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Seven(6)★
風呂に入って温まったからか、それとも極度の緊張状態から解放されたせいか、ユーリはあのあと眠いと言って寝てしまった。さすがにここまでは誰も入ってこられないため、チェリオも気が抜けて眠くなってくる。ふあっとあくびをして寝転んだ。
となりからすうすうと寝息が聞こえてくる。それを横目に、チェリオはユーリの言葉を思い出していた。
ーーサシャは一番安全な場所にいる。どういう意味なのだろうか。文字通りならいい。でもそうじゃないとしたら、きっと無理に明るく振る舞っているんだろうと察した。
ユーリの寝顔を見る。まるで子どもみたいだ。目を瞑っていると本当に幼く見える。これで自分よりも年上で、且つあんな色香で誘ってくるなんて、倒錯的すぎるだろうと口の中で呟く。
まじまじとユーリを眺める。睫毛も長いし、きっとそんなに手入れもしていないだろうに肌もきれいだ。ふと思う。少し瘦せただろうか。やつれたと言ったほうが正しいかもしれない。
きっとなにかの事情があって、自分が選択したほうをがむしゃらに走っている。それならその選択が正しいのか間違っているのかなんて、外野が口を挟むことじゃない。ただ人のことには敏感だけれど、自分のことには無頓着そうだから、見張っておいてやらなければ、無茶をして倒れてしまいそうだ。
だからサシャがいつも傍にいたのだろうか。ただ仲がいいだけとか、互いを必要としているからとか、ふたりが言っていたように専門分野が同じだからとか、そういうものではない、別のなにかがあるような気がしてならなかった。
規則正しい寝息を聞いていると、睡魔が襲ってきた。まぶたが重くなる。自分も少しだけ寝ようとチェリオは目を閉じた。
***
どのくらい寝ただろうか。忙しない呼吸で目が覚めた。
ガバッと身体を起こす。気持ちよさそうに眠っていたはずのユーリが身体を縮こまらせて忙しない呼吸を繰り返している。涙のあとがある。チェリオはユーリの肩を掴んで身体を揺すった。
「おい、ユーリ」
起きる気配はない。はあはあと忙しない息遣いで時々どこか苦しそうに身体を丸める。夢を見てうなされているならいい。でもこれは明らかに違う。チェリオはユーリの頬をぺちぺちとたたいた。
「起きろ、ユーリ」
おい! と声を荒らげ、ユーリの身体を蹴る。忙しない呼吸はそのままだ。半開きになっている口元がやけに艶かしいが、チェリオは自分の煩悩を払い去ってもう一度ユーリを呼んだ。
「大丈夫か?」
ユーリは状況を理解できていないらしい。息苦しそうな呼吸を繰り返す。ユーリの手が力なく伸びてきて、服を掴まれる。聞き間違いかもしれない。でも微かにサシャを呼んだ。
息を吐き出せないのか、吸気だけが目立つ。こんなときにどう対応をするべきかわからない。チェリオはユーリの背中を撫でてやった。
どのくらいそれが続いただろうか。忙しない呼吸が徐々に落ち着き、多少苦しそうではあるもののいつもの呼吸に戻っていく。チェリオはホッとした。ホッとしたと同時に、ユーリ自身が自分を追いつめていることにも、それをどうにかしてやろうとしない上の連中に対して猛烈に怒りが込み上げてきた。
そんなに暑い場所でもないのにユーリの身体はすっかり熱を持っている。まさか本当に熱があるんじゃ? と思い額に手を触れようとした手を伸ばす。ユーリがうっすらと目を開けた。そうかと思うとその手を勢いよく払いのけられた。
明らかに怯えているような表情に、チェリオは驚いて言葉が出ていかなかった。やがて状況を察したのか、ユーリは肩で息をしながらも、自分がチェリオの服を握っていることに気付いたようだ。チェリオの服の裾を握ったまま少し体を丸めた。
「ごめん、寝ぼけてた」
いや、絶対に違うだろと思ったが、敢えて言わない。涙をぬぐうようなしぐさの後で、うるさかった? とユーリが問うてくる。
「喘いでんのかと思った」
わざと言ってやる。ユーリはうっすら笑って、額に滲んだ汗を拭った。
「せっかく風呂に入ったのに」
文句を言いつつも、身体を起こそうとはしない。ただチェリオの服の裾から手が離れていった。
チェリオはユーリを見下ろして、少しの間考えた。聞いてほしくないこともあるだろうし、もし言いたくなったら自分で言うだろう。そう判断して、サシャのことには触れなかった。
「おまえ、いつもああなのか?」
「ああって?」
ユーリが問いかけてくる。
「いつも魘されるわけ? それとも、途中でやばいの見たから、収容所でのこと思い出した?」
ユーリはふうと息を吐いて、ゆっくりと体を起こした。両手で顔を覆い、汗で濡れた額をもう一度拭ったあとでどこかニヒルに笑ってみせた。
「俺には繊細さなんて残っていないはずなんだけどな」
嘘つけと言いたかったが、言わなかった。場所が変わると眠れないんだと言って、もう一度ごろりと横になった。ごそごそとチェリオに背を向ける。
「そのうちに慣れるよ。うるさかったら蹴飛ばして」
チェリオももうなにも言わなかった。聞いてほしくないと言われている気がしたからだ。チェリオもまた横になり、ユーリとは反対側を向いた。チェリオは元々ほとんど一人で生きてきた。周りにこうして人がいる環境で眠るなんていうのは、久しぶりだ。ロッカとは度々一緒に寝ていたし、ダニオも地下街に泊まったときには周りの環境を怖がってしがみつかれた状態で眠ったこともある。ユーリもそういう心境なのかなあと思い、ユーリの背中に自分の背中が触れそうなくらい近づいた。
「なに?」
ユーリが身体をひねってこちらを向く音がする。
「べつに。ロッカの夢見が悪かった時、こうしてやったら朝までよく寝たなって思っただけ」
まだ寝とけと素っ気なく言って、目を瞑る。少しして後ろから寝息が聞こえてきた。
***
ユーリは思いのほか寝相が悪い――いや、寝穢いらしい。背中を向けて眠っていたはずなのに、いつのまにかバックハグをされるような態勢になっていた。腹のあたりにしっかりと腕が回されている。チェリオは朝立ちがガチになりそうで、ユーリを起こそうとしたが、起きない。すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てて、暴れると更に抱き着かれる始末だ。
がっつり抱き着かれているせいで汗だくになっているチェリオは、「起きなきゃ襲うぞ」と声を荒らげながらユーリの腕の中から這い出た。それでも起きる気配はない。ごろんと仰向けになって寝息を立てる。ふとユーリを見やるが、チェリオとは違い少しオーバーサイズのジョガーパンツを履いていることもあってか、あまり朝立ちが目立たない。ためらいつつも触ってみると半立ち程度に固くなっている。うーんとユーリが唸る。唸るが、目を覚ます気配がない。
チェリオは昨日揶揄われた仕返しをしてやろうと思い立ち、ユーリのジョガーパンツをゆっくり引き下ろした。腿までさげたとき、チェリオは喉を鳴らした。だいぶ薄くなっているけれど、キスマークがついている。それもかなりの量で、場所によってはかなりしつこく責められたのではないかと思うほど赤黒い。
これをつけたのは、もしかして二コラじゃないか。二コラのユーリに対する感情は友人に対するものではないし、こんなにしつこくつけるということはかなりの執着心があるに違いない。そも、ユーリがこれだけのキスマークを大人しくつけさせるはずがないと踏む。
「あー、やばい。マジで勃った」
チェリオは自分の股間を擦りながらユーリのジョガーパンツを膝上あたりまで下げた。一番薄くなっているところに軽くキスを落とす。薄くついた筋肉がぴくりと反応すると同時に、ユーリの色っぽい声がした。控えめだが、確かに喘いだ。内腿が性感帯なのを知っていてここまでしつこく責めるのかと思ったら、自分まで顔が赤くなってくるのに気付いた。二コラに対する概念が変わりそうだ。
音を立ててユーリの内腿を吸う。今度はユーリから鼻にかかったような声がした。腰をくねらせるけれど、起きない。チェリオはムラムラしてきて、ユーリの腿あたりに腰を下ろした。パンツを引っ張り、まだ半立ち状態のそれを解放する。自分のカーゴパンツと下着も乱暴に下げてペニスを露出させると、ユーリの裏筋を刺激するように腰を振ってやる。またうんっと鼻にかかったような艶っぽい声が漏れた。
「起きねえのが悪いんだからな」
自分を正当化させるように言って、枕代わりにしていたバックパックを引っ掴んだ。なかには以前ファリスがくれたとんでもローションが入っている。少し前のものだけれど、べつに後ろに入れるわけじゃないからいいだろうと思い、それを自分とユーリのペニスに垂らす。粘性の高い、通常のものよりも質感のいいそれを馴染ませてくちゅくちゅと扱く。眠っているユーリを襲うなんてダメだろうという自分と、無防備に腹出して寝てるんだから犯してくれって言ってるようなもんだと正当化する自分とが言い合っていたが、ソッコーで善意が負けた。
自分のペニスとユーリのペニスの間に指を挟んで扱きながら、片方の手でつるんとした亀頭を手のひらで撫でる。とんでもローションのおかげか、それともユーリ自体の感度がいいのか、すぐに硬くなってくる。自分と比較してもデカいが、抱かれる専門だったからかエグさを感じない。亀頭にたっぷりととんでもローションをまぶして手のひらで刺激をしながら軽く腰を振る。さすがにここまでされたら起きるだろうと思ったが、ユーリは腰をくねらせ、艶っぽい声で鳴くだけで全く起きる気配がない。
「マジかよ、ここまでされて起きねえんなら、いれちまうぞ」
ぐちゅぐちゅと音が大きくなる。それに伴いチェリオの手の動きも激しくなり、ユーリもまた吐息交じりの喘ぎ声だけではなく、いつもでは聞いたことがないような甘えた声を出している。エロすぎる。
「んんっ、っ、ぁ、あっ」
裏筋を突くように亀頭で刺激して、片方の手で竿を、もう片方の手でユーリの亀頭を刺激する。
「っふ、んっ、っ」
「気持ちい?」
反応などないだろうと思いつつ尋ねると、ユーリがこくこくと頷いた。思わず出そうになり、唸る。はあはあと息を荒らげ、与えられる快感から逃れようと腰をくねらせるが、チェリオが乗っているために逃げようがない。もう少しでイキそうなのだと判断し、チェリオはユーリのペニスを責めた。
「っつ! うあっ、あっ、あっ」
ビクンと体が痙攣したかと思うと、ユーリのペニスからどろりと精液が滴った。まだちゃんとイケていない。ペニスを扱く手を早め、あられもない声をあげるユーリのペニスに先端を擦りつけながらチェリオがイッた。ユーリの服に飛ぶほどの勢いで、思わずやべっと声を漏らす。
「ほら、起きろっ」
言ってみたが、ユーリは起きない。薄くついた筋肉がひくひくと痙攣しているのがみえる。ピンときた。抱かれ慣れているせいで、後ろを触らないとイキきれないらしい。それならと、チェリオはユーリの上から降りて、少し足を開かせて自分の腿をまたがせた。スキンをつけ、後ろに伝っているとんでもローションをまぶしてからユーリの指を入れる。解してないのもありきついが、別にチンコ突っ込むわけじゃないしと自分に言い訳をしてユーリのペニスをぐちゅぐちゅと刺激しながらひと際いい声をあげるところを捜す。すこし固くなっているそれを指で押すとがくんと腰がのけ反った。ユーリのペニスからとろりと精液がこぼれる。
「えっろ」
チェリオはユーリの会陰部分に自分のペニスを擦りつけながら、ユーリがちゃんとイケるように後ろを刺激する。とんとんとリズミカルに押したり、マッサージをするように指を押し付けたりして、ユーリが快感を拾い甘い声で鳴く場所を攻める動きを繰り返す。……まだ起きない。普通ここまでされたら起きるだろと呆れつつ、亀頭を責めていた手を下ろしてユーリの腹を押した。
「ひあっ!? あっ、ああっ!」
ぐっと後ろが締まったかと思うとユーリがのけ反ってひと際甘い声をあげた。びくびくと体がしなる。チェリオの指を締め付ける粘膜の動きに合わせていいところを刺激してやりながらもう一度腹を押す。今度はペニスからも少しだけ精液がこぼれた。
「へっ? なにぃっ?」
さすがに体の異変に気付いたのか、ユーリがうっすらと目を開けた。まったく状況を理解できていないユーリに諸々分からせてやろうと、ユーリがイイ声で鳴くところを二本の指で挟んで軽く揺らしてやりつつ、ペニスを扱く。会陰のあたりに自分のペニスを擦りつけるのも忘れない。
「えっ? ぁっ、あうっ! なにっ、なにっ!?」
「オラ、早くちゃんと起きねえと、いれっちまうぞ」
あからさまに状況がつかめていない、且つ混乱しているユーリを見るのが新鮮で、いじめたくなった。どうしてこいつはこうも嗜虐心を煽るのか。チェリオがぐりりと中を刺激すると、ユーリが身体全体を反らしてあられもない声をあげてイッた。
「うあっ、ぁっ、あっ」
びくびくと体の震えが止まらないが、チェリオはユーリの亀頭と後ろを責める手を緩めなかった。
「ふあっ、まっ、待ってっ!」
制止させようとユーリの手が伸びてくるが、抵抗させまいと会陰に猛ったペニスを押し付けて同時に後ろを指で交互に押し込むように刺激をしてやる。ユーリの精液ともローションともつかない液体が飛び散るのをよそに亀頭を責めると、チェリオの腿あたりを跨がせていたユーリの足がバタバタと制止を乞うようにしなる。
「やめろって、バカ! ぁっ、ああっ、ちょっと!」
待ってと繰り返すが、辞められるわけがない。チェリオが夢中でそこに刺激を与えていると、ユーリが両腕で顔を覆ってビクンと跳ねた。
ぐっと後ろが締まるのに合わせ、ぷしゃっとユーリのペニスからなにかが飛び出てきた。液体だ。精液ではない。それが自分の顔を滴るのを感じて、自分の股間が強烈に熱くなった。
「うわっ、バカバカっ、やめろ!」
「あと一回」
チェリオはユーリの足を広げて覆いかぶさった。自分の指で蕩けさせた後孔は魅力的だが、昨日の今日だから入れるのだけは勘弁してやろうと思い、ユーリの尻と会陰、双球と竿に掛けて一気にグラインドして自分のペニスを擦りつける。ローションの滑りのおかげでなんともいえない快感が押し寄せて、チェリオはものの数分でイッた。ユーリの身体、顔に精液が飛び散る。褐色の肌に白が映える。なんともいえず扇情的で、チェリオは自分が放ったものを指でユーリの肌になじませる。妙な征服感。それから少しの罪悪感。すっかり涙目になって快感に震えるユーリを見下ろして、チェリオは苦し紛れにおはようと言った。
***
チェリオは自分の運の良さに心の底から感謝した。きちんと潮の満ち引きを調べていなかったが、今日ははギルスの回廊に向かうのに持って来いのコンディションだ。
ユーリはすっかり拗ねてしまって、朝から一言も話してくれない。そりゃあそうだと内心しつつ、起きないほうが悪いと開き直っている節もある。
ほとんど手入れなどされたことがないであろう起伏の激しい地形を越えつつ、ユーリがやってくるのを待つ。
ギルスの回廊の入り口からは光も見えなければ風の通りもない。辛うじて水流だけが岩場の向こうにも水があると知らせていたが、そもそもこの付近まで下りてくることが叶わなければ、探索することすらできない。たとえ地下街から抜けて出られるという噂があったとしても、誰も近付きもしないだろう。ましてや潮が引かなければ道すら現れない。そんなところの話をなぜユーリにしたのだろうかと半ば後悔しつつ道を進む。
ずいぶん歩いた。少しだけ足元が湿ってくる。そろそろ潮が返ってくるのかもしれないと思い、ユーリを呼ぶ。視線は寄越すが、返事はない。あきらかにむくれている。チェリオはガリガリと頭を掻いて、ユーリのもとに向かった。
「な、なんだよっ」
もしも頭に猫の耳が生えていたらイカ耳になっているんじゃないかと思うほどに警戒している。チェリオは面倒くさくなってきて、ユーリの肩と腰に手を回して勢いよく持ち上げた。いきなり持ち上げたせいで驚いたのか、ユーリがしがみついてくる。
「潮が返ってくると面倒だから、とっとと行くぞ。捕まっとけ」
チェリオはユーリの返事を待たずに、成人男性を一人抱えているというのに軽やかに岩場を飛び越えて先を進んでいく。途中でユーリがなにかを言っていたが、下ろせと暴れない限り大丈夫だろうと放置した。
潮水の滴る鍾乳洞のおくから、かすかに光が刺しているのが見えた。
「あ、あったあった。あそこが出口だ」
言いながらチェリオが奥を指さす。足元が濡れるのも構わずに回廊の出口までユーリを運ぶ。石造りの強固な足場に降り立って、チェリオはふうと息を吐いた。
ユーリが呆気にとられたような顔で見ているのに気付く。チェリオはああと声をあげた。
「俺、他人より力あるんだよ」
「異常に力が強いってこと?」
そうと言って、ユーリを下す。腕力だけでなく、脚力もだ。逃げ足は早いし、チェリオが見つからない、捕まらないとピエタやコーサたちが軒並み口にしていたのは、壁を越えて逃げるとか本来通常の人間にはできない逃げ方をすることもあり、それでイギンから気に入られ様々な仕事を頼まれていたのだと説明する。
するとユーリはどこか怪訝そうに眉を顰めてチェリオに視線をむけた。
「じゃあ最初に出会った時も、逃げ切れたってこと?」
最初? と言って、チェリオは初めてユーリと出会った時のことを思い出した。さすがにあの状況では無理だ。薬物を打たれていたし、逃げたところで生き延びれたかがわからない。
「特異体質ってやつか。そういえば文献に書いてあった。この国周辺は昔タイタンって神が作った国で、だからそこいらに通常の人間では作り用のない建造物があったりする。時を経てタイタンの一族は体こそ小さくなったもののその能力自体は残っていて、だから時々先祖返りが産まれるーーとか」
「嘘だろ?」
「神話だけど、そういう記述があったのは確か」
「おまえ、神話とか信じるのか? 自分の目で見て耳で聞いたことしか信じなかったんじゃ?」
揶揄するように言ってやると、ユーリはチェリオを見つめ、口元に手を宛てがった。ジロジロとチェリオを見る。なんだよと怯んだように、チェリオ。さっきまであれほど無視をしていたくせに、気になることがあったり好奇心が勝るとすぐに機嫌を直してしまう。猫かよとチェリオがユーリを揶揄するゆえんだった。
「あんた、他のノルマと若干体付きとか髪の色とか違うものな。タイタン族は手足が大きくて骨太なのが多いらしい」
言われてみればと、チェリオは自分の手のひらを見下ろした。そういえば、手足だけはロレンよりも大きい。キルシェにも負けていないような気がする。
「比較したらわかる」
ユーリが自分の右手を宙に翳す。チェリオがそれに重ね、うわっと声を上げた。
「手ぇちっさ!」
「あんたがデカいの。俺だって平均よりでかいほうだ」
チェリオはユーリの手を改めてまじまじと見て驚いた。手がデカいというよりは、指は長くて細いし、関節は節くれだっていないし、手の甲も薄くゴツゴツしていない。まるで女性のようにしなやかな手だ。ユーリの手を観察していると、突然指を絡めてきた。にぎにぎと握られる。誘っているんだろうかと思うような仕草にごくりと喉がなる。
怪しい視線に気付いたのか、ユーリがパッと手を引いた。
「手汗すごっ」
指摘され、チェリオは自分の服で手を拭いた。なんだか別のところがむずむずする。そういう場合じゃないのだけれど、ユーリは狙ってかそれとも天然か、たまにこうやってチェリオを翻弄してくる。
「おまえさ、なんでさっき指絡めたんだよ」
ユーリがきょとんとする。
「え? ナザリオがノルマ式の挨拶だって」
散々無視したし、仲直りしようかと思ってとユーリが継ぐ。
「ばか、違うわっ。ノルマ式の挨拶はハンドシェイクっつって、こうやんだよ」
チェリオはユーリの手をとってハンドシェイクのレクチャーをする。ユーリは自分の間違いに気付いたらしく、どこか気恥ずかしそうな顔で手を離してくれと顔を赤らめる。自分が手を引けばいいだけなのにと思いつつチェリオがその手を何度か握ると、ユーリは自分の顔が赤くなっているのに気付いたのか腕で覆い隠した。
いや、それよりも恥ずかしいことしてるし、昨日は躊躇いなく自分の前で服を脱いだじゃないかと突っ込みたくなる。そもそも朝はチェリオが仕掛けてチェリオが吹かせたのだけれど、潮を吹くなんていう大サービスをしたじゃないかと言いたい。一体どこがユーリの照れスイッチなのだろうか。
チェリオはニヤリと笑い、ユーリの真似をして指を絡めてみる。ユーリは唸り声とも恥ずかしさのあまり漏れた声ともつかない声を出しながらチェリオの手を振り払った。
「平気でしゃぶったり股開いたりするくせに、それは恥ずかしいってどういうこと?」
「イル・セーラはそういうスキンシップしないんだよ」
「嘘だろ、めちゃくそ距離感違いじゃねえか」
朝だって俺に抱き着いて眠っていたくせにと言う。ユーリは顔を赤くしたまま手でパタパタと風を送りながら、チェリオを無視して鍾乳洞の中に入っていった。
光の元にたどり付き、鍾乳洞を抜ける。そこに広がっていたのは、地下街からは想像もつかないほど美しい場所だった。
いったいいつの時代のものなのか、風化しているものの形が残った教会があった。ところどころ割れてしまっているものの、見たことがないほど美しい色合いのステンドグラスがはまっている。屋根と共に崩れ落ちた十字架の真ん中にはきらびやかな装飾が施されたエンブレムがある。いや、それ以外にもどこかで見たことがある。十字架の真ん中にあるエンブレムはところどころ風化して掠れているが、確かに覚えがあった。
「なーんだ、遺跡なんか見ても腹ぁ膨れねえよ」
残念そうな表情を隠そうともせずに、チェリオ。チェリオとは逆に、ユーリは興味深そうにあたりを見回している。
チェリオがずかずかと壊れた教会へと入っていく。あたりを見渡す。教会の周りには地下街やスラム街では見慣れない花がそこかしこに咲いている。教会の周りも、そしてこの神秘的な回廊の中も、発掘調査をされたような跡が微塵もない。そこいらに散らばっている教会の残骸には苔が生していて、それらは同じ時を経ているようにしか見えず、あたりの土を掘り起こしたような形跡などないのだ。
「このあたりは海に沈まないみたいだな。土も乾いてるし、ステンドグラスの汚れ具合からしても、長い間手入れすらされていないみたいだ」
興味深そうにあたりを観察するユーリに、チェリオが告げる。ユーリは眉根を寄せて、あたりに不審な点がないか視線だけで見渡した。
「チェリオはここまでは来たことがないと言っていたよな?」
「こっちには来たことないぜ。さっきの鍾乳洞までは来たことがある。潮の関係で長居できなかったし、そもそも俺がおまえに教えた花が咲いていたのは、最初にいた洞窟の少し奥側にある入り口から行ったところだ」
「そんなところに入口なんてあったか?」
「おれが最初に言っていた穴は、ちょっと前に塞がれちまってるよ。
その穴と、地下街と、ギルスの回廊とをつなぐと、どっかの組織にとって都合が悪かったんじゃねえの?」
「じゃあどうしてこの場所を?」
「前にスカリアのおっさんが血眼で捜してたんだ。だから先に場所を突き止めて、金銭を要求してやろうと思って突き止めた」
チェリオは悪戯っぽい顔をして肩をすくめた。
「この花がここにあることは知らなかったってことか」
偶然の産物じゃないかと、ユーリが眉をひそめる。チェリオはまあまあと笑いながらぐっと背伸びをした。
「ギルスの回廊にこの花があるってことは、環境が似ているであろうここにもあるんじゃないかとは踏んでいたんだぜ」
「なかったらどうするつもりだったんだよ」
「そりゃあそのとき考えるしかないだろ」
まるで開き直ったかのような返答だった。ユーリは呆れたような表情をそのままに、首を小さく横に振った。
「まあいい。結果的には状態が良いまま持って帰ることができそうだし。
これだけあればスラム含めミクシア周辺でパンデミアが起きたとしても、なんとかなる」
「なあ、ユーリ。思ったんだけど」
不意にチェリオが声を顰めた。
「北側と東側のスラムの診療所は、ユーリが作ったんだよな?」
「ああ。しこたま絞られたってのに、政府が必要としてるからって理由で、そっくり所有権を掠め取られた」
「じゃあさ、あんたが“真犯人”ってことにして、すべてを闇に葬り去ることも可能ってことだよな?」
チェリオがいう。ユーリは意想外な顔をした後、真新しいおもちゃを見つけた時のように表情を綻ばせた。
「勘のいいやつは嫌いじゃないぜ。そうだ。だからこそ俺の研究をオレガノから来た准将殿に手渡すようニコラに押し付けて逃げてきた」
「逃げた? タダじゃ転びたくねえから策を練りにきたの間違いじゃねえ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらチェリオが言う。ユーリはどこか楽しそうに笑って、いたずらっぽく肩を竦める。
「んで、その策がここの薬草を押さえること。万が一そのパンデミア? とかが起きたとしても、それを未然に食い止めるために。
でも、それじゃ余計にでもあんたが犯人だって疑われねえ?」
「疑いたきゃ疑えばいい。そんなものに興味はない。俺はこれ以上この街の人たちを死なせたくないだけだ」
「おまえにとっちゃ敵でしかねえのに?」
「俺が軍部に保護してもらって、挙句大学にまで通えたのは、ミクシア国民の血税のおかげなんだ。こういうときに役に立たなきゃ、あの世で“ユーリ”にぶっ飛ばされる」
チェリオはふうんと興味なさげに呟いて、それ以上はなにも言わなかった。摘花を始めたユーリを見よう見まねで手伝っている。ユーリが持ってきていた大きな麻袋いっぱいにそれを詰める。さわさわと風が吹いてきた。ユーリとチェリオが同時に顔を上げる。古ぼけた建物の奥から冷たい風が入ってくるのに気づき、ユーリが立ち上がった。
「ちょっと見てくる」
チェリオもそれに続く。建物に近づくにつれて風と、そして光が強くなる。風と光は建物の脇にある大きな岩の隙間から発生しているようだ。ここにもユーリの懐中時計と同じレリーフがある。ユーリがごそごそとポケットから懐中時計を取り出してレリーフに押し込む。また重い音がして、岩の隙間が少し開いた。チェリオがそれを動かしてみると、人一人通れる程度の穴を塞ぐための岩だったようだ。警戒しつつ岩肌から外を覗く。目の前には見たこともない海岸がひろがっていた。
「うっわ、すげえ。こんなの見たことねえ」
チェリオが声を弾ませる。砂浜に出て、辺りを見回す。先程避けた岩は、海岸沿いの岩壁と同質のものだ。
「ルシアじゃん」
岩壁の脇に薬草が自生している。『ルシア』と弾んだ声で言って、ユーリはそこにしゃがみ込むと、砂をかき分けてルシアを根っこから採取しはじめた。
「これも持ってくの?」
「ああ。お宝だぞ。これは俺が昔住んでいた場所に自生する万能薬なんだ。この辺じゃ育たないと思ってたけど、潮風に強いのもあるし、たぶん土壌の質がフォルスと似ているんだと思う」
言いながら、ユーリは別のいくつかの麻袋に砂浜の砂を集め、マントのポケットに押し込んだ。
ふたりは無言でルシアを採取した。途中でルシアによく似た、葉っぱの形が違う花が咲いているのに気付いて、ユーリを呼ぶ。ユーリはそれを見て、「お宝3号」と声を弾ませる。採取した後は地面をならしておくのも忘れない。種類別に並べて少しずつ先ほどの古ぼけた協会がある場所へと運び込む。
岩壁沿いに群生していたルシアのほとんどを採取し終えた頃、岩壁の向こう側から人の声がした。
「怪しい場所はしらみつぶしに探せ! 絶対にピエタよりも先にユーリを捕獲するんだ!」
ニコラの声だ。チェリオがユーリの腕を掴み、岩壁沿いに先程の大岩の元へと向かった。足跡が残らないよう棒で砂地を慣らし、ユーリを先に洞穴の中にむかわせる。チェリオは自分自身も洞穴へと戻ると、なるべく音を立てないように洞穴を大岩で塞いだ。
「おまえ、マジでお尋ね者じゃねえか」
チェリオが呆れたような表情でいう。
「早いなー。処刑命令が下るより先に真犯人を見つけるとかカッコいいこと言っていたのに」
やっぱ二コラだなとユーリが笑う。笑い事じゃねえだろとチェリオは声を尖らせた。
「つか、処刑って? マジでなにしたんだよっ?」
「聞きたい?」
ユーリが挑戦的な笑みを浮かべる。この顔をしているときのユーリは、本当に余裕があるときか、なにかをはぐらかしたい時のどちらかだ。
「おまえを軍部に突き出して得られる報酬と、おまえが俺に払う報酬、どっちが俺にとってメリットがある?」
ユーリはきょとんとしたが、すぐに楽しそうに笑みを深めて見せる。
「さあなァ。あんたにとって俺を突き出すほうがメリットがあると思ったら、そうしてくれ」
まただ。ユーリはすぐにそういう言い方をする。チェリオは舌打ちをしてやり場のない怒りを振り払うように息を吐いた。
「渡すわけねえだろ、軍部にも、ピエタにも」
唸るように言って、チェリオがガシガシと髪をかき乱す。
「俺は北側に連れて行った連中で、こっちに戻りたいやつらを連れてくる。懐中時計貸してくれ」
ユーリは少し怪訝な顔をした。
「潮が満ちたら、戻ってこられないんじゃ?」
「何日も向こうにいなかったら、怪しまれる。それにおまえだって一人で考える時間が欲しいだろ」
そう言ったら、ユーリは少し考えたあとでベルトに着けているほうの懐中時計をチェリオに差し出した。刻印されているレリーフも同じだが、差しだされたもののほうがやや歪だ。
「こっちは俺がもらった懐中時計。ちょっとでも俺がそばにいると思ったほうが頑張れるだろ、チェリー」
さっきの色香で、試すような口調でユーリが言う。チェリオはそれを受け取った。
「ここを動くなよ。明日の昼までには帰る」
ユーリは言われなくてもと言わんばかりにミリタリーバッグを下ろして、椅子とテーブルのように形どられた岩に座った。テーブルの上に次々と調合用の道具を並べる。
「そっちこそ、ヤバくなったら戻ってくんなよ。俺はここにいるか、潮が引いたら向こうに戻る。いまは緩和剤の作成を優先する」
昨日の弱々しい感じが嘘のようだ。変な気は起こすなよと敢えて言ってやると、ユーリは「あんたのおかげで目が覚めた」と意味ありげに笑った。
いったいどういうことだろうと思ったけれど、また戻ってきたときに聞けばいい。チェリオは鍾乳洞を抜けて、足首辺りまで溜まった海の水をよけながら、元来た道を戻った。
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