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Fifteen
「おーい、エリザベートちゃーん、どこ行ったー?」
「骨付き肉があるぞー」とふざけた口調で言いながら、アレクシスがジジを探す。
ユーリが言っていたアドラの葉のにおいを嗅がせたら、ジジが形相を変えてあっという間にいなくなってしまったのだ。発信機付けておくんだったなとぼやきながら、アレクシスが溜息を吐く。
「この辺にいるんじゃねえの? ジジっぽいにおいがする」
くんくんと鼻を動かしながら、チェリオ。アレクシスが怪訝そうに眉を顰める。
「プロエリムとタイタンって人外すぎるから嫌なんだよな」
「おまえも考え方が人外だろ」
自分のことを棚に上げるな、そも俺はノルマだと言いながらジジを探す。
アレクシスの声に反応して現れるスパッツァたちを、素手で簡単に気絶させるこいつも十分人外だ。倒されたスパッツァの手を後ろ手に拘束し、ベアトリスがどこからか持ってきた麻酔液がたっぷり染み込ませたガーゼで猿轡を噛ませる。
だいぶ探し回っているからなのか、使いすぎなのか、在庫が尽きてしまったようだ。空の瓶を振ってガーゼに染み込ませようとするが、数滴しか残っていない。
「なあ、あのくそうるせえ笛吹いたら戻ってくんじゃねえの?」
アレクシスはおおと声をあげて、手早くマスクを外して二コラから預かったゴルトン・ホイッスルを軽く吹いた。二コラが飼っている大型犬の躾にも使うからと言って二コラが調整してくれたおかげで、今度はチェリオの耳には響かない。
ホッと胸を撫で下ろしていると、足元にある排水溝の蓋の間からにゅっと手が覗いて、チェリオは飛び上がるほど驚いた。ジジだ。
「こっちに人がいる」
降りてきてと言われたが、入る道が分からない。どこから入ったのかと尋ねると、ジジは忘れたと言ってのける。迷子だったらしい。アレクシスが溜息を吐く。
「エリザベートちゃん、帰ったらお仕置きな」
単独行動はするなとアレクシスが言うのを聞きながら、チェリオは物理で解決することを選んだ。排水溝の蓋の間に、スパッツァが持っていたバールをかませて一気にこじ開ける。ようやく出られると言わんばかりにふすふすと鼻を鳴らすジジに、どいてろと言って地下水路に飛び降りた。その先にいたのはユリウスだった。思いきり嫌そうな顔をされる。
「アレクシスー、ユーリに恩売れるぞー」
くそ野郎見つけたと言ったあとで、はたと気付く。ユリウスの後ろには別の地下通路にあったものと似た装置があり、しかも逃げられないように頑丈な鎖で両腕を拘束されて繋がれているのだ。わおと声をあげる。
「おまえ、捕まるの好きだなー」
言いながら猿轡を外してやると、ユリウスはげほげほとむせ込んだ後で顔をあげた。
「チェリオ、なんでも話すから手をほどいてくれ。これが爆発したらとんでもないことになる」
はあっ? と言いながら、もう一度アレクシスを呼ぶ。アレクシスが上から顔をのぞかせた。
「またあの装置がある。爆発するとやばいとか言ってんだけど、こいつマジで嘘つきだからな」
「嘘じゃない、本当だ。ドン・ヴェロネージは俺がこの装置を作ったことにして、俺もろともドン・ガルニエたちを殺すつもりなんだ」
「作ったことにってことは、おまえもこの解除方法がわからないってこと?」
ユリウスが頷く。怪我をしたドン・ヴェロネージの手当てをして、この装置の運搬と設置を手伝ったが、そのあとの記憶がないという。アレクシスが思いきり嫌な顔をして、地下水路に降りてきた。
「あー、まためんどくせえやつ」
ガリガリと頭を掻いた後で、アレクシスがこちらに近付いてくる。見たことがないほど冷ややかな視線をユリウスに浴びせ、ハンドガンを取り出した。
「解除方法が分からないなんて嘘だろ、サイコ野郎。オレガノのてめえの診療所から押収されたものと同型じゃねえか」
ユリウスが苦い顔をする。アレクシスがハンドガンをユリウスの額にぴたりと宛がった。
「で、どうするわけ? いまここで俺に撃たれて死ぬか、装置と仲良く心中するか、それとも怒り心頭中のSig.オルヴェから拷問を受けるか、いますぐ選べ」
俺は気が短いんでなあと言いながらもトリガーに指をかける。アレクシスが使うのは二コラのハンドガンとは違い、改造してある。安全装置の解除をしていないからと油断するなと二コラに言われたのを思い出し、うわあと引いたような声を出す。
「結構中の水が減ってるし、爆発すんのも時間の問題じゃね?」
言いながらチェリオが装置に近付くと、ユリウスから近付くなと慌てたような声がした。
「ちょっと待ってくれ、俺はサシャやユーリをフィッチへ売却する話には乗ったが、レオナ王子の件なんてしらないんだ」
アレクシスが片眉を跳ね上げて、ユリウスの前にしゃがみ込む。額に押し付けた銃を離すことはなく、ただ脅すような視線をユリウスに浴びせている。
「当時の取り調べでもそう証言したらしいが、じゃあ何故現場付近にいた?」
「それは……」
ユリウスが言い淀む。
「結局諸々の証拠が出て、お前が犯人の一味だと確定したからこそ入国禁止令が出たんだ。いまさらどこの誰に恩を売ろうがそれが覆されることはない。
レオナに続き、レミエラまで失ったオレガノは、未だに見つからない首謀者の代わりに、協力者を抹殺すると判断する可能性もないとはいえない」
まあほぼ俺の判断だけどと、アレクシスが言う。明らかな脅しだけれど、ユリウスはそれでも首を横に振った。
「本当に知らないんだ、信じてくれ。その装置だって、助けが来たら右側のコードを切れと言われただけで、誰が薬品を用意したのかもなにも知らない」
ふざけんなよとアレクシスが声色を変えたが、ジジがなにかに気づいたように鼻を動かしたあとで、アレクシスの軍服の上着の裾を数回引いた。
「微かに薬物のにおい。たぶん、Sig.オルヴェが嫌いなセドゥレだ」
なんだそりゃ? と、アレクシスが怪訝な顔をしたが、ユリウスがすぐに反応する。不快そうに眉を顰めて俯いた。
「後ろの装置を解除してくれ、時間がないんだ!」
「誰が絡んでいるかを知っている、ということになるが?」
「Sig.オブリ、いま行方不明のレジ卿の長男のほうだ」
ユリウスが一口に言う。チェリオはユリウスの肩口を蹴り上げた。
「こないだはSig.オブリの正体は知らねえって言ってたよな?」
「俺だってあとから聞かされたんだ、あれが関わっているのだと知っていたら、最初から乗らなかった!」
頼むからと、ユリウスの切羽詰まったような声が上がる。アレクシスを見やると、舌打ちをして耳を触った。通信機を起動させる音がした。
「ガブリエーレ卿、たびたび申し訳ないが、Sig.オルヴェのご機嫌は?」
「そういう物言いがあいつの機嫌を損ねるんだっつの」
『Sig.エーベルヴァイン、ちょうどよかった! いま有能でフットワークの軽い相手を探していたんだ』
ユーリの声だ。どことなく弾んでいて機嫌が良さそうだが、アレクシスと呼ばないあたりがなにか含みを持たせている。アレクシスもそれに気付いたらしく、面倒くさそうな表情になった。
「あー……いまアレさん忙しいんだ、お願いはあとにしてくれる、ガッティーナ?
エリザベートちゃんがユリウス・ヴァシオ・シャルトランの行方を掴んだが、なんと地下通路に拘束されたうえ、おそらく薬品を用いた爆発装置を仕掛けられている」
ユーリの声が心底楽しそうな声色に変わる。
『へえ、それはそれは。かわいそうに。放置してとっとと逃げるんだな。
で、こっちの頼みなんだけど』
「ヘイヘイ、ガッティーナ、どうもドン・ガルニエごとユリウス・ヴァシオ・シャルトランを殺すつもりだと、本人が言っているんだが?」
話は最後まで聞けよとアレクシスが言うと、ユーリの楽しそうに笑う声がした。
『で? 俺にユリウスを助けろと? ばかなの?』
「仕掛けは単純に、助けが来たら右側の線を切れと言われたらしい。
別の場所に仕掛けられた3連タイプのものではなく、単純にふたつの液体が入ったガラス瓶があり、それには信管がついている。もうひとつ、蒸留装置のようなものがあって、それとも信管が繋がっているように見えるな。
蒸留装置の液体は残り2センチ以下だ。元々はほぼマックスまで入れられていたような痕がある。下まではっきりは見えねえけど、ユリウスが捕えられている鎖とその装置がつながっているように見えるんだよな」
「Sig.オルヴェ、解除の仕方わかる?」とアレクシスが尋ねると、「右側切れば?」と白けた声が聞こえてきた。
これは絶対に楽しんでいる声色だと思う。最初からなにか分かっていたんじゃないかと思うほどに余裕そうだ。
「オッケィ、取引しようぜ、ガッティーナ。解除方法教えてくれたら、そっちのお願い聞きますわ」
アレクシスもそれに気づいたらしく、いつものふざけた口調で言ってのける。通信機の向こうから、心底楽しそうなユーリの声がした。
『Sig.エーベルヴァイン、交渉下手になったね。俺からなにを言われるかわかっていないのに、まずくないっすか?』
アレクシスの口調をまねて、ユーリが言う。通信機の向こうから、紙になにかを書くような音が聞こえてくる。
『ふたつの信管の先の配線はどこに行っているかわかる?』
「うーん、超絶嫌な配線に見えるんすけどね、Sig.オルヴェ」
『あァ、わかった。ユリウスの台座につながってんだ』
楽しいと向こうから悪趣味な声がする。少しの間、カリカリと音が聞こえていたかと思うと、ユーリが機嫌のいいときのよく通る声で笑いを交えながら言った。
『無理に鎖を外そうとしたら、多分下に何かを仕掛けられたものとの摩擦熱で爆発するか、単純にその蒸留装置の液体が無くなったら加熱するから、その熱でも爆発する仕組みなんじゃない?
助けが来ても来なくても確実に殺せるタイプ』
しれっとユーリが言ってのける。逆になんでその説明でわかるんだよとチェリオが突っ込んだら、今度はリュカの呆れ返ったような声がした。
『ユーリの趣味が実験だからだよ。ミクシアでは基本的に犯罪抑止のためにそういった情報を出さないし勉強させない。でもフォルスはミクシアの一部といえども市街から遠く離れているし、そもそもイル・セーラの村だから、そういう規制が伝わっていなかったんじゃないかな』
「まあ、オレガノでも理系に進んだやつ以外履修せん分野だろうしな」
『ってことで、もう詰みだからそいつ放置して逃げたほうがいい。分量によっては半径数キロ吹っ飛ぶかもな』
時間の問題だぞとユーリの意地悪く笑う声がする。アレクシスがパラロッチャでユーリを罵った。
「右を切れと言われたそうだが、本当に合っていると思うか?」
『だから、放置してって言ってんだ。そんなに助けてやりたきゃ、ジジとチェリオを東側に避難させたあとであんただけが死ねばいい。そうしたら平和が訪れる』
くそ野郎と逆にユーリが詰る。
「Sig.オルヴェ、ここにセドゥレのにおいをさせたやつがいた」
ジジが言う。ユーリの声色が不穏なものに変化する。
『セドゥレと、なにが混ざってる?』
ジジが鼻を動かしながら装置に近付く。少し考えるような仕草を見せたあとで、ノルマ語ではない言語でなにかを言った。ユーリの深いため息とともに、リュカの慌てるような声がする。大丈夫と言ったユーリの声色は、さっきとは違っていた。
『なるほどね、そうやって揺さぶろうっていう魂胆か』
出し抜かれるのは嫌いなんだよなァと、ユーリの愉悦と嘲りの交じり合う不機嫌な声がする。
『ジジ、他にどんなにおいがする?』
「においは濃くない。ほかに、最初に西側で爆発があったときと同じ火薬のにおい。あと、このイル・セーラから『オルコ』のにおい」
『へえ、それはそれは。じゃあやっぱりそいつは放置して、死なせてやったほうがいいかもなァ』
ユーリがわざとらしく挑発するかのように言う。オルコってなに? とアレクシスに尋ねたが、俺が知るわけねえだろと眉を顰められた。
『ユーリ、ユリウスを捕獲して、一生分後悔させてやるんじゃなかったの?』
リュカの声がする。ユーリはそうだったっけ? ととぼけた言い方をして、そのあとで面倒くさそうな息を吐いた。
『アレクシス、べべか誰か、薬物に詳しい奴呼んで。話はそれから。最悪失敗したら全員ぶっとぶから、死ぬ覚悟のあるやつで編成しといて』
「……それ、やっぱこいつ放置して逃げていい?」
『てめえがそういうなら気が変わった、ちゃんと捕獲して戻って来いよ、腐れ陰険野郎』
馬鹿とアレクシスの足を蹴る。ユーリはこういう奴だと小声で文句を言ったら、聞こえてるぞチェリー野郎と詰られた。
『まず、地下通路から出る準備しといて。
爆発装置を解除したら、蒸留装置の方から別の薬品が流出するようになってるはず。それがなにか知らないけど、吸わないほうがいい。逃走経路を確保したら、まずは装置の左側の線を切断、そのあと即座に右も切断。同時はダメだ。右側の線が切断した音がしたら、即座にユリウスをその台座からおろして。突き飛ばしてもなにしてもいい』
「ユーリ、話を聞いていたか!? 右側を切れと言われたんだぞ!?」
『バカかよ、それで本当に右側を切ったら、たぶん二重に爆発してみんな死ぬぞ。
重篤感染者の数が思ったように増えないから物理で攻めることにしたか、ドン・ガルニエがいる場所にグラドゥメルやベラ・ドンナの生成装置があり、そこごと爆発させるつもりか』
「ふざけている場合じゃないんだぞ!?」
『黙ってみてろ。まんまと罠にはまりやがって、間抜け。
アレクシス、チェリオ、ジジ、それぞれ的確に動ける場所に配置。チェリオは右側の線が切断されたと同時にユリウスの鎖を引っこ抜いて台座から降ろせ。タイミングを間違うなよ』
「エリザベートちゃんは左の線を切ってくれ。俺は右を切る」
「わかった」
言って、ジジはアレクシスから渡されたダガーを手に馴染ませるように動かす。ユリウスだけが慌てたように声を上げる。
「ユーリ、仲間を巻き込む気か!? そもそもオレガノなんて信用ならないクソ国家だ!
おまえとサシャを連行するよう命じたのはオレガノなんだ、すべての元凶の手助けをすることになるんだぞ!」
『へえ、新しい解釈をするもんだな、くそ野郎。
その話はあとでたーっぷり聞いてやるから、舌噛まないように口閉じてろ』
アレクシスがすぐに地下通路から出られるように梯子をかける。通信でベアトリスたちを呼んでいたようだ。引き上げ準備完了ですと、場違いなほど明るい声がする。
「エリザベートちゃん、俺が合図したら切るんだぞ。くれぐれも急にやるなよ」
わかってるとジジ。チェリオはユリウスの後ろにある鎖を固定しているアンカーにバールを引っかけ、念の為に台座には乗らないように距離を取った。
「よし、切れ」
ジジが持つダガーが左側の線を切断したとほぼ同時に、アレクシスが右側を切断する。音をよく聞き、線の全てが切断されたと同時にアンカーに引っ掛けたバールを勢いよく踏み抜いて、固定された鎖を引っこ抜き、恨みを込めてユリウスを背中から蹴っ飛ばす。勢いで台座から転がり落ちるとほぼ同時に、台座が瞬時に赤く染まった。
「あっつ!!!」
熱だ。よく見るとユリウスがいた台座の下にはいくつもの銅線が張り巡らされている。そこには血の跡が付いていて、ユリウスの足もとは血で濡れている。爆発と同時にユリウスは吹っ飛ぶが、万が一死ななかった場合はここで焼け死ぬように計算されていたのではないかと思うと、ゾッとする。アレクシスも台座の下を覗き込んで、うわあと引いたような声を出した。
「Sig.オルヴェ、全員生還だ。よくこんな仕組みになっているとわかったな」
アレクシスが言うと、ユーリは楽しそうな声色で笑った。
『行き当たりばったりに決まってるだろ』
嘘だろとアレクシスが驚きの声を上げる。
「おいこら、わがままガッティーナ! てめえ絶対ぶち犯す!」
『やれるもんならやってみろ、陰険ど変態野郎。不能にしてやる』
なんて口の悪い猫ちゃんなんだとアレクシスが言うのを聞きながら、チェリオはアレクシスの尻を蹴った。
「ミカエラに聞かれてても知らねえからな」
「ミカは西側立ち入り禁止だし、今日は市街にいるはずだ」
『かわいそうなSig.エーベルヴァイン。なんで俺がその装置の解除方法を知っていたか、教えてやろうか?
内容がエグすぎて発行禁止になった小説のクライマックスシーンと同じなんだわ』
ユーリの心底楽しそうな声の後で、ミカエラのものと思われる咳払いが聞こえてきた。アレクシスがげっと嫌そうな声を出す。
『あとで地下室に来るように。口の利き方から徹底的に躾けて直してやる』
「ざまあみろ」とあからさまに嘲笑するユーリの声を聞きながら、アレクシスは苛立ったようにてめえマジで覚えてろよと吠えた。
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