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Fifteen(3)
「おう、ユーリ、坊ちゃん。俺はこの辺で釣りしてっから、じっくり時間かけて探索してきてもいいぜ」
都合のいいことに大潮に近いからなとネイロが笑う。
「警戒を怠らないのも仕事だろ」
船を桟橋に括り付け、碇を下ろしながらダニオが言う。ネイロだけだと心もとないと言って付いてきた。
「なんかあったらすぐに呼ぶ。このおっさん、釣りに熱中したら周りが見えなくなるからさ」
「るせえ、突き落とすぞ」
ネイロがしわがれ声でダニオに凄むが、いつものことだと言わんばかりにこちらに手を振ってくる。ユーリはそっちも気を付けてと手を振り返し、遺跡の入り口にあるほうへと歩いた。岩肌にあるレリーフに懐中時計を押し付ける。重い音がして岩が動く。それを動かそうとしたが、動かない。
「おっも! チェリオヤバないっ!?」
これ、一人で動かしてたんだけど? と、ユーリが目を丸くする。ミカエラもそれを動かそうとしたが、びくともしない。ガンと岩を蹴るのを見て、ユーリが白けた視線を送った。
「足癖悪いなァ、王子様なのに」
「実家ではやりませんよ、怖い怖い侍従長からなにを言われるかわかりませんから」
早速詰みじゃんとユーリが文句を言いつつ、ミカエラの真似をして蹴ってみるが、やはりびくともしない。今度はレリーフに懐中時計を押し付けながら、岩戸を押してみる。なにかが噛んだような音がした。スムーズに岩戸が開く。ユーリが怪訝そうに眉を顰めた。
「……ちょっと待って」
岩の下になにかが挟まっている。これが邪魔をして開かなかったようだ。ここに来るまでの砂浜に足跡はなかったし、採取したルシアも再び咲いている。摘花された様子もなければ、向こうの崖から来るとしたら、あちら側から登ってくる以外に方法はないし、それ以外だと海を渡ってくるしかない。そう思って警戒したが、岩の間に挟まっていたのはチェリオが持っていたスティック状のものだった。年季が入ったバックパックを使っていたし、道具を取り出した時に落としたのだろうか。割れたそれを手に取り、眺める。中になにかが入っているのが見えた。
かけらが指に刺さらないように割り開き、中のものを取り出す。古びた紙だ。それを開いてみて、ユーリは目を見張った。
「え、そういう?」
ぼそりと呟き、くしゃりと前髪を揉む。西側の爆発事故が起きる前、ユリウスは闇市の売人のアジトに捕まっていたとチェリオが言っていた。あのときにチェリオがドン・クリステンに助けを求めずにいたら、ユリウスはたぶん、その売人と他数名の殺害容疑でピエタに収監され、そのままフィッチに売られていたかもしれないような内容が記されている。
問題視すべきはそこではなくて、そのあとだ。ジジが「オルコのにおい」と言っていたから、ドン・ガルニエがいる側にもなにかが仕掛けられていると踏んだのだけれど、向こうにアランサのにおいがしたということは、もしかして、――。
「なにが書いてあるのです?」
「ユリウスがとんでもない爆弾を仕込まれてる」
爆弾? と、ミカエラが不審そうな顔をする。
「ま、潔く死んでもらうしかねえなァ」
「例の花があれば、その『爆弾』も相殺可能なのでは?」
「それをすると手の内がバレる……っていいたいところだけど、余裕気にしていればいい。
早く会いたいよなァ、そういう『地味に腹の立つやり方』をしてくるヤツ」
捻じ伏せてやりたくなると不敵な笑みを浮かべる。ただ、少々杜撰だ。イル・セーラを舐め腐っている。どうせユーリ自身がビビってなにもしないと踏んでいるのか、それとも“彼”の記憶の中では、自分もサシャも存在していないのか、――。
「では、摘花は中止しますか?」
「いや、採って帰る。これが奥の手だと思っている時点で、俺のことを舐め腐ってるっていう証拠なんだよなァ。ンなわけねえっつの」
ミカエラが怪訝そうな顔をした。
「それを知っているのは、まさか」
「そう、ウォルナットにいる、別の集落のイル・セーラ。きな臭いと思ってたんだよなァ」
「ウォルナットが危ないのでは?」
そう言いかけて、ミカエラがほんの少し目を細めた。
「だから戦闘に長けた者をウォルナットに配備してきたのですか?」
「エドと一緒に、王制復権をしない旨をほかの人たちにも説明しに行ったんだけどさ、王制復権をしないって言った時のあいつの顔、絶対なにか仕掛けてくると思った」
「でも、イル・セーラが同族を裏切るなど」
「オレガノのイル・セーラと、ミクシアのイル・セーラは違うんだ。生きるためならなんでもする。王制復権をすることでなにをしたいのか知らないけど、少なくとも俺は元々エドやフォルス出身以外のイル・セーラは信じてない」
行こうとミカエラに声をかける。その紙をポケットにしまい込み、教会がある場所へと急いだ。
風の流れでふわりと甘く心地のよい優しい香りが漂ってくる。小さな黄色の花を咲かせたそれに混じって、透き通るような白い花が咲いている。教会の周囲一面に咲いたそれを見て、ミカエラが目を丸くした。
「これが、トリニタの?」
「黄色の花のほうがね。白い花のほうはピュリフェっていう万能薬になる花。俺が仕込んだ。共感性が高いものを一緒に植えると薬効が変わってくるんだ。教会内部には純粋なものがある」
「だからあのときこちらから地下街に来られたのですか?」
「そ。まさかそっちが動いているとは思わなかったから驚いたけど」
ミカエラが分からないという顔をする。
「ドン・クリステンは慎重に事を推し進める性質ですし、ネイロもあの時に話を聞いていたと聞き及んでいます」
「ネイロ? なんか別の目的があったんじゃない? それこそエリゼになにかを伝えたかったとか。単純に釣りを楽しみたかっただけかもしれないけど」
言いながら、群生している花の周囲に近付く。ネイロはよく読めないけれど、悪い相手ではない。鋭いし、あれで周囲をよく観察している。
「ずっと気になっていたのですが」
不意にミカエラが話しかけてきた。「なに?」と素っ気なく言いながら、バックパックを下ろして、中から麻袋とスコップを取り出す。
「Sig.バローニは、何故親の名を継いでいないのでしょう?」
言われて、ユーリはミカエラを見上げた。自分も同じことを思っていた。エドに直接聞いたことはないし、いまだから思うけれどきっと“ユーリ”はそういえば自分が納得をすると考えた、苦肉の策だったのだろう。
「さあ。エドに聞いてみたら? 俺が“ユーリ”って名乗ることになったのは、案外、あんたとおなじかもよ」
そう言って笑ったら、ミカエラが不思議そうな顔をした。
「名前と立場を隠すため、ということですか? オレガノには親の名を継ぐという文化がありませんし、不思議には思っていましたが」
「たぶん“ユーリ”はどこかできな臭さに気付いて、俺の名前が外に漏れないようにするために名乗らせなかった。エドが言っていた俺の昔の名前は、あれは本名じゃない」
あの名前は対外的に呼ぶものだ。まさか人前でエドがそう呼ぶとは思わなかった。よほど切羽詰まっていたか、本当にムカついていたか。フォルス外の
イル・セーラたちから止められるほど言い合いをしたときに、言われたことがある。
イル・セーラたちはみんな疑心暗鬼になって、出身地がおなじ、若しくは親類以外と付き合わなくなった。会ったことがなくても、不思議と顔を合わせると懐かしい気がすると言われて、頭を撫でられた。エドのせいでほかのイル・セーラたちはユーリの名を前の名前でインプットされたみたいで、妙にムズムズする。アイラはほかの大人たちがユーリを違う名前で呼んでいることにきょとんとして、違うよとでも言いたそうだったけれど、それでいいとごまかしておいた。
あれとは別に家族だけに呼ばれていた名前があった。懐かしい響きだと思う。オレガノのトリニタの元になったこの花の名前と同じだ。それはミカエラには伝えていない。
丁寧に根を掘り出して麻袋にいれる。瓶に土と砂を入れ、いくつかは土ごと持って帰れるようにしていると、ミカエラが近付いてきた。
「あの奥には行かれましたか?」
「行ったよ、見覚えのないレリーフがあった」
「これでは?」
ミカエラが軍服の胸ポケットから取り出したのは、教会の奥で見かけたものとおなじレリーフが彫られたペンダントトップだ。ユーリが目を見張って立ち上がった。
「うちにはこのレリーフしかなかったけど、この場所は第二王族も知っていた……ってこと?」
おそらくはと、ミカエラが言う。だとすると、100年以上開けられていないことになる。その割には砂がそこまで溜まっていなかったし、“ユーリ”は人付き合いがいいし、オレガノのベルダンディ家に自分とサシャを預けようとしていたことからも察するに、じつはひそかにオレガノの王族とやりとりしていたんじゃないだろうか。ユーリはミカエラの手首を持って引っ張っていった。
教会の奥、フォルスの家の地下にあった祭壇と同じものがある場所へと急ぐ。そこに自分の懐中時計を押し込む。ミカエラにも同じように促して、ペンダントトップを押し込んだ。重い音がして、祭壇の下にある暖炉の部分から音がした。階段になっているようだ。
「Sig.オルヴェ、深追いをするなと、アレクシスが」
「いや、ここまで来たら行くしかないだろ」
興味ない? と、ユーリ。ミカエラは少しの間考えているようなしぐさを見せたが、首を横に振った。
「いけません、例の花を摘花するために来たのです」
「俺がなんで『復活の儀』のことを知っていたか、教えてあげようか?
アスラが持ってきた本に書いてあった」
ミカエラが驚いたような顔をする。視線をさまよわせ、そんなわけがないというように眉間にしわを寄せた。
「Sig.オルヴェ、流石にそれは通用しませんよ。わたしはあの中身を見たことがありますが、そのような記述はありませんでした」
「あれ、じつはアナグラムで目次部分に思っくそ書いてあったよ」
冗談でしょう? と、ミカエラ。
「読みたい? 知りたい? だったら下行こうよ。興味あるだろ、自分に嘘を吐くのはよくないぞ」
ミカエラが心が落ち着かないと言わんばかりに軽く左胸を触った。この顔は揺らいでいる。迷いはあるものの、あと一押しすれば落ちる。
「着いてきてくれたら、アナグラムの解き方だけなら教えてあげる」
楽しいよと、悪い笑みを深める。明らかに迷っていたミカエラが、少し唸ったあとで息を吐いた。
「立場上はだめだと言いたいところですが、個人的に興味があります」
勝った。ニヤリと口元をゆがめ、レッグホルスターに仕込んでいたペンライトを取って照らしてみる。片足だけで階段を踏み込んでみるが、崩れる様子はない。近くに落ちていた小石を投げ込んでみる。階段を小石が転がり落ちていく音はかなり続いた。だいぶ深いようだ。振り返り、悪戯っぽくにいっと笑うと、ミカエラは妙に真剣な表情で眉間をつまんでいた。
「ぼくはなぜ好奇心を優先してしまったのだろう」
アレクシスになんと言おうと溜息交じりに言う。
「言わなきゃいいのに。探求心と好奇心がないのは死んだも同然っていうじゃん。イル・セーラの習性には逆らえない」
俺ならリュカにも誰にも報告しないと言って、すたすたと階段を降りていく。待ってくださいとミカエラが追ってくる足音を聞きながら、仄暗い道を進んだ。
***
「で?」
ウォルナットに戻ってすぐに、ミカエラの態度ですべてが露見した。あからさまにキレ気味のアレクシスを前に、ミカエラがしゅんとしている。
「だぁからてめえにゃ無理だっつったんだ、泣かすぞ」
結局はSig.オルヴェに丸め込まれてんじゃねえかと、アレクシスが語気を強める。
「べつに怪我なんてしてないし、過保護すぎだろ、Sig.エーベルヴァイン」
そもイル・セーラは好奇心を抑えられない習性の持ち主だと、何食わぬ顔で言ってのける。おまえもおまえだとアレクシスが今度はユーリに怒りをぶつけるように立ち上がった。
「勝手に遺跡に入った挙句に、なんつーもん持ち帰ってくんだ!」
馬鹿なのか! と、アレクシスが怒鳴る。ユーリはしれっと「戦利品」と言ってのけ、物珍しい植物をうっとりしたように眺めた。
「成分分析したいから、説教はよ終わらせて。そも説教される謂れがない」
反省するそぶりなど一切ない。
遺跡の中をすべて探索したわけではないが、階段を下りた先は地下街のものよりも質がよく純度の高い輝鉱石で作られており、ライトがなくてもかなりの明るさだった。
それに、おそらく温泉が湧いていた箇所と似たような性質を持つ、人がふたり入っても余裕なほどの大きさの石甕に溜まった水には、ユーリが昔地下室の奥にある『立ち入り禁止区域』で見つけた花と同じものが自生していた。そんなものを見つけたら持ち帰らないわけがない。
その場所には古書が所蔵されていて、どれもユーリの好奇心を満たすには十分すぎるものだった。まだ帰らない、まだ帰らないを繰り返し、流石に焦れたミカエラに抱えられてネイロたちの元に戻ったら、簡易式のテントを張っていびきをかいて眠っている時間だった。
当然、そんなに滞在する予定ではなかったものだから、戻ったらリュカから罵倒され、ドン・クリステンからも若干怒られ、いまはアレクシスからこんこんと説教を受けている。
「首絞めていいっすか?」
「いいわけないけど、この人の無鉄砲さはもう呆れる以外ないね」
「まじで地下室に閉じ込めてやろうか、てめえ」
「やめておいたほうがいいよ、この人同じ本をずっと読み込める変態だし、本がなかったら頭の中でずっとなにかの計算をしているから」
口々にひどいことを言われているが、ユーリは聞いてなどいない。それどころか、好奇心の塊のような目を爛々と輝かせて、いつものようにねえと人懐っこく話しかけた。
「持って帰ってきた本も読みたいし、マジではよして」
いままでのやり取りを横で見ていたドン・クリステンが、はあと呆れたような溜息を吐いた。
「Sig.エーベルヴァイン、これ以上は無駄だ。好きにさせてやりたまえ」
「ああもうっ、あんたらが甘やかすからでしょうが! おいコラ、ガッティーナ! ちゃんと話聞かねえなら二度と遺跡に入らせねえぞ!」
アレクシスが語気を強めて言った途端、ユーリがにいっと不敵な笑みを浮かべた。
「別にいいよ、一番興味があるものを持って帰ってきたし」
もうちょっと入り浸りたかったのにミカエラが無理やりと、わざとらしく言ってのける。当のミカエラは完全にしょげているというのに、ユーリはどこ吹く風だ。
「好奇心に負けたわたしが悪い」
ぼそりとミカエラが言う。アレクシスはフォローをするわけでもなく、「もう絶対に前線に出させないからな」と追い打ちをかける。
「落としてでも連れて帰れよ!」
「あの古書を見たら、オレガノの考古学者だってテントを持ち込んで入り浸りたくなる」
「だからってなあ! ウォルナットは何事もなかったけど、なにかあったらどうするつもりだったんだ!?」
マジでふざけんなとアレクシスの怒号が飛ぶ。
「なにも起こらなかった?」
ユーリが不思議そうな顔をした。ドン・クリステンを見やるが、そのとおりだとばかりに頷く。
「あれ、尻尾出さなかったんだ?」
「尻尾とは?」
「おじさま連中からなんの報告もない?」
「ないけど」
リュカが怪訝そうな顔をして言う。ふうんとなんの感情も乗っていない声で呟いて、ユーリがゲストハウスのほうに視線をやった。
「そろそろなんか行動を起こすと思ったんだけどなァ」
「はっ?」
リュカが意味が分からないという顔をした。
「イル・セーラが減っているとか、村人がいなくなっているとか、本当になんもない? 警戒した?」
「向こうにはちゃんとぼくの部下がいるけど、なんの報告もないよ」
ユーリはまたふうんと言って、床に視線を落とした。
「やめた? それか、時機を見ているのか?」
「エドが言っていた“ネズミ”となにか関係している?」
読み違えたかな? と、しれっと言う。そしてアレクシスの説教など微塵も気にしていないそぶりで窓のほうへと向かい、小窓を開けて外に身を乗り出した。
「あれ、もしかしてあいつら全員グル?」
「イル・セーラたちが?」
「コレットとアイラはないと思うけど。まァ、あくまで可能性の話だから、そうじゃなかったんだったらそうじゃないでいいんだけど」
「Sig.オルヴェ、それは同族すら疑ってかかっているという意味か?」
「そうだけど?」
なんで? と、ユーリが不思議そうに言う。
「ここにいるイル・セーラはさすがに裏切らんだろ?」
「言い切れる? 俺はサシャとふたりきりになってから、ずっと自分とサシャ以外信じていない。同族だからっていう根拠のない理由だけで裏切らないなんて有り得ない」
「いや、ちょっと待て。じゃあオレガノのイル・セーラに対しても?」
「ほかの人は知らないけど、少なくともあんたとミカエラは敵意がないし、裏切らないとは思う。思うけど、その時のことを想定しておかないと」
アレクシスがユーリの胸倉をつかんだ。ユーリは人懐っこい笑みに冷徹さを加え、まるで挑発するかのように目を細くしてアレクシスを見た。
「なに? 手放しで信じてほしかった?」
「おまえの生き方を否定するつもりはないけど、“それ”はやめておけ。それは例の男とおなじ思考で」
そう言いかけて、アレクシスが眉根を寄せた。ユーリもアレクシスの言いたいことに気付いて、わざとらしく小首を傾げて見せる。
「『そういう心理』を味わいたかったの」
アレクシスがくそっと言いながらユーリの胸倉から手を放し、勢いよく頭を叩いた。
「紛らわしいことすんな、クソガキ!」
「いった、記憶飛んだらどうすんだよ、馬鹿力! 西側の調査チームが危なくないようにっていう俺の配慮を無に帰すつもりなら、てめえだけ無装備で西側に行け、陰険ド変態野郎!」
そういったあとで、ユーリがはたとなにかを思いついたように目を輝かせた。
「ねえ、それがいい。そうしよう。あんただけノーマスクで行ってきて」
「ガブリエーレ卿、もう殴ったけどこいつ殴っていっすか?」
「どうぞ。ぼくはもう呆れて物が言えないよ」
「遺跡の地下にあった古書に、土壌の無毒化について記載があったんです」
ぼそぼそとミカエラが言う。まじかとリュカが目を丸くする。
「その本に書かれていた文字が珍しすぎて、つい」
「エトル語の解読、楽しいでしょ?」
ミカエラがかなりの間をおいて頷いた。アレクシスが大袈裟な溜息を吐く。
「この馬鹿! 懐柔されてたんじゃねえか!」
ほんとにおまえはと、アレクシスがミカエラを睨む。
「土壌の無効化が可能なら、カルケルの採取をしに行かなくても?」
リュカに問われ、ユーリは首を横に振った。
「いや、あれは必須。あくまでも無毒化であって、土壌の改善にはつながらない。むしろカルケルみたいな異物がなければ土壌の微生物が死んで作物や植物が育たなくなる可能性がある」
「現状はその無毒化さえできれば問題がないのではないか?」
ドン・クリステンまでもが言ってくる。ユーリは面倒くさそうに眉を顰めて、前髪をくしゃりと揉んだ。
「自分だったら許せる? いままで住んでいた場所が急に荒らされて、荒廃したままにされているのが。
あそこはいずれ西側の居住区の人たちがまた住むかもしれないから、ちゃんとしておかないと。もし住まないって判断をしたなら、農耕地にでもできるように土地を肥やしておかないと困るのは自分たちだよ」
あーあァ、フォルスに帰りたいと、嘆くような、それでいて試すような口調で言ってのけ、もう一度ゲストハウスのほうへと視線をやった。
「あらら、これは目論見ハズレかな」
バレちゃう? とユーリが言った時だ。緊急用の通信機がけたたましく鳴った。
「なに、どうしたの?」
『リュカ坊ちゃん、Sig.エーベルヴァインか坊ちゃんに、すぐに三軒先のゲストハウスに来るように言ってくれ! エドがヤバい!』
すべてを聞き終えるが早いか、アレクシスとミカエラがすぐさま部屋から出て行った。
「足はやっ!」
二人の動きの良さに驚いて、思わず声が出た。地下街から出たあともそうだったけれど、あの二人はなんだかんだ言ってものすごく息が合っている。
「彼らは特殊部隊だし、連携が取れているからね。
それで、キルシェ。緊急用の通信網を使用したということは、やはり尻尾を出したのか?」
ドン・クリステンがキルシェに尋ねる。
『目論見通りで。エドがほかのイル・セーラたちを連れて森に行っておいてくれっていうから応じたんだが、ひとりついてこなかったのがいて、それを呼びに行くって言ったきり戻ってこねえ』
「ほかのイル・セーラたちはいま、どうしている?」
『なにかあってはいけねえからと、ファリスが別のゲストハウスに全員移動させた。一応いまロレンが中の様子を探っているが、よくわからねえらしい』
「なるほど、それで二人の力を。しかし、ユーリ、きみはなんで気付いた?」
ドン・クリステンが怪訝そうに尋ねてくる。楽しんでいるというよりは、この状況が想定外だったとでも言わんばかりだ。
「え? なんでって?」
とぼけたように言いながら、愉悦の入り混じった無邪気な表情を浮かべ、肩を竦める。ドン・クリステンの視線がやや痛いけれど、余裕ありげにふふんと笑ってみせる。
「言わなかったっけ? イル・セーラは『かわいそうなふり』をしていれば、ある程度ころっとみんなが騙されてくれる……って」
まさかとドン・クリステンが言ったとほぼ同時に、アレクシスの声がした。
『ミカ、おまえは裏に行け。敵がひとりとは限らねえぞ』
『窓から行けばいいのでは?』
『バーサーカーみたいな発想すんな、ボケ』
『マジで足はええな!』
キルシェが驚きの声を上げる。後ほど報告すると言って、キルシェが通信を切った。
「ウォルナットは安全……ねえ」
ユーリが冗談めかしていいながらリュカを見る。リュカは面倒くさそうに溜息を吐いて、ドン・クリステンを睨んだ。
「レナト、きみのせいだぞ。ウォルナットを手放さなければいけなくなったら、ノンナたちはどこで生きていくんだ?」
「そうはさせないさ。アンナが次の手を打っている。あれを本気にさせると過激スイッチがはいるので少々厄介だが、おもしろい情報が手に入った」
「おもしろい情報?」
「リュカ、きみのところのトートとハピが殺されたことと、エディンの暗殺には共通点があった。それが『イル・セーラの保護とフォルスの自治区化』を目的とした、オレガノとの国交正常化だったんだ」
「それ、本当?」
ユーリが怪訝そうな顔をする。リュカも苦い顔をしていたが、だとするとと視線をさまよわせる。
「本当だとしたら、詰んでない? これ以上は手の出しようがない」
そう言いかけて、リュカがハッとして顔をあげた。
「ちょっと、レナト、もしかして」
「おっと、そこまでにしておいてくれ。俺もたまには動かないとな」
ドン・クリステンが軽くホールドアップして見せる。自分がから動こうとするなんて、本当に珍しい。すべての準備が整った、と言うことだろうか。ユーリはそれを白けた表情で眺めた。
「だから狙われるんだよ、大人しくしておけよ。オレガノとの交渉のために帰ってきただけなのに」
ぼくなら面倒すぎて狙われないように大人しくしておくぞと、リュカが重いぬかるみを振り払うように、面倒くさそうな声色で言った。ドン・クリステンが余裕ありげに笑ってみせる。
「オレガノは安全地帯だから、命を狙われるなど経験しなかったからな。久々で楽しかったよ」
ひさびさ? と首をかしげると、ドン・クリステンが「きみはまだ知らなくていい」と、ユーリの頭をぽんぽんと叩いた。
通信が入った。リュカが通信機を起動させると、ノイズのあとでキルシェの声がした。
『制圧完了、誰一人怪我人はいねえぜ』
「さすがキルシェおじさまとロレンおじさま、頼りになるね」
『それがよぉ、エドはなんなんだ、ありゃあ』
キルシェが困ったような口調でいうのが聞こえてくる。その声を想像したのか、それともエドを想像したのか、ユーリがふはっと吹き出した。
『Sig.エーベルヴァインと坊ちゃんがそれぞれ表と裏から突入して雑魚を蹴散らしたまではいいが、中に押し入った奴はとっくにエドにのされちまってたらしい』
ユーリが楽しそうに笑いながらその言葉を聞いていたが、ドン・クリステンが意想外な顔をしたのを見て、ふふんと自慢げに片眉を跳ね上げた。
「そりゃそうだろ、誰が南側のスラムの面倒を見ていたと思ってるんだァ? “あの”ナザリオとエリゼだぞ。どうせなんか仕込んでるって、エドとここで出会った時にすぐにわかった」
ひょろかったのに胸筋と上腕筋がすごかったと、ユーリ。
「もしかして、かわいそうなふりっていうのは」
「そう、『か弱いはずの羊』を演じていただけ」
マジで適任だわと、ユーリが呆気に取られていたであろう相手の顔を想像して、楽しさから愛嬌よく笑う。
『Sig.オルヴェ、なぜイル・セーラのなかに間者がいるとわかったのです?』
「なんでだと思う?」
ふふんと余裕気な笑みを浮かべ、両手をあげて伸びをする。
『見覚えのない顔、ということはないでしょうから、摩り替り、ですか?』
「麓の村に住んでいた『ノルマとイル・セーラのダブル』の人。あれが“ネズミ”。
栄位クラスに入る前に南側のスラムに行った時、こっそりフォルス出身の仲間だけに会わせてもらったんだけどさ。そのときにその人が言ったんだ。『同郷のイル・セーラ以外は信用するな』って。
それもあったし、最初にアイラがこっちに来た時に、やたらとチェリオに懐いていたから不思議に思っていたんだ。ノルマ語に慣れているのはナザリオやエリゼたちがいるからだと思っていたけど、じつはもうひとり通訳のような役割をしていたっていうのが、その人」
『なぜその方がすり替わっていると?』
「その人ねえ、元々病気で喉がつぶれていて、喋れないはずなんだよね」
どう考えてもおかしいでしょと、ユーリが言う。リュカの眉間にしわが寄る。
「フィッチでその人と同じ顔にしたってこと?」
「喉を治す技術が向こうになければそう。完全なる別人。
ステラ語が第一言語のイル・セーラは、どうしてもノルマ語を発音するときに“癖”がでる。俺は子どものころからノルマ語も喋っていたからそうでもないけど、あとからノルマ語を習得した場合は舌が長いとちゃんと発音できないところがある。俺はべつに舌が長いわけじゃないから、ステラ語をしゃべると逆にちょっと舌足らずな喋り方になる」
つらつらと説明をすると、ミカエラたちがなるほどと納得するような声が聞こえてきた。
「その人の尋問はオレガノに任せた。俺は持ち帰った花の成分分析をして、諸々調合してくるよ」
実験最高と間延びした声で言いながら、ドン・クリステンのまえを通り過ぎる。どこか心配そうな面持ちにも見えたが、ユーリは人懐っこく笑ってみせた。
「ユリウスの尋問はこっちにさせてよ。ベアトリスが軽く処置をしてくれているって聞いた。成分分析が終わったら声をかけるから、地下室に運んできて」
なるべくエグイ拷問の方法、誰か知らない? と、敢えて尋ねてみる。ドン・クリステンがやや呆れたような表情だったが、「それはSig.エーベルヴァインに頼みたまえ」とまるでユーリの目的に気付いたように薄く微笑んだ。
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