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Fourteen(2)
西側の土壌調査に駆り出されて、危ないからとガスマスクを借りたが、暑い。
『ただでさえ暑い西側でガスマスクなんざ死ねって言っているようなもんだろ』と文句を言いつつ、テヴィに言われたとおりに地下通路の入り口を開けてするするとそこを降りていく。
テヴィもラカエルも非戦闘員だし、なにかがあっても責任が取れないということで、北側の駐屯地でベアトリスたちと留守番だ。とりあえず土の回収とガス管を閉めることが今日のミッションだとリュカから言われている。
地下通路に降りて、西に10数メートル進むと壁側に基盤が見えてくるはずと言われ、チェリオはライトで照らしながらすすんだ。
オレガノ軍が使っている無線は非常に便利だ。ミクシアのものと違って重くないし、耳に直接つける分両手が塞がらなくていい。問題はノイズと音量だなと考え、一個拝借して構造を覚えようと新たな興味に胸を躍らせつつ、基盤を探す。
テヴィのいうとおり、本当に壁に基盤がついている。これかとぼやくように言ったら、ニコラがレッグホルスターのベルトにつけている鍵の束から鍵をひとつ取り出して、基盤のカバーにつけられた鍵を開けた。
ミクシア側からの協力もいるとアレクシスが言ったら、ドン・クリステンは諸々都合がいいだろうとニコラを推薦したらしい。医者でもあり、戦え、電気系統にも詳しい。オレガノが准将の腹心を動かすのなら、こちらもそうしないとねと笑っていたのを思い出す。本当にそう思っているかは微妙だが。
ニコラは基盤の中の赤いレバーを落として、カバーを閉じた。鍵をかけ、開かないことを確認する。
「あとはガス管の栓を止める必要があるが、本当にジジひとりで大丈夫だったのか?」
やや不安げな面持ちでニコラが言う。チェリオもそう思っている。話が通じなくなるのではと思ったが、ジジが頷いた。
「ノルマ語、少しなら」
少しと親指と人差し指を近づけてみせる。ニコラが感心したような面持ちで、頼むぞとジジの頭を撫でた。
ジジはふんすと鼻を鳴らして、においを嗅ぎながら奥へと進んでいく。地下通路にはいくつもの分かれ道がある。帰りがわからなくならないようにとニコラが目印をつけつつ進む。
「なあ、おい、ジジ。こっちじゃね?」
こっちからもにおうぞと言うと、ジジは苛立ったようにこちらを睨んだ。
「プロエリムの鼻、ノルマと違う」
おまえより鼻が利くと言われ、チェリオは舌打ちをした。
武器が扱えないチェリオと違い、ジジはナイフなら扱える。鼻が利き、耳がよく、おまけに身軽。暗殺者として育てられていたらしく、ジジは体術も得意だ。知識と教養がないという欠点を除いては、自分の上位互換だと言われているような気がして面白くない。
ジジについてしばらくいくと、本当にガス管のバルブと思しきものが埋め込まれた場所に遭遇した。周りをチェーンで厳重に固められ、回せないようになっている。ニコラが苦い顔をした。
「これでは手の出しようがないな」
一度回してみようと試みるが、動くわけがない。チェーンを切るための道具など持ってきていないとニコラが言う。チェリオはライトをニコラに押し付けて、鍵穴を照らしてと伝える。バックパックから針金の束を取り出して、南京錠の鍵穴に刺す。かちゃかちゃとそれを動かしていると金属音がして鍵が外れた。
「正攻法じゃ無理だったな」
ニヤリと笑うと、ニコラが呆れたような顔をする。
「おまえといいユーリといい、どこでそういう技術を覚えてくるんだ?」
「先人の知恵ってやつ? そもそも東側の連中は再犯者かその家族しかいないんだから、大体みんなこういうの得意だぞ」
言って、バルブに絡んだ鎖を外し、もうひとつの南京錠も開錠する。かなり頑丈な鎖だ。武器になるかもと言って腰に巻きつけていると、ニコラが逞しいことだと苦笑を漏らした。
バルブの鎖は外したが、セメントかなにかで固められ動かせないようにされているようだ。ニコラが回そうとするが、少しも動かない。
貸してみと言って、チェリオはバックパックからパイプ管を輪切りにしたような形のものを取り出してバルブの中心にはめた。ちょっとサイズ違いだがまあいいかと回してみる。強度がたりないのか少しも動かない。
「ナイフある?」
ニコラがレッグホルスターのポケットから折りたたみのナイフを取り出した。折りたたみでは少し強度が足りない。
「これじゃないやつがいい」
そう告げると、今度は腰につけたレザーケースからダガーを取り出してこちらに手渡した。
パイプ管を一旦取り外し、切り込みを深くしてから装着する。ダガーをニコラに返してからパイプ管を回すと少しだが動いた。ニコラがすごいなと感心したように言う。
錆びついた部分は回るが、セメントに塞がれた部分はやはり無理だ。チェリオは何度かパイプ管を動かして少しずつ反時計回りに回してバルブを閉めていく。ある程度回したところでバックパックとベルトの間に仕込んでいる鉄パイプを取り出して、それをバルブに挟んで一気に回した。錆びついた音と共にバルブが閉まる。
チェリオは無線機を起動して、地上にいるアレクシスを呼んだ。
「一応閉じたけど、計測器はどうだ?」
『数値は下がったけど、まだどこかから噴出しているらしい』
了解と返して一旦通信を切った。じろりとジジを睨む。
「まだガスが出てるってよ」
ジジがむっとしたように眉を釣り上げた。くんくんと鼻を動かし、先ほどチェリオが指摘したほうを指差す。
「向こうからも同じにおいがする」
「だあら言っただろうがよ」
責めるようにジジに吐き捨てたら、ジジが間合いを詰めようとしてくるのを察した。体勢を作り、ジジを睨む。
「来るなら来い、ユーリに言いつけてやるっ」
「卑怯者っ」
やめろと、ニコラがジジの襟元を掴んだ。
「ケンカなら地上でやれ。もうひとつのバルブも閉めに行くぞ」
チェリオはフンと鼻を鳴らしてにおいのする方へと歩いていく。ジジが負けじと早足でチェリオを追い抜き、先ほどの分岐まで戻った。こっちと指差す。その先に行くとまた分岐があった。チェリオとジジが正反対の方向を指差した。
お互いに睨み合っていると、ニコラが今度はチェリオがさしたほうに行くぞと左側の通路を選択した。
通路の突き当たりには基盤とバルブがふたつあった。ニコラが基盤のカバーを開けてレバーを下す。カバーを閉めて鍵を掛け終えるのを見届けて、先ほどのようにチェリオがバルブに絡み付いた鎖を固定する南京錠の鍵を開け、鎖を外す。ここのバルブは比較的スムーズに動くようだが、バルブを動かし掛けて、チェリオは無線機を起動しようとしたら、向こうから通信が来た。
『おい、どこか触ったか? 計測器の数値が上がったぞ』
「やっぱりか。大丈夫、すぐに下がる」
チェリオは無線器を繋いだまま、今度は時計回りにバルブを回す。ニコラがおいと言ったが無視だ。完全にバルブを閉め終える。
「下がったろ?」
向こうから上出来と聞こえてくる。チェリオはもうひとつのバルブの感触を確かめつつ、身長にバルブを閉める。やや硬質な感触。これはたぶん、細工がしてあり、普通にやっても延々と空回りするやつだとピンときた。バルブを少し手前に引き、軽く回しながら引っ掛かりがない部分を探り当て、そこに押し込む。
「計測器に変化があったら教えて」
言って、反時計回りに回してみる。数値が上がったとアレクシスが言う。オッケーと軽い口調で答えて時計回りに回す。バルブが閉まっていく様子が見えないようにしてあるあたり、この装置を作った人間以外どうすればガスが止まるかが分かりにくくしてあるのだろう。
『数値が下がったが、まだ濃度が高い』
「了解。もう一か所怪しい部分がある。たぶんそこで終わりだろ」
チェリオは無線機を切って、頬を伝う汗を拭った。本当に熱い。二コラやジジなど涼しい顔をしている。自分だけが動いているわけでもないのに、ひとりだけ汗でびしょびしょだ。シャツが濡れて肌に張り付いて気持ちが悪い。
「はよ終わらしで地上に出ようぜ。びっちゃびちゃ」
汗絞れるぞと不快そうに言うと、二コラがバックパックからタオルを取り出した。
「汗を拭け。温度差で風邪をひく」
そう言われ、チェリオはそれを受け取って首にかけ、身体とシャツの間にタオルを挟み込んだ。今度はジジがこっちだと言った方角に進む。突き当りまで行って、チェリオは目を見張った。見たこともない装置がある。二コラもまた苦い顔をして舌打ちをする。
くびれのあるガラス製の瓶のなかに薬品が入っていて、その瓶の上部がセメントに埋められているせいでどうなっているのかがわからない。ただそのなかの薬品はどこかから供給されているようで、ぼこぼことガスのような気体が発生している。
二コラが通信機を起動させる。
「Sig.エーベルヴァイン、気体の発生装置があります。申し訳ないが、俺は専門外です」
『マージか。ラカエルも知らんってよ』
二コラが舌打ちをする。こういうのが得意なのはと言いかけて、溜息を吐く。たぶんユーリだろう。
『Sig.オルヴェに通信をつなぐか?』
「つなげるのかよ?」
『そのためにミカを向こうに残してきたからな』
ちょっと待ってろと、回線をいじるような音がする。
『回線を共有した。そちらの声も向こうに聞こえているから、普通に喋っても問題ないぞ』
向こうからユーリの面倒くさそうな声がした。
「俺を連れて行かなかったくせにこういう時に頼るな」とか、「目の前にないのにわかるわけがない」とか、「アレクシスごと爆発して死ね」とか諸々言っている。ミカエラが「向こうに筒抜けですよ」と言うが、「分かって言ってるんだ」と、心底嫌そうな声がした。
『まーだ機嫌損ねてんのか、ガッティーナ。そっちから仕掛けてきておいてよく言う』
『で、最初から俺はなにか仕掛けられていると思うから気を付けろって言ったのに、専門家も連れて行かずに当たり前のように頼ってきやがる馬鹿どもがなんの御用ですか?』
ユーリの機嫌が最高に悪い。二コラが言動に気を付けろと声に出さずに注意を促してくる。確かに聞いたこともないような不機嫌そうな声だ。
「すまん、ユーリ。上部はセメントで覆われているためにわからんが、雪だるま状に縦に三つに並んだガラス製の容器がある。中央の上部に気体が流れるようになっているが、その先もセメントに覆われていて、それがどこかにつながっているのかがわからない」
ユーリの溜息が聞こえた。
『めんどくさっ』
知らんわとぞんざいに言う声が遠のいていく。ミカエラが慌てたようにユーリを呼んだ。リュカもまた情報少なすぎるだろと呆れたように言う。
『プロヴィーサだろ? 慎重に行かねえと爆発すんぞ』
『るせえ、そのくらい知ってる。あァ、Sig.エーベルヴァインがおやりになったら? 爆発物に造詣が深いんでしょ、地雷原の教育係だっただけに』
ユーリがあからさまにアレクシスを挑発している。
『普通のプロヴィーサならまだしも、流石に薬品が入っているものはよく知らねえよ』
『あっそう、役立たず。状況に応じた動き方をするんじゃなかったんですかァ?』
『てめっ、ぶん泣かすぞ!』
「落ち着いてください、Sig.エーベルヴァイン。ユーリも」
ユーリの不貞腐れたような声がする。向こうからリュカが「素直に教えないと“アレ”の刑だよ」と言っているのが聞こえた。アレ? と思ったけれど、どうもアレクシスには聞こえなかったようで、突っ込んでこない。
『リュカに免じて教えてやろう。それで、真ん中になにがある?』
「真ん中には固体だ。鉄ではない。水晶かなにかだろうか」
あァとユーリがなにか思いついたような声を出した。
『中央に気体が流れるって言ってたな。コックの手前に穴が開いていて、接続を外せるようになっているはず』
これかと二コラが言うと、ユーリは『それ取ってみて、爆発するから』と、からからと笑いながら言った。冗談じゃねえぞとチェリオが声を荒らげる。
「ユーリ、おまえ覚えていろよ」
『うるせえ、日和って顔出さないくせに、専門分野以外だと普通に頼ってきやがって。
たぶんそれは気体を常時発生させるために改造してあると思うから、上部と下部に供給されている液体も止めなきゃいけない。
あァ、ちなみに、たぶん上部に入っている薬品は劇薬だから取扱注意ね』
見つけたらまた教えてと素っ気ない態度だ。「よくあのざっくりした説明でわかったね」とリュカが言う。
『そうそう、その装置の中身自体もなかなかにやばい薬品だと思うから、一旦外に出て対策を練ったほうがいいぞ』
『やばい薬品って?』
『コレ考えたやつ、飛んでんなァ。ガス発生装置を蒸留に使うなんて、とんでもないことを考え付く。たぶんどっかで金属熱を使った蒸留装置と繋がっている。専門分野の人間がいないと、とめられねえかもなァ』
まァ頑張ってとユーリの笑う声がする。
『Sig.オルヴェ、おまえは絶対西側立ち入り禁止だからな』
『じゃあ仲良く共倒れだな。俺はその装置と似たやつを見たことがある。どうせユリウスの入れ知恵かなにかだろ。ミクシアじゃ絶対に使わないやつ』
もちろんオレガノでもとユーリが言う。
『おまえほんっとに性格悪いな』
『そりゃどうも。俺の役割は中和剤及び緩和剤の研究、あんたらの役割は調査諸々だろ。“無関係”の俺がいなくても、分かるから特攻していったんだよなァ、もちろん』
二コラがはあと溜息を吐いた。
「ジャンカルロに言ってパニーノを届けさせる」
『食い物で釣られるわけねえわ』
「ユーリ、頼むからちゃんと教えてくれ。人命が掛かっているんだ」
二コラの困ったような声色は初めて聞いた。ミカエラがリュカに尋ねたが、リュカすら知らない装置のようだ。
「これ、ユーリ連れてきて止めたほうが早いんじゃね? あの野郎絶対教えないつもりだぞ」
『Sig.オルヴェ、後生だから教えてくれ。こちらもこのままでは困る』
はァ? っと、ユーリの楽しそうな声がする。
『教えてください、じゃなかったっけ?』
アレクシスが耳慣れない言葉でユーリを詰る。ユーリもまた聞き慣れない言語でアレクシスになにかを言った。絶対にののしり合いだと思う。
『教えてくださーい、Sig.オルヴェ。お願い』
アレクシスが観念したように声を絞り出す。絶対に凄い顔をしているだろうなと思うような声色だ。ユーリが楽しそうに笑う声がした。
『あ、ごめん、Sig.エーベルヴァイン。ぶっちゃけ俺もよく知らないんだよね』
小ばかにしたように笑いながら言ったあとで、ユーリが部屋を出ていったのかリュカの慌てたような声がした。一瞬、あたりがしんと静まった。
『ま、じ、で、なんなのあいつ!!? Sig.カンパネッリ、躾が悪いっすわ!』
「申し訳ない、あの野郎絶対泣かす」
「だからユーリ連れてきたほうが早いって」
『それは絶対にダメ。ユーフォリアやベラ・ドンナに対する耐性があるといっても、限度ってものがある。
彼、最近満足に食事を摂っていないのは、たぶん今頃になって薬の影響が出ているんだと思うよ。以前に比べて体力だって落ちているようだし、無理をさせたくない。
外部から来た権威に聞いてみる。全員地上に上がって待機して』
ユーフォリアにしてもベラ・ドンナにしても無臭だから、充満していたとしてもわからないうちに毒されるから怖いんだとリュカが言う。
「どうする、上がる?」
「ここで万が一があっても困る。一旦上がろう」
二コラが言う。とりあえずもう一度降りてきたらちゃんと周りも探ることにして、元来た道を戻ることにした。
『Sig.エーベルヴァイン、ユーリになにしたの?』
呆れたような声色でリュカが言う。
『おもしろいから揶揄っただけっすわ。それと、そのあとに地雷女が尋ねてきたことで、逆恨みでガチギレされてまーす。アレさんは被害者っす』
絶対にそうじゃないだろうということをアレクシスが平然と言ってのけた。アレクシスのせいだけではなく、自分が顔を見せに行かないから拗ねているのだろうと二コラが観念したように言った。
二コラがドン・クリステンにユーリのことを譲ったような形になっている。ただ、そんなことくらいでユーリが拗ねるかなとも思う。あれはただ単に意地悪してみたくなって言っただけのような気もするし、アレクシスに対する嫌がらせのような気もする。
「つか、あの状況で、説明だけで先導して、マジでなにかあっても困るから、一旦捜索を打ち切らせたかったんじゃねえの?」
あいつはそんなタイプじゃないと二コラが言う。
たしかにあからさまな嫌がらせのようにしか聞こえなかったが、こちらはブツを目の前にしているけれど、ユーリには口頭での説明しかできていない。
「自分自身がピッキングのやり方を教えてくれと無線機で言われたら、教えられねえけどな」
ああだこうだと言い合いながら、排水溝のところまで戻ってきた。一旦回線を切るとアレクシスから連絡がある。チェリオは無線機の電源を落とした。
先にジジを上がらせて、二コラに声をかける。二コラが上がり切ったのを見届けたうえでチェリオ自身も地上に戻った。日差しが強いが、地下通路の中よりはさわやかで涼しい風が身体に吹き付ける。ガスマスクを取ろうとしたら、二コラからまだ辞めておけと厳しめに言われた。
「ご苦労さん。一応地上も捜査したけれど、怪しいところはない。たぶんすべて地下通路内で完結しているんだろう。厄介なものを考え付いてくれたものだ」
困ったような口調で、アレクシス。とりあえず東側に戻ろうという結論に至り、チェリオたちは東側の地下街まで急いだ。
元々の地下街の入り口をこじ開け、チェリオたちが潜伏していたところまで戻ってくる。西側に行ったらちゃんと温泉水で身体を洗えとユーリに言われていたことを思い出したからだ。ついでになにか薬草があれば採っていってやろうという算段もあった。ユーリの懐中時計で岩戸を開き、そこに招き入れると、二コラが感嘆の声をあげた。
「すごいな、こんなところに潜伏していたのか」
「向こうはもっとすごいお宝がありましたよ、Sig.カンパネッリ。つか、あのガキ、まじでシメていっすか?」
一発殴らないと気が済まないとアレクシスが言う。煮るなり焼くなり好きにしてやってくださいと二コラが申し訳なさそうに言うのを聞きながら、チェリオはバックパックを濡れない位置に放り投げて、持ってきていた桶で頭から温泉水をかぶった。
「銃の打ち方を教えろって無線で言われて、教えられるかよ? それとおなじだろ」
頭固すぎんだろとチェリオが詰る。アレクシスは俺なら教えられると言ってのけたが、教えられても理解できなきゃ意味ねえわ陰険野郎と罵った。
確かに口は悪いし態度も悪いけれど、ただの嫌がらせじゃないだろうとチェリオは思っている。誰よりもあの薬物の怖さを知っているからこそじゃないだろうか。チェリオに文字を教えてくれると言い始めた時もそうだけれど、ユーリは意外に主語がないというか、自分の頭の中では理解していることを、突発的に相手に説明し始めることがある。
二コラはその悪癖を知っていてもおかしくなさそうだけれど思いつつ、ジジにも頭からお湯をかける。ジジはふぎゃっと猫がつぶれたような声を出して、ぶるぶると頭を振るった。
「うわっ、きったね! 最悪だな、犬かよ!」
ジジに水を掛けられたせいで、もう一度頭からお湯をかぶる。服ごと濡れたがどうせ洗うのだからというチェリオならではの雑な思考だ。
まず装備の手入れをして、丁寧に着替えを用意する二コラやアレクシスとは違い、かなりざっくりとお湯を浴び、滝のように落ちてくるシャワーにかかりながら服を脱いでばちゃばちゃと足で踏んで適当に洗う。着替えなんて持ってきていない。濡れたまま着るつもりでいたが、アレクシスからちゃんと着替えろと呆れたように言われた。着替えなんて持ってきていないと言いかけたが、オレガノ軍のものと思われるインナーシャツをぽいと投げられた。
「べべのだが、身長も体格も大差ないから、着れるだろ」
ついでにとグルカショーツも投げられる。パンツまでびしょびしょなんだけどと言ったら、さすがにそれはないから乾かして履けと言われてしまった。ユーリは濡れたシャツやタオルを岩場に掛けて置いていた。熱源があるから乾きやすいのだろう。あきらかにオーバーサイズのインナーシャツを着て、濡れたパンツをよく絞ってから岩場に掛けた。
「さっきガブリエーレ卿が言っていたが、ユーリはまだ食事を摂らないのか?」
二コラが心配そうな面持ちで尋ねてくる。朝食時には一緒のことが多いが、大体シナモン・ティーとスクランブルエッグとポタージュだけで済ませているような気がする。昼はよく知らんけど、夜はメインを大体残していると伝える。
「メインとは?」
「野郎が多いし、みんな地下街生活で肉に飢えているから、大体肉料理が多いんだけど、そうなったらあいつが食わねえの。だからイデア姉さんとエルとダニオが気を遣って魚釣ってくるんだけど、最初は食ってたけど最近ほぼほぼ残してる」
だから俺とジジの腹に収まると言ってのけると、二コラが意想外な顔をした。
「あいつがチキンを食べないのか? あのユーリが?」
「だろ? 確か最初にパニーノを食わせてくれた時も、ローストチキン入りだったと思う。でも、最近ぜんぜん食ってない。地下街でも魚なら食ってたけど、二コラが持ってきた肉の缶詰には手を付けていなかった」
そうなのかと二コラが誰に言うともなく言った。
「想像なんですけどね、Sig.カンパネッリ」
ぼそりとアレクシスが言う。
「まあ、前々から考えてはいたんだけど、もしかしてミカの手術の影響とか、考えられんっすか?」
「でも彼は地下街や東側のスラムで普通に手術をしていたし、意外と外科手術は得意分野だったりもするので」
「でもさ、それって同族じゃないだろ」
ノルマとイル・セーラの違いっていうか、身内とそうでないかの違いっていうかと、アレクシス。二コラが苦い顔をした。
「それは准将殿には聞かせられないやつでは?」
「なんだよなあ。そのせいでSig.オルヴェの調子が悪いと確定したら、たぶんミカがくっっっっっそほど面倒くさいことになる」
あいつら本当はきょうだいなんじゃないかってくらい、拗ねたら面倒なところまで同じなんすよとアレクシスが言う。
「なあジジ、ユーリって昼はなに食ってんの?」
二コラが身体を洗いに行ったのを見計らい、ジジに尋ねる。ジジは視線をさまよわせ、別の言語でぼそぼそとなにかを呟いた。
「なんて?」
「えっと、ま、マチェ」
「マチェドニア?」
アレクシスが言うと、ジジがそう、それと表情を明るくさせた。
「フルーツじゃねえか」
「いや、それだけ?」
ジジが頷く。
「ときどきリゾットかミネストリーネ。夜も前はひまだと言葉を教えてくれていたけど、最近はよく寝ている」
そういえばリゾットに鶏肉が入っていた時にSig.オルヴェが手を付けずにくれたとジジが言う。
「マジかよ、あのうまそうなやつおまえ食ったの!?」
くそチビとチェリオがジジを蹴ろうとしたが、ひょいと避けられた。そのままの体勢から蹴りが飛んできたが、チェリオは身体を反らしてそれをよけ、ジジの腕を掴む。ジジの眉間にしわが寄った。そうかと思うとジジがポケットに手を忍ばせるのが見えた。ジジがポケットから手を出すよりも早く腕を解放して距離を取るが、ジジがナイフを突き出した時に生じた風圧が鼻先を掠めた。この野郎と反撃に転じようとした時だ。急に耳をつんざくような大きな音がした。
「うぎいいっ!!?」
チェリオが耳を押さえて蹲ったと同時に、ジジもまた耳を押さえた。軍服のズボンをはいて、上半身裸の状態で二コラが呆気に取られている。
「すまん、おまえにも聞こえるのか」
「なにいまのっ!!?」
耳死ぬかと思ったんだけど!? と二コラを詰る。
「准将殿から『ジジが暴れ出したら吹くように』と渡されたものなんだが」
「ゴルトン・ホイッスルか。ジジを完全に犬扱いしてやがる」
ジジはその音が鳴ったら大人しくするよう躾けられているのか、チェリオに食って掛かってきたときは大違いなほど静かにしている。アンダーシャツを着こむ二コラの横でちょこんと座って待っている姿を見て、チェリオはくそがと地面を蹴った。
「アレクシス、はよ水浴びて来いよ。とっとと北側に帰るぞ」
あとでミカエラの野郎ぜってーぶん殴ってやると誰に言うともなくぼやいて、チェリオはアレクシスの準備が整うのを待った。
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