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Six(6)★
学長室でひとしきりの説明を終える。
学長は終始苦虫を噛み潰したような顔をしていた。レナト――基ドン・クリステンの手前だからと冷静さを装うそぶりもなかった。それだけ今回のことが意想外だったのだろうとうかがえる。
学長室にはドン・クリステンのほかに傷まみれの防具を纏ったままの兵士がいた。腕章から察するにおそらくピエタの兵士だが、ドン・クリステンとは視線を合わせようともしない。
「コスタ隊の報告は以上だ。前線に出た隊の生存者は少数であり、再結成をしている暇はない。こちらへの処置を最優先していただきたい」
男が言うと、学長は眉を顰めた。
「それは承知いたしかねます」
絞り出すような声で唸るように言うと、学長は気炎を上げた兵士へと視線をやった。
「こちらも少ない手勢で最善を尽くしております。栄位クラスの4チームのうち、2チームが最早機能しておらず、おまけに市民への処置を任されていた医師団は過労のため倒れるものが続出しているのが現状です」
「そちらの現状も把握しているつもりだ。しかしながらこちらも悠長なことを言っていられない。ドン・クリステン、貴方ならば軍部とピエタの軋轢にすでにお気づきのはず」
「我が軍医団は大半がまだ現場から戻ってきていない状態でね。ピエタに協力したいのは山々だが、そちらを優先するための医師がいない」
ドン・クリステンの言い分は尤もだ。学長に報告に来る前に軍医団の現状を聞いたが、すぐに解決できるような状況ではなかった。兵士は苛立ちを込めた鋭い視線をユーリにぶつけてきた。まるですべてユーリのせいだといわんばかりの顔だ。
「准将の回復にはどれくらいの時間を要するのか?」
ミカエラの話題を振られ、予想外のことに思わず声が上ずった。
「そちらの条件と准将の回復具合と、どう関係が?」
すかさずドン・クリステンが男に問いかける。兵士は苛立ったようにふんと鼻を鳴らした。
「彼はオレガノの軍医免許を持っていると聞き及んでいる。この騒動の発端は彼が率いていた特殊部隊が水際で処理をし損ねたせいだ。彼に責任を取ってこちらに協力してもらうほかないだろう」
「それはできない相談だ。彼にもしも危険が及んだとしたら、君の首ひとつで済む問題ではないのだがね。それに、情報は秘匿されている。助かったのか、そうでないのか、こちら側が知る由もない」
「ならばどうしろと仰るのか! そもそも准将は助からないという話だったはず! 現場に居合わせた軍医がそう言っているのをはっきりとこの耳で聞いたのだ!」
気炎を上げ、男が怒鳴る。もはやドン・クリステンが自分よりも立場が上の存在だということは失念しているらしい。
「そのような状態でも最善を尽くすのがこの大学の栄位クラスの仕事だ」
「それはそこのイル・セーラが違法な手術を施したからだろう!」
「違法とはずいぶんと聞こえの悪い言い方をする。ミクシアでは非認可の術式と言いたまえ。オレガノでは認可されている。その手術を施せる者は希少だがね。それにその後“どうなったのか”は、秘匿されていると言ったはずだぞ」
兵士は悔しそうに眉を顰め、ユーリに強い視線をぶつけた。
「ならばなぜドン・コスタを救えなかったのだ! 彼がご存命ならばピエタの統率はいまよりは取れていたはず! 優先順位を違えるとは医師の風上にも置けない!」
「ドン・コスタの治療は別の栄位クラスが行った。彼の死因は感染症でもなければ手術ミスでもない。こちらに搬送されたときには既に心肺停止だったと記録にあった。
検視結果は頭部損傷ならびに頸椎粉砕による呼吸停止。つまり即死の状態だ。それを蘇生させるのは残念ながら不可能だ。仮にその見通しがあったとして、五体満足というわけにはいかない」
「こちらの技術不足というわけでもない」とユーリが補足する。しかし兵士はすべての憎しみをユーリにぶつけるかのような表情で、その胸倉に勢いよくつかみかかった。
「黙れ、奴隷風情が! 貴様はイル・セーラだから准将への処置を優先したのだろう!」
勢いに任せて揺さぶられる。そう思う気持ちがわからないでもないからか、ユーリは兵士の手を払いのけなかった。
「搬送されてきたのが准将殿のほうが先だった。それに外傷の度合いや部位からしても、こちらではなく脳外科専門医がいるチームが担当するのが筋だ」
言い訳をするわけでもなく、事実を淡々と説明する。けれど兵士は苛立ったようにユーリの胸倉をつかむ手に力がこめていく。
「そんなことを聞いているのではない!」
「じゃあ准将殿と同じ手術をドン・コスタに施せばよかったとでも?」
「なんだとっ!?」
「たまたま適合するドナーがいた。同種で、血液型も同じ。だからできた。
仮にドン・コスタを優先したとして、血液型が異なるうえに多種族だし、そのドナーは強盗に襲われて脳死状態だった。奇跡的に脳を移植できたとしても頸椎の粉砕はどうにもならない」
「そ、それをどうにかするのが栄位クラスの仕事だと、ドン・クリステンが仰っていたではないか!」
「あんたのそれはただの八つ当たりだろうが。ドン・コスタにイル・セーラの心臓を移植しだとして、彼が喜ぶとでも? あんたはいま、自分で、俺に、奴隷風情と言ったじゃないか。その奴隷風情の心臓を提供されて生き永らえたところで、それは彼のメンツをつぶすことにつながるのでは?」
男がこぶしを振り上げた。殴られると思ったが、それはドン・クリステンによって阻まれた。
「口を慎め。その手術を受けたくとも受けられずに死んでいったノルマもいる。イル・セーラが確立した技術だからと嫌厭したがために、この国の医療技術はオレガノに20年遅れをとっているということをきちんと理解したほうがいい」
兵士はドン・クリステンの手を振り払おうとするが、存外ドン・クリステンの力が強いのか振りほどけないようだ。苛立ったように眉をひそめドン・クリステンを睨みつける。
「准将への対処を頼んだのは俺だ。彼に何事かあれば、オレガノとの国際問題に発展しかねないと判断した」
「それならそうと最初に言っておいてくれればよかったのだ」
「こちらの伝達ミスだ、非礼を詫びよう」
ドン・クリステンは兵士の腕を解放し、丁寧に礼をして見せた。ここまでされるとさしもの兵士も溜飲が下がるのだろう。冷静になったのか兵士はふんと鼻を鳴らしてドン・クリステンから顔をそむけた。
「Sig.オルデン、そちら側の人員が不足しているのであれば我が機関を御貸ししよう。それでこの件は黙認してもらえないだろうか?」
「エポカを?」
Sig.オルデンと呼ばれた兵士は怪訝そうな顔をした。
エポカ。聞いたことがない。きょとんとしていたユーリに気づいたのか、オルデンはわざとらしく咳ばらいをした。
「たかが口止めをするためにエポカの指揮を俺に任せるだと? よほどそのイル・セーラがお気に入りと見える。まさかドン・クリステンともあろう者が、そいつの後ろの具合の良さにほだされたわけではあるまい?」
「ほお、彼はそんなに後ろの具合がいいのか」
ドン・クリステンが言ったとたん、オルデンはぎょっとしたように目を見開いた。
「生憎俺と彼はさきほど出会ったばかりでね。他のノルマに絡まれているところを救ったのは確かだが、具合までは確かめていない」
オルデンがごくりとつばをのむ。
「犯行に及んだのはリストベルトから察するにそちらで管理されている囚人と見たが、“既成事実を作らせるため”に彼をあのような目に遭わせたわけではないだろう、Sig.オルデン」
「もういい、エポカの力など借りずともこちらでなんとかする。失礼する」
オルデンは平静を装うも上ずった声で一息に言いきって、慌てて学長室を後にした。乱暴な足音が遠ざかっていく。くっくっとドン・クリステンが笑う声がした。
「やれやれ、あれでは自白しているようなものだ。君は間接的にではあるが美人局に使われたのだから、もっと怒ってもいいところだぞ」
「つつ、もたせ?」
なんだそれはと問いかけると、ドン・クリステンが一瞬耳を疑ったかのように目をしばたたかせた。色事に慣れていると思いきや時折そういう反応をするのかと、やや呆れたような表情だ。
「あの囚人たちは脱獄を黙認されたのだ。君が一人であそこにいることを知ったうえで嗾け、そして俺たちに脱獄囚がいると餌をまいた」
「それって、最初から狙いは俺とあんただったってこと?」
「いや、相手は俺が率いる隊のものなら誰でもよかった。彼らの誤算は人手不足が災いしてこの俺が現場に出ていたことだろうな。エリゼとジルを護衛につけておいて正解だったよ。それ以外の男には君に対する免疫がないうえにその色香は刺激が強すぎる」
「褒められてんだか貶されてんだか」
「もちろん褒めているさ。ヴェローネとユーフォリアのハイブリッドを接種させられてあれだけ理性を保てたのは、奴隷だったことが幸いしたのだと思え」
まじかよと誰に言うともなくつぶやいた。ヴェローネとユーフォリアのハイブリッドは奴隷時代に要人に抱かれるときには必ず嗅がされていた組み合わせた。どおりですべての感覚が快感につながったわけだと納得した。
「ドン・クリステン、我々はどのように従えばよいのか、ご指示を」
ふと学長が切り出した。
「ユーリ・オルヴェ、研究医である立場上処置を行わないわけにはいかないという貴様の意見は尤もが、我々は後ろ盾なくして活動を続けていけるほど優位ではないのだ」
学長の言葉を理解できないわけではない。納得はできないが、いま自分たちが命令違反をしたところで首を絞めるだけだ。素直にうなずくと学長の眉間のしわがほんの少し緩んだ。
「しばらくは負傷者の処置を差し控えてもらいたい、と言いたいところだが、そうされると我々も困るのでね。最小限の人数しか派遣することができないが、軍医団と共に負傷者並びに感染者の対応に当たってほしい。
ただし、たとえ医師として不本意な指示を下されたとしても、軍部の命令には絶対だ」
その言葉の意味にぞっとしてドン・クリステンを見た。恐ろしく冷酷な目をしている。さきほどまでの温厚さがうそのようだ。
「承知いたしました。大学に残る全医師に伝えます。何卒、ご慈悲を」
学長がドン・クリステンに向けて頭を下げる。ドン・クリステンは神妙な顔をしたまま面を上げるよう指示し、肩をすくめた。
「くれぐれも軍部を出し抜こうなどと思わないことだ、ユーリ。きみの立場は理解しているつもりだが、粗相を見逃す義理はない。聡いきみなら、この意味が分かるな?」
ユーリは答えなかった。腑に落ちない。失礼すると言って、ドン・クリステンが学長室を後にした。
学長から政府の判断を言い渡された。
その足で研究室に向かいながら、Sig.オルデンが言っていたことを反芻した。オレガノ出身者とはいえイル・セーラが助かり、ノルマの隊長が亡くなった。ピエタにとってはそれが現実だ。到底手放しで受け入れてくれるはずもなく、ユーリは非合法の手術を行ったことと、軍部からの軋轢を交わせなかった責任を咎められ、北側のスラムの診療所及び処置室の所有権を剥奪されてしまった。それに関しては異論はない。どのみち緊急事態が発生した時に対応できるようにしたつもりだったからだ。
けれどもうひとつだけは受け入れ難い。いままでの研究全てを軍部に献上しろというものだった。自分だけの研究ではない。“ユーリ”も、サシャも関わっていることだ。それをノルマに手渡すということは、悪用してくれといっているようなものだ。
ただひとつだけ、国外追放に関しては、いまのところ保留となった。あくまでも保留だ。強制執行されないだけありがたいが、逆にそれはいつでもリスクが付き纏うことになる。
ユーリは自分達のチームの研究室のドアを開けた。自分のデスクに向かい、本棚から研究資料を無造作に引き出してデスクに置く。この研究を軍部に引き継いだ後で、政府がいうことはおおよそ見当がついている。ユーリ・オルヴェの処刑をと、そういうだろう。
西側と南側のスラムは焼けてなくなった。東側も壊滅状態だと聞く。唯一半壊状態で止まっている北側は、軍部が陣取って他のスラムから烙印者が雪崩れ込んでくるのを防いでいるのだそうだ。
その原因を作ったのは誰なのか。ほとんどの人間が、ユーリの研究が発端だという。試作品を盗み出して悪用したやつらが悪いのだけれど、そんなことは理由にならない。
ユーリはノルマではない。イル・セーラだ。理由がどうあれ、全ての責任をユーリに押し付けて処刑してしまえば、発端となった窃盗事件をまともに捜査しなかったピエタとアジェンテが咎められることはない。
もしもユーリ自身がノルマだったら、もしかするとここまで追い詰められなかったのかもしれない。ふとそう思ったが、ユーリはその考えを鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
自嘲するように呟いて、いままでの研究資料をすべてまとめて収納してあるレザーファイルをデスクに置いた。
ユーリは意志の強そうな目でレザーファイルを見下ろした。デスクに置きっぱなしにしていた紙に『ニコラへ』とだけ書き記し、それをレザーファイルの下に挟み込んだ。
大学でやることはもうない。ならばいまやるべきことをやらなければならないサシャが死に、ミカエラも死んだとあちらが判断したら、次に狙われるのはユーリ自身だ。自分が殺されるまえに、なんとしても見極めなくてはならない。西側で発生した未知の症状は本当にただの感染症なのか、あるいは、ーー。
「どこへ行くつもりだ」
聞き慣れた声がした。いつの間に入ってきていたのか、ニコラが壁に凭れかかって、ユーリに鋭い視線を向けている。
「どこでもいいだろ。俺はもう栄位クラスの一員じゃない」
「そうでなくても、軍部預かりの身は変わらない。俺にはおまえを守る義務がある」
「じゃあその義務は今後オレガノの准将殿のために果たしてやるといい」
そんな返答でニコラが見逃してくれるわけがない。そう思いながらもニコラの横を通り抜ける。即座に胸ぐらを掴まれ、いきおいよく背中から壁に叩きつけられた。
「大学を辞めるということは、今後は軍部も敵に回るということだぞ。わかっているのか?」
ニコラの鬼気迫る表情に、無意識に喉がなる。わかっている。後ろ盾がなくなるということは、自由に研究すらできない。目立つような行動を取れば容易に収監されるだろう。そんなことはわかっている。
ユーリはニコラから目を逸らさず、じっとそのジャスパーグリーンをみつめた。
「軍部さまの仰せの通りに、俺の研究はすべて献上する。ただし、オレガノの准将殿に引き継いでもらってくれ。これだけは譲れない」
「ベルダンディ准将にだと?」
「資料を見せてもらったけど、彼はオレガノの軍医でもある優秀な人材だ。命の危険に晒されたってことは、ピエタともマフィアとも、貴族院とも繋がりがないってことになる。だったら、俺の研究を預けるにはうってつけだ」
「なぜそれを俺に伝える?」
「俺にとってはイル・セーラ以外は敵だからだ。昔も、いまも」
そうだ。ユーリがニコラに心を許していたのも、ノルマだからとか、軍部だからとか、そんなものは関係なかった。きちんと話を聞いてくれる存在だったからだ。でもニコラは違った。ニコラは大学の研究医でありながら、軍部の人間だった。
「あんたは俺を監視し、保護するための存在だった。それが発覚したいま、前のように手放しで信じろと言われても、無理だよ」
ニコラの手からわずかに力が抜ける。ユーリはその手を払い除け、もう一度ニコラを見上げた。
「あんたの立場は理解している。俺を騙すつもりだったわけじゃないってのもわかる。でもしってのとおり、イル・セーラは疑り深い」
「俺になにをしろと?」
ニコラが問う。ユーリは悪戯っぽく笑って首を斜めに傾けた。
「俺がしてほしいことは、さっき言った」
自分のデスクへと視線を向ける。暗に研究資料が置いてあることを告げる。その意図を汲んだようで、ニコラは苦い顔をして肩を竦めた。
「ベルダンディ准将になら手渡すことを了承したと、上層部に伝えておく」
「さっすがダーリン」
言いながらニコラにしなだれかかる。首に両腕を回して体重をかけるようにしてやると、ニコラは片方の腕をユーリの腰に回し、空いた手で頬を掴んだ。
「ほかにどうすればいい?」
ニコラのセリフに、ユーリは驚いたように目を見開いた。まさか協力する気があるとは思わなかったからだ。ユーリの笑みが深まる。ニコラに抱きつく力をつよめた。
「おまえが大学に残れるよう、学長に掛け合っている」
「それはもういい。未練もないし、やり残したこともない」
「目的にしていたスラムの解放がまだだ」
強い口調でニコラがいう。頬を掴んでいたニコラの手が腰に回る。逃がさないとでもいうような態度に、ユーリは困ったように笑った。
「それどころじゃねえよ。俺がスラムの解放をしたかったのは、南側にイル・セーラが収容されていたからだ。でもいまはそれも望みが薄い」
「薄いといってもゼロではない。軍部の協力が得られれば、南側の捜索も可能なはず」
「あんたはそう思ってたって、ほかの軍部の人間やノルマたちはそうは思わないんだよ」
「きちんと状況を説明すれば理解を得られる」
「俺がノルマなら、そうだったろうな」
ニコラの眉間にしわがよる。こう言われては他になにも言いようがないのだろう。
「ユーリ」
これ以上の手がない時にだけみせる、情けない表情だ。ポーカーフェイスのニコラは、ユーリの前でしかこんな表情を見せない。
「色男が台無しだぜ、ダーリン。准将殿を――サシャを死なせないように守ってほしい」
頼んだと、ニコラの頬を撫でる。ニコラはなにも言わなかった。肯きもしない。これ以上引き止めたところでユーリの意志が揺らがないことをわかっているのだろう。
だからここにいるのが心地よかったのだ。なにも言わなくても理解して、肯定してくれるニコラがいたからこそ。鈍いし、時々想定外のことを言うけれど、それはそれで楽しかった。自分がここにいることでそれが脅かされるくらいなら、潔く退いたほうがいい。それがユーリの本音だった。
二コラにキスをされた。ついばむようなキスだ。おもわず二コラを見上げる。今度は噛み付くようなキスをされ、くぐもった声が上がる。前に二コラに悪戯を仕掛けた時のような激しいものではないが、上あごを舌でなぞられ舌を吸われる。二コラは後ろ手に研究室のカギをかけた。その音を聞きながら、ユーリがいたずらっぽく笑う。
「あんた状況分かってる? いつ招集が掛かるかわからないのに、セックスに耽る暇なんて」
ないだろうと言いたかったが、二コラのキスに飲み込まれた。体を持ち上げられ、ソファーに運ばれる。覆いかぶさられ、何度もキスを落とされる中、ユーリは苛立って二コラの胸をドンと叩いた。
「聞いてんのか、むっつりスケベ」
二コラはなにも言わずにユーリのベルトを寛げ、デニムのトップボタンを外す。またキスが降ってきた。息継ぎに合わせて声が漏れる。片方の手でユーリのデニムのファスナーを下ろし、下着ごとデニムをずり下げられた。ユーリもまた二コラのキスを受け入れながら、二コラのベルトを寛げた。こんなことをしている場合じゃない。それはわかっている。でももう二度とこんなことは適わないかもしれない。
二コラのデニムのボタンを外しながら、粘性の高い感触を後ろに感じた。二コラはまたもやいつのまにか医療用のクリームをローション代わりにしているようだ。ぬるりと指が入り込む。さっきレナトに触れられたからなのか、やたらと疼く。んっと息を詰めると、二コラが怪訝そうな顔をした。
「なんか、いつもと感覚が」
ユーリは裏山で囚人たちに触れられたことを思い出した。薬を飲まされたせいで昂った熱も忘れていたが、二コラに触れられるとそれがじわじわとよみがえってくる。二コラが確かめるようにユーリの後ろを撫でる。その動きに引き攣った声が上がった。
おもわず顔が赤くなる。囚人たちの無遠慮で感じさせる気の一切ない愛撫と違って、二コラのそれはユーリが感じるところを丁寧に解す動きだ。二コラの指がいいところを掠める。二コラのペニスに触れそれを扱きながらユーリが喘いだ。
腹の奥が疼く。ジンジンとまるで意思を持っているかのように熱くなる。ユーリは自ら二コラにしがみついてキスをした。本当は離れたくない。研究だって置いていきたくないし、できればミカエラが目を覚ますのを確認したかった。
でも、国外追放をと言われる前に、いや、非合法の手術を施したことにより収監される前に、やっておかなければならないことがある。“ユーリ”はアルマの水際対策の失敗を論われ殺された。本人もノルマに協力することをためらったと日記に記していた。協力したところで約束を反故にされるのがオチだからだとためらっている間に、アルマが蔓延した。その責任を負わされたのだ。その二の舞を踏むなんてごめんだ。
二コラはユーリの後ろを解すのをやめ、スキンが入った箱をソファー横の引き出しから取り出す。それを見ながら、ユーリはべつにいいのにと冷めた表情で言った。どうせ洗うんだからとぼやき、二コラの手から箱ごとスキンを奪ってぽいと床に投げた。二コラがおいと非難する。
「前もしたじゃん、あんたに中に出されるの、嫌いじゃない」
二コラがなんとも言えない苦い顔をして、はあと溜息を吐いた。そのまま足を持ち上げられ、十分にほぐれたそこに熱を宛がわれる。亀頭が埋まり、脈打つそれが侵入してくる感覚に、ユーリは思わずのけぞった。甘い吐息が漏れる。やっぱり二コラとのセックスは気持ちがいい。体の相性もあるのだろうが、それだけではないことをユーリは知っている。敢えて言わないし態度で見透かされているのかもしれないが、二コラも同じように思っていると嬉しいと感じるのは、否定しようがない。
ソファーが軋む音に交じって、ユーリの甘い声と肌がぶつかる音がこだまする。ユーリがキスをせがむと、二コラはユーリの腰を少し上げさせてキスをしやすいような角度に変えた。二コラのシャツに胸とペニスがこすれて腹の奥がずんと重くなる。ちゅくちゅくと濡れた音に伴い、ユーリの甘えるような鼻に抜ける声も大きくなっていく。
二コラの腰の動きに合わせてユーリ自身も腰を振った。まさに互いが貪りあうというような動きだ。二コラの熱がいいところに当たるたびにユーリの身体がしなり、後ろが締め付けてくる。二コラはくそっと詰めたような息を吐いて、ユーリを大事そうに掻き懐いた。
「はは、恋人みたい」
最初にセックスしたときよりもさらに体が密着している。ユーリも二コラの熱を受け入れ、抵抗を見せない。わざとらしく喘ぎもしなければ、誘うようなしぐさもしない。ただ自分を見てほしいし感じてほしい。だから奴隷だったころに仕込まれた手管で二コラを煽ったことなど一度もない。
ピエタでも軍部でも、イル・セーラが奴隷だったころのうわさを散々耳にしているだろうから、二コラからしてみればいろいろ仕込まれたところでこんなものかと思っているかもしれないが、ユーリは二コラの手管に染められたいという嗜虐的な思いを持っていた。二コラのように、最初からユーリに色目を使ってこない相手は初めてだった。だから一方的に執着し、懐いているのもある。突然牙を剥いて無理やり襲われる心配がないからだ。二コラとのセックスに興じるときは大体ユーリが仕掛けて二コラが煽られるのがパターンだが、同意でなければユーリはたとえ二コラでも下半身を蹴り飛ばして逃げている。
二コラはユーリが反応よく鳴くところを的確に穿ち、こつんと額をぶつけた。
「少なくとも俺はそう思っているが」
「へ?」
二コラが言わんとしていることがわからない。がつんと奥を突かれ、ユーリがのけぞった。びくんと体全体が跳ねる。意図せず嬌声があがった。
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