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Twelve

 今日はドン・クリステンへの中間報告の日だ。23時過ぎに軍用車がやって来るのを待つ。遠くから車の音が聞こえてきて、ユーリは窓を開けて外の様子を眺めた。運転席からいつものドン・クリステンの補佐官が下りてくる。彼はユーリに対して辛らつだ。まったくもって愛想がない。じろりと視線を向けてくるだけだ。助手席のドアが開く。降りてきたのはドン・クリステンではなかった。ユーリが目を瞬かせた。  どういうつもりなのだろうかと思いつつ、窓を閉める。彼らが部屋にやって来るのを、鍵を開けて待つ。深夜だということもあり、彼らは裏口から、忍び足でやって来る。忍び足も随分板についてきたが、部屋の隅で寝ていたジジがごそごそと体勢を変え、起きた。 『侵入者』 『違う、今日は中間報告の日だから、ドン・クリステンの代理が来ただけ』  ジジがううっと低く唸り、ドアのほうを睨む。  部屋のドアがノックされる。返事をすると、ドアを開けたのはミカエラだった。 「失礼致します。事情があり、ドン・クリステンが来訪できないため、代理の方をお連れしました」  相変わらず彼の補佐官は廊下で待っているだけのようだ。とすると、情事の声も聞かれていたんだろうかと内心する。べつにいまさら恥じるものなどないけれどと思いつつも、釈然としない。  ドン・クリステンの代わりに寄越されたのは、やたらと高級そうなブラウンのストライプスーツに身を包んだ男だった。二コラまでとはいかないものの、わりと身長が高く、典型的なノルマ族の風貌だが清潔感があり、ドン・クリステンよりも涼し気で優しそうな目元。見るからに穏やかそうで、そして人受けのする双眸は、明らかにユーリに対して敵意も、そして大体向けられる差別的で且つ好色そうな意図がまったくない。目の色がほんの少しだけ、二コラやキアーラたちとは違うだろうか。どちらかといえば、ドン・クリステンたちのような、サマーグリーンのようにも見える。こんな人が軍部にいたのかと、ほおと声をあげる。 「ミカエラ、この人は?」 「軍医団第二部団長のドン・フィオーレです」  ユーリがきょとんとする。彼は嫌な顔ひとつせずに前に出て、ユーリに手を差し出した。 「アルテミオ・フィオーレだ。ユーリと呼ばせてもらってもいいかな? 俺のことはアルテミオで構わない」 「え、でもさすがに立場が」 「俺は個人的にここにきているんだ、身分も立場も関係ないよ。きみとは収容所で幾度か会っているが、覚えてはいないかな」  そう言われて、邂逅する。そういえば、ひとりだけやたらと甲斐甲斐しく世話を焼いてきた人がいたような、――。  いまは部下もいないしミクシア市街でもないからフラットな関係で、そうでないときはドン・フィオーレと呼べということなのかと判断する。ナザリオが教えてくれて、チェリオに勘違いを訂正されたハンドシェイクだろうと思い、アルテミオとは逆側の手を差し出そうとした時だ。ジジが唸り、飛び掛かってきた。  ジジのナイフはアルテミオに届くことはなく、ミカエラがナイフを蹴り落したあとで宙に浮いたナイフをいとも簡単にキャッチし、足を換えて靴底でジジの腹を蹴り上げた後にそのまま足を引いて、勢いよく腹から床に捻じ伏せる。ものすごい体幹の強さだ。いままでは大体手を使っていたというのに、最初から足だったことにユーリが唖然とする。 「あんた足癖くっそ悪いな」 「ナイフを持っている相手に手で向かうのは非効率です」 「すまないね、准将殿。ジョスが言っていた番犬とは彼のことか」  これは顔を覚えてもらえるまで通う必要があるなと、アルテミオが苦笑を漏らす。ジジがミカエラの足の下でバタバタと暴れ、アルテミオを睨みつける。 『こいつ強い。戦う』  ミカエラが無表情のままジジの身体を踏む足に力を籠める。 『大人しくしていろ』 『嫌だ、戦う』  ジジを見下ろすミカエラの視線が冷たくなったからか、ジジがううと唸ってアルテミオから視線を逸らした。 『壁際に行って黙っていろ』  有無を言わせない迫力に、ジジは不承不承と言った感じで頷いた。ミカエラが優秀だというのは本当だと思う。少し第一言語の発音の仕方を教えてやっただけなのに、ジジに指示を出せるほどになっている。ジジがじたばたしなくなったのを見計らい、ようやくミカエラがジジの背中から足を外し、解放する。ジジはアルテミオを見やって唸ったが、ミカエラに名前を呼ばれ慌てていつもの寝床に戻っていった。 「躾が行き届いておらず、申し訳ありません、ドン・フィオーレ」  端的にミカエラが言う。アルテミオはいやいやと苦笑を漏らしながらジジを見やった。 「彼はプロエリムだろう。忠実に主人の言いつけを守っただけだ。俺は彼にとって足音もにおいも知らない侵入者だからね」  そもそも俺は医師だから戦えないよと、ジジにホールドアップして見せる。その一言でユーリはこの男がやはり一癖あることを悟る。軍医団二部の団長が戦えないわけがないからだ。 「戦えないのに、二部とはいえ団長に任命されるなんざ、ほよど信頼が厚いんだろうなァ」  アルテミオは涼し気な目元に笑みを深めて、そうだねと何食わぬ顔で言った。 「ジョスがこちらに戻ってきて、軍医団長に就任するとともに第二部が設立された。俺たちは補佐的な役割を担う。戦えないのは本当だよ、オレガノと同じく交戦権がないんだ。有事の際しか許されていない」 「なるほど、あんたもドン・クリステンの忠実な飼い犬ってことか」 「飼い犬かどうかはわからないけれど、友人のつもりでいるよ。オレガノから戻ってきたきな臭い男を狙う輩が多いんだ。きみも聞いたかもしれないが、『左目の下に泣きぼくろがある男』が西側の各地で目撃されている。先日ドン・アゴスティが襲撃された場所でもね」  そう言って、アルテミオはミカエラに指示されたとおりに椅子を引き出してそこに腰を下ろした。その目撃例の話はいくつか聞いた。明らかにミスリードを狙っているのか、それとも本人なのかは知らないがと、アルテミオが言う。 「まあ、ジョスがそうするとしたら、日中はピエタと軍医団の統率を、日曜と水曜の夜にはこうしてガッティーナを揶揄いにやって来るのだから、いったいいつ別の組織とやりとりをして動いているのか……という話になる。ジョスの補佐官が常に彼と行動しているのだから、彼を知る者はその泣きぼくろの男がジョスではないとすぐにわかるのだけれどね」 「別の奴がなりすましている、ってこと?」  アルテミオが薄く笑う。 「記録で読んだが、きみたちを買った奴隷商人は、ある上流階級にきみたちを売ったのだそうだ。エヴァルド・ヴェロネージ……といえば、わかるかな?」  エヴァルドというのは、以前ジャンカルロが言っていたように記憶している。ユーリは口元に手を宛がった。 「ピエタのドン・ヴェロネージと、おなじ名前?」 「そうだ。彼はその当時、以前きみが拒否反応を示したというアジェンテに所属していて、左側の額から右目の眉尻に掛けて大きな傷と、手のひらにやけどの跡がある」  記憶の糸をたどるが、連想される相手の顔が思いつかない。ユーリはすぐに眉間にしわを寄せて顔を覆った。 「ダメだ、記憶にない」 「じゃあひとつ頼みがある。あくまでもこれは、ジョスを守るためだ。きみが嫌なら協力をしなくてもいい」  きっときみにとっては辛いことだろうからねと、アルテミオが言う。 「ところで、彼は?」  そう尋ねると、アルテミオがにこやかに笑った。 「屋敷で眠っているよ。リュカくんと准将殿が開発した新型の睡眠薬を少し飲ませてみた」  驚いてミカエラを見たら、ミカエラはしらっとした表情で視線を逸らした。 「あんたもグルかよっ」  すぐにピンときた。こちらにはやるなよと言っておいて、自分だけなにを楽しい実験をしているのだと思い、睨む。 「覚えてろ、絶対にあんたにも盛ってやるからな」 「ご勘弁を。割と扱いが難しく、且つ独特な味をごまかすのに自分の鼻と舌が犠牲になりました」  そういえば、微妙にミカエラは鼻声のようだ。 「彼に危険が及ぶとオレガノも困るのです。国交正常化交渉には彼の存在は不可欠。ですがおそらくそれを嫌って、彼を貶めようとしている連中がいるのだと踏んでいます」  ドン・クリステンはアレクシスとベアトリスが厳戒態勢を敷いて見張っていますと、ミカエラ。ユーリは釈然としない表情をそのままに、ベッドに腰を下ろした。  アルテミオが提案したことの続きを促す。 「その『左目の下に泣きぼくろがある男』に接触をしてみてほしい」  ユーリが怪訝そうな顔をした。 「ミクシアに戻れ、ってこと?」 「日曜の夜と水曜の夜、そして毎月7日以外ジョスは夜に出歩かない。軍用車を尾行するとバレるからなのか、それともすでに行き先を知っていて泳がせているだけなのか、ここに組織が来ることはないだろう。ガブリエーレ卿の領地だ、なにかあればとんでもない仕置きが待っているからね。  そのパターンを利用してか、左目の下に泣きぼくろがある男が目撃されるのは、決まってジョスが街にいない日だ。そうなれば必然的に彼の行動パターンを把握している人間が成り代わっているとも受けとれる」 「毎月7日の夜って?」  ユーリが問うと、アルテミオが肩を竦めた。 「奥方の月命日だ。貴族でありながらのどかで静かな風景を好む女性でね、俺も面識があるけれどそれは美しい人だったよ」  そういえば印象が少しきみたちにいているかもしれないと、アルテミオが言う。 「ミクシア市街の森の中に彼女の墓がある。通常ならもっとアクセスのいい場所を選ぶのだろうけれど、アルマに感染していなかったとも限らない状況だったこともあり、そうせざるを得なかったようだ。  当時の彼の補佐官が、彼女のご遺体に対する仕打ちを俺に訴えてきたことがあるのだけれど、それはひどい有様だったよ。『死に目にも遭っていない、彼女の姿を見ることもできなかった』とよくジョスが言っているが、見なかったほうがいいとまで思う」 「結局、アルマに感染して亡くなったの?」 「いや、おそらくは心臓が持たなかったのだろう。あとは微量の毒物を盛られ続けた反応があった」  ユーリが弾かれたように顔をあげる。 「もしかして、ノルマ語で言ったら『グラドゥメル』?」  アルテミオが静かに頷く。ユーリはまた口元に手を宛がった。視線をさまよわせ、考える。ベラ・ドンナとグラドゥメルは似ているが、後者のほうはじわじわといたぶるように相手を死に至らしめるのに使う。摂取量がピークに達したときの症状は同じく紫斑、異様な拍動、そして喉の渇き。ハッとする。そういえば、ミカエラも喉元を掻きむしったような爪痕があった。 「ねえ、西側で意識を失う前に、喉がおかしかったって言ったよな?」 「単に風邪気味だったので、そのせいだと思っていましたが」 「ベラ・ドンナには刺激性がない。だから揮発したものを自分が吸ったかどうかもわからないんだ。でも喉に炎症があったり、気管や肺が弱かったりする人にとってはベラ・ドンナを易含む空気のわずかな乾燥に反応して咳嗽反射が出ることがある。それだけじゃなく、もしも西側の土壌の関係や、スラム街を出るために必ずそこを通ることを見越して、グラドゥメルとか、時間差で現れる易刺激性を引き起こすためのなにかをしこんでいたとしたら、――」 「西側を離れベラ・ドンナの効果が薄らいだとしても、グラドゥメルなら診療所にも大学にもある。治療と称してそれを服毒させれば、街に徐々に感染が広がってきたように錯覚させることができる」  アルテミオが目を細める。やはり予想通りかと言って腕を組んだ。 「グラドゥメルが毒だと知っているのは、ある一定の年齢層以上だね。あれはたしかファントマが猛威を振るった時に使われたが、副作用により紫斑が現れたり突然死する人が相次ぎ、使用そのものが中止された」  なぜきみはそれを? と、アルテミオが尋ねてくる。 「リュカの古文書コレクションを読み漁ったら、そのときにグラドゥメルの記述が。昔父親からも聞いたことがある。あれを打ち消すのは、たしか」  ユーリはあっと声をあげた。カルケルが含まれる水――つまりあの温泉水だ。もしかして地下街のあの場所は、本当にフォルスに通じていて、“ユーリ”はあそこでひそかに研究をしていたんじゃないかと考える。だとしたら、あの一つだけ言語の異なるものは何なんだろう? “ユーリ”が第二言語を知っていた? それとも第二言語を使うであろうユリウスが書いたものを、ユーリが隠していた? 考え事をしながら無言のまま室内をうろうろと歩き回る。  あの日――収容所に連れて行かれる数日前、なにがあった? ユリウスと、それから数人の男がやってきて、“ユーリ”となにか話していた。最初は普通に話していたから、自分とサシャもリビングにいた。けれどなにかをきっかけに雲行きが怪しくなって、サシャに連れられて地下室へ降りた。  上から聞こえる怒声と、大きな物音。“ユーリ”の痛みに喘ぐような声が聞こえてきて、地下室の入り口を壊そうとするような音に怯えて、サシャにしがみついて泣いたのを思い出す。  やがて音が止み、車が走り去った。殴られて血だらけになった“ユーリ”が地下室に降りてきて、地下通路を通ってクロードとディアナを呼んでくるようにサシャに言った。サシャが二人を呼びに行ったあとで、“ユーリ”から言われた。おまえは今日から“ユーリ”の名を継ぐように。ノルマにも、一族以外のイル・セーラにも、本当の名を知られてはいけないと、まるで切羽詰まったかのような顔で言われた。  アジェンテの制服を着た男がふたたび押し寄せてきたのは、その数日後だ。寝る前だったこともあり義足を外していた“ユーリ”は簡単に捻じ伏せられ、逃げられないように両手をナイフで床に縫い付けられたまま『なにか』の在処を尋ねられていた。「そんなに必要なら自分たちで探せ」とユーリが言ったあとで、地下室に逃げ込めないようにアジェンテに捕まえられていた自分とサシャに、好色そうな視線が向けらえた。  その男は、ユーリを別の名前で呼んだ。アマーリア。母親の名だ。自分の前の前に立ちはだかった男は、額に包帯を巻いていた。大きな手が伸びてくる。手のひらにはまるで炎のような大きなやけどの痕、――。ざわりと体が凍り付くような寒気に襲われた。  どくんとひどい動悸が打つ。喉が詰まったように息ができない。苦しい。まったく息を吐くことができず、目の前がかすむ。倒れると思った時、誰かに身体を支えられ、口元になにかを当てられた。紙袋だ。大丈夫だと背中を擦られる。  凍り付くような寒気がじわりと残っているが、さっきのような感覚はない。意識的に呼気をゆっくりするよう言われ、ユーリが息を吸うと同時に紙袋を口元から外され、吐くときに口元に宛がわれる。袋の中はほんのりとハーブの香りがする。徐々に呼吸が落ち着くのを感じていると、向こうでミカエラがジジを押さえている声がした。 『落ち着け、ジジ』 『あいつ、悪いやつ。Sig.オルヴェに触った』 『ジジ!』  ミカエラの制止を振り切って、ジジがアルテミオに襲い掛かる。ジジの手がアルテミオのスーツにかかりそうになった瞬間に、ミカエラがジジの腕を勢いよく引いてアルテミオから距離を取らせた。そのままの勢いでジジの頭が自分側に来るように背中から床に叩きつけた。ジジを後ろから羽交い絞めにして腕で首を絞める。途中までジジが呻いていたが、そのうちにだらんと腕が落ちた。 「落とすなっ」 「暴れ出したらこれしか対処法がないんです」 「准将殿はさすがにお強い。体術はオレガノで?」  さわやかに問われ、ミカエラがジジの両手を後ろ手に拘束しながらはいと頷いた。ジジのあの剣幕で襲い掛かられて顔色ひとつ変えないのもなかなかだと思いつつ、呼吸を意識する。すこし動悸が治まり、しっかりと息を吐き出せるようになってきた。 「呼吸が落ち着いたら少し前かがみになる状態でゆっくりしておくといい。すまないね、想像していたよりもきみが背負っているものは大きいようだ。この計画は中止しよう。きみになにかがあっては元も子もない」  ユーリはアルテミオの腕を掴んだ。やらせてと告げる。やや弾んだ呼吸のまま、強くアルテミオを見つめる。 「俺が思っていたとおりなら、軍医団そのものを内部から崩壊させるつもりなのでは?」  アルテミオが意想外な顔をしたあとで、さわやかな笑みを深めた。 「想像以上の凸凹コンビだな、きみたちは」  上品に笑い、アルテミオがユーリの背中を撫でる。 「ならば一度打ち合わせをしよう。きみのお友だちには『人を疑うことを覚えるように』忠告しておくといい。鈍いわけではないのだろうが、ジョスの偽物に気付かないようでは補佐官には向かないかもしれないね」  ユーリがあからさまに嫌そうな顔をしたのに気付いたのか、アルテミオはゆっくりと立ち上がり、椅子に腰を下ろした。 「どうして彼らはアレに気付かないのだろうね? 俺とジョスの付き合いは長いとはいえ、纏う雰囲気も、においも、なにもかもが違うのに」  落ちていたはずのジジがううと唸る。すかさずミカエラが首根っこを掴んだ。なにか言いたそうな表情のなのに気付いて、ユーリが話を促した。 『フェリスの実のにおい』  フェリス? とユーリが問い返す。 『偽物の香水、フェリスの実のにおいに似ている。フェリスは気の高ぶりを押さえ、判断を鈍らせる』 『人の顔程度ならある程度ごまかせるってことか?』 『足音、声色、喋り方、アクセントを聞き分けるのと、においを確かめるのはおれは得意。でも普通じゃ無理。フェリスはプロエリムでも嫌う』  ミカエラが驚きを隠せないような顔をした。ほとんど表情を崩さないからだろう。ドン・フィオーレがどこか満足げに笑みを描く。 「まさか准将殿がそこまで驚かれるとは。彼がなにか核心に触れるようなことを?」 「少し前まで単語レベルしか喋れなかったからな。夜な夜な暇だから仕込んだ」 「ステラ語でもあんなに発音が怪しかったのに」 「ノルマ語もすこししゃべれる」  ふんすと鼻息を荒くして、得意げにジジが言う。ミカエラは目を細くしてジジを冷たく睨むと、胸倉をつかみ上げた。 「だったらちゃんと言うことを聞け」  ジジはしらっとした顔でミカエラから視線を逸らした。言うことを聞く気がない意思表示だ。すぐにミカエラがジジの首に腕をかけて締め上げる。 「まあまあ。それで、彼はなんと?」 「軍医団の連中が気付かないのは、他人の判断を鈍らせるフェリスの実のせいではないかと」  フェリスの実とアルテミオが反芻する。さすがにそんな実の名前を聞いたことがない。ラカエルなら知っているかもしれないと思いたつ。 「ここに薬草学者がいるんだ。朝になったら聞いてみる」 「そうか、頼んだよ。その実のせいだとしても、そうでないにしても、『本当に顔が同じなら』厄介だからね。新しい番犬くんは優秀なようだけれど、役目を解かれた元番犬くんはあまりにジョスを信じすぎる」  役目を解かれたと聞いて、嗤笑する。だから最近まったく二コラが姿を見せないのかと内心した。もう数日以上二コラを見ていない。数日に一度は来ていたというのに、物資の補給にも来ないものだから、情事の現場を押さえられたせいで、ドン・クリステンからじわじわと嫌がらせをされているのかと思っていた。 「ドン・パーチェが考案したとされるあの癖字も、ステアゾラムも、普段のジョスの行動を見ていれば怪しいと思いそうなものだけれどね。ジョスはドン・パーチェと死ぬほど仲が悪いから、彼の息がかかったものを持って行けと言うはずがない」 「そんなに仲悪いの?」  そう尋ねると、アルテミオはまるで喜劇をテーマにしたシネマトグラフでも見る前のように胸を躍らせるような笑みを浮かべた。 「素晴らしく悪いんだ。ひりひり焼き付きそうな雰囲気の中で着実にメンタルをやられている隊員たちをよそに、きみの元番犬くんは表情ひとつ変えないままに黙々と自分の仕事をしていてね。あの妙にミスマッチでいつ着火するかわからない雰囲気を見るのが好きだったんだけれど、ドン・パーチェはいま収監中だからね」  よくもまああんなに仲たがいできるもんだと思うよと、アルテミオが言う。この人も大概だ。アルテミオが楽しげに笑う。 「明日にでもSig.カンパネッリをこちらに寄越そう。7日の夜にミクシア市街に出る算段と、それから前日までのジョスの行動と偽物の行動を洗うように伝えておく。  きみは……そうだな、過呼吸発作に効く薬でもリュカくんに作っておいてもらったらいいかもしれないね。本物と偽物を比較するためとはいえ、倒れて捕まってしまったら元も子もない。敵の懐に入り込むような無謀な賭けだ。  くれぐれもジョス本人には言わないように。俺が叱られるのは構わないが、きみは彼の逆鱗に触れたくはないだろう?」  彼は怒るとしつこいぞとなにかを見透かされたかのように言われる。ユーリは冷ややかな笑いを浮かべて「ご忠告どうも」と告げた。普通にしていてもユーリにとってはしつこく、かつサディズム全開の攻め方をしてくるのだ。そもそも自分との情事を部下に見せつけるなど正気ではないと思う。それが二コラに対しても、自分に対しても嫌がらせとけん制を兼ねているのだとしても、だ。 「二コラからなにか聞いた?」  アルテミオはにこりと笑ってミカエラを呼んだ。 「准将殿、申し訳ないがジジを連れて少し席を外してもらえないだろか」  ミカエラは「承知致しました」と言って、嫌がるジジを引きずっていく。「Sig.オルヴェのそばにいる」と言って聞かないジジに、ミカエラが一言だけ「ツナ入りフリッタータ(オムレツ風の卵料理)」というと、見えない耳としっぽがぴんと立つような幻覚が見えた気がした。足取り軽くジジがミカエラについていく。 「ねえ、フリッタータに負けたんだけど」  全然忠実な番犬じゃないじゃんと苦笑を漏らす。アルテミオもまた、プロエリムだからねと微苦笑を漏らした。 「ユーリはいつからこのきな臭さに気付いていたんだい?」  アルテミオが言う。ごまかそうと思ったけれど、彼はおそらく信用に値する。ノルマだけれど、ノルマっぽくない考え方と感覚が気に入った。 「エルン村のことがあってから……かな。中和剤の論文を書いたけれど受理されなかったうえに、フェルマペネムの件も偽造だなんだって言われるし、逆におかしいと思わないほうがおかしいだろ」  そういう意味では二コラはおかしいと端的に言ってのける。 「彼は真面目過ぎるほど真面目だし、陰謀などないと思っているからね。ただ、ジャンニのことがあってからじつは彼もなにかが怪しいと思っていたようだ。国医である彼があのような惨殺をされるなど、まず有り得ない。あのとき、収容所で重体だったのはきみだろう、ユーリ」  なにがあったか覚えているか? と問われ、聞いた話だけどと前置きをする。  要人に抱かれる際、奴隷が顔を覚えないようにまず薬物を嗅がされる。酩酊状態になってから看守が下準備をして要人に引き渡すのが通常だけれど、その日は薬物を嗅がされ酩酊状態になったところで引き渡せと要求されたらしく、多額の献金を受け取って看守がそれに応じた。  看守たちはしばらくの間いつものようにその要人にユーリが犯される声を聞いて楽しんでいたらしいが、そのうちにユーリが尋常ではない絶叫をあげた。プレイ中は決して開けてはならない規則になっているが、それが何度も続くために扉を開けるとその要人が泣き叫ぶユーリに焼印を押し付けているところだった。  通常性奴隷と雖も共用なのもあり、みだりに傷を付けたり印をつけることはタブーだったが、その要人は多額の献金を看守が受け取ったことを逆手にそれを隠ぺいさせた。診療医や軍医に処置を頼むとその火傷のことがバレてしまう。それでたまたま付近を診療していた国医に看守が頼み込み、治療をさせた。その時に治療をしてくれたのがジャンニ・カンパネッリ――二コラの父親だ。傷が深く痕が残ること、裂傷がひどくしばらくは客を取らせないことを了承させたうえで治療を行い、いくつかの薬を処方して収容所を出た。彼が襲われたのはそのあとだと聞いている。 「その時の傷を見せてもらっても?」  ユーリは立ち上がってベルトを寛げ、デニムのトップボタンを外した。デニムを少し下にずらし、服を胸元まで捲りあげる。ユーリの腰骨あたりから背中にかけて、派手なやけどの痕がある。自分ではあまり見たことがないが、初めて二コラがこれを見たあとに切なげな表情で散々甘やかしてきたのを思い出す。アルテミオが近付いてくる。まじまじとそれを見たあとで小さく息を吐いた。 「きみの母親の名はアマーリアだったね?」  頷く。もういい? と尋ねると、もう少しだけと言われ、やけどの痕を注視される。 「アマーリア・シャムシュ。平和の象徴である炎と、片翼か」  考えたなとアルテミオの声色が変わる。ユーリはアルテミオを振り返り、少しだけ服を下ろした。 「見ていてあんまり気持ちのいいもんじゃないだろ」 「そうでもないよ。学者には様々あるからね。俺は医師でありながら考古学も趣味で嗜んでいる。シャムシュ王朝なんて魅力的だよね」 「なんだっけ、それ」  歴史興味ないと面倒くさそうな声色で告げる。後ろでアルテミオが上品に笑う声がした。 「オルヴェはステラ語で『神の翼』、シャムシュの名を隠すのに丁度いい苗字だとは思わないかい?」  ユーリは白けた声色で腕が疲れたと言って服を戻すと、寛げていたデニムとベルトを整えた。 「そのへんは俺の専門外。考古学が好きなら別の人に聞けば? ミカエラもそういうの好きそうだったぞ」 「背中の焼き印になにも意味がないとでも思っているのか? その存在を彼には言わないほうがいい、オレガノ、ミクシア間に亀裂が入る可能性大だ」  言われて、ユーリは思いきり嫌そうな顔をした。そういえば、アレクシスもそんなようなことを言っていた気がする。あれはただ、火傷のあとのひどさに驚いて言っただけなのだろうけれど。 「最低、そういうの先に言ってよ」  だったら見せなかったのにと文句を言うと、アルテミオがゆっくりと立ち上がりながら理由を言えば見せてくれないだろうと笑いながら言った。 「少なくともその要人は、ユーリが第一王族の末裔であると睨んでいたのかもしれないね。だから“しるし”をつけた。たとえきみがすり替わってもわかるように。せめてそれが誰だったのかが分かればいいのだけれど」 「どれが誰かわからないけど、俺を手酷く抱いて行ったのは、ドン・レゼスティリとドン・コヴェリ、それからレ・デューカってやつ」 「なぜそれを? 薬で酩酊状態にされていたのでは?」 「仲良くなった看守を“接待”して吐かせた」  意味ありげににいっと笑って言うと、アルテミオがなるほどと表情を変えずに呟いた。 「きみは危ない橋を渡るのが好きなようだ」 「そうね、わりと。なんかもう、毎回言われるたびに飽きてきたんだけど、そんなに旧王朝の末裔って貴重なの? 普通に生きてるだけなんだけど。そんなことで狙われるなんて、ものすごく迷惑なんだけど」  「面倒くさいからオレガノに寝返って、ミクシア滅ぼしてくれって言っていい?」とひょうひょうとした態度で言ってのける。アルテミオは「それは困るな」と笑って椅子に座りなおした。 「事実かどうかは確認する術がミクシアにはない。ただその背中の火傷の痕を見るに、相手はそう睨んでいるのだろうね。単に自分のものにしたいがために付けた刻印にしては大きすぎるし、大掛かりだ。  確認だけれど、きみの兄――サシャにも似たような傷を付けられた形跡はなかったかな? あるいは、もうひとりきみの兄弟がいる、とか」 「サシャ? さあ。見る限りでは、犬にかまれた傷痕と、強制労働に出された時の鞭の傷痕くらいしかなかったと思うけど。きょうだいがもう一人いたなんて話はしらない」 「なるほど。だとすると、その火傷の意味はきみともうひとりがすり替われないようにしたわけではなくて、単純に羽を炎で巻く……つまり、きみを掌握するという意味、かな。アマーリア……たしかに彼女は綺麗だったけれど、妙な連中との関わりはなかったように思えるけれど。一方的に目を付けられたやつかな、この場合は」  きょとんとする。知ってるの? と尋ねると、アルテミオは薄く笑って首を斜めに傾けた。 「俺は考古学者でもあると言っただろ。興味があってフォルスには何度か訪れたことがある」  ユーリは急に表情を明るくさせて、テーブルに両手を突いた。 「ねえ、アマーリアってどんな人だった?」  亡くなったのは小さい頃だから、全然覚えてないんだと告げる。アルテミオは急に子供らしい一面を見せてきたなと笑って、目を伏せた。 「そうだね、清楚でいておとなしい感じの、けれど表情と言葉が叙情的な女性だった。先代には軍医時代によく世話になってね、野営に赴いたときに蛇が出ると彼が真っ先に捕まえに行ってくれていた。その誼もあって、度々あそこには訪れていたんだ。もちろん、きみが産まれる前の話だけれどね」  ミクシア軍は中流階級層以上の人間で構成されているから、蛇なんて見たことがないからみんな怖がるんだよと、アルテミオ。そういえばフォルスでも蛇が出たら“ユーリ”は喜んで捕りにいっていたのを思い出す。毒蛇ならなおさら嬉しそうで、蛇が苦手なユーリはぎゃあぎゃあ言ってサシャの後ろに隠れていた。 「それだけでなく、彼の医学的知識には舌を巻いた。オレガノにもいたことがあると言っていたよ。けれど風土が合わないことと足のことで移住を断念したそうだ。オレガノは場所によっては割と起伏の激しい地形があり、義足の先代には難関だったようだね」 「“ユーリ”が義足だった理由、そう言えば聞いたことなかったかも」 「アマーリアを庇って怪我をしたのだそうだよ。落盤事故で、岩に足を潰されて身動きが取れないものだから、アマーリアが助けを呼びに行って戻って来るよりも自分で切ったほうが早いと判断して切った……と」  えぐっとぼやいて椅子に腰を下ろす。 「それからアマーリアは先代の世話をするようになって、そのまま一緒になったのではないかな。そのうちにサシャが、そしてきみが生まれたのだと、そこまでは知っている。  彼女は料理が少し苦手だったみたいだけれど、ハーブティーを作るのは上手だと先代がよく言っていた。イル・セーラは細かいことを気にしない質なのだと笑ったことがあるよ。ノルマ族は基本的には女性が料理を作るのが当たり前だから、料理の苦手な女性はあまり好まれない傾向にあるからね。上流階級や貴族は別だけれど」  でもねと、アルテミオが声を潜める。 「ヴァシオというイル・セーラが、サシャの出生のことで先代を脅していたようなんだ」  ユーリは怪訝な顔をした。研究仲間だとばかり思っていたからだ。 「アルマを封じ込めるために、オレガノに“ユーリ”がユリウスを頼って行ったって聞いていたけど」 「そのあたりのことは知らないけれど、俺の部下が先代がヴァシオと揉めているのを見たことがあると言っていた。サシャを渡す、渡さないでね。そのうちにきみが産まれた。そのときにはたしかヴァシオはフォルスにはいなかったと思うが、アマーリアが亡くなり、彼が再びフォルスに戻ってきたときに、なにがあったのか先代たちがフォルスには住人以外の出入りを禁じた。だからそれ以降のことは、俺も知らないんだ」  ユーリはふうんと言って椅子の上に足をあげた。腕を組んだ上に顎を乗せる。  サシャはなにかを知っていたのか、ユリウスに対していやに辛辣だった。アマーリアのことはほとんど知らないけれど、クロードやディアナからだんだんアマーリアに似てくると言われて育ったものだから、顔は似ているのだと勝手に思っている。 「俺とアマーリアって似てる?」  アルテミオに尋ねると、アルテミオは邂逅するようにそっと目を伏せた。 「そうだね、とてもよく似ている。髪が長かったら、本当にそっくりかもしれないね。きみとおなじような少し癖のある髪だったし、朗らかな人柄は、彼女がそこにいるだけで空気感を変えていたように記憶している」  そうなのかとつぶやく。写真も残っていないから、顔も、雰囲気も知らない。ただ、自分の記憶の中におぼろげに存在しているアマーリアは、確かにそんな感じだ。“ユーリ”といつも一緒にいて、穏やかで、優しそうで。ふたりが喧嘩をしたのを見たことがないけれど、“ユーリ”がときどき家に持ち込むエグイものを見ては、俺を連れて遠巻きに眺めていた。その影響で蛇とか、毒蜘蛛とか、そういうものが自分も得意じゃないのかもしれないと思う。   ぼんやりと考えていると、アルテミオがそうそうと声をあげた。 「元番犬くんはきみがジョスに抱かれるのを好ましく思っていないようだよ。一定期間のことだと教えておいてあげたほうがいいかもしれないね。ジョスも反応がおもしろいのをいいことにおもちゃにしているようだ」 「ニコラには言ったところでわからない。おまえは奴隷じゃないって怒鳴られて終わり。駆け引き苦手なんだよ、あいつは」  出世しないタイプだと揶揄するように笑うと、アルテミオはどこか企みのある、それでいてすべてを理解したようなさわやかな表情になった。 「きみは案外自分のことになると疎いね。その『奴隷じゃない』の心意は、奴隷だったころのような真似をするな……ということでは?」 「取引になにを使ったってこっちの自由だ。それに二コラは家を継ぐ身なんだし、そろそろ本気で将来を考えたほうがいい。上流階級だし、軍医団の一員だし、顔は怖いし不愛想だけれど一度懐に入れたら後生大事にするタイプだから、そんなにモテないこともないと思うけど」 「それ、本気で言っているのかい? 俺はきみの元番犬はきみを囲いたいのだとばかり思っていたが」 「は? 俺を囲ってもなんのメリットもないだろ、いつでもセックスできるくらいで」  それがメリットっちゃメリットかと鼻で笑う。アルテミオはまた楽しそうに笑うと、これは本当に平行線だなと誰に言うともなくぼやいた。 「かわいそうなSig.カンパネッリ」 「かわいそうなのはこっちだわ。  奴隷だったころは手酷く扱われるセックスが普通で、体中撫でまわされるなんてされたことないのに、あいつときたら乱暴に扱うどころか愛でるように抱きやがって。あんなのを覚えさせられたせいで、自分に妙な癖があることを発見してしまった」  最悪だと吐き捨てる。  俺なら自分の恋人にこんな暴露をされたら耐えられないと、アルテミオが演技がかった口調で泣くようなそぶりを見せる。恋人と言われ、ユーリはきょとんとした。 「彼、なんとも思っていない相手を、上司に逆らってまで守ろうとするタイプじゃないよ。  それに、Sig.カンパネッリは慈しみ、愛でるのはビスチェだけだと揶揄されるレベルの堅物で、社交界のパーティーで上流階級の女性に言い寄られても、胸を押し付けられてもスルーしてしまうような人だからね」  ある意味で尊敬するよと、アルテミオが言う。 「前にそういう話になった時、フレオがふくよかな女性が好みだから、上流階級の女性がパーティーで着るドレスで迫られたらたまらないって言ったら、二コラがものすごい顔をしていたんだ。  『ああいうウエストをコルセットで締めるようなタイプのドレスを着て似合うのはキアーラのような上品な女性で、やたら胸を強調するように胸元を開いた女性は下心しかない』って真顔で言うもんだから、むっつりスケベって揶揄いまくった」  そも女性のドレスの構造なんて脱がしたことがなけりゃわからないだろとユーリが言う。それに二コラは自分とセックスするときには必ずのように胸を責めてくる。弱いからやめろと言っているのにやめてくれないとこぼすと、アルテミオがまたかわいそうにと言って微苦笑を漏らした。 「どうしてきみはそれを素直に『愛でられている』と感じないのだろうね」 「そういうセックスには慣れていないから、余韻が嫌なんだよ」  二コラとセックスしたあとはずっと腹が重いと言ったら、アルテミオが両手で顔を覆って溜息を吐いた。 「あまりに不憫すぎる」 「なんでだよっ? 不憫なのはこっちだって。そもなんで二コラへの嫌がらせも兼ねてドン・クリステンに抱かれる羽目になったか、聞いてくれるっ?」  あいつひどいんだよとアルテミオにクレームを言う。  ――体罰は好みではないから精神的に追い詰めることにする。ドン・クリステンに黙って地下街に物資を運んでいた二コラに対して、ドン・クリステンが言った。それはこちらに来てすぐのことだ。  二コラが一番嫌がること、すなわち所有物に手を出されることだ。ビスチェに罪はないからと、素直に言うことを聞いて投降しなかったユーリに対してと、上司に黙って諸々と勝手な動きをしていた二コラに対する罰と嫌がらせを兼ねて、定期報告の日に抱かれることになった。それも報告を聞いてもらえるのはドン・クリステンとのセックスの間だけ。  奴隷だったから痛めつけるようなセックスや乱暴なセックスでは物足りないだろうと言って、全身散々愛撫されたうえで、少し強引だけれども愛でるように抱かれる。それも二コラに付けたキスマークのこともなぜかバレていて、イル・セーラが相手にキスマークを付けるのはある意味儀式的なことだと知っておきながら、自分にもキスマークを付けるように強要する。それはそれで『しるし』なのだけれど、付けるほうも付けられるほうも恥ずかしくてたまらないとユーリが明け透けに言ってのける。 「ジョスは立場的に女性を囲えないし、楽しんでいるんなら付き合ってやってもらえるとありがたい」 「定期的に奥を抜こうとするのだけはやめてくれって言っておいてもらえない?」  二コラにされるのはいいけどほかの人にされるのはなんか嫌と言いながら腹を触る。アルテミオは顔色ひとつ変えずにさわやかに笑って両手を広げた。 「それは俺からは言えない内容だな。彼の補佐官が話を聞いているだろうから、彼経由で言ってもらったほうがいいかもしれないね」  ただまあ、嫌がらせも兼ねて更に責められること請け合いだけれどと、アルテミオが言う。だよなァと同意して、ユーリはふうと息を吐いた。 「まあ気持ちいいし、飼われるって言ったのはこっちからだから、べつにいいんだけどさァ。  そもそも抱かれている理由もちゃんとあるし」 「理由?」 「そう。『本物』に慣れておけるように。いつ、どこで摩り替られても、『本物』に抱かれて体の感覚を覚えていたら、偽物に遭遇したらすぐにわかるだろ。  そもそも奴隷だったころなんて大体いれられて中に出されて終わりだったり、愛撫なんてそんなされないし、イル・セーラは基本的に家族以外とあまりスキンシップをしないから、ドン・クリステンにあんなにべたべた触られるとちょっと身構えちゃうんだよね」  イル・セーラ同士とか、相手が子どもならなんともないんだけどと、ユーリが継ぐ。なるほどとどこか納得したような顔をしたあとで、アルテミオは不思議そうに自分の手を見下ろした。 「先ほど普通に俺とハンドシェイクをしてくれていたけれど」 「あァ、あんたは俺に下心ないでしょ」  だから平気と笑うと、アルテミオがまたどこかいたたまれないような表情になった。

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