありえない。  だから時間が欲しいと追加交渉してもらえないか? 2週間、いや、3週間は要る」 「3週間、ですか?」 「いろいろと準備がいるんでね。それと、フォルスの遺構への入構許可を出してほしい。どのくらいで用意できる?」 「フォルス、ですか? それは聊か」 「難しいって? こっちだって政府の無理難題に付き合ってやるんだ、そのくらいはしてもらえないと困る。それに実家に戻った拍子に“俺がなにか思い出すかもしれない”だろ?」  ユーリは収容所に入れられる少し前から収容後数年間の記憶がすっぽりと抜け落ちている。特に収容所に入る前の記憶は幼かったとはいえ貴重なものだ。それはサシャについても同様だが、イル・セーラは用心深いために重要な薬の調合法や分量などは正式に親の名を継いだ子にのみ伝えられている。だからサシャがすべてを知っている可能性はない。政府もそれを知っているため、そこを突かれると弱いと踏んだのだ。  ナザリオは少しの間難しい表情をしていたが、ふうと息をついた後でユーリを見上げた。 「フォルスの遺構への警護は俺がやります」 「それはどうも。で、何日で出せる?」  それとも何週間もかかる? とユーリが試すような口調で問う。 「遅くて明日の昼、早くて今日の夜までには」  意想外なナザリオの答えに、ユーリはひゅうと口笛を吹いた。正式な手続きを踏めば通常なら1週間以上要するからだ。ナザリオはキャップを目深にかぶると、上に交渉してきますと言い残して研究室を後にした。

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