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Ten(3)

 ウォルナットに連れてこられて数日、ユーリは部屋に引きこもっていた。日がな一日ベッドに横たわって本を読んだり、外を眺めてはぼんやりするだけだ。やる気が起きない。トイレとシャワー以外まったくと言っていいほど部屋から出ないユーリを心配してか、リュカが決まった時間に食事を運んでくる。ユーリは紅茶とスープだけ食べて、あとはジジに回していた。だからだろうか。ジジがツナサンドをもってやってきた。明らかに自分が食べたものの半分を残しておいたもののようだ。作り立てのツナサンドを二枚ほど目の前のテーブルに置かれる。 『Sig.オルヴェ、食べない?』 『食べていい』  欲しくないと告げると、ジジは不思議そうに首をかしげて自分の腹を撫でた。 『おれ、いくらでも食べられる』 『成長期だからな』  俺はもういいのと言って、羽毛布団を頭まで被る。煮詰まった頭ではなにを考えても浮かばないと思ったからこその引きこもりだったが、逆に何も思い浮かばない。ごそごそと音がする。ジジがベッドに上ってきた。羽毛布団を捲られる。 『Sig.オルヴェ、食べないと死んでしまう』  空腹、一番嫌いとジジが言う。奴隷だったころを思い出す。数日なにも食べさせてもらえないことはざらだった。だから水分さえ摂っておけば少々死にはしないという状態が癖付いている。なにか考え事に集中したいときにはとくに食べないし、そのほうが頭がさえている気すらしていた。 『ジジが食べな。あんたのだろ?』 『ミカエラの、手作り』  おいしいとジジが言う。もう一度食べていいと言うと、ジジはやはり物足りなかったのか、がつがつとツナサンドを食べた。ふたつともぺろりと食べ終えて、眠くなったのかごそごそとベッドから降りて自分が寝床にしているソファーに向かっていった。あくびをひとつして、ごろりと横たわる。数秒もしないうちにすうすうと寝息が聞こえてきた。  ごろりとベッドに仰向けになり、考える。これ以上の手の打ちようがあるのだろうか。好き勝手にやっていいと言われたけれど、自分だけの考えではこれが限界だ。サシャがいれば、エドがいればなんとかなるかもしれないけれど、フォルスの地下にあった資料も、地下街に放置されていた資料もすべて読み漁り、思いつく限りのことは尽くした。それでもやはり重篤患者すべてに有効なものはなにもない。  万人を救うなんて安易には思っていないが、重篤患者にも有効な手立てがなにかあるはずだ。せめて暴れ出さず、人間らしくあれたら、――。好きでああなっているわけでもないのに、殺すしかないというのは横暴すぎる。  部屋のドアがノックされる。ユーリは返事をしなかった。返事をしていないのにドアが開く音がする。 「まーた引きこもりですか」  懲りませんねと心配の色すら浮かべていない声がした。エリゼだ。 「毒消しのためにどの毒を使えばいいのか考えてた」  ぼそりと言うと、エリゼが面倒くさそうな顔をして肩を竦める。 「何十種類もあるもののなかから適合するものを見つける前に、重篤患者が全員死ぬのでは?」 「だよなァ、自分でもそれは無理だろうなって思った」  軽症患者にはどうすればいいかは思いついたけどと言うと、エリゼが苦い顔をした。 「そんなことを考えていたんですか? 暇でいいですね」 「暇に決まってんだろ、なにもすんなって言われてるんだから」 「なにもするなってことは、研究のことに頭を使うなということにもなります。大人しく休んだらどうですか?」  まあ無理でしょうけどとエリゼが継ぐ。無理だ。大人しくしておくなんて、ユーリが最も苦手なことだ。 「引きこもってろくにごはんも食べないとエドに伝えたら、心配していましたよ」  エドと言われ、がばっと体を起こす。どこにいるのかを尋ねると、三軒隣のゲストハウスにいますよとエリゼが答える。もっと別の場所にいると思っていたから、ぽかんとする。 「いろいろありまして、今日ここに連れてきたんです。ガブリエーレ卿にも面会許可をもらっているので、暇つぶしに行きますか?」 「いいのっ?」 「ガブリエーレ卿がいいというのだから、いいんじゃないですか? ドン・クリステンはもう少し先伸ばしにして交渉カードにしておきたかったようですが、少数民族にとって仲間の安否はなにより大事なので、先延ばしにするときっとユーリから突きつけられる“代償”が大きくなりますよと言っておきました」  さすがエリゼだ。彼のこういうところが気に入っている。ユーリはジジに出かけてくると告げて、ベッドから飛び降りた。エリゼに着いて館を出て、案内されるがままに向かう。三軒となりと言いつつ、かなり距離があるように思えるが、ガブリエーレ卿の館は要害ですからねとエリゼが言う。  ウォルナットは森に囲まれているが、実はその森の周辺は高い壁に覆われ、容易に侵入できないようになっているのだとエリゼが言う。侵入経路は海からとガブリエーレ卿の館のそばにある通路からのみ。いたるところに仕掛けがあり、正規ルート以外から侵入者があった場合にはすぐにわかるようになっているらしい。  かなり歩いて、ようやく三軒隣のゲストハウスに付いた。エリゼに促されてドアを開ける。エドがいるからなのか、階段のない平屋造りだ。この部屋ですと案内され、ユーリはどこか不安げにエリゼを見た。  このドアの向こうにエドたちがいる。ワクワクすると同時に若干の緊張が生じる。サシャのことをうまく隠し通せるだろうか。エリゼがユーリの背中をぽんぽんと背中を叩いて、訳知り顔になった。 「あなたの同族ですよ、きっと准将を見た時点で、なにかに気付いている」  ほら、行った行ったとドアを開かれる。約20㎡(およそ12畳ほど)の部屋の中に、見知った顔がいた。エドだ。コレットとアイラもいる。ユーリ! とアイラが抱き着いてきた。 『サシャは!?』  アイラが尋ねてくる。ユーリはその頭を撫でて、どう言おうかためらった。 『アイラ、サシャはもういないと言ったはずだ。ユーリを困らせるな』  言いながらエドが近付いてくる。エドと声をかけるよりも早く、エドがユーリの頭をポンと叩いた。ぎゅっと抱き締められる。どんな感情か悟れないような複雑そうな表情だった。少しの間、エドの息遣いだけを聞いていた。 『エド』 【俺がしゃべったせいだ。ごめん】  クリプトだ。アイラとコレットに聞かれたくないらしい。 【ふたりには、サシャは病気で亡くなったと伝えてある。だから自分を庇ったとも、賊に襲われたとも、なにも言うな。もちろん、手術のことも】  そう言われて、目頭が熱くなるのを感じた。この部屋には俺たちのほかに誰もいないと言われ、頭を撫でられる。 【エド、サシャのこと、守り切れなかった】  自分の声は聞いたこともないような涙声だった。涙が止まらない。エドがユーリを抱き締める腕に力がこもる。 【お前のせいじゃないよ、ユーリ。よくやった。情報もない中でよくがんばったな。俺も、肝心な時になにひとつ役に立てなくてごめんな。ふたりを守るって、“ユーリ”と約束したのに】  そんなことはないと言いたかったけれど、言葉にならなかった。エドがこっそり渡してくれた薬草のおかげで、サシャは一時は回復した。ピエタの違法な取り締まりがなければ、もしかしたらそのままよくなっていたかもしれない。あくまでも想像に過ぎないし、その回復が一時的なものだったとしても、エドのおかげに変わりはない。どのくらいエドにしがみついて泣いていただろう。ふと誰かに腰のあたりを触られた。 『コレットもずっとユーリに会いたがっていたんだ。おまえのおかげで仲間ともコミュニケーションが取れるって』  言われて、弾かれたように顔をあげる。涙に濡れているせいで視界が悪いが、コレットが微笑んでいるのが分かる。唇が動く。『無事でよかった』。そっちこそと継ぐと、コレットが気恥しそうに笑った。 『シアンは?』  涙を拭いながら尋ねる。シアンはフォルスに住んでいたころに家が近所で、よく遊んでもらっていた。 『彼は亡くなったよ。強制労働が元で、あまり調子が良くなかった。2年程前かな』  そうかとつぶやく。また涙がにじむのを拭っていると、コレットが抱き着いてきた。腰元を指で触られる。指の動きから察するに、『貴方は悪くない』だろう。『早く助けられなくてごめん』と返すと、コレットがユーリの身体をぐいっと押して、身体を引き離した。明らかに顔が怒っている。口元が動く。『謝らないで』とはっきりと紡ぐ。  アイラがコレットに紙とペンを手渡す。コレットはそれを受け取ると、さらさらとなにかを認めて、ユーリに突き出した。 『ユーリとサシャにばかり辛い思いをさせてきたのだから、謝ってほしくない。こっちこそ役に立てなくてごめんなさい』  エドを見やると、エドは眉尻を下げて笑った。 『スラムはスラムで楽しかったよ。労働は楽だし、衣食住も保障されている。アリオスティ隊が目を光らせていたおかげで、何不自由なく生活できた。街の暮らしはもっとよかったかもしれないけど』 『全然よくない。死ぬほどまずい食べ物はあるし、どこ行っても変な目で見られるし、サシャと二人きりで知らない街に連れて行かれて、ずっと心細かった』  涙声になるユーリをエドが抱き締める。頭を撫でられながら『昔から怖がりの泣き虫なのに、よく頑張ったよ』と言われて、ユーリはエドの背中をドンと殴った。『涙腺が弱いのは認めるけど怖がりじゃない』と唸るように言ったら、エドに笑われた。 『あとで許可をもらって外に行こう。ここは安全だから、自由に出歩けるんだよ』  アイラが言ってくる。エドと長いハグを終え、涙を拭ってアイラを見下ろすと、アイラはにっこりと笑った。目元がサシャに似ている。頭をなでると、足元に抱き着いてきた。 『ユーリ、今度は一緒にいられる?』 『どうだろう。今日だけかもしれないし、それはなんとも』 『エリゼに交渉してみては?』  そう言って、エドがドアをノックする。返事がない。ややあって、足音が近付いてきた。 「感動の対面は終わりましたか、ピッコリーノ」  意地の悪い笑みを浮かべている。 「外に散歩に行きたいって、アイラが」 「構いませんよ。ヤギには気を付けること」  言って、アイラの頭を撫でる。アイラはノルマ語で「承知した」と言う。アリオスティが出入りしていたということは、ナザリオの口癖をよく聞いていたということになる。エリゼが吹き出した。 「そういう時はわかったでいいんですよ、アイラ。誰に仕込まれたのか知りませんが、コレットとエドはノルマ語もフォルムラ語も理解しているでしょう?」  俺の目はごまかせませんよと、エリゼ。ユーリは冷めた表情をそのままに、少し両手を広げて軽く肩を竦めるジェスチャーをした。 「鋭い観察眼をお持ちのようで。それを他言しなかったのは?」 「少数民族の知恵、ですかね。協力者が大勢になるとほころびが生まれるけれど、ごく少数には情報を得やすいように真髄を話しておく。  あなたはふたりにノルマ語とフォルムラ語を仕込むことで、収容所から脱するチャンスを窺っていたのでは?」 「脱するとは思わなかったけど、いつかチャンスが来たらオレガノにタレこんでやろうくらいには思ってた。よくオレガノにバレたらやばいって話を小耳にはさんでいたし」 「なるほど。結果的にオレガノとディアンジェロ家が介入して収容所は閉鎖、オレガノにビビり散らかした司法が収容所の経営者たちやそれらの設立にかかわった者を犯罪者と定めたおかげですべてが丸く収まったように見えた……というわけですか」  引っかかる言い方をする。ユーリがエリゼに視線をやると、エリゼは思い出したようにコレットを呼んだ。 「そうそう、コレットが使っているその手話とハンドサインなんですが、手話だけで構わないのでここの住人に教えてあげられません? ほとんど筆談しかできないので、紙とペンがないときには困るだろうって、うちのご主人様が」  コレットが不思議そうな顔をする。『手話ってこれ?』と、ユーリに問うてくる。そうだと頷くと、弾んだ表情で頷いた。『これが役に立つなら。ユーリが教えてくれたのよ』と紙に書いてエリゼに見せる。エリゼは意想外な顔をしてユーリを見た。 「なんで知っていたんです?」 「“ユーリ”の患者に耳が聞こえない人と、病気で喉がやられた人がいた。よく薬をもらいに来ていたから、その喉がやられた人に教えてもらった」 『人懐っこかったものな』  エドが笑いながら言う。 『あまりに人懐っこすぎて、シナモンスティックで誘拐されるんじゃないかって大人たちが冷や冷やしていたんだぞ』 『マジか? さすがにそんなアホじゃないだろ』 『昔軍部の妙なやつに誘拐されかかったことを覚えていないのか』  だからサシャに鳥頭って言われていたんだなと、エドが呆れたように言う。 『エド、その話を詳しく覚えています?』 『大人たちが裏の崖下に薬草を採りに行った最中のことだ。フォルスの村の入り口あたりにある水場で遊んでいたら、どこのものかわからない軍用車が来た。ユーリがまだ3歳、4歳くらいだったかな。みんな車をほとんど見たことがなかったから物珍しくて見ていたら、ブルゾンタイプの軍服を着た男が数人おりてきた。  それで、ユーリを見るなりなにかを話し始めた。危険を感じたサシャが大人たちを呼びに行って、俺はユーリとシアンたちを連れて近くの小屋に逃げ込もうとしたんだけど、当時足を悪くしていた子に気を取られていた隙にユーリがいなくなっていて、飴に釣られたのかなんなのか、軍人たちのところに歩いて行っていたんだ。それを止めようとシアンがユーリを……いや、“ユーリ”の名を継ぐ前の名前を呼んだ途端、そいつらが口々になにかを言っていた。なにを言ったかは聞き取れなかったけど、ユーリを捕まえて車に押し込めようとした。  でもサシャが大人たちを連れて戻ってきて、“ユーリ”がフォルムラ語でその軍部になにかを説明して、しばらく押し問答をしていたけれど、無事に解放されたんだ。  あのあとくらいから、ユーリは来客があるたびに怯えて地下室に潜り込むようになったんだ。誰にでも懐くタイプだったけど、特に新たにやってくる大人たちにはすごい拒絶だった』 『ユーリの昔の名前というのは?』 『それは言えない。イル・セーラは親の名を継いだらその名が自分の名前になる。昔の名はないも同然だ』  きっぱりとエドが言う。エリゼはそれを突っ込むつもりはなかったらしく、なにかを考えるように視線をさまよわせる。 「まあいいか。手話のことはガブリエーレ卿にお伝えしておくので、数日のうちに連絡が来ると思います。  それから、ユーリ。外に出るのは構いませんが、また食べ物につられて誘拐されないように」 「釣られんわっ」  じゃあ釣られるようにシナモンロールパイ作ってこようとエリゼが笑う。エリゼが部屋を出ていったのを見届けて、アイラがユーリの腕を引いた。 『行こうよ、綺麗な湖があるんだよ』  ヤギもいるよと言われ、ユーリは興味本位でアイラに引っ張られるままについて行った。 *** 「おおっ、ヤギ!」  マジでヤギがいるとユーリが声をあげる。よく手入れをされた草原に、十数頭のヤギがいる。丁寧に作られた柵で覆われ脱走しないようにされているらしいが、ユーリはあたりを見回して、鼻で笑った。これは十中八九逃げる。 『よく脱走して、村の人が追っかけてるよ』  朝も逃げてたと、アイラが笑う。 『だろうなァ。柵が低すぎるし、このタイプのヤギは大型だから力も強い』  無角で長い垂れ耳の、黄褐を基調とした斑紋のあるヤギを見て、ユーリが懐かしそうに目を細める。しゃがみ込んで、奥にいるヤギを指さす。 『あいつ、ミルクしぼれるぞ。飲んだことある?』 『ないっ。おいしい?』 『どうだろうなァ。ミクシアじゃ牛乳が主流だし、好みはわかれるかも』  俺は嫌いじゃないけどと継ぐ。アイラはきらきらとした目でユーリを見上げ、嬉しそうに笑った。 『飲んでみたい』 『じゃあ後で誰かに聞いてみるか。さすがに勝手に中に入るのはダメだろ』  言いながら立ち上がる。エドが手を振っているのが見えた。ひょこひょこと歩きながらこちらに寄ってくる。 『このヤギたちは、村の人が飼育しているらしいぞ。ちょっとフォルスに似ていると思わないか?』 『そうなんだよなァ。この湖の感じと言い、ヤギといい、建物の造りとかもちょっと似てない?』 『案外、イル・セーラが作った村だったりしてな』  そう言ってエドが笑う。もしそうだとしたらすごいなと笑っていると、少し先に見知った姿があった。 「チェリオ!」  ユーリが声をかけたからだろう。チェリオが素っ頓狂な声をあげた。かと思うと勢いよくこちらに走ってくる。 『知り合いか?』 『ミクシアのスラム街の住人。いろいろあって仲良くなったんだ』 「このっ、バカユーリ!!」  いきなり足元を掬われそうになり寸でで避ける。素早く態勢を作り直して次の攻撃を仕掛けてきた。ぎりぎりでかわしたが、さすがに素早い。本気で当てるつもりがなさそうな動きだと思っていたら、勢いよく胸倉をつかまれて地面に捻じ伏せられた。逃がすまいとするためか、チェリオが腹の上に乗ってきた。 「てめえ、マジでいい加減にしろよ! 前に言ったよな、おまえのおかげで俺たちは救われたし、いままで自分たちの中に押し込んでいた気持ちを出しても恥ずかしくねえって思えるようになってたんだ!  なのに、自分は責任とって処刑されてもいいだと!? じゃあ俺らだって全員処刑されてもおかしくねえだろうが! ひとりで責任取ろうなんざ二度と考えるな!」  ぽかんとする。アイラはともかくとして、エドはノルマ語を理解している。これはまずいと感じて、チェリオをなだめようと声をかけた。 「詳しく、聞かせて」  エドがやや片言のノルマ語でチェリオに言う。チェリオは驚いたような顔をして、ユーリとエドとを交互に見やった。 「おまえ、ノルマ語しゃべれるのかよ?」 「すこし」  エドが少しのジェスチャーをして見せる。チェリオはユーリから降りると、事の詳細を説明した。説明を受ける間、エドの視線がユーリに突き刺さる。ユーリが逃げないようにするためか、服の裾を掴まれてた状態で怒りと呆れを孕んだ視線を感じながらもユーリは気まずそうに視線を逸らしていた。エドから耳を引っ張られた。 『熟考した末の決断なのだろうから否定はしないが、命知らずなのにもほどがある』 『サシャがいたら罵詈雑言叩きつけられてたと思う』 『悪いが俺でもそうする』  このど阿呆がとエドが言う。そのあとでまたエドに抱き寄せられた。 【もうそんなことは考えるなよ。サシャのことは俺にも背負わせてくれ。取引とはいえ、生体移植のことをエリゼに話した責任がある】 【いつ頃話したか覚えてる?】 【西側のスラムで爆発が起きたあとだ。エリゼに連れられて地下通路を通って、どこか別の建物に連れて行かれた。そこにドン・クリステンがいて、諸々説明されたんだ。そのときにサシャがもう助からないかもしれないことを聞いた。オレガノの准将が倒れたと聞いたのは、俺たちの手当てをしてくれたあとだ】  あれはもう封じたほうがいいとエドが小声で言う。ユーリもまた頷いた。幸いにしてリズにも二コラにも手の内を見せていない。知っているのはアンナと、フレオだけだ。一応口止めをしている。オレガノで確立されている術式と、“ユーリ”がやっていた術式とは、また少し違う。エドもクロードからいろいろ聞いているはずだ。  エドから解放され、チェリオを見やる。チェリオはむすっとした表情のままで頭の後ろで手を組んだ。 「っとに、無鉄砲もほどほどにしろよな。アンナだってクッソ怒ってたぞ。つぎにおまえの顔見たら罵詈雑言浴びせて泣かせてやるって」  ユーリはできるわけがないと笑った。サシャのことがあった時、アンナが一番広い視野を持って考えていたと思う。それはたぶん、アンナ自身が似たような経験をしたことがあるんじゃないかと感じている。本人は言わないだろうし、こちらも聞く気がない。  あの日ミカエラたちと話したあとで、どうやら寝落ちして丸一日以上眠っていたらしい。目が覚めたらリュカから「1週間研究も仕事も禁止、とにかく休むこと」と言われた。エリゼからカルマも没収されたせいで相変わらず眠れていないけれど、前ほど妙な動悸が出なくなった。  処刑をされると決めた時から、それも自死のうちに入るのではないかとか、そうすることで周りの人たちが逆に気を揉むのではないかとか、諸々考えていたこともあり、精神的に負担がかかっていたのではないかと、リュカの知人の医師から言われた。そんなことは言われなくてもわかっている。自分の体だ。でもおもしろいことに、その医師は薬を処方することもなく、ただ休めと言った。自然に触れて、ゆったりとした時間を過ごしていたら、そのうちに気持ちが切り替わる、と。 「そういや、ミカエラが明日ミクシアに帰るって。おまえが眠りこけていてろくに挨拶もできなかったから、数日引き延ばしてもらったらしいぞ」 「マジか。今朝はそんなことを一言も言ってなかった」 「言うの忘れただけじゃね? あいつ、くっそ冷静で隙がないように見えるけど、じつはほとんどぼーっとしているだろ。エリゼがその間神経を休めているから、だからポーカーフェイスがうまいんじゃないかって言ってた」  ポーカーフェイスがうまいと言われて、ユーリはどこかむず痒い気分になった。他の人たちはあの微々たる感情の変化に気づかないのだろうか。割と感情がダダ漏れだし、目の動きで諸々察することができる。ポーカーフェイスのうまさならニコラの方が上だろう。 「意外と子どもっぽいところもある」 「そりゃおまえもだろ。散々喚いて管撒いて大変だったってドン・クリステンが。割とすんなり状況把握して交渉に応じてくれるかと思ったらそんなことなくて、どうしようかと思ったってぼやいてたぞ」  ニコラの次はドン・クリステンの前髪が犠牲になるなとチェリオに揶揄される。年齢的にも気になるお年頃なんだからあんまり心労かけてやんなよと、チェリオ。 『ねえねえ、魚が泳いでるよ』  アイラがチェリオの服の裾を引っ張り、声を弾ませる。チェリオはなにを言われたのかわからなかったのだろう。最初は怪訝そうな顔をしたが、アイラの指の先に魚がいることに気付いて、おーと呑気に言った。 「釣りする? したことある?」  釣りのジェスチャーをしてみせる。アイラが手掴みのジェスチャーをすると、違う違うと手を横に振って、今度は少し動きを変えて釣りをするジェスチャーをした。アイラがぱあっと表情を明るくさせて、親指を立てた。わかったのサインだ。 「あの辺に落ちてる木を取ってきな。釣竿作ろうぜ」  このくらいのやつと、手を広げて長さを教える。アイラがわかったとノルマ語で言って、森の方へと走っていった。  チェリオのコミニュケーション能力の高さには舌を巻く。エドもまた感心したような面持ちだ。 「アイラが懐くのは珍しい」 「そうなのか? あいつ、どのくらいノルマ語理解できてる?」 「日常会話くらい、だと。俺やコレットほどはわからないはずだ」  エドのノルマ語は若干アクセントが異なるものの、十分チェリオにも通じているようだ。  少しして、アイラが木の枝を持って戻ってきた。チェリオがバックパックから釣り糸と釣り針を取り出して、木の枝と釣り針に釣り糸を括り付ける。ユーリはチェリオとアイラが楽しそうに遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。  しばらくしたら、アイラはコレットに呼ばれて館の中に戻って行った。エドもアイラに付き添って戻っていき、チェリオも仕事があるからとどこかへ行ってしまった。草むらに寝転がって、ぼんやりと時間を過ごす。ーー暇だ。  かといって研究室に入ろうものならリュカが怖いし、探索をする気力もない。心地の良い風が体を撫でていくのを感じながら、ユーリは目を閉じた。

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