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Ten(5)★
ファリスの長年の夢が漸く叶う日が来た。ドン・クリステンに『ファリスに手伝ってもらう対価として抱かれて来い』とにこやかに命令されたユーリは、数時間前から奥にある防音室にこもっている。
なんでそんなものがここにあるのかとリュカに尋ねたら、拷問部屋だよとにこやかに言ったのを脳裏に浮かべつつ、ドアに耳を宛て聞き耳を立てる。防音と雖も完全ではないから、子どもたちはキルシェたちに連れられて森に遊びに行っている。ミカエラも仕事でいない。
部屋の中からベッドが軋むような音と、ユーリの微かなよがり声が聞こえてくる。甲高い声だ。チェリオとの情事の際は出さないようなエロい声に、一気に下半身が熱くなる。もぞもぞと股間を触りながらドアの向こうの音に集中した。
ユーリの嬌声が近付いてくる。そうかと思うとどんとドアが揺れた。ちょっと待ってとユーリが慌てた声がしたが、誰もいやしねえよとファリスが笑う。どんどんとドアに身体が当たるような音が響く。それに伴ってユーリの甲高いよがり声がクリアに聞こえてくる。当たってると切なげに言いながらよがり、恍惚とした声をあげるせいで、なにをされているのかがわかってしまう。チェリオは鼻息を荒くしてその声に聞き入った。
いいなあと思う。そういえばあれからユーリに悪戯していない。誘えば普通にヤラせてくれるだろうから、今度ミカエラがいないときに言ってみるかとよこしまな思いを懐く。
肌がぶつかる音がこちらにまで響いてきそうなほど激しい。またドアが揺れた。今度はドアに充てている自分の耳にユーリの声がダイレクトに聞こえてくる。かあっと顔が赤くなった。
耳が良くてよかったと心底思う。普通なら多分防音室のドアに遮られて聞こえないか、微かに聞こえるかのどちらかだろう。
揺さぶられるたびに漏れる吐息に混じって甘くよがる声で、どんなタイミングでどう突かれているのかすらありありと分かる。緩急をつけて、ユーリをただ乱暴に抱いているわけではなさそうな動きだ。ユーリのエロい声でどれだけじらされたのかがよくわかるほどで、思わず喉が鳴る。
ユーリはセックスの時に焦らしまくると蕩けたエロい声をあげる。いつもは余裕気なくせに、甘やかされるセックスやしつこい愛撫に弱い。チェリオ自身そこまでねちっこいセックスは趣味ではないけれど、ユーリがいい声をあげてよがるのなら我慢を覚えようかと思うくらいによがり声が違う。
ただ乱暴に犯されたり、相手のペースでガンガン突かれるだけならわざとエロい声をあげて“演技”で相手を興奮させてさっさとイカせてしまったり、どこまでが演技かわからないほどキマった演技もお手のものだけれど、これも演技なら大したもんだ。
聞き耳を立てているだけのチェリオですら興奮で前が張り詰めているのだから、実際にユーリを抱いているファリスはもうなにか媚薬でもキメたかと思うほどガチガチに固くなっているだろうと想像する。
奥を突かれたのか、ユーリのだらしなくよがる声がした。ナカイキしているらしく、切なげな、でも甘えたようなエロい声が聞こえてくる。またドアが揺れる。体勢を替えられたらしい。
それヤダとユーリの悲鳴にも似た声がした。あ、これはアレだと悟る。ユーリはキスマークを付けられたり、セックスのときに乳首を吸われるのを嫌がる。キスマークを嫌がるのは単に腹回りや内腿が性感帯だからというわけではなく、イル・セーラの矜持のようなものらしい。あと自分がフェラをするのはいいけど、されるのはあまり好きじゃない。もちろん前をしつこくいじられるのもだ。
あんまり嫌がられるとついやりたくなってしまうのが男の性だ。当然ファリスもそうらしく、ユーリの抵抗する声が大きくなる。
じゅうっと強く吸う音とほぼ同時にユーリの甘い声とドアに体がぶつかるような音が響く。短くて荒い息遣いに堪えきれない淫らな声が聞こえてくる。肌がぶつかり合う音まで聞こえてくるようなほどだ。ファリスがすげえなと興奮したようにいうのが聞こえてきた。
ドアに体を押し付けられた状態で、乳首を吸われながら掘られているのか、ちゅくちゅくと啄むような音と甘い声が、そして凄い腰遣いで抱かれているのがわかるほどドアが鳴く。なにも知らない子供たちがいたら地下室のホラー話が噂になるだろうし、大人たちは大人たちでファリスの武勇伝を聞きにくるんじゃないかと思うほどにすごい。
ユーリが一際甲高い声で鳴いた。ずっとナカでいっているのかねだるような甘い声が上がる。パッションフルーツでも吸ってんのかと言いたくなるほど下品な音がしたかと思うと、ユーリがやめろと半ばキレ気味に言う声がした。キレ気味だけど快感に震えているのとところどころ上擦っているせいでひとつも怖くない。案の定ファリスが辞める気配はなく、ユーリの否定的な声がどんどん甘い声に変化していく。そのせいでさっきから前が痛い。完全に勃起しているそれを擦り、チェリオはくそっと口の中で呟いた。
金も欲しいけどユーリを定期的に抱きたいって言っておけばよかったと後悔する。ドアの向こうからユーリがイッたのだと分かるような、蕩けた声がした。断続的に続くその耳に絡みつくような吐息交じりのそれに、チェリオはもう前が痛すぎて前かがみになった。ユーリがまたなにか抵抗するように叫んだがその声が遠ざかっていく。部屋に帰って自分で処理するか、それともワンチャン狙うか――。
シャツを引っ張って隠そうにも完全に立っているのがわかるほど張っていて、このまま部屋に戻るのも嫌だなと思い、なんとか収まるのを待つ。
少ししてどすどすと足音が聞こえてきた。乱暴に部屋のドアが開かれる。ファリスかと思い来や、ユーリだった。さっきまであんなにアンアンエロい声をあげていたのと同一人物とは思えないほど凶悪な顔をしている。
嘘だろと思い部屋の中を覗き込むと、ファリスがベッドの上でがあがあといびきをかいて眠っているのが見えた。胸倉をつかみ上げられる。
「チェリオくーん、よくも俺を売ってくれたなァ」
ユーリの顔は全く笑っていない。これはガチで怒っていると感じて、チェリオは愛想笑いをした。だってしょうがないじゃーんと軽く言ってのけると、ユーリにそのまま引っ張ってどこかに連れて行かれる。連れてこられたのは奥の倉庫だった。乱暴に部屋の中に放り込まれ、ユーリも入ってくる。後ろ手に鍵を閉めたかと思うと、どんと床に押し倒された。
「さっきまであんなにアンアン鳴いてたくせに」
ユーリの腰を膝で擦ってやると、うんっとエロい声をあげて腰がしなった。
「あいつ化け物か? 催眠効果の媚薬嗅がせて途中で俺としけこんでいる夢でも見せて落としてやろうと思ったのに、全然効かねえの」
さっきやっと寝たとユーリが苦い顔をする。
「で、俺はなんで押し倒されてるんでしょうね?」
「腹立つから八つ当たりさせろ」
そう言ってユーリがチェリオの着古したズボンのボタンを外す。ファスナーはチェリオの高ぶりで歪になっているが、わざと先端に引っかけるようにして下ろされる。チェリオはうぐっと唸った。
「いれさせてくれんの?」
期待を胸に尋ねると、ユーリの片眉がすいと上がった。
「じゃあこっちで」
下着を掻き分け、ぶるんと飛び出てきたペニスをユーリが触る。すでに臨戦状態のそれはいまにもイキそうだが、イッたら最後だと言わんばかりに耐える。
「あのローションないの?」
「あるわけねえだろ、ここ倉庫だぞ」
ユーリはきょろきょろとあたりを見回して、じゃあいいやとためらいなくチェリオのペニスを頬張った。
「うひっ!? おいっ、歯ぁ立てんなよっ!」
「うっせえ、八つ当たりだっつってんだろ」
不良品よこしやがってとしゃぶりながら言ったせいでかなり間抜けな発音だったが、その唇と舌の動きであっけなくいきそうになる。チェリオは口元を押さえてふうふうと息を荒らげた。
不良品といわれてピンとこなかったが、ユーリが指にはめている少しゴツめのシルバーリングを見て思い出した。内容液が針の先端まで行き届かなかったのだとすると、ピストンするためのバネが弱すぎたのかもしれない。いまそれを言ったら確実に復讐されると思い、口を閉ざす。
カリ首までを口に含んでちゅぷちゅぷと舐められる。先走りとユーリの唾液が混じりいやらしい音が上がる。イキそうになったせいで腰が浮く。ユーリがうんっと唸って根元を握りこみながら口を離した。唾液をチェリオの先端に伝わせ、手のひらで先端を滑らせるように触られる。またチェリオが呻き声をあげた。
「っ、くそっ、イカせないつもりかよっ」
「俺になにか言うことあんだろうが」
片方の手でチェリオをイカせるように裏筋や亀頭辺りを手でこすって刺激をしてくるくせに、いざイキそうになって腰が浮きかけたら根元を握りこんで射精を防がれる。それをさっきから何度も繰り返され、チェリオはちくしょー! と声を荒らげた。
「ドン・クリステンに情報売って悪かったよ! さっさとイカせてくれ!」
チェリオが勢い任せに言うと、ユーリがまたチェリオのペニスを咥えた。今度は根元のあたりまでしっかりと咥えられる。喉の奥まで飲み込みそうな勢いで思わず腰が浮くが、ユーリにしっかりと根元を握られているせいでイケそうにない。
「ユーリっ、頼むからっ! チンコ爆発するっ!」
ユーリはがぼがぼと音が立つほど口をすぼめてチェリオのペニスを愛撫していたが、すぐに顔をあげて軽く咳をした。爆発しちまえと淫らな表情で言われる。挑戦的でいて色っぽく、これでこそユーリと思うような淫蕩で背徳的な表情のせいでびっくりするくらい赤黒くなっているそこから精液が吹き出そうになったが、ユーリにさらに強くそこを握られる。いででで! と声をあげたが力を緩めてくれる様子はない。
「ごめんってっ! ほんと悪かったよ!」
「本当に悪いと思ってんなら、あんなところで聞き耳立ててねえだろうが」
しかもこんなぱんぱんに勃起させやがってと言われ、チェリオは両手で自分の顔を覆った。
「しょうがねえだろ、おまえの声エロいんだよ!」
「あァ? そんなもん理由になるかよ」
「理不尽!」
ユーリはチェリオを解放する気などさらさらないらしく、裏筋を親指ですりすりと刺激したり、先端に溜まった先走りを指に絡めて何度も指を上下させたりする。視覚的にもエロいというのに、ユーリのどこか嗜虐的で、でも好奇心を孕んだ両極端な表情がさらにチェリオの快感を高める。びくびくと震えるペニスの根元を片方の手で押さえられたまま、別の手で付け根を刺激したり、カリ首を指に引っかけて先端に皮が集まるように手を上下されながらも器用にお親指で裏筋を刺激される。そんなことをされたらたまらない。
「ううううっ、マジでイかせっ、イカせてくれってぇっ!」
裏筋を刺激するユーリの手が早くなる。うぐうと唸り、腰が浮くタイミングを見計らい、ユーリが手を止めてまた根元を強く握られた。先端まで熱が競りあがってきていたというのに、こんなことをされてはたまらない。どぷりとすこし零れた精液がやけに熱く感じて、チェリオははあはあと息を荒らげながら情けない声をあげるが、ユーリはまるでそのつもりなどないと言わんばかりに、根元を掴んだまま別の手で根元から先端までをまんべんなく扱くような動きに変えた。チェリオがたまらずバタバタと手足を動かした。
「まじでっ、頼むってっ!」
おまえがリビルドの葉っぱ食った時に助けてやったろ! と叫ぶ。ぴたりと手の動きが止まる。はあはあと息を荒らげながらユーリを見やると、にやあと音がしそうなほど不敵に笑っているのが見えた。
「そんな昔のこと忘れちまったなァ」
性根が入らないもんで忘れっぽいんだよなァと意地の悪い笑みを浮かべて言う。そりゃ二コラがおまえに言ったことだろうがと叫んだが、ユーリが割と本気でキレていることに気付く。ぷにぷにと裏筋のハリを確かめるように刺激をされていたかと思うと、ユーリが親指と人差し指をくっつけてO字状にした指を上から近付けてきた。笑顔が怖い。色っぽさをにじませてはいるものの、その背後にあるのはあからさまな怒りだ。
「まじでっ、俺がなにしたっつーんだよ!」
そう叫んだがユーリが辞めてくれる気配はない。玉の上、根本あたりをしっかりと握ったまま、O字状にした指をペニスに絡ませ扱いてくる。先端から根元まで、途中からカリがひっかかるあたりまで、そしてまた途中からカリを指でわざと刺激するようにして先端までと執拗に愛撫される。快感のせいで腰が浮き、ユーリの手の動きに合わせて腰が上下する。ユーリは悪戯っぽく、そして色を孕んだ笑みを深めた。
「調子に乗んなよ、くそ野郎」
地下街で俺が寝ている間にいろいろしてくれた礼だと言って、手を上下させる。ペニスがびくびくと震えると同時に腰も浮き上がる。ユーリはただでイカせるかと言わんばかりに片眉を跳ね上げた。
「オラ、イキたきゃ自分で腰振ってイケよ」
絶妙な力加減で亀頭を刺激され、チェリオはまたバタバタと足を動かした。
「ちくしょおおおおおっ!」
てめえ覚えてろよ! と叫びながら、ユーリの手の動きに合わせて腰を振る。同時にユーリの手の動きが何度か真ん中あたりからカリ首までを扱いたあとで指がカリ首に引っかかるようにして抜くようなものに変わる。抜いたらまたO字状にした指を先端の穴を広げるようにしながら亀頭を通り抜けて根本あたりまでを扱くように動かされる。何度もその動きを繰り返され、チェリオは半泣き状態で喚きながら腰を振ったが、ユーリの長い足が腿の上に乗って邪魔をしているせいで満足に腰を振ることすらできなかった。
「ぜってえあとでひいひい言わせてやる!」
「やれるもんならやってみろ、チェリー野郎!」
ユーリの手の動きが激しくなる。根元を掴んでいた手が離れ、先端を摩擦される。チェリオはぐうっと唸りながら腰を突き出した。ぶしゅっと精液が吹き出した。ばたばたと顔にかかる。はあはあと胸が上下するほど喘ぐチェリオを解放して、ユーリは自分の顔にかかったチェリオの精液を手の甲で拭い去って、上から四つん這いになって覗き込んできた。
「二度と俺を出し抜こうとするなよ」
精液の付いた手をシャツで拭かれた。快感のせいで朦朧とする意識の中、せめて酸素を吸いこもうと息を荒らげるチェリオの耳に、次にやったらケツ掘ってやるというユーリの不穏な声が届いた。
***
ウォルナットに来て約2週間ほど経過した。地下街での潜伏生活の疲れをとる意味合いで仕事を回さなかったとニコラから言われる。ドン・クリステンの名代で来たらしく、地下街にいたほぼ全員が宿泊しているゲストハウスのリビングにチェリオたちを集めた。パメラやエルたちはイデア姉さんと野良仕事の手伝いだ。
「ドン・クリステンからの指示というよりは、ユーリからの軍部への苦情に近い要望なのだが、地下街の奥へ行ってカルケルをとってきてほしいそうだ」
チェリオがは? と声を荒らげた。
それはドン・クリステンとオレガノ軍が組んでピエタの下部組織の手にユーリが渡らないようにと芝居を打ったことが発端だ。そもそもあれがなければ自分たちはピエタの下部組織に殺されていたかもしれないわけだし、無碍に断る理由はない。でもなんとなく釈然としない。
「そっちは誰が着いてくんの? エリゼやほかのアリオスティ隊の連中も誰一人として見かけないから、どうせ人員が足りてねえんだろ?」
ニコラが少々気まずそうな顔をした後で、ふうと息を吐いた。
「Sig.ベルダンディが着いていかれるそうだ」
ロレンたちが意想外な声を上げた。
「あの坊ちゃんが強いのは知っているが、俺たちは獲物を持てねえ。それを一人で……ってこたねえだろ、他に誰が着いてくるんだ?」
おまえさんか? とロレンが問うと、ニコラが首を横に振った。
「北側にオレガノの駐屯地がある。そちらに別働部隊がいるし、一人でも問題ないと仰るのでそうなった」
生憎Sig.エーベルヴァインは別件で市街を離れておられるとニコラが言う。キルシェが訳知り顔で肩をすくめる。
「だったらこちらも分散させた方がいい。じゃんけんで決めるか?」
「ユーリが奥地の薬草をとも言っていたらしいから、潮位によっては潜伏する可能性もある。野営の経験者と、土地勘がある方がいい」
「じゃあ俺はパスだな。レーヴェンと一緒にこっちに異常がないかを見張っておく」
「土地勘云々って言ったら、俺か。んじゃ、ロレンとファリスに頼む」
「おい、俺も連れて行け」
ネイロが声を尖らせる。チェリオはうるせえヤニカスとネイロの義足側を蹴った。
「おまえはユーリを見張ってろ。あいつ、研究に煮詰まったら絶対に何か訳のわからんことをしでかす」
「潜伏中もキルシェにいきなり組み手教えてって言い出したり、地下街の水源全部回ったり、イデアに北側のスラムでよく使われる毒消の配合率聞いたり、マジで突拍子もなかったよな」
「一番ヤバいのは変な薬草食って寝込んだやつだろ」
キルシェがガキかよと呆れたように言う。そりゃ俺らからしたら十分ガキだろとネイロが突っ込む。
変な薬草というのはリビルドの葉のことだ。流石に薬草と解毒に使った薬の相性が悪すぎて発情したとは伝えていない。変な草食って腹痛で寝込んでいるとぼかしてやったのを思い出す。
「草ならこの周辺にいっぱいあるから、マジで気をつけておかねえとなにするかわからねえぞ、あの兄ちゃん」
「すまない、変なものを食うなと言い聞かせておく」
「ストッパーがいないからやりたい放題なんじゃね?」
「俺で治験薬試そうとした時も、サシャがいなかったら間違いなく飲まされていた」とつげる。ニコラがあからさまに呆れたような表情で溜息をついた。
「本当に申し訳ない、悪気がない分タチが悪いんだ」
「あいつの奇行を止めるには、ストッパーになるやつをそばにつけるしかないと思う。ミカエラじゃダメだぞ、丸め込まれて終わりだ」
「そりゃもうガブリエーレ卿の目の届く範囲に置かせる以外ないだろ」
ネイロが嗄れ声を少し尖らせて言った。
「だからあいつは向こうの館にいるらしいぞ」
「そゆこと!? 確かに、あっちならミカエラもいるし、日によるけどアレクシスもいるもんな」
「むしろSig.エーベルヴァインが一番ユーリの手綱を握れそうな気がするんだが」
「そりゃないだろ、こないだユーリが絶対に話を聞きたくない時にやるあのマシンガントークに怯んでた」
「まあ以前にもそれで困っておられたが、あいつがそれをするのは『苦手』と判断した相手に限った悪癖で、俺やリズに対するものとは少し違う」
「嘘だろ、お前もやり込められてたじゃねえか」
気づいてねえのかと言ったが、ニコラはどことなく納得のいかない表情だ。「慣れた相手にはよくやるが、初対面であれはなかなか見せない」と、ニコラ。ユーリをそばで長く見ていたニコラが言うのだから、案外ユーリは本当にアレクシスが苦手なのかもしれないとも思う。
「ガブリエーレ卿はユーリの考えを悟るのはお上手だが、あいつの本質をまだ知らないと思う。おまえたちも気をつけた方がいい。ユーリは目的のためなら『なんでもする』ぞ」
そもそもピエタの下部組織をたらし込んで敵の懐に飛び込む可能性を考慮して早急に奪還したのだとニコラが言う。殺されることを懸念したわけじゃなかったらしい。ロレンが驚きに呆れの色を浮かべた複雑な表情になった。
「それで殺されたとしても軍部の悪手だったと遺恨が残るだけだものな」
思わずみんなが無言になる。ネイロだけがひひっと不敵な笑みを浮かべた。
「遺恨だけじゃねえ、対外的な評価も下がるだろ。保護対象のイル・セーラ一人守れねえ軍部が、本当に国を守れんのかって疑念がスラム街に湧いたら、いま以上にスラム街の連中は軍部や政府と距離を置くことになる。そうなったら、あの兄ちゃんが目的にしていた『スラムの解放』に一歩近づくってわけだ」
「なんでだよ?」
「よく考えてみろ、チェリオ。軍部や政府と距離を置くということは、必然的にピエタの介入もなくなるってことだ。いまはイオも、イギンたちコーサもいねえ。そうなれば、俺たちスラム街の住人が知恵を出し合って生きていく以外なくなる。
あの兄ちゃんが言っていたのは、スラム街の住人がまともな医療を受けられないことへの不満と、政府不介入といっておきながらピエタの不正の温床になっていることへの不満だ。その両方が解消されるとなると、スラム街に新たなルールが生まれる。そうなりゃ兄ちゃんたちのいうとおり、『新たな法やルールを作り、独立することも可能』って状況になるだろうが」
そう言われて、チェリオは漸くその意味に気付いた。そんな深くまで考えていないだろうと言いたいが、ユーリの行動には『数手先を読んで動く』節がいくつもある。案外なにも考えていないように思えたり、奇行のように思えることすら、ユーリにとっては研究や目的の一部だったりする可能性もあるのだ。だから敢えて黙認されていた部分もあるのではないかと考える。
「ユーリなら十分そういう考えをすることもありうる。嫌がらせと一口に言っているが、それもただの嫌がらせではない。ユーリの奪還無くしてはオレガノとの交渉も破談になっていた可能性すらある。
Sig.ベルダンディが思いの外ミクシアやノルマの考え方への理解がある方だったから済んでいるだけで、そうでなければミクシアとオレガノは国交断絶だったかもしれない」
「あの坊ちゃんがねえ。表情が読めねえし、ミクシアやノルマのことを嫌っているのかと思っていた」
「それはないと思う。ノルマやミクシアに関する情報はきっとキアーラから聞いていたのだろうし、読書が趣味だと仰っていたから、さまざまな文献も読まれているうえでの判断だ。過去の遺恨を残したくないという考えもあるらしく、オレガノはミクシアのイル・セーラたちの安全と立場の回復を条件に、国交正常化を視野に入れているとの話もある」
ものすごく意外だった。だったらあの態度はなんなんだと言いたい俺たちの表情に気付いたのか、ニコラが『Sig.ベルダンディのあの無表情と物静かな雰囲気で誤解されやすいが、悪い人ではない』と継ぐ。悪い相手かどうかはにおいでわかる。そのへんは軍部連中よりもスラム街の住人の方が長けていると自負している。
「悪い人といえば、おまえさんの上司は何者なんだ?」
キルシェが胡散臭そうな表情を浮かべて尋ねた。今度はニコラが意想外な顔をする。
「ドン・クリステンはよからぬ噂も耳にすることがあるが、オレガノに長い間派遣されていたということもあり、反オレガノ派の連中が騒いでいるだけだと思う」
「それならいいが、俺ぁどうもあの御仁が鼻持ちならねえ。軍医団長以外のにおいがするというか、あの御仁が戻ってきて4年経つと聞いたけど、その間に政府がころころと意見を変えすぎなような気がしてな」
「意見を変えすぎとは?」
イル・セーラの奴隷解放宣言が律されたことと、それに伴い売買春の厳罰化が行われただけだがと、ニコラ。
「俺の考えすぎならいいんだがな。うちにはマフィアもピエタも出入りしていたから、その手の情報が知りたくなくても入ってきちまう。いつだったかスカリアの野郎が『ドン・クリステンが戻ってくるまでは政府もフィッチからの密輸入を黙っていたくせに、厳戒態勢を敷くようになって利益があがらねえ』と」
キルシェがそこまで言ったとき、ファリスがキルシェの足を蹴った。じろりとキルシェが睨む。その情報を与えるなと言いたいのだろうとすぐに気付いたようだが、キルシェはかまやしねえだろうと唸るように言った。
「そりゃあ以前は俺たちもどちらかというとおこぼれに預かることが多かったが、チェリオの方針上デリテ街にその手の薬物が蔓延するようなことはさせていねえし、薬物中毒者は見つけ次第スカリア隊がしょっぴく手筈になっていた」
「なるほど、そうして検挙率の水増しをしていたわけか」
「ちなみに、あの兄ちゃんがスラムに降りてき始めた頃、うちの店にも『ユーリ・オルヴェを捕えろ』とたびたび依頼が来ていたから、ガキどもに小遣いをやって北側まで安全にエスコートしてやったことも何度もある。その礼をしてもらっても構わんぜ」
ニヤリと笑いながらキルシェが言う。
「だからオット地区のガキどもがユーリのことを知っていたのか」
納得と言わんばかりにチェリオが言うと、キルシェは強面の顔を綻ばせて明朗に笑った。
「うちに出入りしているガキどもにはコーサも手出しはできねえからな。前にコーサとピエタが一緒にいた時にダニオにへんな容疑をかけやがったから、一緒にいたブラウの手下をボコボコにして脅しをかけたことがある」
「ま、俺もナザリオの野郎がえらいあの兄ちゃんのことを気にかけていたから、こちら側に来たら鉄塔台から動向を確認していたがな」
うろちょろとまあこまめに動いてくれたもんだと、ロレンが言ってのける。
「マージか。ネイロは最初から向こうの手下だったわけだから言わずもがなだし、ファリスは?」
ファリスは俺か? と言って、なにかをはぐらかすように大袈裟に肩をすくめてみせた。
「俺は闇市の支配人という立場上手出しもできねえし、イギンからの命令は絶対だ」
「まあそうだよな。俺だって襲撃を見て見ぬ振りしたり、一応逃走ルートを確保してやることくらいしかできなかった」
「おまえにしちゃ珍しくイギンの言うこと聞いてやがんなと思ったから、こっちはノンナやレディーたちに頼んで、偽の薬を売り出してそれを買ってもらうっていう芝居まで打ってたんだぞ」
おまえは立場上一番動きにくいからなと、ファリス。
「そうでもねえわ。あいつ見る分には目の保養になるし、アリエッテも助けてもらっているし、ピエタが付け狙ってんのを知ってわざと騒ぎ起こしたりとか、諸々の妨害はしてた」
しれっと言ってのけると、ファリスとキルシェが太え野郎だと笑い声を上げた。
「それでこそオレイの後継者だ」
「最初はおめえみてえなガキがデリテ街を束ねるなんざ、あの野郎気が狂っちまったかと思ったけど、ヴィンスの忘形見だってこともあって、誰もなんも言わなかった。大っぴらには手伝えねえけど、ピエタとの軋轢が生じねえように大人しくしておく程度は協力してやったぜ」
「なーんだ、おっさん連中全員グルかよ」
やっぱり軍人怖えわとチェリオが嫌そうな顔をする。ニコラが微苦笑を浮かべて丁寧に頭を下げた。
「それぞれユーリに協力をしていただけていたようで、感謝する。いずれ必ずちゃんとした謝礼の品を持参する」
「俺ぁタバコがいい」
「でた、ヤニカス。ユーリの薬でせっかく肺が良くなったんだから、ほどほどにしとけよ」
呆れたような口調でネイロに注意をすると、ネイロは患ったのはタバコが原因じゃねえわと唸るように言った。ほんとうにただのヤニカスだと思う。
「ところで、何故こっそりとユーリに協力をする気になったんだ?」
ニコラが尋ねてくる。チェリオたちは顔を見合わせた。
「デリテ街の井戸」
全員がほぼ同じタイミングで言った。やっぱりかとキルシェたちが納得したように笑う。どうやらそれぞれが口裏を合わせていたわけではなさそうだ。
「最初にあのにいちゃんが診療所の場所を借りたいと言ってきた時に、じつはあの周辺はほとんどの住人が水あたりで苦しんでいたんだ。すぐに水あたりによく効くって薬を煎じてくれて、一番症状がひどかったノンナが助かったことをきっかけに、あの場所を貸すことになった。
あそこは昔、まだミクシアがスラム街を放任する前は本当に診療所だったんだよ。基礎やガワは所々傷んでいるけど使えなくもないってんで、ノンナが俺に許可を求めにきた」
ファリスが言う。ノーヴェ地区の水あたりは確かにひどかった。毎年死者が出るし、煮沸してもなにをしてもあたるから、住人たちがわざわざ別の地区に水をもらいに行っていたくらいだ。
「オット地区でも一部の井戸で水あたりが起こっていたが、全員ではないしまあ煮沸して飲むなり工夫しろって伝えていたけど、なかなかにその症状が改善しなくてな。どこか別の井戸を掘るかどうするか考えていたところに、兄ちゃんが俺のことをどこからか聞きつけて尋ねてきた。最初は追っ払っちまおうかと凄んだんだが、まったく怯む様子もなく井戸のことを尋ねられたから、言われたとおりに薬を撒いたら水あたりする連中が減った」
キルシェも似たような体験をしたらしい。スラム街で一番困るのは水だ。それをわかっていたかのように簡単に改善されたら、じつはあのイル・セーラがなにか細工をしていたんではないかという疑念が湧きそうなものだけれど、デリテ街の連中はファリスとキルシェがノーを突きつけなければ割と順応するタイプが多い。
水当りする連中が減ったと言っているあたり、オット地区の住人の習性をあらわしている。イル・セーラが手を加えたところの水など飲まないと一部の頑固な奴らが別の場所の水場を見つけてそこの水を飲み、新たな症状が発生するというケースも散見された。オット地区やセーイ地区の連中はなぜかイル・セーラへの差別意識が他よりも強い奴が多いのが特徴だ。
「あとはあれだな、いままで原因不明だった症状が治るのもそうだが、近くに住んでいるノンナの家のキッチンを借りて食事を振る舞ってくれたり」
「そうそう、ノンナの家から煙が出てるから、火事かと思って慌てて顔を覗かせたら『あの』気難しいノンナと楽しそうなおしゃべりしながら昼飯作ってたもんな、あの兄ちゃん」
アドラードじいさんが死んで以降、ノンナが笑ってんの初めてみたわとネイロが言う。
「食べ物は基本的にはデリテ街の住人から買い取って、足りないものとかは調味料は街から持ってきていたらしい。ノンナも料理が趣味だから、大鍋を持っていたりしてさ。
あんなに楽しそうにしていたノンナを久々に見た。ノンナが急に調子崩したときだって、付きっきりで看取ってくれてな。家庭があるからとセーイ地区で暮らしていたオスロも駆け付けたけど間に合わなくて、でもえらい感謝してたっけな」
「あー、そうそう、そんなんあったなー。ノンナによくしてもらってたダニオなんか号泣して、俺らの仲間内ではダニオが一番最初にユーリのことを認めていたっけ。
で、あの日の早朝に鬼のような顔したニコラが現れて、ちょっとしょげてたユーリを引っ張って連れ帰った」
あったなーとキルシェが笑う。ニコラは居心地が悪そうに眉をひそめた。
「そんな状況だったとは知らなかった。ユーリもなにも言わないものだから、なにかトラブルに巻き込まれたのだとばかり」
「あれから『ユーリの連れのにいちゃんは殺し屋だの軍部のやべえやつ』だのうわさがたって、余計に住人たちが一目置くようになったんだったよな。ありゃあすげえ迫力だった、さすがに事情を説明してやる隙もなくて」
「申し訳ないことをした」
「責めちゃいねえよ、あとから栄位クラスのお仲間だって聞いて、行方がわからないから探しにきたんだろうって話に落ち着いた。
俺たちも初めから兄ちゃんを助けようって気があったわけじゃねえけど、地区内の住人が世話になったんだから手を貸してやるのは当たり前だ」
イギンにわからねえようにコッソリだけどなとファリスが笑う。さすがにイギンもばかじゃないから薄々気付いてはいたかもしれないけれど、チェリオはともかくとして、ファリスとキルシェとロレンは絶対に手を出してこないことを知っていてユーリに協力をしていたのだから、少し……いや、かなりタチが悪い。
「ユーリがそこまでスラム街の住人たちに慕われていたとは知らなかった」
「ガキどもや老耄たちはメシくれってたかってたけど、俺らは基本的に態度を隠すからな」
「ユーリがやっていたことは単なるおせっかいだったのではないかと心配していた節があった。スラム街の住人は基本的には自分たちで全てなんとかしてしまうと聞きおよんでいたもので」
「まあ、おせっかいっちゃおせっかいだな」
さらりとロレンがいう。
「スラムは自分で自分の身を守る以外に生きる術がない。イギンたちが来てからは、助け合う風習ってもんもいつのまにか消えちまった。
それなのに、あの兄ちゃんが外部の人間に手を貸される有り難みと、人に施しを受けたら恩を返さなきゃいけねえって感覚をガキどもに植えつけさせちまった。
今後スラムがどうなっていくかはわからねえが、仮に崩壊した時に誰かが手を貸してくれるってガキどもが思う可能性もなくはない」
「ユーリがスラム街の状況をたびたび軍医団に報告するものだから、仮にスラム街の解放が行われたとしても、それなりの支援はされると思う。ドン・クリステンはそこまで踏まえてユーリを野放しにしていたらしい」
野放しって犬かよとチェリオが突っ込む。それを聞いてキルシェは少しドン・クリステンへと警戒が弱まったのか、「こっちとしてはスラム街の住人たちに被害が来ねえなら御仁がどんな相手でもかまやしねえがな」とぼやくように言った。
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