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Three(6)
サシャの休暇も終わり、通常の日常が戻ってきた。ユーリはスラムの東側の連中ともわりといい関係を築き始め、診療代替わりだとスラムに自生する薬草の在処まで案内してくれる者もでてきた。もちろん危険がないようエリゼかナザリオ、ジャンカルロの誰かが護衛につくことに変わりはないが、以前のように傷まみれで街に戻ることがなくなっただけでも大した進歩だ。
そんな折、スラムの診療所が襲撃された。幸いユーリは重要な薬品をもって北側に行っていたために事なきを得たが、いまだに反乱分子のような輩が存在するようだ。診療所を破壊したのは見せしめだろうと馴染みの男が言う。情報屋のネイロ。170cmほどの、ノルマにしては背の低い、細身の見るからに不健康そうな男だ。無精ひげを整えたところを見たことがない。やや乾いた咳を2、3回して、注意深く視線だけであたりを見る。
「やったのはイギンってマフィアの手下だ。あいつらは俺らを食い物にしてきたからよ、あんたがまともな薬を作ってくれんのが気に入らねえのよ」
エリゼは相変わらず人を食ったような笑みを浮かべて肩を竦めた。
「彼らはしつこいですからねえ。ユーリ、単独行動は絶対禁止ですよ。彼らに捕まったらきっと味見した後で地下街の娼館かフィッチの娼館に売られるかのどちらかでしょうから」
「あんた本当にいい根性してるよな。ナザリオの前じゃ絶対にそういうこと言わないくせに」
「言葉にしたほうが危険が顕著にわかるでしょう。貴方の場合は特にそのほうが約束を守ってくれそうですし」
「不特定多数に回されたくなければ俺を撒かないように」とエリゼが念を押すように言う。
「見かけによらずマフィアみたいなこという兄ちゃんだな」
ネイロが苦い顔をする。「やはりその警告の仕方は普通じゃないぞ」と息巻いたが、エリゼはどこ吹く風だ。
「ああ、そうだ。ここいらを牛耳っているチェリオっていうのがいるんだが、あんたら、チェリオに会ったか?」
ネイロがユーリに問いかける。
「いや、最近は全然見ない。むしろ用事があって捜しているんだ」
「そりゃあ変だな。あいつは自分がイギンに睨まれたくないもんだから、診療所ができる前くらいから妨害工作を目論んでたんだけどよ、今回は流石に業腹だっつって、あんたに警告をしに行ったはずなんだが」
『こんくらいのチビだ』と言いながら、ネイロが自分の目線あたりに手をかざす。
「あいつは地下街出身で、割と汚いことを平気でするが、あいつが来たおかげでちょっとここいらの締め付けが楽になったのよ。本当はこのあたりは別の野郎が牛耳ってたんだがよ、どうやらそいつはイギンに殺されちまったらしい。なんでもチェリオに手ぇ出したとかなんとか」
ネイロが言った途端、ユーリはエリゼの両耳を塞いだ。エリゼは非難することもなく、素知らぬ顔で路地へと視線を向ける。
「い、いいのか、それ」
「ナザリオより話が分かるんだ。で、チェリオはどこに?」
「ディエチ地区か、地下街か、そうじゃなきゃデリテ街のどっかでガキどもを集めて教育しているはずだ。
最近ここいらでも不審な薬物が出回っててよ、それを見つけてチェリオに持ってきたやつには褒美がもらえるってな」
「不審な薬物?」
「それが俺もよく知らねえんだが、打ったが最後、水を求めて水路に直行してそのまま死んじまうって話だ。おっと、これ以上は俺の口からは言えねえ。まだ死にたくねえからな」
ネイロはそういうと「ん」と言いながら左の手のひらを上にして差し出した。ユーリがきょとんとする。
「えっと」
「報酬だよ、報酬。ほれ、たばこかなんか持ってねえか?」
「俺はたばことか吸ったことなくて。エリゼ」
エリゼを解放し、たばこを持っていないかと問う。エリゼは胸ポケットからシガレットケースを取り出すと、そのうちの5本を男に手渡した。
「お、おおっ、まじかよ。あんた気前いいな」
「残りの4本分は前払いです。あと4回こちらに情報を渡す前に殺されないように気を付けてくださいね」
嫌味のない笑顔が怖い。そう感じたのはネイロも同じだったようで、苦い顔をした。ところどころ錆びたオイルライターで煙草に火をつけるとうまそうに顔をほころばせ煙を吐き出す。
「こりゃあ相当高級品だな。一本につき情報ひとつじゃ寝覚めが悪い。
チェリオの育ての親が東側の壁付近の鉄塔台に住んでる。捜しても会えなきゃそこに行ってみな。取り次いでくれるだろうさ」
そう言い残すと、ネイロは何事もなかったかのように紫煙をくゆらせながら歩いて行った。
「エリゼってたばこ吸うんだな」
初めて知ったと、ユーリ。エリゼはきょとんとして首を斜めに傾けた。
「吸いませんよ」
「……はっ?」
じゃあなんで持ってんの? と問うよりも先に、エリゼはうふふと不敵な笑みを浮かべた。
「買収は情報収集の基本です」
つくづくエリゼを敵に回したくないと思う。ユーリは頭が痛くなってきたと額を押さえながら、チェリオがいるであろう地下街周辺へと向かった。
***
チェリオはやはり見つからなかった。どこへ行ってしまったのか、地下街の住人達も口をそろえて知らないという。昨日は遅くまで探したけれど姿が見えず、今日もまたチェリオを捜してスラム街をぶらついている。
本来なら今日はナザリオが護衛につくはずだったが、待ち合わせの場所にはエリゼが現れた。隊長と交代しましたと何食わぬ顔で言う。こういうことはエリゼのほうがやりやすいと安易に考えながらチェリオを捜す。
「見当たりませんね」
かれこれ2時間はさがしているが、地下街周辺にもディエチ地区にもいなかった。往診をしつつさがしていることもあり、タイミングが悪く見当たらないのだろうか。
結局診療所付近まで戻ってきた。ところどころ補修された木造の簡素なそれを眺めながらため息をつく。
「エリゼ……ってか、アリオスティ隊が俺のそばにいるからじゃねえの?」
エリゼを横目に見る。北側はそうでもなかったが、東側の連中は総じてアリオスティ隊に良い印象を懐いていないような見受けられる。
「隊長は特に悪事を見逃しませんからね。俺は時と場合によっては見て見ぬ振りをしますし、昨日のように協力者を得ることも厭いません」
「ばれたら?」
「さあ、バレたことがないので」
しれっと言ってのけ、エリゼが視線だけをユーリに向ける。さも告げ口するなよと言わんばかりの表情に、ユーリは空笑いをした。
「もう一度捜してみて見つからなきゃ、大人しく鉄塔台に行ってみるか。闇雲に捜したほうが却って避けられる可能性もある」
「そうですね。そのほうが手っ取り早いでしょう。鉄塔台の住人とは面識がありますので、いまからでもかまいませんよ」
さっき言っていた協力者の一人なのだろう。真面目そうに見えてナザリオとは違いクレバーな部分がある。他の連中と違い融通が利く上判断も早い。そういう意味で割と好ましく感じていた。
やはりどこを捜してもチェリオに遭遇しなかった。そう都合よく行くわけがないと内心しつつ、エリゼに付き添われて東側の壁付近の鉄塔台に赴く。エリゼは勝手知ったるようにドアをノックして中に入った。中にいたのは白髪混じりのかなりガラの悪そうな男だった。いかにも場数を踏んでいそうな鋭い視線が向けられる。さすがのユーリも息を飲んだ。
「ロレン、今日は頼みがあってきました。こちらはユーリ。東側に診療所を設立した例のイル・セーラです。チェリオはどこです?」
言いながらエリゼがカウンターに紙袋を置いた。重たい音がする。東側と北側を隔てる関所を通る際にクルスからなにかを受け取っていたけれど、なにを持っているのかと気になっていたところだ。
「チェリオぉ?」
ふんと鼻で笑いながらロレンと呼ばれた男が腕を組む。
「以前貴方が言っていたパドヴァンのワインですけど、それじゃ足りません?」
思わずエリゼを見た。完全に賄賂じゃないかと突っ込みたくなる。
「足りなくはねえ、十分すぎるほどだ。だが俺ぁおまえさんに払える報酬がねえ。チェリオとはこの半年会ってねえからな」
「それは困りましたね」
さして困った様子ではない。ユーリは呆れたように眉を潜めた。
「立ち寄りそうな場所とかもわからないのか?」
ユーリが尋ねると、まるで視線だけで射殺されそうなほど鋭い視線を向けられた。あまりの迫力に目が点になる。文句を言うわけでもなく舌打ちをされ、視線を逸らされた。
「闇市の裏は見たか? あいつはあの裏路地でよく客をとってる。好き者連中が挙ってあいつの品定めをするのに集まるらしい。闇市の裏手に買い物とは無関係そうな男どもが集まってる時はチェリオが客と寝てる時だ」
「えっらいあけすけなヤツだな」
「地下街で生きていくのに節操なんて気にしてられっかよ。てめえも奴隷だった頃はそうだったろう」
「そりゃそうだ。ロレンって言ったっけ。ありがとうな、探してみる」
ロレンはふんと鼻で笑った後で紙袋の中からワインを取り出した。見たこともない銘柄だ。ユーリは目を白黒させながらボトルを注視した。
「高そう」
ぼそりとつぶやくと、ロレンはじろりとユーリを睨んだ。
「流通量が少ないってだけで単価はさほどしねえ。ここから出られねえ俺たちにとっては高級品だがな」
わかる気がするとは言わなかった。たまに客が持ってくる各地の銘菓が生きる希望のひとつだったことを思い出し、見方を変えれば買収は悪いことではないのかもしれないと内心する。
「ねえ、ワインって美味しい?」
ユーリが尋ねると、ロレンは表情を変えずにじろりと視線を向けてきた。ユーリは酒を飲んだことがない。飲んだことはないが、興味はある。興味本位で尋ねたのだが、ロレンは面倒くさそうにそれを後ろの戸棚にしまってしまった。
「ガキにゃ用がねえだろうよ」
「ですって、ユーリ」
くすくすとエリゼが笑う。どう見てもあんたのほうがティーンだろと突っ込んだ。
「俺よりエリゼのほうが年下だろ?」
そう言ったら、エリゼがきょとんとした。
「言っていませんでしたっけ? 残念ながら俺は今年24になるので、ユーリよりお兄さんです」
ユーリは驚いてエリゼを見た。マジかと口の中で呟く。エリゼはどう見てもティーンにしか見えない。そう思っていると、ロレンが煩わしそうに咳払いをした。
「用が済んだらとっとと出ていきな。ここはガキがじゃれ合う場所じゃねえ」
言って、しっしと野良猫を追い払うかのように手を振った。
「ナザリオの野郎もたいがいの変わり者だが、おまえさんも大差ねえな。なにを好き好んでイル・セーラなんかの護衛を買って出たんだか」
ロレンがエリゼに言う。エリゼはユーリに視線を向けて、わざとらしく肩を竦めた。
「面白いですよ。東側の酋長という立場に物を言わせて、多くの孤児を救ってきた貴方と趣味が合うんじゃないです?」
ロレンはあからさまに嫌そうな顔をして、パラロッチャ(スラングの意)でエリゼを罵った。
「相変わらず食えねえ野郎だ」
「あはは、そういう言葉は称賛も同義ですよ」
ああ言えばこう言うと、ロレン。ユーリは端からエリゼには口で勝てると思っていない。じゃれてないで行くぞとエリゼを引っ張り、表に出た。
闇市は診療所があるノーヴェ地区とディエチ地区の丁度間くらいに位置する。闇市の裏側をのぞいてみたが、人だかりはない。ここも外れかと誰に言うともなくつぶやいて、ユーリはふうと息を吐いた。
「そりゃあ何千人といる人間の中からたった一人を探そうって言うんだから、情報がなきゃ厳しいものがあるよな」
「彼は逃げ足が素晴らしく速いので、俺がいると分かれば会える可能性は格段に減ります」
「やっぱりあんたのせいかよ。アリオスティ隊じゃなくてスカリア隊に警護を頼んだほうがここの連中には話が通りやすいってことだな」
八つ当たりのようにはっきりと嫌味を言ってみたが、エリゼはそうですねと否定をしない。それどころか、話は通るでしょうが貴方も無事では済まされませんよといつもと変わらない口調で言われてしまった。本当にそうだ。スカリア隊が警護につくとなると、合成薬物の作成を手伝わなければならないうえ、絶対に“何事もない”わけがない。
「前言撤回。話は通りにくくてもいいからあんたらに任せるほうが俺の身のためだわ」
空笑いをしながら言う。もう一度地下街周辺を捜してみるかなあとぼやきながら歩き出した時だ。重い金属的な衝撃音と破裂音が喧騒の絶えない裏路地から響いた。それもふたつだ。闇市の裏側にある路地から数名の男たちが走って出てきて、ユーリたちとは反対側へと逃げていく。ユーリはとっさにその路地へと走った。
路地に入り、細い通路を抜けた先は三方を高い壁に囲まれていた。いくつかの木箱が乱雑に積まれており、その木箱の脇にチェリオが座り込んでいる。ユーリを見るなりひどく慌てた様子で走り去ろうと駆けてくる男に思い切り回し蹴りをくらわした。男の体が勢いよく地面にたたきつけられる。ブクブクと泡を吐くさまを見て、ユーリははっとした。
「あーあァ、やっちゃった」
手加減するの忘れたとぼやき、自分の額を叩く。
「ユーリ?」
チェリオが目を瞬かせる。ユーリはすぐさまチェリオの脇に跪いた。
「大丈夫か、怪我は?」
「や、俺より、そいつ」
ガチで失禁してんじゃねえかと、びくびくとのたうつ男を見ながら呆れたようにチェリオが言う。よく見るとチェリオは怪我をしている様子などない。さっきの音はなんだったんだと不思議に思っていると、チェリオがなにかを思い出したようにユーリを呼んだ。
「そういや、俺のこと捜してたんだって? ネイロのおっさんがそろそろ顔出してやれっつってたけど、おまえアイツに抱かれでもしたのかよ? あのおっさんが肩持つなんざ相当だぞ」
「なんもしてねえよ。それより」
ふと気配がして横を見ると、エリゼがちょこんと座っているのが見えて、思わずのけぞった。
「うわっ!?」
「撒かないっていいましたよね?」
「撒いてはないだろ」
言いながら視線を逸らす。撒いてはいない。だが単独行動をするなと言われたばかりだ。気まずい。
「そ、それよりだな、あんたが前に言っていた地下街の奥にある回廊のことが聞きたくて」
エリゼを撒いたことをごまかすように、ユーリ。エリゼは呆れたと言わんばかりの表情のままでふうと息を吐いた。
「いくら気が長くて温厚な俺でも怒るときは怒るんですよ、ユーリ。貴方はまだ自分がどんな立場にいるのかを分かっていないようですね」
エリゼの圧が怖い。どう取り繕おうかと考えていると、チェリオがすっくと立ちあがり、大袈裟に両手を広げてみせた。
「じゃあさ、いっそのことスラムにぶち込めば?」
「はっ!?」
思わず素っ頓狂な声が上がる。チェリオがにいっと不敵な笑みを浮かべると、エリゼもまた小首をかしげてすいと笑ってみせる。表情こそ笑っているが、目が笑っていない。これはまずいやつだと肌で感じて、ユーリはわざとらしく痙攣している男の頬を叩く。
「それより、こいつを警邏隊に引き渡すのが先では? さっきの音はこいつが犯人なんじゃ」
「ああ、それは俺。そいつは俺が出した音にビビったのと、アリオスティ隊に睨まれるのが怖くて逃げだそうとしただけだ」
エリゼの意識をそらそうとしたのに、チェリオがにやにやと笑いながら言ってのける。マジかと口の中で呟いて、どう切り抜けようかと思案していた時だ。
エリゼがすっくと立ちあがり、見たこともないような冷たい表情でユーリを頭上から見下ろした。
「イル・セーラは同族のことしか信用しないようですし、チェリオの言うとおりスラムに収監したほうが大人しくしているかもしれませんね」
こちらはこんなに親身になって心配して差し上げているのにと、エリゼ。
「ちょっと待って、そんなことないって。それに俺はあんたを撒こうとしたわけじゃないし、もしチェリオがまた危ない目に遭っていたらって思ったら、体が勝手に」
「そうですか。俺もあなたがまた不特定多数に回されないよう細心の注意を払って差し上げているつもりなのですが、ご理解頂けず残念です」
チェリオに助けを求められるような雰囲気ではない。チェリオは悪い笑みを浮かべて壁のほうへと歩いて行くと、排水溝の蓋に突き刺さっている錆だらけの斧を引き抜いた。さっきの金属音はこの音だったようだ。
「さっきの破裂音はこの排水溝の蓋をぶち破ってやろうと思って、オモチャで遊んだ音」
チェリオがしれっと言ってのけるが、エリゼはまるで気にしていない様子でいたずらっぽく肩を竦めてみせる。
「いい例えですね、素直に爆薬と言ったら収監してやろうと思っていたのに」
「なにそれ、誘導尋問? その手には乗らねえぞ、エリゼ。そもそも使っていいっつったのはおまえなんだからな、ナザリオに言いつけてやる」
「どうぞご勝手に。チェリオがそんな危ないものを持っているなんて知らなかったんですって白を切りとおしますから」
チェリオが呆れたような表情でユーリに視線をよこす。
「半分以上おまえのせいだかんな」
「なんでだよっ!?」
「まあいいや。絶対にそのうちに10倍にして返してもらうからな。ほら、捜し物はこっちだぜ」
言って、排水溝の蓋をこじ開ける。さすがのエリゼもこちらに危害を加えるようなことはしないだろうと思い視線を向けると、こちらに銃口を向けているのが見えた。
「さあ、どうぞ。死にたくなければとっとと歩いてください」
腹に銃口を押し当てられる。エリゼの目は本気だ。撒かないと言ったのに撒いた自分が悪い。悪かったよと謝ってみたが、エリゼが許してくれる様子はない。さらに強く銃口を押し当てられた。
ユーリはエリゼに言われたとおりに、チェリオがこじ開けた排水溝を降りた。
***
「なあ、どこまで行くんだよ?」
かび臭く、湿気の多い地下道をかれこれ1時間以上歩いている。エリゼが持っていたランプのおかげで暗くはないが、生臭さとかび臭さで吐き気を催す。あと少しだとチェリオに促され、ユーリはため息交じりについて行った。
やがて勾配のある道に差し掛かった。そこを登りきるとチェリオはバックパックから取り出した道具で古びたドアのカギを開け、ドアを押した。さび付いた蝶番がきしむ。ドアが開き切るとエリゼに背中を押され、外に出るよう促される。大人しく外に出た時、ユーリは目を見開いた。
目の前にはユーリと同郷のイル・セーラがいるのだ。向こうも突然のことにきょとんとしている。
『ユーリか?』
ユーリは状況がつかめずにいた。ユーリと同じ銀髪のイル・セーラがいるということは、ここは南側のスラムだ。スラムにぶち込むというのはそういうことかと思ったら、顔が引きつった。
「あんたらなあっ」
「俺はちゃんとスラムにぶち込むって言ったぜ」
「俺も同族同士のほうが言うことを聞いてくれると言いましたよ」
ねえとふたりが声をそろえる。立場は違えど強かな性格がよく似ているこの二人は阿吽の呼吸でこういうちょっかいをかけてくる。ユーリは呆れて物が言えないとばかりに大げさに肩を竦めた。
『エリゼに連れてきてもらったのか』
いまのやり取りを聞いて理解したらしい。ユーリと幼馴染で一番仲が良いエドは、朗らかに笑ってエリゼに頭を下げた。
『ユーリがノルマと仲良くしているなんて、意外だな。ナザリオを牽制しまくってしょげさせたって聞いたぞ』
エドがくっくっと笑いながら、おまえらしいなと言ってくる。ユーリは不満げに眉を顰めて唇を尖らせた。
『どこまで話が伝わってんだよ』
『まあ、おまえが自由気ままに好き勝手やっている、という程度には』
ユーリは恨みがましくエリゼを睨んだ。そんなつもりはさらさらないし、ある程度エリゼたちの言うことを聞いてやっていると訂正する。
『ちゃんと教育してやってくださいよ、エド。俺ではもう手綱を引き切れません、手に余ります』
困ったように、流暢なステラ語でエリゼが言う。それに驚いたのはユーリとチェリオだった。
「あんた、ステラ語しゃべれるの!?」
「だからアリオスティ隊がここの管理を任されているんですよ。言語の通じない相手に身振り手振りでどう説明をしようとしても、みんな碌な目に遭っていないのだからいうことを聞くわけがないじゃないですか」
二の句を継げない様子のユーリを尻目に、エリゼがしたり顔で言う。差し入れですと背負っていたミリタリーバッグをエドに手渡す。エドは人懐っこく笑ってそれを受け取った。
『ありがとう。あとで子どもたちに渡しておくよ』
そう言ったあとであたりの様子を窺うと、エドはユーリの耳元にすっと顔を寄せた。
『外での状況もエリゼから聞いた。必要な薬草なら採取して乾燥してある』
ユーリは驚いて目を見開き、エドとエリゼを交互に見つめた。エリゼは最初からすべて知っていたのだ。わざとらしく肩を竦めてみせると、エリゼは目を眇めてユーリを見た。
「俺の情報網をなめないほうがいいですよ、ユーリ。貴方が困るようなら手を貸すようにと、主人から重々言われていますので」
エドの親はユーリの親友・クロードだ。おなじ国医でなにかとお互いが協力していたのを覚えている。だからフェルマペネムの代替品――パナケインに必要な薬草を知っていても不思議ではない。収容所にいた中ではサシャよりも年上のイル・セーラだ。それに同郷ということもありサシャとも仲が良く、例の書物を目にしている可能性もあるのだ。
サシャの口ぶりからしても、一族以外は知らないはず。となると、エドが知っていても不思議ではないけれど、――。
『ねえ、それってクロードが言ってた?』
『殺される数日前に話してくれたんだ。それまで俺も知らなかったよ。川や山で怪我をしたときや毒蛇に噛まれたときに飲まされる、恐ろしく苦い丸薬っていう以外』
ユーリがうえっと嫌そうな顔をした。
【口伝のものも?】
エリゼにバレないように、言語をクリプトーーフォルス出身の一部のイル・セーラのみが使う言語ーーに変えてエドに尋ねる。
【どれが重要なものかは聞いていないけど、希少価値の高いものから鑑みるとあれかなって推測する程度。
そもそもミクシアでは手に入りにくいかもしれないけれど、フォルスでは一般的だったし、口伝にした理由はなんなんだろうな】
【クロードとはさほど仲良くなくて、且つうちに頻繁に出入りしていた誰かさんにバレたくなかったから……とか?】
エドがどこか浮かない顔をして眉間をつまんだ。
【それはもしかすると、ユリウスでは? クロードは彼のことがあまり好きではなかったし、秘密裏に毒物の研究をしていることを警戒していた】
【ねえ、サシャがものすごーーーーーーーーくユリウスのことを嫌っているっぽいんだけど、なんか知らない?】
何食わぬ顔で尋ねると、エドが呆れたような表情になった。そういうやつだよな、おまえはと言って眉根を寄せる。
【兄貴が嫌っている理由を詮索しようとするな】
【だって気になるじゃん。めったに怒らないサシャが割と本気で怒っていたし、助命嘆願がどうのこうの言っていた】
エドを注視する。エドはどこか気まずそうな表情を浮かべて、ガリガリと頭を掻いた。
【サシャが誰のことで本気になるのか、考えてみるといい。
とにかく、サシャがユリウスのことを嫌っていて、近付くなと言っているのだとしたら、近付くな。おまえは昔から好奇心に負けて行動する節があるけど、命取りになるぞ】
なんだかうまくはぐらかされたような気がするが、エドの言い分が分からないわけでもない。ユーリ自身最初は言い伝えのこともあり警戒したけれど、そこまで裏があるようには思えないけどと内心する。
『あの丸薬の調合に必要なもので、市街では育ちにくいものは大体作ってある。
たまたま別の集落出身の子どもが熱を出して臥せっていたから、その薬の調合をすると言ってごまかした』
『わかった、ありがとう。本当だったら郊外に来る国外からの行商人に頼んで採ってきてもらおうと思ってたんだけど、後ろにいる怖い人が許してくれないだろうなって』
言いながらエリゼを見る。エリゼはなにを言われているかを理解しているくせに、自分はなにも聞こえていないししらないという態度を取っている。
『だから、危ないことをするなって』
『だって市街で採れないものはどうしようもないじゃん。もう一回フォルスに行くとか、こっそり地下街に連れて行ってもらったりすることも考えたけど、どれも現実的じゃないし周りからくそほど怒られそうで断念した』
しれっというと、エドが意想外な顔をして、ユーリの頭をわしわしと撫でた。
『怒られるかもしれないからやらないんじゃなくて、危ないからやめろと言っているんだ』
必要なものはこっちで調達するから頼むから危ない真似をするなとエドが語気を強めた。
ユーリは頷いて、表情を綻ばせた。
『エドに会ったって言ったら、サシャからいろいろ文句を言われそう』
サシャの名前を出したからだろう。エドが懐かしそうに目を細めて、静かに笑った。
【エリゼもナザリオもいい人だよ。ここにいるノルマはみんな俺たちによくしてくれる。
けれどイル・セーラは別だ。フォルス出身以外のやつらもいるし、C区以外の場所に収容されていたイル・セーラたちもいる。
だから、“ユーリ”の二の舞を踏まないように、エリゼだけには本当のことをきちんと話したほうがいい】
言語がステラ語からクリプトに変わる。ユーリははっと表情を変え、エドを注視した。エリゼにわからないようにするためのようだ。
【俺はできるだけ本当のことを話しているつもりなんだけど】
【ユーリ、これは種族間だけの問題じゃないんだ。ノルマは確かに憎い。でもその感情をいつまでも持ち続けていたところで、無駄な争いしか生まない。だから俺たちは、ナザリオたちを利用してでも生き延びる方法を選んだ。だからここにいる】
【どういうこと?】
【有り体に言えば取引だ。俺たちがいた収容所での出来事をすべてナザリオたちに話した。シリルが殺されたときのことも、なにもかも】
ユーリは信じられないというような表情で、エリゼに視線をやった。エリゼはそれを知っていて、ユーリをここに連れてきたということになる。危ない橋を渡るなと言いながらも、自分が一番危ない橋を渡っているじゃないかと突っ込みたくなる気持ちを抑え、エドの話に耳を傾ける。
【だからイル・セーラの収容所のなかでも、C区を管理していたやつらはみんな西側のスラムに入れられているはずだよ。本来ならしてはならない法律違反の性犯罪者として墨入りになっている。彼らの情報を話した条件は、ここにいるイル・セーラたちの身の安全の保障と解放だ】
そこまで言ったところで、エドは何食わぬ顔でステラ語に戻した。
『俺たちのことならなんの心配もいらない。だからユーリも、エリゼを撒いて困らせるようなことはやめてあげてくれよ』
穏やかな笑みで言われ、ユーリは肩を竦めてみせた。お手上げだと言わんばかりにエリゼに視線をやる。エリゼは楽しそうな笑みを浮かべて『もっと言ってやってください』と冗談交じりに言ってみせた。
納得がいかない部分がある。エドは収容所で両親も兄弟たちも殺され、自身も強制労働でひどい目に遭わされている。逃げられないように足の腱を切られているせいで跛行が目立つし、両腕の痕も生々しく残ったままだ。エリゼやナザリオは確かに協力的だし、信頼できない相手ではない。それはわかっている。けれどノルマ嫌いで最後までノルマに反抗的だったエドが、ほかの仲間の身の安全の保障と引き換えに、自分の信念まで曲げるだろうか?
そう考えたが、ユーリは自嘲気味に笑った。イル・セーラは生き延びることへの執着と執念がすさまじい。信念を曲げるどころか舌先三寸で渡り合うことも厭わない。だからこそ信用を失い殺されるリスクもあるが、最後の最後まで諦めない気持ちが細胞まで根付いているのではないかとおもうほどにころころと立場を変える者もいる。そんな状態だからこそ、クリプトを使うときだけは真実を語る。そのことを思い出して、ユーリはエドの背中をばんと叩いた。
【パナケインを作って、絶対にここから出してやる】
【正確な調合方法はわかっているか?】
【問題ない】
エドが微笑んで、ユーリの頭をわしわしと撫でた。
【困ったときにはおまえと同じ名前の薬草を使うといい。これだけは覚えておけ】
ユーリはきょとんとした。それは自分がユーリの名を継ぐ前のことを言っているのだろうか。不思議そうな顔をしているのにきづいているのかいないのか、エドはユーリの背をポンと叩いた。
『サシャによろしく言っておいてくれ』
そう言って、エドはエリゼから受け取ったミリタリーバッグを手に、近くの古びた建物へと入っていった。
エリゼはクリプトで話した内容について追及してくる様子がない。もしかするとエドはクリプトのことすらエリゼに話しているのかもしれない。生きるための取引と言ったが、それが自身の首を絞めることにつながらないだろうかとユーリは思案する。
「エドが言っていた薬草は建物の裏にあります。ほかのイル・セーラに悟られないように、早く持って帰りましょう」
「コレットたちに会うのはだめか?」
「俺の協力者はエドだけです。ほかのイル・セーラには詳細を話していませんし、あくまでも怖い看守の立場でいますよ。コレットとアイラならこの時間は表の畑で農作業をしていますし、子どもたち以外はほとんど表に出払っています、ご安心を」
そう言われて、ユーリは大人しく頷いた。フォルス出身者以外のイル・セーラはあまり信用するなと言われている上に、エドが自分たちと会っていたことが明るみに出れば陰でどんな目に遭わされるかわからないからだ。ユーリは目的の薬草を採りに建物の裏へと急いだ。
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