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Six(7)★
「はっ、ぁ、あぁっ、んっ、ん!」
ごりっと音がしそうなほど強くいいところを突かれた。
生理的な涙がこぼれるのを拭い、ユーリはさっき二コラが言ったことの意味を考えた。少なくともニコラはそう思っている? その言葉はなににかかっているのだろう? そのまえにどんな会話をしていたっけと思いながら二コラに抱かれる。二コラがぐっと腰を押し付けてくる。ユーリがひと際感じる場所を刺激され、二コラにしがみつく。その熱をもっと感じたくて腰を動かすと、二コラがユーリの身体を軽々と抱き上げた、騎乗位だ。やっぱり好きなんじゃないかと揶揄するように言うと、二コラは目を細めてユーリの涙をぬぐった。
「誰も嫌いだとは言っていない」
こうするとおまえの間抜け面がよく見えるんでなと二コラが笑う。ユーリは膝をつき二コラのものをすべて受け入れた。前に自分で引いていた一線はもうない。二コラの反り立ったペニスがいいところを掠め、ユーリがビクンと体を丸めた。
「っは、ああっ、あはっ、ぁっ」
二コラの上でイった。余韻が続くイキかただが、ユーリは震える足で身体を支え腰をくねらせて二コラの熱を感じる。二コラもまたユーリのペースに合わせて腰を揺らす。決して激しくない動きだが、ユーリの快感を高めるには十分すぎた。んんっと声をひっくり返してよがる。
「ゆっくりされるほうが好きか?」
ユーリは素直に頷いた。収容所でのセックスも、ピエタに回されるときも、大体自分たちの熱を発散させるためだけの行為だ。二コラのようにユーリを気遣ってくれる人もいたが、まったくちがう。
二コラはユーリの腰を掴んでゆっくりと腰を前後させる。ユーリを抱き締め、そのままキスをする。下唇を甘噛みされて、吸われて、ユーリは視界が滲むのを感じながら二コラのキスを受け入れた。なんの涙だろう。わからない。快楽に溺れているものなのか、生理的なものなのか。それ以上でも、以下でもない。
腰を掴んでいた片方の手が、ユーリの頭を撫でる。すっかり短くなった髪を指ですいて耳に掛けられた。そのままぐんと奥を突かれ、ユーリの身体ががくがくと跳ねた。その締め付けで二コラの熱が放たれる。はあっとユーリが色っぽい声を上げ、何度も痙攣する。腹を撫で、薄く笑う。色を孕んだ仕草に二コラの喉が大袈裟になった。
「前にチェリオがさ」
言って、くっくっと笑う。笑うたびに締め付けられ、二コラが眉根を寄せた。
「銀髪のイル・セーラは雌雄同体って本当かって聞いてきたんだ」
二コラが怪訝な顔をする。ユーリはそれに構わず、二コラの熱が放たれた腹を撫で、愛おしそうに目を細めた。
「ほんと、孕めばいいのに」
あんたが相手なら別にそれでもいいと、ユーリ。他意はなかった。単純に、純粋に、チェリオの言うように『そうであるなら』、それがいいと思っただけだ。どうせその噂を理由に狙われ続けるのだとしたら、どうせなら自分を商品のようには扱わない相手に孕まされたほうがいい。
でもそこに、少しでもいいから、“ユーリ”とアマーリアのような関係を味わってみたいという気持ちがなくはない。ほとんど覚えていないけれど、ユーリにとっては幸せを噛みしめられていたころの、何気ない情景が浮かぶ。ふたりが一緒にいる姿を見るのが好きだった。お互いが敬い合い、大切に思っているのが雰囲気だけでわかるほどだ。ただ、その感情がなんなのか、どういうものなのか、ユーリは知らない。
ふいに口をついて出たそのセリフは、二コラを煽るためでもなんでもなかったのだが、羞恥に赤らんだ顔にもどかしさのような黒い感情を乗せて、二コラがガリガリと頭を掻いた。
唐突にパンと音が鳴るほど腰を打ち付けられて、ユーリが声をひっくり返して喘ぎ、口をふさぐ。立て続けに腰を穿たれ、強い衝撃にユーリは二コラの腹の上に手をついた。
「収容所では“感情表現”を教わらなかったのか?」
「っあ、は。え? そんなもん、奴隷にいる?」
要らんだろと揶揄するように、二コラに揺さぶられるせいで震える声で告げる。二コラがあからさまに嫌そうな顔をして、ユーリの頬に手を触れた。
「なら、いま覚えろ。俺はどうでもいい相手を抱くほど軽薄じゃないんだ」
「はっ? 俺に煽られて簡単に手ぇ出したくせに?」
薬で酩酊状態にされていたとはいえ、二コラに縋りついたことは覚えている。早く薬から解放されたかったのと、自分を卑下していないと分かる相手に助けてほしかった。ずっとそれを望んでいた。もうすっかり忘れていたけれど、厳戒態勢の収容所からは脱走することが叶わないため、誰かに助けてほしかったという思いがふと湧き出てくる。ユーリとサシャを身請けすると言ってきた相手は、ドン・フォンターナ以外全員いなくなった。誰も戻ってこなかった。
不意に涙がこぼれてきた。本当に、なんの涙なのだろう。二コラに抱かれて気持ちがいいのはわかるけれど、この涙はそういうものではない。あのとき、ほかの仲間たちのように、誰かに身請けをされて外に出られていたら、ーー。
おいと二コラに呼ばれた。腰を穿つ動きを止め、両方の手で顔を掴まれる。
「そんな選択肢など持てなかったのかもしれないが、何故おまえは周りを頼らない? 何故助けを求めず、自分ですべてを解決しようとするんだ? 背負いきれるわけがない」
何故と言われても、自分でも言ったじゃないかと思う。そんな選択肢などなかったからだ。仮にあったとしても潰される。自分たちの身請けをと言ってきた人たちが、自分たちの想像通りに全員殺されたのだとしたら、もしかすると二コラやリズたちにも危険が及ぶかもしれない。そんな想像をしたら、頼る選択肢などないに等しい。
「なに、頼られなかったからって拗ねてんの?」
「そうだと言ったら?」
二コラの想像もしなかったセリフに、ユーリははにかむように笑ってその手に頬ずりをした。
「一生拗ねとけ、むっつりスケベ」
揶揄うように言ってやる。二コラの眉間の皺が少し深くなったかと思うと、片手で腰を押さえられ、いいところを突くような角度で腰を揺すられた。
「んっ、んふっ、うっ」
二コラに揺さぶられながらよがっていると、急に二コラが起き上がった。騎乗位ほど奥に来ないものの、二コラの熱と振動がダイレクトに伝わってきて、ユーリは甘い声で鳴きながらしがみつく。がつがつと無遠慮に腰を振られ、目の前がちかちかとハレーションを起こすのを感じる。胸と裏筋が二コラのシャツで擦れるせいでずんと腹の奥の疼きが増した。二コラの熱が弾けると同時に、ユーリも絶頂した。二コラの肩に顎を置き、弾んだ息の根を整える。心臓がバクバク言っている。今日はやたらと二コラの熱を感じるが、それは囚人たちの薬のせいか、それとも、――。ユーリは二コラに甘えるように頬ずりをした。
「もっとして」
二コラの驚いたような声が上がる。二コラの耳朶を甘噛みし、首筋にキスをする。強く吸うと二コラの白い肌に花が咲いた。それをみてユーリがふふっと笑う。まるで自分のものだという刻印に見える。背中から腰に掛けてに入れられた焼き印は奴隷のしるしとして消えないが、キスマークは簡単に消えてしまう。それでも二コラの肌に刻んでおきたくて、もうひとつ近くにキスマークを付ける。負けじと二コラがユーリの首筋に軽くキスを落とす。
「やだ、痕付けるなよ」
噛むのもダメと、ユーリが牽制する。なぜ? と二コラが問う。言葉と同時に首筋を甘噛みされた。
「ダメだって」
否定すると、今度は腰を揺すられた。突然のことに上擦ったよがり声が上がる。
「おまえもつけただろう」
「んっ、ふあっ、だ、だめっ」
絶対ダメと二コラの身体を引きはがすように手を突っぱねた。二コラが舌打ちをして、また腰をゆする。勢いよくベッドに身体を押し付けられ、快楽で震える両足を上げさせられた。
程よく筋肉の付いた細い足にキスをされ、吸われる。ユーリは腹の奥がじんと熱くなるのを感じた。んうっと詰めた声で鳴く。快感を逃がそうと力を入れたせいか二コラも唸った。
「だめっ、ほんとにっ」
「だからなぜ?」
同じ場所を甘噛みされ、また吸われる。リップ音と共にちりっとした痛みが走る。見えないからいいだろうと二コラが言う。そういう問題じゃないとユーリは顔を赤くして両手で顔を覆った。
「思い出すから、だめっ」
マジでやめてと二コラを蹴る。二コラは腰を振りながらユーリの足に何度もキスを落とす。だめだと言われたにもかかわらず、腿に、ふくらはぎに、次々と赤をちりばめる。
「んんんっ!」
ユーリがのけ反った。膨らんだペニスからはなにも出ていないが、明らかにイっている。びくびくと体が跳ね、後ろを締め付けるせいで、そのたびに二コラの熱がいいところに当たる。ユーリは両手で顔を覆ったまま、あられもない声を上げて果てた。
***
研究室内には簡易のシャワー室が設けられている。ふたりでは少し狭いが、贅沢は言っていられない。ユーリは二コラが後ろからペニスを扱いてくるのを無視して、腿やふくらはぎに落とされた赤を見やった。眉間にしわが寄るのが分かる。
「嫌だって言ったのに」
馬鹿と二コラを詰る。シャワーを浴びるだけと言ったのに、二コラのペニスはユーリに挿入されている。ぱんぱんと肌がぶつかる音が狭いシャワー室に響く。後ろから突かれ、ペニスを扱かれ、せっけんのついた指で乳首をいじられる。そんなことをされたら洗っている意味がないじゃないかと詰っても、二コラはやめてくれない。このままだとふやけてしまいそうだ。
「んうっ、んんっ! んっ、はっ、っ」
壁に手をついて、後ろから揺さぶられる。限界が近いのか、二コラの腰の動きが早くなる。動きに合わせて声が漏れるのを止められず、ユーリは思わず口を塞いだ。シャワー室の音は響く。これが廊下に響いているのではないかと気が気ではない。散々セックスに興じておいていま更だろうとも思うが、今日の二コラはやたらとしつこかった。いつになくねちっこい。二コラの熱が中に放たれる。もう4度目だ。二コラはユーリを散々イカせて動けなくする魂胆じゃないのかと思うほどに仕掛けてくる。ずるりと熱を抜かれたかとおもうと、二コラがそのまま跪く。指で後孔を広げられ、中に出したものを掻き出される。指で掻き出すだけならまだしも、二コラの舌が後孔を這う。ユーリは引き攣った声を上げて悶えた。
「それ、やめっ」
やめてというと今日の二コラはやめてくれない。かといってもっとしてというのも癪に障る。本当にもっとされたら敵わないからだ。中に出したものをあらかた掻き出し終えたからか、二コラがユーリの後孔を広げた。そこをべろりと肉厚な舌で舐めたかと思うと、粘膜にそれがねじ込まれる。胎内を舐められる独特な刺激に、ユーリは立っていられなかった。がくがくと膝が震える。腹がずんと重くなり、がくんとのけ反った。舌だけでナカイキするとは思わなかった。崩れ落ちてくるユーリを二コラが抱きとめる。ユーリは二コラの腕の中でびくびくと体を震わせ、眉根を寄せて二コラを睨んだ。
「馬鹿っ、もうやめろって」
本当にしつこいと非難する。二コラはおもちゃをとられた子どものように寂しそうな顔をして、今度はユーリにキスをしてきた。抗議の声を上げるが言葉にならなかった。キスをしながら、また後孔に指が割り込んでくる。煽るような指の動きだ。ユーリは甘く痺れるような快感を逃せずに二コラの腕の中でイッた。余韻のせいで身体が敏感になっている。胸にシャワーが当たるだけでじんじんして切ない。どうせならこのまま――とよこしまな考えが頭をよぎったが、ユーリは震える体をなんとか起こし、レバーをひねってお湯を止めた。
まだ物足りなさそうな二コラを残してシャワー室を出る。涼しい。二コラから与えられる快感と熱でのぼせてしまいそうだった。ユーリはバスローブを羽織って濡れた髪をタオルでわしわしと拭く。少しして二コラがシャワー室から出てきた。ユーリは二コラにバスローブとタオルを突き出した。二コラがそれを受け取る。体の水気を取って、研究室に置きっぱなしにしていた服を身にまとう。サシャが誕生日にくれたリネンシャツだ。着心地がよくて気に入っていたけれど、もったいなくてあまり着ていないものだ。時々ここで寝泊まりしていたから、シャツも下着も置きっぱなしで助かったとユーリは自分のずぼらさを揶揄するように笑った。
「本当に行くのか?」
二コラが尋ねてくる。時計を見る。夜明け前だ。随分長いこと二コラに抱かれていたのだなと思う。ユーリは頷いて、今度は自分から二コラにキスをした。唇が触れるだけのキスだ。二コラの手がユーリの両頬を愛おしそうに包む。だめだと軽く言って、ユーリは自分のデスクまで戻った。
「俺がいなくなったことは、黙っておいて。どうせバレるだろうけど、知らないふりをしてくれていい。准将殿に研究を引き継ぐと言った後で、姿が見えなくなったくらいにぼかしておけばバレない」
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫。キアーラも言っていたように、俺は俺が信じる正しい道を行く。だから、こっちのことは頼んだ。何か月かかるかわからないけど、できるだけのことはやる」
二コラがユーリの髪を撫でた。キスをされそうなほど顔が近付いてくる。鼻が触れそうなあたりで、二コラが目を伏せた。もう一度頭を撫でられる。名残惜しそうな表情で二コラが死ぬなよと言った。ユーリはふはっと笑って首を斜めに傾けて見せた。
「俺の処刑命令とか出たら、一番に殺しに来て。あんたに殺されるなら、それでいい」
「馬鹿を言うな。そんな命令を下される前にこちらで真犯人を暴いてみせる」
ユーリはきょとんとした。二コラが言っている意味に気付いて、破笑する。
「軍部でも、ピエタでも追えないのに?」
「俺もやれるだけのことはする。だから、死のうなどと考えるな。生きて戻って来い。おまえの籍は空けておく」
ユーリはくすぐったそうに笑った。首を横に振り、目を眇めて二コラを見た。
「戻らないよ。ここは俺の居場所じゃなくなった。サシャがいないのに、いる意味ない」
言わないつもりでいたが、ユーリは意を決して二コラを呼んだ。まっすぐに二コラを見つめる。
「あんたのことは好きだったよ。本当に。でも、その好きの意味が分からない。言葉として当てはまるのはそれだけど、どの感情が適切なのか、なんなのか、見当がつかないんだ。
だからこそ、もう失望したくない。あんたにまで裏切られたらと思うと、ここにいるのが怖い」
「ユーリ、俺は」
「あんたが裏切るつもりがないことなんてわかってる」
ユーリは二コラの言葉を遮った。わかっている。そんなつもりもないし、考えたこともないだろう。けれど現実はそうではない。裏切ったつもりなどなくても、軍部の一員だと隠していたのだから、似たようなものだ。知っていたら研究室のことも言わなかったし、関係も持たなかった。
「イル・セーラは疑り深い。俺からの信用を回復させたかったら、どういう行動をとればいいか、わかるだろ?」
含みを持たせて、ユーリ。二コラもまた、まっすぐにユーリを見てうなずいた。
「軍部からおまえの収監状が下りたら、俺が真っ先に捕まえに行く」
ユーリは満足げに笑みを深め、いたずらっぽく肩を竦めた。あんたを出し抜くことに関しては、俺のほうが一枚上手だけどねと舌を覗かせて見せる。あとは頼んだと明るく言って、ユーリは大学の研究室をあとにした。
***
学内は珍しく静かだった。ドン・クリステンから民間人の処置をとの命令が下ったものの、みんなほぼ不眠不休で働いていたせいで疲れて眠っているのかもしれないと思うほどだ。
勝手知ったるように倉庫から携行缶をいくつもミリタリーバッグに押し込み、紙石鹸や紙袋、ロープ、タオルなどの生活必需品を入れることも忘れない。
ある程度荷造りを終えて、ユーリはだいぶかさばったミリタリーバッグを手に廊下に出た。足音を忍ばせて大学の玄関付近まで向かう。おいと後ろから声を掛けられ、ユーリは声が出そうなほど驚いた。アナスターシャだ。
「び、びっくりした。ミカエラになにかあった?」
「違う。セラフが言っていたんだ。おまえは絶対に反対を押し切ってスラムに行こうとする、とな」
見張っていて正解だったと、アナスターシャが苦い顔で言う。ユーリは苦笑を漏らしてアナスターシャに声をかけた。
「あんたがいてくれてよかったよ。ありがとう」
アナスターシャはむず痒そうな表情を浮かべる。ふんと鼻で笑い、がりがりと頭を掻く。
「あんな目に遭わされておいて、よく俺に近づけるものだ」
感覚がおかしいんじゃないのかとアナスターシャが憎まれ口を叩く。ユーリはふはっと笑った。本当にそうだ。普通なら近づかない。けれどアナスターシャにはこちらに対する敵意がないし、なにより”におい”が悪人ではないから、ひどい目に遭わされたということを忘れてしまう。そもそもユーリ自身はマワされた時のことは覚えていないのだ。
「過去は振り返らない主義なんだよ。あんたも言ってたじゃないか、自分に対する劣等感でどうかしていたって。
俺だってそうだ。サシャがあんな目に遭っているのに、どうにもできない自分に腹が立った。記憶にはないんだけど、ただ夢中でスラムに降りたんだと思う」
「思うって……。それで死んでいたら元も子もないだろう」
馬鹿なのかとアナスターシャ。ユーリは眉を下げた。馬鹿だよ、本当にと誰に言うでもなく呟く。
「おまえの兄のこともそうだ」
アナスターシャの二人称が貴様からおまえに変わっていることに気付いた。
「あんな大事なことを勝手に決めるなど。いちかばちかの手術など聞いたことがない」
「だけどミカエラを助けることのほうが先決だった」
「そういう問題ではない」
アナスターシャが語気を強める。意外だった。アナスターシャはオレガノに留学していたと聞いているから、ミカエラのことを優先するものだとばかり思っていたからだ。
「おまえたちイル・セーラにとって、一族や家族の絆はノルマ以上に強いだろう。ろくな別れも告げずにおまえの兄の身体は軍部が保管することになった。本当にそれでよかったのかと聞いている」
ユーリは目を伏せた。別れは済んでいたなんて言ったら、きっとアナスターシャは怒るだろう。ミカエラが搬送されてこなければ、ユーリはキアーラとナザリオを捜しに行くつもりだったのだから。それにサシャは最後まで自分の希望をかなえてくれた。きっと苦しかっただろうに、最後まで呼吸が止まらなかった。それだけで十分だ。ユーリは視界が滲むのを感じたが、敢えて目を閉じた。
「あれでよかったんだ。准将殿の中に、サシャが生きている。彼が死ななければ、サシャは生き続ける。俺たちは元奴隷だけれど、准将殿は立場が違うだろ。ミクシアにとっても、オレガノにとっても、そして俺とサシャにとっても、それが最適解」
ならいいとアナスターシャがぶっきらぼうに言う。絶対に納得していない声色だ。これ以上詮索したところで無駄だと判断したのか、アナスターシャはそれ以上サシャのことを言わなかった。
足音が近付いてくる。こんな時間に誰だろうと思う。それはアナスターシャも同じだったようだ。足音のほうへと視線をやったあと、聞いたこともないような上ずった声を上げた。
「うげっ、おおおおおお伯父上ぇっ」
ものすごい動揺の仕方にユーリも驚いた。呆れたような視線をアナスターシャに向ける。こちらに歩いてきたのはドン・クリステンだった。アナスターシャは見たこともないほど背筋を伸ばして敬礼をして見せた。
「ああ、アンナか。それに」
ユーリに視線を向けたあとで、ドン・クリステンは顎に手を当てて怪訝な顔をした。
「ユーリ、きみは犯罪まがいに抱かれた相手に抵抗がないのか?」
アナスターシャの伯父上というのは、ドン・クリステンのことだったようだ。あからさまに呆れたような表情だ。ユーリは動揺しているアナスターシャに視線を向け、わざとらしく小首を傾げてアナスターシャの腕にしがみついた。
「お、おいっ、離せっ」
「俺は元奴隷だぜ、細かいことは気にしない質なんだ」
じゃなきゃやってられるかとユーリが言う。細かいことではないだろうと隣でアナスターシャが唸る。ドン・クリステンはやれやれと言わんばかりの表情だ。
「それに、准将殿の手術は、アナスターシャとフレオに協力してもらったんだ。オレガノの医師免許を持っているし、生体移植にも何件かかかわったことがあるって」
ぶっつけ本番だったことは敢えて言わない。アナスターシャは明らかに動揺しているが、ユーリはそれを上目遣いに見て余計なことを言わないように裏腿をつねる。ぐっと喉が締まるような声がした。
「なぜ自分のチームの者を呼ばなかったのだね?」
「なぜ? 生体移植に関わったことのないうえに、『ミクシアの医師免許』しか持たないふたりを呼んだところでどうにもならないからだよ」
なるほどとドン・クリステンが眉を下げる。
「きみははじめから大学を去るつもりだったのだな。ミカエラの――きみの兄の手術をすると決めた時から。だからチームの者を手術には関わらせなかったのだろう」
「そう見える?」
大袈裟に両手を広げて見せる。足元に容量オーバーのミリタリーバッグがあることからバレバレなのだろうが、ユーリは敢えてごまかした。ふふっとドン・クリステンが笑う。そしてこちらに近づき、アナスターシャの肩をポンと叩いた。
「さすがはアンナ、お手柄だ。
しかし、まだ執行猶予中だということを失念するなよ。それにそれは俺の”お気に入り”だ。次になにか粗相があれば、許さんからな」
「はっ、肝に銘じております」
よろしいとさわやかに笑い、ドン・クリステンが救急病棟の処置室のほうへと歩いていく。その背中を眺めていると、アナスターシャから腕を離せと強い口調で言われた。
こんな時間に、なぜドン・クリステンがいるのだろうと思う。救急病棟に誰か重要人物が運ばれてきたのだろうか。そこまで思って、ユーリは本来の目的を思い出した。アナスターシャの腕を解放する。
「アナスターシャ、俺が出ていったことは秘密な」
言って、ミリタリーバッグを背負おうとした時だ。アナスターシャがふんと鼻を鳴らして、腕にかけていたマントをユーリに突き出した。念のために着ておけとぶっきらぼうに言われる。それはピエタのフードマントで、時々エリゼが来ているものと同じものだ。防寒にもなるし雨にも濡れにくいと言っていたのを思い出す。言われたとおりにユーリがそれをかぶると、アナスターシャがユーリの腕を掴んだ。離すつもりがない力だ。ユーリのミリタリーバッグを別の手でつかみ、ユーリの腕を引っ張って大学の出入り口のドアを開けた。
中庭を抜け、正門を出る。その間アナスターシャはずっとユーリの腕を掴んでいる。どこに連れていかれるのだろうかと思い尋ねたが、アナスターシャは返事をしない。
「ねえ、どこに連れて行こうっていうんだよ? 俺はスラム街に」
静かにしろと小声で言われる。念のためにと着ていたピエタのフードマントのフードを目深に被せられた。革靴の音がする。ピエタだ。
「ご苦労様です」
ピエタの隊員がアナスターシャに敬礼をする。
「ああ。この周囲の見回りは俺がする。貴様は俺が戻るまで大学の入り口付近を見張れ」
はっと威勢良く返事をして、男は大学のほうへと歩いていく。それを横目に眺め、アナスターシャはユーリの腕を引いて中流階層街にあるピエタの派出所付近までやってきた。
「え、もしかして俺、このまま捕まったりする?」
アナスターシャはなにも言わない。あたりを見回し、誰もいないことを確認したうえで、腰のベルトにつけられた鍵の束からひと際古い鍵を手に取った。そして壁とほぼ同化しているくすんだ色の扉の鍵穴にそれを差し込み、回す。重い音がして鍵が開いた。もう一度当たりに誰もいないことを確認し、アナスターシャはユーリを引っ張ってその中に入った。
扉を閉めると同時に鍵をかける音がする。そうかと思うとパッと明かりがついた。アナスターシャが持っている簡易式のライトだ。
「ここを抜ければピエタにも軍部にも見つからずに北側のスラムまで行くことができる」
ユーリはぽかんとしてアナスターシャを見つめた。なぜこんな通路を知っているのだろうか。それを尋ねるよりも早く、アナスターシャが舌打ちをした。
「この水路は緩い傾斜だが上りは上流階層街に、下りは下流層街からスラム街に掛けて続いている。途中でいくつもの扉があり、それぞれ下流層街、北側、東側まで出入り可能だ。ただひとつ、東側は壊滅状態だと聞いている。出るなら北側の水路の出口を出て、そこから向かえ」
「こんな道があったのか。初めて知った」
「俺もだ。元々はなにかの通路として使われていたものを、ドン・パーチェの組織が秘密裏に使用していたらしい。マスターキーは渡すことができないが、幸いにして俺は手先が器用でな」
これを使えとアナスターシャがシルバーの鍵の束を突き出した。それにはいくつものカギがる付いているが、キーヘッドにはステラ語で文字が彫られている。キーヘッドに彫られているからなのか、それともアナスターシャの字が独特なのか、若干形状が異なるような気もしないでもないけれど、読めないことはない。北、東、下、中、上。そして北1、北5、北10、東1、東3、東7、東10。ユーリは思わずアナスターシャを見た。
「北10って、北のディエチ地区ってことだよな?」
「そうだ。ドン・パーチェがなぜ東側のスラムで一度も目撃されなかったのか、答えはこれだ」
チェリオも同じことを言っていた。ドン・パーチェが関わっていることは明らかだけれど、デリテ街で見たことは一度もない、と。地下水路を通っていたのなら見つかるはずがない。
「アナスターシャ」
「アンナでいい」
ぶっきらぼうに言ってのけ、アナスターシャ――アンナが先を進む。
「なんでここまでしてくれんの?」
そう尋ねると、アンナはふんと鼻を鳴らした。
「俺の一族は気に入った相手には甘いらしい」
きょとんとする。
「おまえになにかがあればセラフが悲しむ。それに」
「それに?」
「俺と伯父上は食の好みも女性の好みも似ている」
言われた意味が分からなかった。つまりキアーラのためってことか? と的外れなことをききそうになったあとで、ようやく意図を理解する。俺もあんたのことは嫌いじゃないといたずらっぽく笑いながら言うと、ふんと鼻で笑われた。
しばらく水路を歩き、アナスターシャが立ち止まった。どうやら北側の水路の出入り口のようだ。
「ここまででいいよ、これ以上あんたに迷惑かけられない」
「そのつもりだ。俺までおまえに着いて行ったら、誰が准将の様子を見る?」
そもそも俺は准将が目覚めた時や、セラフが戻ってきたときのためにあちらにいたほうがいいだろうと、アンナ。ユーリはそうだなと笑った。ありがとうと改めて礼を言う。アンナはユーリにミリタリーバッグを差し出してくる。それを受け取ろうとしたときに、ユーリは目を見張った。明らかに容量オーバーのバックパックがふたつも増えている。ぽかんとしてアンナを見やると、どこか気恥しそうな表情でがりがりと頭を掻いた。
「どうせチェリー野郎たちが困っているだろう。しばらくは食うに困らない携帯食と、簡易の処置道具と薬草が入っている。
勘違いするな、ここが無事か確かめに来た時に、非常用にと置いておいただけだ」
ユーリはあははと笑った。素直じゃねえのと揶揄する。アンナはどこか心配そうな面持ちだ。無謀だとはわかっているけれど、どうせ死ぬならすべてやり切ってから、抗ってから死にたい。そこまで言うとアンナから馬鹿だと非難されるだろう。
「准将のことは俺に任せろ。彼とは多少面識がある。彼が目覚めた時にはおまえが不利にならないよう話をつけておく」
「いいよ、そんなの。サシャのことも黙ってて」
ユーリは戻るつもりなんてないのだ。無責任かもしれないけれど、フレオとアンナがいる。ふたりに任せておけばミカエラの容態が悪化することはないだろう。
「准将殿も医師免許を持っているし、傷の位置で心臓の手術を受けたことはわかると思う。だけどミクシアで生体移植を受けるなんて思ってもみないだろうから、言わないでおいてほしい。知らないほうがいいこともある」
「それはイル・セーラの同族に対する絆の強さから、ということか?」
「そう。ノルマもそうだと思うけど、イル・セーラは特に、同族を――親族を手に掛けることは禁忌だ。来世はきっとない。迷信通りなら俺は地獄行きだ」
それが人助けでも、なんでもだ。だから黙っていてほしい。二コラや、ドン・クリステンたちにも伝えてとユーリが継ぐ。アンナは複雑そうな表情のまま頷いた。アンナはなにも言わなかった。死ぬなとも、生きて戻れとも。北側の水路の出入り口の鍵を開け、重い扉を開ける。ユーリはアンナに向けて手をひらひらと振って、にっと笑ってみせた。
「チャオ、アンナ」
扉の付近に誰もいないことを確認して、ユーリはアンナの反応を待たずに扉の隙間をすり抜けて外に出た。
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