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Eight(3)

 リビルドの葉の効果はあれから3日も続いた。さすがに2日目以降はただ腹が重いだけだったけれど、あんな目に遭うならもう二度とリビルドの葉なんて食べないと固く誓う。むしろあれを使う薬も作りたくないレベルだ。  今日はチェリオがいない。北側に残った住人の様子を見に行っているらしい。その隙に、ユーリはキルシェを口説き落として東側の様子を見に出てきていた。 「本当にろくなことしか考えねえな、おまえは」  呆れたような口調だが、キルシェは久々の外気を肺いっぱいに吸い込んで、ぐっと伸びをした。今日は天気がいい。出てくる前に周囲を見回ってもらったが、ピエタも、そして二コラたちも、感染者たちもいないようだ。ユーリは地下街から出入りするための穴からひょこりと顔を覗かせて、辺りを見回した。  ちょうど建物の陰に、目的のものが自生しているのが見える。 「キルシェ、あれ採ってきて。ちっちゃい白い花がいっぱいついているやつ。根から取ってね」  これか? と、キルシェがその草を手にする。そうそうというとキルシェがそのままちぎろうとした。 「待って、根からちゃんと採ってよ。その後ろに群生している花は、花と葉っぱだけでいい」 「ようわからんな、どれがどういうものなんだ?」  食えるもんにしか興味ねえと、キルシェが声を尖らせる。 「トトコルとパ―ムなんてなんに使うんだ? ただの雑草だろう?」  ラカエルが不思議そうに尋ねてきた。これはこう採るんだとキルシェに指示をする。「ナイショ」と含みのある笑みを浮かべる。ラカエルから不審そうな視線を向けられた。 「悪いことに使うんじゃないだろうな?」 「大丈夫、昨日支配人さんが連れ帰ってきた、西側の住人に使うだけ」 「アンフィスと混ぜたら解毒作用が強くなるという、アレか?」 「さすが、よく知ってんね。やったことないけど、おもしろそうだなって思って」 「それなら、カンフォーラを使え。ちょうどオット地区にあるはずだ」  マジかとユーリが目をまん丸くさせる。スラム街に木が自生していると思わなかったからだ。 「おい、ラカエル。まさか未開発域のことを言ってんのか? ガッティーナに変なこと教えんな」 「未開発域なら、そのあたりの地下通路から直通だろう。まさか、オット地区出身者なのに知らないわけじゃないだろう?」  ラカエルがいやに挑発的な物言いをする。キルシェは苦い顔をして大袈裟に両手を広げた。 「俺に連れて行けと?」 「他に誰が護衛をするというんだ?」 「ったく、俺を指名したのはそういうことかよ」  めんどうくせえとキルシェが嫌そうに吐き捨てる。たぶん、チェリオにバレた時がめんどうだからだ。 「俺がしつこかったって言ってくれていいよ」 「ガッティーナの”お願い”を聞くなって言われてんだ」 「なんだ、根回し済みかよ」 「でもまあ、ちょうど暇をしていたし、構わんぞ」  意外なセリフだった。きょとんとしてキルシェを注視する。 「え、なにか要求されたりするやつ?」 「あ?」 「俺ができるのは護衛代払うくらいと、ヤラせてあげることくらいだけど」  ラカエルが大袈裟な咳払いをする。キルシェもまったく乗り気ではない様子で、煩わしそうに眉間の皺を深くした。 「あほか。一番の功労者にこれ以上なにをやらせようってんだ。ンなことを要求すんのは、チェリオかファリスあたりだろう。俺をあいつらと一緒にするな」  功労者って誰のこと? とユーリが問うと、キルシェがじろりとこちらを見据えてきた。なかなかの迫力だ。ラカエルが横で怯んだような声を出したけれど、ユーリは全く動じずに不思議そうにキルシェを眺めるだけだ。 「馬鹿と天才は紙一重っていうが、こいつもそのクチか」 「というか、ユーリの場合は自分がやっていることが当たり前すぎてなんのことか全くわかっていないだけだと思う」  たぶんイル・セーラのなかでも規格外だと、ラカエルが継ぐ。普通なんだけどなと言いながら、ラカエルに手渡された薬草を眺めた。自分の中では、この薬草と同じだ。ノルマにとってはただの雑草でも、イル・セーラにとっては薬草になる。正義も悪も概念の両端を取るからそうなるだけで、べつに考え方としてはどちらの正しくないし間違っていないと思っている。そもそも自分がすごいのではなく、古代イル・セーラや“ユーリ”たち大人のイル・セーラが集めてきた知識がすごいのだ。自分はそれを応用しているにすぎないし、覚えていられるのがすごいというけれど、料理の手順や材料、レシピを覚えるのと大差ない。その対象が違うだけだ。なにがすごいことがあるのだろうかと、嫌味でもなんでもなく純粋にそう思っている。ユーリにしてみれば、少ない物資を利用してうまく活用して生きているその発想力と応用力もまた同じだ。 「そりゃあそうと、ラカエルに使った丸薬を量産して、それを昨日の連中に使うことはできねえのか?」 「ああ、あれはもう無理。材料がない。だから代用薬を作っておきたいのと、手管は多いほうがいい」 「そりゃあどういう意味合いだ?」 「せっかく作っても、それを封じられたら意味がない。だからいくつも同等の薬効のものを別の薬草から作り出しておいて、どれが最も安全でどれが最も安価で、且つ薬効が高いかを見極めたい。  時間がかかるのも、手間だって言いたいのもわかるけど、いま軍医団とピエタが右往左往しているのは、最初に俺が作った丸薬そのものが“悪手だった”。そのせいもある」  キルシェとラカエルが困惑した表情になる。すぐにキルシェが胡散臭そうに眉を顰めて腕を組んだ。 「ネイロが言っていた、『効果のある奴とない奴の差』ってことか」 「あのおっさん、やっぱりただもんじゃねえな」  ユーリはそのことを誰にも話していない。でもどこからかその情報を手にしているということは、軍部かどこかに情報提供者がいるということにつながるのだ。ただ、悪い相手ではない。自分をどうこうしてやろうと考えている相手の裏を読むのは得意なほうだ。ネイロにはその裏がない。ネイロだけでなく、ここにいる人たちはみんなそうかもしれないと思う。 「キルシェ、チェリオが戻ってくる前にさっと行ってさっと帰ろう。バレると面倒だ」 「なんでおまえのほうが乗り気なんだ? ダニオから未開発域の薬草の話を聞いたな?」 「ああ、そういえばディーニがトゥルスの種をくれたっけ」 「そうだろう? あそこはやっぱり宝の山なんだよ」  胸を躍らせるような表情と声色で、鼻息をやや荒くしてラカエルが言った。キルシェが呆れたような顔をそのままに、のそのそと動いて地下街の入り口脇に移動していった。そこにしゃがみ込み、レッグホルスターのポケットから先端がとがった道具を取り出す。頑丈そうな格子戸にはまっているコの字型の留め具をそれで簡単に弾きのけ、その格子戸を開いた。 「ほら、行くぞ。ラカエル、戻ったら“アレ”作れ」 「“アレ”?」 「きみはダメだ。絶対に。そもそもチェリオより年下だろう」 「誰が?」 「きみがだよ」  なにを言っているんだと言わんばかりに、ラカエルが言う。ユーリはきょとんとしてラカエルを注視した。 「俺、誕生日きたら22だけど」  嘘だろと、キルシェとラカエルが声を上げた。 「どう見てもティーンじゃないか!」 「いや、そうだ。腕章がないから忘れていたが、こいつは栄位クラス所属だから、見た目がこうでも20代後半でもおかしくない」 「そういえば、オレガノに行った時に出会ったイル・セーラも、絶対に年下だと思ってしゃべっていたら自分より一回り以上歳上だったことがある」  イル・セーラは年齢不詳なんだと、キルシェとラカエルが口々に言うのを聞きながら、チェリオよりも年下と言われたことがなんとなく釈然としなくて、あんなに子どもっぽくねえわと文句を言った。 ***  地下通路を経由すれば、オット地区の未開発域までは本当にすぐだった。たぶん20分も歩いていない。あんな位置に入り口があるというのに、虫もいなければ蜘蛛の巣もかかっていない。定期的に誰かが掃除をしているのだとすぐにわかる通路だ。建物の陰になっていたこともあり、爆風の影響を受けなかったようだ。少し埃っぽいが、明かりがないこと以外は、隠れ家にももってこいだなと思いながらそこを抜ける。  ただ、キルシェから水路の水を触るなと言われた。キルシェに借りたランプを水面に近付けて、その場にしゃがみ込む。すぐにキルシェがユーリの襟元を掴んだ。 「おい、触るなと言っただろう」 「なんで?」 「理由は知らんが、水あたりを起こすのと、長時間触れると皮膚がただれる」 「ほお」  ユーリが笑みを深める。ごそごそとバックパックを漁って、いつもの銀製のカップとイェルナの粉末が入った箱を取り出した。銀製のカップで水を汲もうとしたら、キルシェがまたおいと凄むように言って掴んでいた襟元をぐんと引いた。 「大丈夫、確かめるだけ」  銀製のカップに水を汲み、そこにイェルナの粉末を一つまみ落とす。荒く潰した粉末は底に落ちるどころか、濁り、そして発泡する。 「おー、すごっ。酸性に傾いてんね。しかも異常に菌が繁殖してるし、不純物と重金属のオンパレード」  見て、色が超すごいと、カップに入った水をライトで照らす。ラカエルがすごい声を出した。 「エグイな、この色は」 「だから言ったろ。知らずにこれを飲んでいたんだ、水あたりどころか、中毒で死ぬ奴らすらいた」 「だろうなァ。改善できないことはねえけど、ま、この近辺の居住区に人がいないし、いいだろ」 「できるのか?」 「できるよ。ここの大元ってどこから来ているかわかる? 東側のどこかに水源があれば、そこの周辺にトゥルスとネリアって薬草を植えてあげたら、時間はかかるけど煮沸すれば飲めるレベルになる」  二人がまた顔を見合わせているのが見えた。イル・セーラは水と土に富んだ場所を好む。基本的にみんな土いじりが好きだし、水も大事にする。だから水と土を改善する方法をいくつも持っているし、都度開発をする。風土に合わせ、変化させる。そういう環境の変化に応じるのは得意なのだ。  カップを片付け、キルシェのあとを追って未開発域に出た。ユーリは驚いて声を上げた。土が淡い緑色に発光している。これは土壌の質を改善するために“誰か”が措置を施したという証拠だ。いつかネイロが言っていたように、“ユーリ”は本当にここに来ていたのだ。 「ねえ、なんでここが未開発なのか、理由を聞いたことがある?」 「さあなあ。昔スラム街が戦場だったころに、毒の製造機かなんかが置かれていて、それが土壌に染み込んだ……とか、そういう昔話は聞いたことがあるが」 「だとしたら、ここの土壌一帯は、地下街にある温泉がある場所とおなじ石を砕いて撒いてある。ってことは、だ」 「ユーリ、すごいものがあるぞ」  ラカエルが興奮したような声色でユーリを呼ぶ。そちらに視線をやって、ユーリもおおっと声を上げた。 「アララトの花に、アーシャまで。これ、絶対に自生したものじゃないだろ?」 「そのようだね。このあたりの土壌では育たないものだけれど、たぶん、君が言っていたようにその石で土壌と水を清めることで、フォルスに近い土壌環境にしてあるんだと思う。  暑さはどうしようもないから、それでこの環境に適応できるものが一年中咲いている、といことじゃないかな?  パメラが言っていたけれど、ここに『ランカーナ』があったんだろ?」 「え、なんだっけそれ? ノルマ語でランカーナ?」  そうだよとラカエルが言う。パメラが持っていたあの花は、ステラ語で言うとまた名前が違う。イル・セーラは熱冷ましや抗炎症のために使うけれど、ノルマは別の用途に使うと聞いてびっくりしたのを思い出す。ああ、アレかと内心し、頷く。 「ランカーナは古くからイル・セーラが使っていたこともあって、頭の固い学者連中が挙って批判したせいで絶滅したと聞いていたんだけど、まさか未開発域にあるとは思わなかった。見てみたかったし、先代にも会ってみたかったなあ」 「粉末でよければあるよ。パメラに初めて会った時に買い取ったんだけど、会うたびに乱獲していたから」 「乱獲するほど咲いていたのか?」 「ここまでは来たことがないから知らないけど、パメラは『沢山咲いている』って」  ランカーナがたくさんと、ラカエルが鼻息を荒くした。ランカーナが絶滅危惧種だとは知らなかった。フォルスに普通に咲いていたことを言ったら、きっとラカエルが大興奮するだろうから言わないでおこう。 「待って、ザフラまであんじゃん。カンフォーラを使ったら、マジで最初の丸薬よりやばいの作れるかも」 「キルシェ、なんでもっと早くここを教えてくれなかったんだい?」  鼻息を荒くして、ラカエルが言う。キルシェは呆れた表情を隠しもせずに大げさな溜息を吐いた。 「そもそもここが荒らされていねえこと自体が奇跡みてえなもんだ」  キルシェを横目に見やり、土が淡い緑色ではなくなる境を探しに行く。そろそろと足音を立てずに歩いていたら、後ろから首根っこを掴まれた。 「離れるんじゃねえ、ガッティーナ」 「あそこの角までっ、お願い」 「ったく。こっちで見てくるから、おまえはラカエルと一緒にその花を採取してろ」  言って、キルシェが建物の角を覗きに行く。まだ向こうまで続いていると声がする。やっぱりだ。このあたりに感染者が来なかったのではなく、来られなかっただけではないか。数回深く呼吸をする。淀んだ空気ではない。空気を綺麗にするために植えられるザフラがあるからではなく、土壌からして澄んでいる気がした。 「ねえ、だれか石に詳しい人しらない?」 「鉱石や宝石系なら、キルシェが詳しいぞ」  ちょうどキルシェがあたりを警戒しつつ戻って来る。向こうには人影もだけれど、遺体もないとキルシェが言う。ユーリは土壌に埋められた石をひとかけら手にして、キルシェにみせた。 「ねえ、この石ってなんだと思う?」  キルシェはユーリからそれを受け取り、眉を寄せて目を細めた。少し光に透かしてなにかを確認しているようだ。 「専用の道具がなきゃアレだが、自発的に光る石ってのは、ミクシアには3種類しかねえ。輝鉱石、マリク、それからナジュム。輝鉱石は別名シャラとも呼ばれて、元々はかなり貴重なもんだ。地下街にあったやつなんか、たぶん政府に知られたらやべえんじゃねえか?」 「イギンが地下街を潰そうとしていたのって、それが関係していたりする?」 「どうなんだろうな。あんな地下まで降りられる奴は、地下街の中でも限られているし、チェリオが喋らなきゃわからねえだろう」  そこまで言って、キルシェがああと思い出したように声を出した。 「そうだ、もうひとつ、シャムスという石があったはずだ。特徴からしてそれに似ているような気がするが、もしもそのシャムスだとしたら、やべえ掘り出しもんだぞ」 「マジ? やばいって、どんな?」 「そうだな、もしもこれが本物のシャムスだとしたら、石の価値自体はシャラと大差ねえが、加工すればより高値でオレガノや周辺国に輸出できる。  ずっと気になっていたんだが、おまえのそのペンダント、それってシャムスの原石じゃねえか? ンなでけえの、売ったら億はくだらねえぞ」 「億?」  きょとんとする。桁が大きすぎて理解ができない。ペンダントトップをもって、これが? と尋ねたら、キルシェが頷いた。 「ま、それが本物ならの話だ。そもそも、シャムスなんておとぎ話みてえなもんだ。その昔、イル・セーラがこの国を治めていた時、その石の価値に気付いてノルマが国を乗っ取ったってふうに、パドヴァンでは伝わっているな。旧王朝の連中は、その石をどっかに隠しちまって、それを聞き出すためにイル・セーラを乱獲したんじゃねえかってうわさすらあった」 「……え、その話って、ほかに誰が知ってんの?」 「俺らくらいの年齢の奴らは、大概聞いたことがあるおとぎ話だ。でも、誰も信じちゃいねえよ。 ただ、もしかするとイギンはその話をまともに受け取って、それでおまえを捕らえようとしていたのかもしれねえな。あいつは元々スラム街にいたわけじゃなく、数年前にどっかの国からふらりと現れた。フィッチのスパイだったんじゃねえかって、俺らは睨んでいたが」  ユーリはうーんと言って口元に手を宛がった。このペンダントは元々ひとつはサシャのものだ。失くすといけないからと大体付けていなかったけれど、お守りがわりにつけている。本当にそれが貴重なものなら、しまっておいたほうがいいかもしれないなと思う。 「ユーリ、こうしておけば種も採りやすいぞ」  ラカエルが興奮気味に声をかけてくる。瓶の中に土を敷き詰め、根を切らないように採取したものをいくつも作っているようだ。さすが薬草学者、珍しいものに目がない。いつのまにかカンフォーラの樹皮も採取してくれていたらしい。  このあたりでまた同じように花を咲かすことができるように、いくつかは残して採取する。そろそろ戻らないと、チェリオが戻ってきてしまうかもしれない。そう思って、キルシェとラカエルに声をかけた。 ***  支配人さんが連れて戻ってきた西側の住人は、ユーリが睨んだとおりすっかり良くなった。ただ、中等度の症状だったことが幸いしたとも考えられる。同様の処置で重症患者までよくなれば御の字だが、そううまくいかないだろうと踏んでいる。  居住区によって症状が異なるということは、本当に感染しているのか、それとも複数の毒物が合わさったオーバードーズなのかの見当がつかない。その判断ができないままにやみくもに丸薬を使うのは、相手にも危険が生じる。そろそろ潜伏生活も限界だなと感じながら、ぐっと伸びをした。 「さっき確認してきたが、ウーノ地区の人たちは問題なさそうだよ」 「じゃあ、やっぱディエチ地区とクワトロ地区の人たちは」 「ほぼ効果がない。彼らに関しては、別のものを試すのが得策だと思う。  これは俺も眉唾でしかないと思っていたんだけど、そのシャムスの原石ってキルシェが言っていたやつを、地下街のどこかで採取することができないか?」 「あー……もしかして、石を粉末化させて薬草と混ぜるってやつ?」 「試してみる価値はあるんじゃないか? このままだと、彼らは死に至るだけだ」  ラカエルが真剣な面持ちで言う。試してみたいけれど、シャムスの原石がどこにあるかなんて探すほうが大変だろうと思う。かといって、これを削るわけにもいかないし。うーんと唸る。 「ここいらで限界かなァ。大体の見当はついたし、あとはこっちがどこまで気付いているかを悟られなきゃ、問題はないかな」 「ひとつ聞いてもいいか?」  ロレンが怪訝そうな顔をして尋ねてきた。 「西側の爆発といい、これはなにか計画的なものだった……なんてこたねえよな?」 「まあ、半々ってところじゃない?」  ロレンの表情には明らかに疑問符が浮かんでいる。 「そもそもの発端は、政府が俺とサシャにフェルマペネムの代替品を勝手に作っているんじゃないかって疑いをかけてきたこと。数年に一度アルマがパンデミアを起こすこともあって、警戒していただけだとは思う。でも、それを逆手に取ればいくらでも“悪さ”ができる」 「イギンの野郎が、地下街を火の海にする計画を立てていやがったらしい。俺はそれと、今回のことが絡んでんじゃねえかと睨んでいるんだが」 「その辺に関してはよくわからないけど、いくつかの組織が、自分たちの目的のために“なにかを探して”動いていることだけは確か」 「そのなにかってのは、おまえのことじゃねえのか?」  ロレンが言う。どうなんだろうなァと間延びした言い方をして、ユーリがぐっと伸びをする。 「考えたんだが、おまえを『捕らえたふり』をして、軍部に連れて行ったら、どうなる?」 「いやロレン、それは危ないよ」 「おもしろそうだけど、一か八かだろうね。遭遇する部隊によっては、俺もあんたも殺される可能性がなくはない」 「じゃあ、エリゼの野郎は?」 「エリゼかァ。いまはなにしているんだろうな? あの人なら機転を利かせて諸々動いてくれるとは思うけど、たぶんドン・クリステンと繋がっているし、それもこちらが持っている情報次第の取引になるかも」 「一番の安全牌はなんだと思う?」  ロレンに尋ねられ、ユーリはうーんと考えながら口元に手を当てた。 「一番安全なのは、二コラが踏み入ってきてくれるか、或いは」  そこまで言って、ユーリは口を閉ざした。オレガノが踏み込んでくるのが最も安全だと、頭の片隅で思っている。スラム街の成り立ちやルールを知るミクシア軍は、チェリオたちとの軋轢を恐れて踏み込んでは来ない。ピエタは人数的な問題で、大それたことはしないだろう。だとすると、ユーリたちがここに潜伏をしていることがもし二コラ経由でオレガノ側に漏れたとしたら、ミカエラが資料に気付いて動いてくれれば全員助かる可能性が高い。  ただ、正直に言って望み薄だ。海を渡って市街を出る方法があれば、ここから脱することもできるのだけれど。 「そろそろ遺体の数も増えてきた。安置する場所にも困るし、場所を変えるか、なにか対策を打ったほうがいいんじゃねえのか?」 「俺もそう思っていたところ。重篤患者にも効果のあるものができればと思っていたんだけど、いくつかの方法は思い浮かんでも、ちょっと現実的じゃない。石を粉砕するための道具がないし、あとは」 「ユーリ、ユーリ!」  ダニオとエルネストの声がする。崖下からひょこりと顔を出した。 「どしたァ?」 「いま、ネイロが見つけてきた釣り場に行ったんだけどさ、そこの奥の岩場に薬草が生えてた」 「マジか、どんなの?」 「説明するより、ちょっと来てくれよ。すげえの、西側にいたおっさんのあのグロい傷が治ってんだ」 「傷って、紫斑の痕のこと?」 「ちげーって! 来たら分かる!」  言いながら二人がユーリの手を引っ張ろうとしたが、ユーリはちょっと待ってと慌てたようにロレンにしがみ付いた。 「この崖から降りるわけ!?」 「はっ? あたりめえだろ、どうやって降りんだよ?」  エルネストが非難めいた口調で言ってくる。早くしろよと興奮気味だ。普通に言っているが崖下は5メートル以上高さがあるうえに、下は水場になっているものの落ちたらタダでは済まない。 「ネイロはどう降りた?」 「向こうに階段があるから、それを伝って」  ダニオが親切に教えてくれる。チェリオがダニオは常識派だと言っていたように、エルネストのように強要するつもりがないらしい。 「じゃあ俺もそっちにする。ここから降りるなんて無理、絶対いやっ」  そもそも高いところ苦手なんだと、ロレンにしがみ付きながら文句を言う。足元にいたエルネストがにやりと笑った。 「ユーリ、そういや俺、一回北側のスラムであんたのこと助けてやったよな?」 「あっ、あれは処置した礼だって」 「ファリスのおっさんに道案内しろって言われて、マレフィス隊のおっかないおっさんたち見てビビり散らかしたんだ。怖かったなあ」  崖をよじ登ってきながら言って、エルネストがユーリの右腕をがしりと掴む。 「だいじょぶだいじょぶ、一瞬だから」  死にゃしないよと、そのあとに続いて登ってきたダニオが左腕を掴んだ。 「なにっ、待って! なにする気っ!?」  ロレンに助けを求めようとしたが、ロレンはロレンでにやりと悪い笑みを浮かべているのが見えた。 「最近ずっと煮詰まったような顔していたし、大声出すのはストレス解消になってちょうどいいんじゃねえか、なあ、兄ちゃん」  ひえっと声が上がる。 「ロレン、水に飛び込むのはもしもユーリが泳げなかったときに困るから、ジップラインで渡ったらいいんじゃないのか?」  頼みの綱のラカエルまでもが庇ってくれない。嘘だろと怯んだような声を上げたら、ロレンがエルネストとダニオを呼んだ。 「ふたりとも、先に行ってろ。すぐに降りる」 「オッケィ。いい悲鳴期待してるぜ、ガッティーナ」  エルネストがユーリの背中をポンと叩いて、悪戯っぽい声で言った。ダニオと共にためらいなく下に飛び降りていく。数秒ののちに水音がふたつ。意味の分からない行動に驚いて、ロレンを見ながら崖下を指さしたら、ロレンがにやりと笑いながら頭上のワイヤーロープを引っ張った。  この崖にいくつものワイヤーロープが張り巡らされているのはなんなのかと、じつはずっと気になっていた。鉱山のあとだったと聞いていたから、単純に荷物を運ぶための仕掛けなのかな程度にしか考えていなかったのだけれど、ロレンがラカエルから見るからに頑丈そうなベルトとハーネスがくっついたものを手渡され、それを自分の腰付近に巻き付けたあとでワイヤーロープに固定されている滑車にカラビナフックを付け、それが外れないかを確認しているところで、いまからなにが始まるのかにようやく気付いた。  逃げようとしたが、ロレンがユーリの腕をいち早く掴んだ。 「嫌っ、ぜっっっっったいに嫌!!」 「ダニオも言ってたろ、一瞬だ、一瞬」 「行って来い、ユーリ。意外と楽しいぞ」 「楽しくない! 高いところ苦手って言ってるじゃないか、なんなんだよっ!?」 「うるせっ、耳元で喚くな、ガッティーナ」  そう言ったあとで、ロレンがひょいとユーリを抱え上げた。ユーリのほうが少し身長が高いくらいだというのに、すごい力だ。 「待って、ほんとに待ってって!」 「エル、ダニオ! 下のアンカーはちゃんとハマってるか!?」 「いつでもオッケィ!」 「よくねえわ!!」  ロレンがうるせえなと非難するように言ったあとで、「しっかり捕まっとけよ」と、一言。何度かワイヤーロープに滑車を滑らせるような動きをしたあとで、崖のぎりぎりまで歩いてきた。怖いもの見たさで下を見る。断崖絶壁。無意識にロレンにしがみ付いた。 「おら、行くぞ、ガッティーナ」 「……っ!」  絶対に下を見ないようにと固く目を瞑る。明朗な笑い声がしたかと思うと、ぐんと体が引っ張られるような感覚のあと、ものすごい風圧が身体を襲っってくる。いままで自分でも聞いたことがないような悲鳴が地下街の空洞にこだました。  

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