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Nine(1)
地下街の入り口を出たとき、ユーリは眉を顰めた。潜伏生活に慣れていたせいか、夕暮れ時だというのにかなり眩しい。
ここまで上がってくる最中にユーリが息をあげて何度も立ち止まったからか、猿轡が外された。チェリオを連れていた男は、チェリオと共に先に出入り口を出ていたようで、ユーリとミカエラが出てきたのを確認すると、行く先を警戒するためか少し先の様子を見に行った。
ミカエラはチェリオとユーリが縛られているロープを握った状態だ。ハンドガンを少し下げた状態で男の帰りを待っている。隙がないように見えるが、気を抜いているのかぼんやりとした様子で辺りを見回しているようにも見えた。抵抗するならいまのうちだとチェリオに視線を送ったときだ。
「逃げられるものなら逃げてみろ。おまえたちの頭に風穴が開くだけだ」
冷静な口調でミカエラが言った。やりとりがバレている。チェリオが小声でバカと詰ってくる。ユーリはチェリオの足を蹴った。
「おいっ!」
チェリオが声を荒らげた。
「悪いなァ、足が滑った」
目を眇めてチェリオを見ながら。足を引っかけて転ばせろという合図だ。チェリオはそれを理解し、素早くしゃがんでミカエラに足を引っかけようとしたが、ミカエラがチェリオの足を掬った。チェリオが豪快に尻もちをつく。
「諦めの悪い。抵抗しなければなにもしないと言ったはずだが」
いまのは抵抗とみるべきか? と、威圧的にミカエラが言う。
先を行っていた男が戻ってきた。なにやら険しい表情をしている。
「ドン・コスタ隊が待機している。掠めとられる前に殺すか?」
ミカエラは表情ひとつ変えない。
「向こうが手出しをしてこなければ、こちらに交戦権はない。放っておけ」
言って、ユーリの背中を押してすたすたと先を進む。短髪の男にチェリオの腕を縛っているロープを預けた。これではもう抵抗のしようがない。大人しく連れて行かれるほうが安全だと内心し、チェリオに視線を送る。チェリオが小声で「くそおっかねえ」と誰に言うともなくぼやいた。
あまりに隙がなさすぎる。力とスピードがあるチェリオでも敵わないのなら、自分が暴れたところですぐに捻じ伏せられるだけだ。診療所付近までやってきたとき、ドン・コスタ隊の腕章を付けた男がこちらに歩いてくるのが見えた。異様に胸部から腹が膨らんでいる。警戒のためになにかを着込んでいるのだろうか。防弾チョッキの類なのか、自前の贅肉なのかわからないほどに膨れている。
「すげえ腹してんな」
「それだけオレガノ軍が怖いんじゃねえか?」
頭狙われたら終わりじゃね? と、チェリオが冷静に言う。戦場ではない。問答無用で頭を狙うことはしないと思っているのではないかと思う。要はオレガノ軍の『オレガノは100年戦争をしていないから平和ボケしている』を信用しきっているのだ。でも実力は知っているから、ビビっている。
「イル・セーラを渡してもらおう。それはミクシアの法で裁く」
「捕獲したのは我々オレガノ軍だ。応じる義務はない」
ミカエラが端的に言う。自分よりも明らかに2回り以上年上の相手に凄まれようが、まるで怯む様子がない。もう一人の男が後ろからアサルトライフルを構えてもだ。チェリオの隣にいた男が、面倒くさそうに小さく息を吐いた。
「出たよ、嚇せば言うこと聞くと思っているタイプ」
じりじりと距離を詰め、向かってくる。軍部とピエタの軋轢がさらにひどくなったとみるべきか、それとも最初から手柄をかすめ取るつもりで付けていたのか、用意周到だ。腹部が異様に膨らんだ男がいやらしい表情を浮かべた。
「最初に見た時は驚いたが、並んでいると本当によく似ているな」
アサルトライフルを構えている男がにやにやと下卑た笑みを浮かべる。その表情だけでなにを言いたいのかがわかるほど好色そうなそれは、あからさまにユーリではなくミカエラに向けられている。その視線に気付いたのか、短髪の男が少し前に出て戦闘態勢を作った。
「わかるー、同じ顔だけどユーリよりいじめがいありそう」
ぼそりとチェリオが言うのを聞いて、すねを踵で蹴ってやった。いってとチェリオが大袈裟に喚く。
「それ、たぶんあんたの後ろにいる怖い人の地雷だから、やめておいたほうがいいぞ」
頭飛ぶんじゃね? と、目を眇めてぼそぼそと言う。チェリオは「おー、こわ」と身を竦めてみせる。
「オレガノ軍の駐屯地周辺は、ドン・コスタ隊が取り囲んでいる。仲間を見殺しにしないのがイル・セーラだろう? 大人しくユーリ・オルヴェをこちらに渡せ」
威嚇するように言いながら男が歩いてくる。オレガノ軍が手を出さないことを知っているのだろう。警戒はするものの、内部情報にきちんと精通しているあたり、単独犯ではなさそうだと踏む。手を伸ばせば触れられるほどの距離に男が近付いてくる。短髪の男が面倒くさそうに舌打ちをして、フォルムラ語でミカエラを呼んだ。
『撃っていい?』
『法令違反だ。様子を見ろ。どうせぼろを出す』
『ぼろを出さなきゃ、両方やべえけど?』
『なら、出すように仕向けるまで』
ミカエラの冷静な答えに、短髪の男がおどけたように肩を竦めてみせる。
異様に腹の出た男は怯む様子などなくこちらに近付いてきて、ユーリの口元を掴んで顔をあげさせる。交戦権がないことで少し距離を置いた短髪の男を見て、不快そうに笑った。
「俺が合図をすれば駐屯地に待機させた部隊が押し入る手筈になっている。こちらが手出しをしなければ貴様らには交戦権がないのだろう。ならば俺がいまからこいつになにをしても、手出しができないということだ」
あからさまな挑発だ。短髪の男が白けた表情を浮かべて誰に言うともなく『めんどくせえな、この手合い』とフォルムラ語でぼやいた。
「最初に捜索したときに大人しく出てきていれば、こういうことにはならなかったんだぞ」
言いながら、男がユーリの胸倉をつかむ。好色そうな視線を浴びせられるのは久々だ。ユーリはふふんと鼻で笑った。
「あんな剣幕で捜しまわられちゃ、捕まったらなにされるかわからないだろうが」
「やはり周辺に潜伏していたか」
「どうせ処刑命令下ってんのを分かっていて、ホイホイ付いていくかよ」
苛立たせてやろうかと思ったが、男は挑発に乗らない。ただ、ユーリを見る好色そうな眼の奥には、苛立ちというよりも憎悪が見え隠れしている。
「憎まれ口を叩けるのも今のうちだ。オレガノの奴らと、地下街の奴らを死なせなくなかったら、大人しくこちらにこい」
地下街? とユーリが言うと、男は理を掴むときのような狡猾な顔を見せ、口元を持ち上げた。
「うちの下部組織に地下街を張らせていた。どうせ奴らは袋の鼠だ。オレガノの奴らも、地下街の奴らも、一匹ずつ狩り殺してやる」
そう言われて、ユーリはふうんと目を細くした。片方の眉を跳ね上げ、挑発的に男を見る。
「逆に、袋の鼠だったりして」
「なに?」
「ネズミだって餌をちらつかされて、それを取る前に何度も邪魔をされたら、別のルートで餌を取ろうと動くようになる。条件付けって言って、早い話が学習能力の応用をする」
「なにを言っている? 気でも狂ったか?」
ユーリはそのまま笑みを深めて、ふふっと笑った。
「それって、逆も有り得るんだよなァ。“元”奴隷風情が、100年戦争していない平和ボケしたオレガノ軍が、百戦錬磨のミクシア軍とピエタに対してなにができるって、ずっと高を括ってきたろ」
ユーリが挑発的に言った途端、男がユーリの胸倉から手を離して、レッグホルスターからハンドガンを取り出した。ミカエラと、もう一人の短髪のイル・セーラが体勢を作るのが分かったが、男が逆に挑発的に笑った。
「この距離でなにができるというんだ、馬鹿が! ドン・コスタの礼をしなければならん。ただで済むと思うなよ、奴隷風情め!」
大声で吠え、その男がハンドガンを持っていないほうの片手を振り上げる。さすがに銃を使う選択をしなかったようだ。
男の動きがまるでスローモーションのように見える。拳が振り下ろされるよりも早く、ミカエラに突き飛ばされ、横にいたイル・セーラに軽々と抱き留められた。銃声と、ひしゃげたような声がほぼ同時に聞こえる。
アサルトライフルを構えていた男は短髪の男が放った銃弾が命中して崩れ落ち、ピクリとも動かない。ユーリを殴ろうとした男などミカエラの上段蹴りを顎に決められ、綺麗に膝から崩れ落ちていくのが見えた。倒れ込んだ男の頭をミカエラが勢いよく踏みつける。
「イル・セーラは奴隷ではない。その侮蔑は法令違反であり我々に対する侮辱でもある。口を慎め」
あまりの迫力に思わずひえっと声が上がる。それはチェリオも同じだったようだ。
男は最早ミカエラの言葉を聞いていない。むしろ聞こえていない。ブクブクと泡を吹き白目をむいている。失神か、それとも脳震盪か。首の向き的にも目が覚めたらしばらくは頸椎カラー生活かもしれない。ぞっとする。
「オレガノ軍から獲物を横取りしようとするなんて、この国の連中は命知らずだな」
くっくっと短髪の男が笑う。まだ硝煙の上がるハンドガンをレッグホルスターに押し込んで、「おーおーかわいそうに」と言いながらその場にしゃがみ込んだ。
「あの金髪が一番やべえじゃねえか」
「あの至近距離で足振りぬくとか一歩間違ったら顎砕けるぞ」
「つか、もういってるだろ、あれ」
倒れた男をもう一度見て、ぞっとする。短髪のイル・セーラが男の首の位置を戻したあとですっくと立ちあがった。ミカエラになにかを言っているのが聞こえるが、それよりもさきにチェリオがユーリの足を蹴った。
「こんなヤバい奴らからなんで逃げれると思ったんだよ、バカっ」
「あんた足早いし、スピード勝負でなんとかなると思ったんだ」
「ならなかっただろうが、殺されたらどうすんだよっ」
「マジでシャレになんねえぞ」とチェリオが声を荒らげる。たしかにシャレにならない。隙がなさ過ぎて逃げることもできないし、あの判断力と連携は昨日今日でできるようなものでないと推察する。さすがはオレガノ軍の准将とでもいうべきか。ミカエラのことをちょっと……いや、かなり舐めていた。
「いいか、チェリオ。東方にはこういうことわざがある」
「ことわざっ!?」
「死なば諸共」
一瞬チェリオが意味がわからないという顔をしたが、ふっざけんなと怒声をあげた。
「道連れにされてたまっかよ、チキンレースがしたいなら一人でやれ!」
「レースは一人じゃできないだろ」
「うるさいぞお二人さん。ちょっと黙ってくれ」
後ろの男に猿轡を噛まされる。チェリオから思いきり睨まれたが、無視だ。「面倒な奴らに絡まれる前にさっさと行くぞ」と引きずられる。これは脱走も無理かもしれない。仮に脱走しようとしたとして、ぎりぎりまで泳がせておいて捕まえるくらいのことはやりそうだ。
「准将殿!」
後ろから別のイル・セーラが走ってくる。
「懲罰房にでも入れておけ。食事は与えなくていい。限界まで飢えさせろ」
はいと言って、イル・セーラたちが失神している男とライフルを構えていた男を連行していく。
イル・セーラの仲間意識の強さに付け込んでほかの隊員に助けてもらうか。いや、あのぶんだとミカエラに忠誠を誓っていそうなやつのほうが多い。そこまで考えて、ユーリはふうと息を吐いた。
まあ別に捕まったところで、奴隷生活時代よりひどいことはされないだろと開き直る。たまにはまともなベッドで寝られるかなとよそ事を考えながらミカエラたちに連行された。
***
連れてこられたのは、北側のピエタの派出所だった。どうやらここはオレガノ軍が拠点として与えられているらしい。ミカエラが入り口に近づくと、複数の兵士が敬礼した。そのなかにはユーリを素通りさせた兵士もいる。瞠目し、ユーリとミカエラとを交互に眺めている。呆気に取られた表情だ。
「こういうことだ。ここまで似ていたら、見紛うのも無理はない。責めを負わせるつもりはないが、もう少し緊張感を持つように」
「はっ! 申し訳ありません、閣下」
ミカエラが後ろで小さく息を吐く。閣下? と思い振り返る。
「こちらでは准将と呼べ」
短髪の男が厳しい口調で言う。そのまま背中を押されて派出所の奥に通された。
後手に拘束されたまま椅子に座らされる。チェリオは別の部屋に連れて行かれたようだ。猿轡が外されるかと思ったが、舌を噛み切ると啖呵を切ったからなのか、そのままだ。口の中が乾いて気持ちが悪い。生理的な咳が出る。
「おい、ミカ、外してやってもいいだろ?」
短髪の男の声だ。上官に向かって随分な口の聞き方をする。道中での迫力とは大違いで、ものすごくフランク且つ間延びした喋り方をするようだ。
「その呼び方はやめてくれといったはずだ」
「オレガノじゃないんだ」と呆れ返ったようなミカエラの声がする。こいつも大変なんだなと思いつつ、様子を見る。猿轡を外された。何度か咳がつく。口の中に砂が入って気持ちが悪い。
もごもごと口を動かしていたからだろうか。短髪の男がユーリを立たせ、引っ張っていく。連れて行かれた先は洗面台だった。添え付けのカップに水を汲んだかと思うと口元に押し付けられる。カップの傾きが大きいせいで水が鼻に入りそうになり盛大にむせた。
「あ、わり」
「わざとじゃねえんだ」と、男が言う。まだむせているというのに、もう一度、今度は適切な角度でカップを口元に当てられる。ただ口いっぱいに水が入るまで放置するんじゃないかと思う動きに、ユーリは首を横に振ってカップから逃れた。口の中のものを水面台に吐き捨てる。
「殺す気かよっ?」
男を睨む。喉の違和感に咽せるユーリをよそに、男は口元が濡れているにも拘らず先ほどの椅子までユーリを連れて行った。乱暴に座らされ、濡れた口元をガーゼタオルでごしごしと拭かれた。そもそも服まで濡れている。肌に張り付いて気持ちが悪い。
「見た目そっくりだけじゃなく、声も似てるな」
すげえなと楽しそうに男が笑う。それは自分でも思ったところだ。ミカエラのほうが自分よりも少し丸みを帯びた声をしている。髪の色が同じで、しゃべらなければ、ほぼ区別がつかないのではないかと思うほどに似ているのだ。ユーリはじろりと目の前の男を睨んだが、楽しそうに肩を揺らすだけで、怯みもしない。机に頬杖をついて、ミカエラを呼んだ。
「なあ、ミカ。性感帯も一緒だと思う?」
ユーリは思わずギョッとした。目を瞬かせて、男を注視する。
「興味があるなら確かめてみればいいだろう」
さして興味なさそうなミカエラの声がした。むしろ、なにを言われているのかわかっていない感がある。確かめろというのは、ユーリ自身を触って確かめろという意味なのか、それとも自分を触って確かめろという意味なのかがわからない限り、その受け答えは非常に危険だ。
ユーリと同じことを思ったのか、男は楽しそうな表情を呆れたようなものにすり替えて、冗談めかしたように肩を竦める。
「復活したって聞いたから、療養中その手の知識もちょっと入れてきたかと思ったんだが、相変わらずか」
「その手の知識とは?」
男が盛大な溜息を吐く。「もういいですわ」と諦めたように言って立ち上がり、ユーリのそばから離れると、大量の資料を持って戻ってきた。テーブルの上に乱暴に置かれる。それはユーリがミカエラに渡してくれとニコラに頼んだ研究資料だった。
「ああ、申し遅れた。俺はアレクシス・エーベルヴァイン。准将の補佐官をやっている。
おまえはスパツィオ大学栄位クラスの疫学・薬学専攻のユーリ・オルヴェで合ってる?」
「『元』だけどな」
「元?」
アレクシスと名乗った男が不思議そうに首を傾げた。
「資料と違わん?」
体ごとミカエラへと向き直り、尋ねる。
「情報収集をしたのはおまえだろう」
厳しい口調で言われ、アレクシスは軽く肩をすくめてみせた。不快そうに眉を顰めるわけでもなく、何食わぬ顔でユーリのほうへと向き直る。
「まあいいや」
いいんかいと心の中で突っ込んで、ユーリはあきれ顔になった。さっきから思っていたが、アレクシスはあまりに軽すぎる。
「今回おまえを捕獲することになったのは、この研究資料について尋ねたいことがあったからだ。返答次第では収監もある。ミクシアではなく、オレガノにな」
「それで?」
ユーリは怯まない。その程度は言われると思っていたからだ。最悪処刑も有り得るだろう。そんなことは最初から覚悟をしていた。そのうえで地下街に潜伏したのだ。見つかったのが思いの外早かったけれど、仕方がない。
そもそも、どこの部隊がどう動いているのかを見極めたかっただけだ。それで動き方が変わってくる。ネイロにはそう言ったが、ここで殺されるハメになったとしても、この資料をオレガノ軍が使ってくれるなら丁度いいと思って、わざと連中を慌てさせた節がある。
「これ、何語?」
砕けた口調でアレクシスが問う。
意想外な言葉に、思わず「はっ?」と尖り声が上がった。
「ステラ語」
「見りゃわかんだろ」とぞんざいに吐き捨てる。そう言ったあとで、はたと思い出した。そういえば、地下街の奥にあったあの資料は、ひとつだけ言語の形態が異なっていた。いや待て、分かっていて揺さぶりをかけてきている可能性もある。ステラ語のほうではなく、クリプトで書いた資料もあるのだ。ミクシアのイル・セーラがクリプトを使っても、オレガノではメジャーな言語ではない可能性もある。
「えっ? 待って、左側の資料のこと言ってる?」
俺から見て左側と言い換える。ユーリから見て左側にあるのはクリプトで書かれた資料だ。
「申し訳ありませんが、こちらも解読不能です」
オレガノには資料すら残っていないとの返答でしたと、ミカエラが言う。ユーリは唖然とした。
「えっ、えっ!? 待って、意味が分からない」
「正直にお伝えするとこちらもです」とミカエラが言う。
「え、ちょっと待って。もしかして、あんたらこっちも読めないって?」
「その『もしかして』です」
溜息混じりにミカエラが言う。嘘だろとユーリが驚きの声をあげた。
「オレガノとミクシアに住むイル・セーラは、立場だけじゃなく言語形態まで異なるのか?」
不快さと疑り深さを集約したような声色で自嘲するように、ユーリ。
「いえ、そうではなくて」
ミカエラの口調が先ほどと異なることに気付く。不思議に思い視線をやると、ミカエラがユーリに頭を下げた。
「先ほどの御無礼はお許し下さい。部下の手前ああするより他ありませんでした」
ユーリはきょとんとして目を瞬かせた。ミカエラに謝られるとは思っても見なかったからだ。
「わたしはオレガノ軍の特殊部隊を率いる、ミカエラ・ベルダンディと申します。先日は命を救って頂き、深謝いたします」
「いや、それは別にいいんだけど」
「そもそもあんたの情報はカルテで知っている」と告げると、ミカエラはまた頭を下げた。
「元来ミクシアとオレガノに住むイル・セーラは言語形態と生態に変わりはありません。しかしながら、とある一族のみが使用する言語があり、勘違いでしたら申し訳ありませんが、あなたがその一族なのでは、と」
「……は?」
「研究者の間では、第一言語と第二言語と称しています。オレガノのイル・セーラが用いるのは第二言語で、あなたが使用しているその文字は、失われた第一言語ではないかと、本国から通知がありました」
失われたと聞いて、ユーリは二の句を継ぐことができなかった。なにを言っているのかわからない。ミカエラは綺麗なトゥヘッドだが、瞳の感じもユーリと同じダイクロイックアイだ。ユリウスもオレガノ出身と聞いているが、言語が異なるなんて聞いたことがない。
ミカエラが困ったような表情を浮かべる。
「研究の引き継ぎをと言われましても、資料を解読できなければ意味をなしません。
オレガノに残る対処法と、あなたが提唱した方法を用いてなんとか発症率自体は抑えられており、軽症者は改善が見られたものの、中等度以上の発症者や重篤症状者は射殺せざるを得ない状況でして」
「それで?」
「あなたの研究資料をわたしが引き継ぐということは、便宜上オレガノがこの案件を引き受けたということになります。あなたが素直に情報提供をするのであれば、ミクシア政府に掛け合い、あなたの罪状は撤回することも可能かと」
「つまり、俺の所有権はオレガノに、ってことか?」
「便宜上とお伝えしたとおり、あくまでも言葉の限りではありません。あなたが望めばそれも可能ですが、フォルスへの帰還があなたが望む最良の形ではないでしょうか」
表情ひとつ変えることなく、淡々とミカエラが言う。ユーリは天を仰いで嘆息した。
ミカエラがそこまで深い事情を知っているわけがない。となると誰かが情報をリークした。ユーリを知っている相手で、ミカエラと対等に話せる人物などそうそういないのだから、その人物が容易に浮かび上がる。
「随分大掛かりな茶番だことで。この発案者はドン・クリステンか?」
「利害が一致したものですから、一芝居打たせて頂きました」
「そりゃそうと、さっきからなんで敬語なんだ? むず痒くて仕方ない」
ミカエラとアレクシスが顔を見合わせた。視線で会話をしているように見える。劣勢なのはミカエラだったようだ。こほんと咳払いをする。
「失礼致しました。第二言語とは、オレガノ、ミクシアに住むほとんどの住人並びに王室の共通言語、第一言語はミクシア古来の一族のみが使用する共通言語です。つまり、あなたは旧王朝の第一王族の末裔なのでは、という結論に至りました」
ユーリは眉を顰めた。予想外のセリフだ。
「なんて?」
疑り深さを前面に押し出して聞き返す。ミカエラがきょとんとした。
「ですから、あなたの一族は必然的にオレガノ、ミクシアに住むあなたの一族以外のイル・セーラよりも高位にあり、本来ならばそれらを統率する血筋ではないかと、オレガノの考古学者が言っていました」
ユーリは理解ができないと言わんばかりに目を細くして遠くを見る。天を仰ぎ、脱力する。
「腕を解いてくれ」
力なく言うと、アレクシスがユーリの腕を拘束している縄をナイフで切った。
理解ができない。というより、したくない。そんなことを今更言われても、と思う。ユーリがなにも話さないからだろう。アレクシスがミカエラを呼んだ。
「4年前まで奴隷だったんだから、そもオレガノがどんな国か言わなきゃわからなくねえか?」
アレクシスが言う。意外にもちゃんと状況把握力があり、気を配れる性格のようだ。完全に脱力し、ぽかんとしているユーリの心情を悟ってくれたらしい。
「オレガノはイル・セーラ、ファロ族、ネーヴェ族がそれぞれを統治する多種族国家だ。同盟国間の住人なら誰でも出入国、移住可能だが、ミクシア、フィッチはその限りではない。
4年前に奴隷解放がなされた折に、国交回復及び正常化を図るためにドン・クリステンと共にこちらにやってきて、2年半前から俺とミカが特使を兼任している。ミクシアに対する規制緩和も視野に入れているところだ」
ますます意味がわからない。ユーリは考えるのをやめた。ただぼーっと天井を眺める。ユーリが思考回路を遮断したことを、アレクシスは気付いたようだ。マジかよと呆れたような声が耳に入る。
「都合が悪くなったら、現実逃避するところまで同じかよ。こりゃきっと性感帯も同じだぞ」
「それはどうやればわかるんだ?」
ミカエラが他意のない様子で言う。ふたりの会話を上の空で聞きながら、ユーリは完全に脱力している。天井の穴の数を無心で数えていると、向こうの部屋からチェリオの素っ頓狂な声が聞こえてきた。拷問をされているような声ではない。ユーリはそれに構わずただぼんやりと天井を眺めた。もはやなにを言われても返事すらしない。ミカエラの困ったような声がするが、もう無視だ。
自分を……いや、軍部諸共ハメようとした、大胆かつぶっ飛んだ発想の持ち主はいったい誰なのか。それを探るために餌を撒いたというのに、なにやら逆にとんでもない情報が舞い込んできたようにも思える。これはもう知らぬ存ぜぬを徹したほうが得策だと判断した。
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