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Fifteen(2)
ユリウスが捕えられていた場所の爆発物の解除方法を教えた見返りは、土壌の再調査をして、毒性反応がなければそのままドン・ガルニエを捜せというものだった。
西側の土壌調査をした際に、調査をした場所には予めカルケルとトゥルス等の混合粉末を撒いておくように指示していたこともあり、再調査では毒性反応がなく、捜索時間を想定よりも延ばすことができる。ドン・ガルニエを捜索する際にその道中にカルケルとトゥルス等の混合粉末を撒けば一石二鳥だ。ただ、ガスマスクは必須だと伝えてある。
そのためにベアトリスを北側に待機させておきたかったけれど、二コラの退避のためには仕方がない。想定外ではあったが計算が狂うようなほどのことではないと考えながら、次の手を打つ。
自分だったら、ユリウスを仕留め損なうという計算はしない。確実に殺せる方法を選択する。相手もそうだろう。だけど敢えて殺し損なった、またはユリウスが裏切り情報を流していたらという場面を想像するとしたら、『新たな駒を補充する』。その駒に最適なのは、同様に政府に疑いや不満を持つ者。
その駒にはある程度目星がついている。あとはエドが“ネズミ”を落として、情報を秘匿すること。そしてユリウスから相手のレベルを引き出すことができれば、こちらの読みが計算通りかどうかが分かる。
ユーリは鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌に、薬品の調合をしている。それを見て、ミカエラが不穏な表情をしているのを知っているが、敢えて気にしていない。
「その組み合わせは聊かリスクがありませんか?」
ユーリが使っている薬品のラベルを見たのか、ミカエラが少々戸惑ったような表情で話しかけてきた。ユーリの答えは、ざわつくほどの不敵な笑みだ。悪戯っぽく笑って、ミカエラが指摘したラベルが付いたスポイド瓶を指でつつく。
「これ、中身が違うから大丈夫。劇薬じゃない」
「劇薬でなければなんなのです?」
「聞きたい?」
んふふと怪しく笑いながら、ユーリが言う。ミカエラは少し興味ありげにしていたけれど、はっとしたような顔になって、少し姿勢を正した。
「いえ、聞かないことにします。いくらなんでも合成麻薬の生成ではないでしょうから」
そのまさかなんだがと思いつつ、ミカエラに「あ、そう」とだけ告げる。オレガノの連中の知識量がそうなのか、それともミカエラが異様に学識が高いのか、このラベルを見ただけで合成麻薬を連想するのがすごい。
「ねーえ、ミカエラ。マラカムの合成ってどうやるか知ってる?」
マラカムとミカエラがつぶやく。沈黙が続く。珍しい反応に、目を瞬かせた。
「あれ、止まった?」
大丈夫? と、目の前で手をひらひらと翳して見せる。おかしなことを言ったつもりはなかったけれど、オレガノでは使われないのだろうかと考える。
「マラカムって、アレですよね。毒性も依存性もないことから『違法薬物』には指定されていないものの、合成が非常に難しく、且つ安定性がないので量産できないという」
「あ、知ってた?」
「いや、なんであなたたちはそんなくそマニアックなものを知っているんだよ? ぼくはリナーシェン・ドクになって初めてそれを知ったぞ」
リュカが呆れたように言う。ミカエラと顔を見合わせる。そうだったのかと内心しつつ、後ろにある蒸留装置に視線をやった。
安定性がないということになっているが、工程をひとつ加えれば作り置きも可能だ。ただ繊細なことは間違いないから、数日おきに作り直す必要がある。アバウトな“ユーリ”がきちんと工程を残していないからメジャーではないものの、ユリウスが捕まりさえすればこっちのものだ。さすがのユリウスも、同族以外に手の内を見せるほど考えなしではないと思いたい。
さすがに水晶で一回濾すなんていう工程は誰も考え付かない。古代イル・セーラが常に自然と共にあったからこそなのだろうけれどと考えながら、現在進行形で無数の水晶で濾している液体が入っているケースを見やる。暗幕がかかっていることもあり、ふたりからは突っ込まれないけれど、工程をリュカに知られると面倒くさそうだ。
不意に通信が入る。緊急用の回線ではない。リュカが待ちかねていたかのように通信機を起動した。
「見つかったの?」
やや興奮したような声色でリュカが言った。
『ドン・ガルニエたちを見つけた。潜伏していた三人を取り押さえたけれど、ひとりは喉を潰され会話が不可能なうえ、遅効性の毒を飲まされていた。ドン・ガルニエ含め、残りのふたりもなにかの薬物を飲まされて酩酊状態だ』
まったく緊張感のない口調で言ってのけ、アレクシスが呆れかえったような溜息を吐いた。
『ベアトリスからなんか怪しげな薬を渡された時には、なにかと思ったけど、これを予測してたってことっすか、Sig.オルヴェ。
その薬のおかげでいまんとこ容態が落ち着いたし、ドン・ガルニエも息がある』
「そりゃよかった。あの装置でユリウス諸共って聞いた時にピンときたんだ。ドン・ガルニエと協力関係なわけではなく、最初から殺すつもりで匿って、西側の地下通路に装置を設置したり、諸々と手伝わせてきたんだろうと思う」
『エリザベートちゃんが、ここでもセドゥレのにおいがするって言っている』
アレクシスが言い終えるよりも早く、ジジが『アランサのにおいも混ざっている』と言うのが聞こえてきた。アランサ――柑橘系の蒸留水を使ったのか、それとも“自然の”においなのかで意味が変わってくる。
「深追いはしない方がいい。なにが仕掛けられているかわからないし、こっちは土壌の改善とドン・ガルニエの捕獲が目的だから、捜査そのものはエリちゃんたちに任せて戻ってきて。一旦立て直そう」
リュカが冷静に言う。それが妥当だと思う。ドン・ガルニエがいる場所には、自分の予想に反して蒸留装置等は仕掛けられていないらしい。ジジも周囲には怪しいにおいがしないと言っていると、アレクシスが告げる。
だとしたら、どうしてノーヴェ地区を分断する必要があったんだろうかと思う。ほかになにか別の理由があるのだとしたら、――。
『そういや、さっき妙なもんみたぞ』
アレクシスの真剣な声色はあまり聞くことがない。だからなのか、ミカエラがいぶかしげに眉を顰めた。
「アレクシス、妙なものとは?」
『あきらかに別人の骨同士を組み合わせた人骨模型っつか、人形?』
気味悪いのなんのとアレクシスが言う。それはそこに犯人がいたとも考えられる。ふうんと挑戦的に笑って、両手をデスクについた。
「それ、子どもの骨とか混ざってない?」
骨になにか一見意味不明な傷が付けられているとかと継ぐ。
『さすがに気味悪くてそこまで観察はしていないけれど、ところどころ不自然に継ぎ接ぎされた部分はあったようにも思えるが』
「上下さかさまになっていたりした?」
そう尋ねると、アレクシスがよくわかったなと言った。やっぱりだ。とすると、自分の予想通りに相手は最終局面だと踏んでいる。
「それとおなじものがもう一つどこかにあるはず。それと、ひとつめの人骨で作った人形との境に、たぶん”キーアイテム”がある」
「キーアイテム?」
「そう。この場合は、キアーラかな」
神話では、その人骨を模した人形と人形の間に遺体を埋める。古代イル・セーラが『死者の魂を鎮魂する儀式』だ。
「それ、本当なの?」
「相手はたぶん、古代イル・セーラの神話を知っている。
赤い目のイル・セーラやスコーピオが住む村の名前がエクリプスって聞いて、気にはなっていたけど」
本来なら儀式が済めば、その人骨を模した人形は両方とも聖水で清めたあとに燃やす。死者が現世と幽世を迷わないようにするためだ。ただそれには裏の意味があり、人形が上下さかさまになっているときは『復活の儀』を意味する。
「“ユーリ”に吐かせたのはそこじゃない? 本来の意味とは逆のほうは、現代ではただの創作ともされているし、そも本当に『復活の儀』を行えるなら、なぜシャムシュ王朝は滅びたのかって話になるんだよね」
「それは、その時に例の花が咲いていなかったから……ではないのですか?」
「ならどうして、いまその儀式をする必要があるんだと思う?」
まさかとミカエラが目を丸くする。
「いまその花が咲いているというのですか? ミクシアのどこかで?」
「たぶんね。ひとつはフォルス周辺で、ひとつはあの教会周囲で。アスラが『あの花が咲いた年に生まれた王族は同じ名前を付けられる』って言っていたし、ほかの花の種とは性質が違うし、咲く時期もずれるから何年に一度確実に咲くとは言えないんだ。
前に本に書いてあった、『9年後から16年後のいずれかの10月3日以降に』というフレーズが気になって、ある計算式に当てはめてみた。
まあ、そうしたらだ。うちの父親がアルテマアバウトなんだなってわかったわけですよ」
実際にいたらぶん殴ってたわと、ユーリが怒りの色を滲ませる。
「開きがあるのは、ブラフを張るためかと思ったのですが」
「それもあるかもだけど、当てはめた計算式が間違っていたか、時間がなくて最後まで計算しなかったかのどっちか。今年の10月いっぱいまでは、どこかで花を咲かせる」
「それを相手も知っているということは」
「薬効を知らなければ手をつけることはない。イル・セーラにとって神聖な花としか知識はないと思うよ。“ユーリ”がなにも喋っていなければ」
言って、ユーリが目を細くして笑う。居丈高な態度を見て、リュカがあからさまに嫌そうな溜息を吐いた。
「それを吐かされている可能性がある、ってことか」
「だから相手は復活の儀を今年することに決めたんじゃない?
順当に行くとアマーリを生き返らせたいのかな……とは思う。だからアマーリに雰囲気の似た女性を浚ったりしているんじゃないかなって」
フォルスで咲く例の花の薬効は、市街ではなんの意味もなさない。だからその花を手に入れるとしたら、教会がある場所に行く必要がある。
あの花を収穫しておかない手はないと、ユーリが言う。最初は乗り気ではなさそうだったが、リュカは考えるようなしぐさを見せている。
あの花があるメリットは、様々だ。さすがに手の内を見せるようなことはしないが、少しで良ければ教えてあげるよと挑発的に笑う。
ユーリが言うと、リュカが焦れたような顔をして、アレクシスたちと繋いでいる者とは別の通信機を起動させた。
「おじさまたち! ネイロおじさまいる!?」
『ヤニカスならさっき釣りに行くって準備していたぞ』
ファリスが欠伸交じりに言うのが聞こえてくる。すぐに止めてとリュカが声を荒らげる。
「船使ってくれていいから、ちょっと待ってって言っておいて!」
『どうした、リュカ坊ちゃん。なにか厄介ごとか?』
「そこまで厄介ごとではないから大丈夫、おじさまたちに出ていかれると困る可能性があるから、ここで待機してほしい」
言って、リュカはロレンと少し会話を交わして通信を切った。
「俺は別に一人でも大丈夫だけど」
「ダメに決まってるだろ、きみはなにをするかわからない」
リュカがユーリが言っていることを理解したらしい。どこか楽しそうに肩を竦めて、大袈裟にホールドアップして見せた。
「敵の懐に飛び込むのが案外最適解だったりして」
「無茶をなさらないでください。わたしが護衛につければいいのですが、土地勘がないうえにあちらに正体を見破られないほうが良いでしょうから」
「あの場所はチェリオと俺以外知らないし、入り方もわからないはず。レプリカを作って持ってきても開かないようなシステムになっているんだ。どういう原理か知らないけど、古代イル・セーラはそういう技術をいくつも持っている」
だから大丈夫と告げ、ユーリはうーんと声を出して両手をあげて伸びをして見せた。
「ようやく外に出られるわ。マージで、俺を閉じ込めたことを一生後悔させてやる」
不敵な笑みを浮かべながら、ユーリ。リュカは冷めた目で首を横に振りながら大袈裟に両手を広げて見せた。
「これはあくまでも『君の保護』のためにやっていることだということを失念しないで」
「言っておくけど、『保護してほしい』『助けてほしい』なんて、一言も言っていない」
ユーリが意地の悪い笑みを深めたからだろう。ミカエラがなにかに気付いたかのように天を仰いだ。
「まさか、例の丸薬を作り終えたあと、本当に敵の懐に飛び込むおつもりだったのですか?」
「そのあたりは二コラのが俺のことをまだ理解してるってことかなァ。
誤算だったのは、あんたらオレガノ軍が俺の研究資料を解読できなかったこと。あれがなかったら俺はいまごろ敵の懐に飛び込んで、キアーラの居場所を探っていたし、手伝えって言われたら素直に合成麻薬の生成を手伝っていた」
「ユーリ、それは聊か短慮というものでは」
「そ? 要はキアーラさえ戻ればいいわけで、俺が死のうがなんだろうが」
「いいわけがありません」
食い気味にミカエラが言ったかと思うと、大げさな溜息を吐いて両手で顔を覆った。知り合ってそんなに長いわけでもないのに、同族だからなのか、それともサシャのせいなのか、ミカエラはユーリの行動や思考パターンを見透かすことが多い。もちろんすべてではないにせよ、割と確率が高い。こういう相手を出し抜く発想をすれば、“相手”も自分の手の内を読めないだろうと考える。
「それに、あの花があったら、仮にキアーラがなんか妙な薬物を使われていたとしても、簡単に解毒できる。むしろ、あれが一番安全。いままで散々言うこと聞いてやったんだから、このくらい協力しろよ、腹黒貴族」
「ネイロおじさまに船を操縦してもらうとして、誰を護衛につかせる? ジジはいないし、考えられるのは」
リュカがミカエラに視線をやる。ユーリは「それ以外いる?」と言わんばかりに軽く両手を広げる。ミカエラはそれに気付いていないらしくなにかを考えているように顔を覆っている。
上から足音がする。ドン・クリステンがリュカの古文書コレクションを漁りに来ているからだろう。あの人は動いてくれないだろうし、意外と仕事熱心だから、邪魔をすると怒られかねない。
「アレクシス、許可をくれ」
少しして、溜息交じりにミカエラが言うのが聞こえてきた。アレクシスが第二言語で『くそが』と低い声で詰る。
『はい、出た。第二の聞かん坊の降臨。いいわきゃねえだろ、てめえ次に勝手なことしやがったら、こっちであったことを全部包み隠さず本国に報告するからな』
一応はぼかしてやってんだとアレクシスが語気を強める。
「それでもいい、許可をくれ。放っておいたらこの方はなにをされるかがわからない」
ほかの方では止めようがないだろうと、ミカエラが言う。まるで自分なら止められるとでも言いたげだ。そんなわけがない。ミカエラをどう丸め込めばいいかくらい、分かっている。あの長い沈黙は気になるが、もしもなにか計算外のことをしようとしたら、開き直って“第一王族の権利”を存分に使ってやろうと考える。
チェリオも言っていた。出自も血筋も関係なく、みんな自分の城を守るために必死なんだ。だから自分に使えるものはなんでも使う。昔からそのスタンスでやってきた。いまさらそれを崩したところで、迷うだけだ。
『てめえが一番あぶねえだろうが。どうせ丸め込まれて終わりだ』
さすがにアレクシスは鋭い。
「まずいと感じたら落とす」
ミカエラが真顔で言った。落とすと言われて、ジジが首を絞められていたのを思い出す。ユーリが微妙な顔をしたからなのか、リュカが明朗に笑った。
「じゃあユーリがここに戻ってくるまでの間、何回落としたかチェックしておいてね」
『ガブリエーレ卿、ミカを甘やかすのはやめてくれ』
なにかを言いかけたあとで、アレクシスが言葉を飲み込んだ。あまりに不自然なタイミングだったからか、ミカエラが不安そうにアレクシスを呼ぶ。すぐになにか思案するような声が聞こえたあとで、第二言語で『わかりました』とかなり砕けた言い方をした。
『聖域なら、本来ノルマを踏み込ませないほうがいい可能性もあるな。
イル・セーラには免疫があっても、ノルマには免疫がない可能性がある。一凛ならよくても、群生地にノルマが足を踏み込んだらどうなるかの保証はできない』
「例の花って、そんな感じなの?」
リュカがアレクシスに尋ねる。ユーリ自身が群生しているのは見たことがないと、以前に言ったことがあるからだろう。すぐにアレクシスがうーんと唸った。
『俺も見たことないっすけどね。でも、普段ノルマが入り込めない場所に咲く……というか、種をまいているってのは、そういうことなのかなって思ったんすよね。
まあ……目に付くところはノルマが乱獲したせいで、種も残っていない、とも考えられる』
「なるほど。歴史上、ファントマやアルマなどの死亡率が高い感染症が猛威を振るい始めたのは、前王が即位する前からだって言われている。そのたびにフィッチが絡んでいるとレナトも言っていた」
リュカが言う。口元に手を宛がって、少しなにかを考えている様子だったミカエラが不意に口を開いた。
「みたところ、あの場所は荒らされた形跡がなかった。つまりそれは、Sig.オルヴェの一族以外あの場所を知らなかったということになる。行き方も含め、敵が探りたかったのが、あそこだと考えるのは不自然だ」
「たしかに、チェリオがいなかったらあの場所もわからなかったもんな」
ぽつりと言ったら、遠くから『俺の嗅覚に感謝しろよ』とチェリオの声が聞こえてきた。
「西側のスラムの中ほどにアレクシスが見た『儀式の依り代』があるのだとしたら、もうひとつはそのエクリプスという村周辺にある可能性が高い。縮図だから正確とは言えないものの、そうなれば依り代と依り代の中間はあの教会がある付近ではなく、ミクシア外の廃村、若しくはテルザの森付近」
言いながらとんとんと踵を鳴らす。
「それって、キーアイテムの場所のこと言ってる?」
ユーリがとぼけた口調で言ったら、ミカエラがそうですと冷静に返した。
「そのどちらか、もしくは両方が地下通路を経由して辿り着けるのだとしたら、彼らが門番を回避して人目を忍び外に出ることはいくらでもできる、ということにもつながる。
事実、ミクシアの門を張らせていたが、部下たちから『上流階級層及び貴族の出入りはドン・クリステンとドン・フィオーレ以外なかった』との報告を受けている。
中流階級層街を張らせているメグからも幾度か通信が来たが、彼らはみな地下通路や地下水路を介して移動をしているようだと言っていた。そこを押さえるのが妥当だが、人員が足りないので、夜な夜なゼロスとアーティに鍵を付け替えさせておいた」
しれっとミカエラが言ったら、アレクシスがぶふっと吹き出した。
『ミカ、てめえ大人しくしてろっつったろ!?』
「判断を誤り心配を掛けたことは謝る。でもいつまでも子どもじゃないんだ。ドン・クリステンもご存じだし、Sig.ジェンマが持つマスターキーとおなじ鍵を持つ者たちは全員しょっ引けと言ってある。万が一扉を破り相手が出てきた場合は捕獲できるように配置はしてあるが、ドアに細工をしたからそこから出てくることはないと思う。
地下通路内にいるであろう残党はそちらに任せる。チェリオが鍵を開けられるだろうからな」
『はっ? 俺込みの話だったのか?』
「協力してくれるだろう、チェリオ」
ミカエラの穏やかな声に、さすがのチェリオも断り切れなかったらしい。逡巡するようにぶつぶつなにかを言っていたが、やがてくそっと悪罵を吐いてなにかを蹴るような音がした。いてっとアレクシスの声がした。
『借りを返すだけだかんなっ。レーヴェンとベニーの治療代と、地下街に残っていたやつらの治療代と移送料。それ以外の仕事はしねえ』
「了解した。
わたしは船でSig.オルヴェとともに例の場所に渡る。決して深追いはしない」
アレクシスの溜息が聞こえる。
『躾間違ったかなあ……積極的に動くのはオレガノの有事の時だっつってんのによぉ』
「だからこそ早めにその芽を摘むと言っている。
そもそも、セラフが拐されているのを『オレガノの有事』だととらえていないことになるが?」
通信機の向こうからなにかを蹴るような音がする。今度はチェリオがいてえ! と大袈裟に喚いた。
『尻が割れんだろうが!』
『誰の影響でそこまでお口がまわるようになったかねぇ、ミカ。
ぜってえ深追いすんなよ、ひとつでも傷を付けて戻ってきやがったら、次からはウォルナットにもいかせねえ』
嚇すような口調だ。いつか、アルテミオがアレクシスの弱点はミカエラだと言ったけれど、本当にそうなんじゃないかと思う。過保護すぎだろと口の中で呟く。ふふっとミカエラが笑う声がした。
「過保護な世話係の影響に決まっているだろう、バカなことを。おまえがわたしをこう躾けたんだ。いまさら『有事の時だけ動け』と言われても、もう遅い」
アレクシスの盛大な溜息が聞こえたあとで、「俺、おまえの世話係マジで降りるわ」と情けない声で言った。また大きなため息が聞こえたあとで、若干のノイズが入る。
「電波の干渉? 大丈夫?」
『すまん、ドン・フィオーレからの通信だ。一旦切る。ミカ、Sig.オルヴェを頼んだ』
「了解した」
そのまま通信が切れる。ミカエラに視線を向けると、相変わらずの無表情だけれど、どこか満足げに見えた。
「Sig.エーベルヴァインも言っていたけれど、ふたりとも、深追いをしないこと。例の花を採取したら、戻って来るんだよ」
リュカが少し心配そうな面持ちで言う。ユーリはそれをいつもの挑戦的な笑みで見下ろして、ミカエラの肩に腕を回す。
「怖い怖い准将様がいるんだから、俺がそんな大それたことをすると思う?」
「ミカエラ、プリシピタルを持って行っていいから、勝手なことをしようとしたら落とすんだよ」
ひどいことを言う。「そこまでする?」とミカエラを見たら、ミカエラは「生食で薄めたフォーミック程度にしておきます」と端的に答える。フォーミック。生食で薄めるということは、意識はあるけれど体が痺れて動けなくなる地味な嫌がらせだ。
「えー、ひどっ。そんなことしたら、絶対にオレガノに着いて行かないからな」
「では妙なことを考えず、大人しくしておいてください」
ミカエラの丁寧な話し方は変わらないけれど、だいぶ自分に慣れてきたのか、時々こういうことを言う。リュカが「ミカエラのほうがお兄ちゃんみたいじゃないか」と笑う声がする。釈然としない部分はあるけれど、フォルスでもずっと末っ子扱いだった。しゃべり方も、言い方も違うけれど、こういう返しをされるとなんだか少し安心する。
そういえば、アンナやエドに八つ当たりをしたからなのか、自分の中で蹴りをつけたからなのか、このところ妙な動悸がしないような気がする。あれがカーマの丸薬の離脱症状だったのか、それとも別のことが原因だったのかはわからないけれど。ユーリは悪戯っぽい表情を浮かべてミカエラを覗き込み、「オレガノ軍の末っ子がお兄ちゃんだって」と揶揄するように言ってやった。
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