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Twelve(5)

「あーもー腹立つなあ。ミカいねえし、こっちで勝手に仕掛けに行くか?」 「いいですねえ、ピエタの派出所にどでかい花火でもお見舞いしてきますか?」  爆薬の調合が得意なおじさまがたにお願いしちゃいます? と屈託のない笑顔でベアトリスがいう。オレガノ軍はミクシアの軍部よりもケンカっ早いというか、特にアレクシスが短気すぎてソワソワする。  ユーリとジジを帰したあと、チェリオはオレガノ軍に合流してピエタの捜査を行なっていた。流石に公に中流階級層街に入るわけにもいかず、アレクシスがどこからか手に入れてきた下流階級層街と中流階級層街の地図と、チェリオがざっくり書いた地下通路の地図を照らし合わせる。縮図が若干違うからところどころズレているけれど、大体の位置は合っているようだ。  その算段をしていたら、ジジが慌ててたように戻ってきた。ユーリからなにか困ったことがあれば手を貸せと言われたらしく、アレクシスが怪訝そうにしていたが、ユーリのその判断は大正解だった。決して手薄ではなかったものの、ベアトリスの部下が警護をしていた駐屯地に何者かが侵入しかけたらしい。幸いにしてジジが通信中の異音に気付いて飛んでいったおかげで事なきを得たが、もしもジジがいなかったら駐屯地への侵入を許していたことになる。そのせいでアレクシスの機嫌が悪い。  駐屯地の縮小ならびに移動を上層部に働きかけ、即座に動くあたりがアレクシスの強みだと思う。ミクシア軍ならまずはお伺いを立ててともそもそと動くに違いない。北側の駐屯地を引き上げさせることをミクシア軍に了承させるなど、アレクシスの地位はなかなかに高いのだとうかがえる。  ご褒美のケーキをたっぷり食べさせてもらって、ジジはまたウォルナットに戻っていった。チェリオも戻ろうとしたが、アレクシスに止められていまに至る。ピリピリした空気感のせいかのどが痛い。 「地下通路にガスでも撒くか?」 「通路の出入り口周辺の住民にも被害が出ますけどね」 「警邏するにも範囲が広すぎるだろ」 「まあ、だからいままでピエタも軍部もこのことを知っていて、放置だったんじゃないですかね?」 「ここを押さえてさえいれば、あの偽物を取り逃がすことはない」 「表も見張らなきゃですけどね」  ベアトリスとアレクシスが無言のまま顔を見合わせた。互いがやや殺気のこもった視線を向けている。チェリオはそれを見ながら、このふたりマジで仲悪いなと内心する。 「べべ、おまえんとこのメグちゃん貸せ」 「じゃあゼロスくん貸してくださいよ。死ぬほど扱き使ってあげますから」 「ゼロスとアーティをセットで」 「うーん……まあいいでしょ。ここはぼくが警戒しときますが、大尉殿はどうされます?」 「メグに中流階級層街に張らせて、チェリオと地下通路を捜索する」  初めてチビちゃんじゃなく名前を呼ばれた気がする。逆に名前知ってたんなら最初から呼べよとも思ったけれど、あえて突っ込まない。 「じゃあゼロスくんとアーティには下流階級層街を張らせておきますね。一応他の部隊にも」  よしとアレクシスが言う。阿吽の呼吸というか、仲が悪そうに見えて一応連携が取れているらしい。変な関係だなと思いつつ眺めていると、ベアトリスと目が合った。 「ではチェリオ、大佐殿に殺されないよう気をつけて」 「ぶ、物騒なこと言うなよっ」 「今日は特にイラついていますから、言動に気をつけるように」  にこやかに言って、ひらひらと手を振る。アレクシスが行くぞと言って部屋を後にする背中を見ながら、死んだらユーリの抱き枕にしてもらってくれと悲しげに告げると、ベアトリスが吹き出した。  地下通路を見回るが、あのにおいを纏った相手はいまのところ見つからない。悪いにおいではないが甘ったるく鼻につく重さのあるにおいだからすぐにわかる。鼻の奥がもたつくような、けれども不快感に結びつくかと言われるとそうでもない。ベアトリス曰くそれがドラッグ独特のにおいらしい。  ひととおり歩いたけれど、怪しい人物は見当たらない。少し傾斜のある場所から、いまは崩落が原因で通れなくなっている付近を見やった時、人影が見えた気がした。  アレクシスを呼ぶ。さすがに手慣れているのか声も出さず、指した方向に視線だけを向ける。息を潜めその方向を見つめていると、やはりなにかが動いた。アレクシスは足音ひとつ立たずに壁の影に潜んでいる男の元へと向かった。  チェリオは武器を携帯していないこともあり、アレクシスに任せることにした。血のにおいがする。すぐにアレクシスがやってきたが、面倒くさそうに舌打ちをした。 「こいつ、パーチェ隊にいたやつじゃねえか」  動けない男のフードを剥ぎ取る。男の腹部は血塗れで、真新しい血がどくどくと流れているのを見て、アレクシスがすうと目を細くした。 「誰に撃たれた?」  アレクシスが尋ねると、男は唸りながら「ドン・クリステン」と答えた。 「情報が欲しい。ここでこのまま死ぬか、吐くかを選べ」  男がアレクシスの腕を掴む。助けてくれと唇が動くのを見て、アレクシスはミリタリーバッグから救護セットを取り出して、輸液パックをチェリオに持つように命じる。男の袖を捲り上げ、二の腕に止血帯を装着した後で透明な瓶の中の液体を綿球に染み込ませて消毒し、男の腕に針を刺す。すぐに止血帯を外したあとで、針が刺さっている場所とは別の箇所を消毒して、別の薬品を注射した。  アレクシスも処置できると思っていなかったから驚いた。 「それで?」  男の腹の傷を手際よく処置しながら尋ねる。 「ドン・パーチェから、オレガノの駐屯地に書類を運ぶようにと頼まれたんだ。それを報告しに派出所に戻った時に」  ところどころ痛みに声を詰めながら、男が言う。 「そいつは腕に傷を負っていたか?」 「左腕を不自然に庇ってはいたが、そこまで見る間もなく撃たれた」  アレクシスが眉を顰めて男の腹にガーゼを押し当てる。 「なぜそれがドン・クリステンだと思った? 特徴は?」  アレクシスが尋ねると男が怪訝そうに眉を顰めた。 「ドン・クリステンはオレガノにいたのだろう? 顔を知っているのでは?」 「フィッチには顔を替える技術がある」  男が目を見開いたあとで痛みをこらえるように唸った。なにか思い当たる節があるらしく、うめくような声をあげたあとで顔をあげた。 「俺はドン・クリステンがオレガノからこちらに戻ってきた際に港からお連れしたが、彼は車内や屋外で煙草をふかすことがなかった。応接室にお連れし、当時の軍医団長だったドン・フォンターナをがやって来る間、一隊員である俺にすら葉巻を吸ってもいいかと声をかけたあとで吸っていたんだ。  だけどあのときのドン・クリステンは、声をかけることもなくタバコを吸ったし、葉巻ではなかった」 「それは通常市街では嗅いだことのないにおいのものだったのでは?」  アレクシスが尋ねると、男が頷いた。やはりだ。 「中流階層街のピエタの派出所にはおまえだけだったのか?」 「あそこはいま中継地点のような場所になっていて、中流階級層のピエタの派出所は下流階級層街に纏められている。仕事を頼まれた者だけがあそこを使う」  ドン・クリステンが葉巻を吸うというのは知っている。たしかに吸う前にはちゃんと確認をしていたし、あの偽物が使っていたオイルライターは見た目こそ似ていたものの、そもそもの音が違う。手入れに使用する物品の関係か、そもそもちゃんと手入れをしていないのか。アレクシスはあらかた治療を終えたあとでその男に視線を向けた。 「オレガノの捕虜になれとは言わないし、ドン・クリステンを見張れとも言わない。ほかになにか、不審な点はなかったかを教えてほしい。獄中のドン・パーチェに手引きできるように取り計らったのは誰だ?」 「ドン・パーチェと直接やりとりができるわけではないが、彼からだと言われて書類を渡してきたのは、ドン・フィオーレだ」  ドン・フィオーレと言われて、アレクシスが眉根を寄せた。 「軍医団二部の団長だよな」 「そうだ。軍部の収容所の看守長でもあるし、ドン・パーチェだけでなく手紙や書類のやり取りをする際には彼を経由する。賄賂を受け取るわけでもないうえに検閲があるから、一応は二重封筒の要領でごまかせているはずだ」  怪訝な表情でアレクシスが一旦こちらに視線を向ける。 「彼はなにも知らないのか?」 「こう言ってはアレだが、ドン・フィオーレは事務的な仕事をメインに行っていることもあり、騙しやすい」  ドン・パーチェが彼は面倒なことに首をつっこっみたがらないと言っていたと男が言う。そんなやつをドン・クリステンが配下に置くかなと思いつつも、そう思っているならわざわざ訂正する必要もないから口を挟まない。アレクシスも同じ意見だったのか、面識がないからよく知らないと言ってのける。 「それが分かればいい」  そう言ったかと思うと、アレクシスが目にもとまらぬ速さで男の首に手を掛けた。喉が詰まったような呻き声が聞こえるが早いか、ぐるりと目が回り失神した。驚きの声をあげるチェリオをよそに、アレクシスは服が汚れるのも構わずに男の身体を抱え上げた。 「ほれ、帰るぞチビちゃん。荷物と輸液パックもってついてこい」 「捕虜にしねえっつってたじゃん」 「この俺をオレガノ軍と認識させて逃がすわけがねえだろ」  アレさんはわざわざ面を曝すようなことをしねえのよと言ってのける。とんでもねえ嘘つきだなと思いつつも、チェリオは言われた通りに荷物と輸液パックを持ったままアレクシスのあとを追った。 ***  オレガノ軍の駐屯地に戻り、男はベアトリスの独壇場(アレクシス談)の処置室に運んだ。いまから処置のついでに自白剤を使って諸々吐かされるんだぞとアレクシスが楽しそうに笑いながら教えてくれる。 「オレガノ軍ってやっぱちょっと頭飛んでるよな」  「ミクシアじゃ違法だぞ」とチェリオが言うと、すぐさま「拷問よりはマシだろ」とまったく悪びれる様子のない声がする。どちらも嫌だが苦痛がないなら自白剤のほうがマシと言えばマシかもしれない。 「なあ、ドン・フィオーレのことはリュカ達の耳に入れておいたほうがいいと思うか?」  答えを分かっていて確かめる。アレクシスは目を眇めてチェリオを見ると、まいったと言わんばかりに両手を軽く広げた。 「どちらにもとれるから、いまは保留で。向こうにはジジがいるし、スラム街の怖いおじさま方もいるから少々大丈夫だろ」 「でもさ、案外すげえ食わせもんで、銃器の扱いがミカエラ以上ってことも有り得るんじゃ?」 「ミカ以上……とまではいかなくても、たぶんそれなりに動けるだろうと思うぞ。  じゃなきゃあのドン・クリステンが二部とはいえ団長を任せるはずがないし、無能のはずもない」 「じつはドン・ヴェロネージたちと繋がっていて、こっちを揺さぶって来るって可能性は?」 「まあ……ゼロではないわな」  アレクシスがうんざりしたように言ったあとで、ガリガリと頭を掻いた。 「チビちゃん、飛び道具の練習しない?」 「しねえわ、地下街出身者が獲物なんて持っていたらやべえっつったろ」 「だわなあ。Sig.オルヴェの身辺警護を固めておくにはこっちの人員を割く以外ないけど、ベアトリスはうごかせねえしなあ。しゃーない、しばらくベアトリスんところの誰か借りるか、ミカが戻ってきたらミカに任せるか」  見返りが怖えわとアレクシスがぼやく。しばらくしてベアトリスが処置室からひょこりと顔を出した。 「この人クロですよ、なにも知らないとか言っておきながら自白剤打ったらあっさり次の標的を吐きました」 「次の標的?」  なんだと思います? と、ベアトリス。アレクシスは少し考えるようなしぐさを見せたが、すぐに面倒くさそうな表情にすり替えて溜息を吐いた。 「まさかミカじゃねえよな?」 「隠ぺい工作のおかげか、さすがにそれは。じゃなくて、西側でまた大規模な爆発が起きるらしいですよ」 「それはドン・クリステンに報告すべき案件だけど、確実なのか?」 「あくまでも予定らしいですけど、なんでも『例のイル・セーラ』を捕獲したら実行に移せと言われていると」  例のイル・セーラと言ったら、ユーリのことしか思い浮かばない。アレクシスも同じだったようで、やや慌てたような表情になった。 「やっぱりSig.オルヴェのことだと思いますよね、俺にはそうは思えなくて」  ベアトリスが神妙な面持ちで言う。 「ほかにイル・セーラがいるか?」 「ヴァシオがいるじゃないですか。イル・セーラの習性を利用して、最終的に殺すつもりだとは考えられません?」 「……もしかして、保護しろとでも?」 「一応はオレガノ出身ですし、犯罪に自ら関わったのか、手を染めざるを得なかったのかがわからない以上、准将殿はそうおっしゃると思いますよ。それにレオナ王子のことだって、一旦は否認したものの、やはりヴァシオが真実を知っている可能性もある」  アレクシスが大袈裟な溜息を吐いた。 「そうではなくて、Sig.オルヴェの捕獲を目論んでいる可能性だって無きにしもあらずだ」 「そりゃそうですけど。ま、一応向こうにも警告だけはしておいていただけると助かります。ぼくだったらカギを握るSig.オルヴェではなく、すべてを知っているであろうヴァシオをまず殺しますけどね」  「大佐殿の勘が外れたら、正補佐官の座を譲って頂こうかなあ」なんてのんきな声で言いながら処置室に戻っていく。アレクシスはそれを横目に見たあとで、耳慣れない言語でなにかを吐き捨てた。 「チビちゃん、ここはあのクソプロエリムに任せて、一旦ウォルナットに戻るぞ」  アレクシスがベアトリスを罵倒するかのような言い方をする。本当にこの二人は仲がいいんだか悪いんだかわからないなと思いながら、チェリオはそれに応じた。 ***  ウォルナットに着いたが、ここを発った時とはさして変化がなさそうだ。相変わらず脱走しているヤギを住人が追いかけているのを見ながら、チェリオは「ミクシアの緊迫感とここののどかさのせいで脳がバグりそう」とぼやいた。  ふと上を見ると、ユーリがぼんやりと窓の外を眺めているのが見えた。「ユーリ!」と声をかけたが、聞こえていないのか珍しくボーっとしている。 「おーい、Sig.オルヴェ!」  アレクシスが大声で呼ぶと、やっと我に返ったのかはたと気付いたようにこちらに視線を落としたが、返事もせずにどこか面倒くさそうな表情で窓を閉めた。 「あの野郎」  ぼそりとチェリオがいうと、アレクシスも可愛くねえなと吐き捨てる。 「いっそ二人で痛い目みせてやるか?」 「はっ? あんた、ミカエラがいないのをいいことにハメはずしすぎじゃね?」 「だって腹立つだろ、あいつ。俺はいつかあいつを絶対に泣かすって決めてるんだ」 「ミカエラにチクられて終わりだろ、やめとけよ」  頭吹っ飛ぶぞと呆れたように忠告をする。口々に言い合いながらリュカの館に入ると、ドアを開けたところにあるリビングでリュカが珍しく本を読んでいた。おかえりとこちらに視線をよこさずに言ってくる。 「ここにいるの、珍しくねえ?」 「ユーリの気分が悪すぎて、少しの間ひとりにしてあげることにしたんだ。だからジジもそこにいる」  リュカが指さした方向に視線をやると、ジジがいつもより広いソファーに仰向けになって寝ているのが見えた。丸まって寝ていないあたり、ジジのリュカに対する信頼度は高いらしい。 「頭痛がひどいんだって。例の薬の離脱症状だと思うんだけど、診察しようとしたら触んなってキレられたんだよね」 「ベアトリスの話だと、自分でコントロールができないくらい感情の起伏が激しくなるかもってことだったけど、それか」  なるほどとアレクシスが頷く。「別の薬物での緩和も中和もしないほうがいいという判断だった」と付け加える。 「ぼくも一応調べてみたんだけど、ミクシアの資料にはユーリが飲んでいた薬の解毒法も緩和法もなかった。ただ、本人は地下街の温泉水で淹れたお茶があればいいって」 「あれがそんな役に立つもんですかね?」 「なにか考えがあるんじゃないのかな? 彼、他人で実験するのも好きだけど自分に実験するのも好きでしょ。むしろ離脱症状なんて味わうことがあまりないから、楽しんでいそう」  チェリオは納得したように確かにと頷いた。ユーリはそういう節がある。でもたぶんそれだけではなくて、チェリオを見たときのあの拒絶の仕方は普通ではなかった。いまはノルマには触れられたくないのではないかと思いつつも、口には出さなかった。 「ガブリエーレ卿、ドン・フィオーレのことなんですがね」  アレクシスがその名前を出した途端、ジジがううと唸った。 「ジジ?」 「あいつ、へんなにおい。敵でも、味方でもない」 「まあ得体が知れないっていうのは確かだけれど、レナトを裏切ることはまずないよ。あのふたちは昔からニコイチだったらしいし、仮にドン・フィオーレがレナトを裏切るつもりであれこれ暗躍しているのだとしたら、相当な悪人だ」 「その可能性ってのは、ゼロとは言えないんでは?」 「限りなくゼロには近いけれども、ゼロではないことは確か。彼がレナトや政府を恨む理由はたくさんあるし」  プライベートなことだから、ぼくからは言えないけれどとリュカが言う。アレクシスが神妙そうな顔で眉根を寄せる。 「これ、もしかしてミカと接触させたらヤバいやつだったすかね?」 「どうだろうね? もし敵側にミカエラの情報がバレていればそうだったかもしれないし、そうでなければそうじゃないかもしれない」 「……めんどくせえ」  ぼそりとアレクシスが吐き捨てる。リュカはすぐにころころと笑って読みかけの本を開いた。 「彼じゃないと入り込めない部分があるからね。それをお互いが利用しているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。  ユーリが懐いているんだから、完全にクロではないと思う」 「ユーリの感覚がバグっているって可能性もあるわけだろ?」 「その“彼”が、じつはドン・フィオーレの正体に気付いていて、うまく動かしているっていう可能性も無きにしも非ずだよ」  ユーリって考えなしに動いているようで、びっくりするくらい強かで用心深いからとリュカが不敵な笑みを浮かべる。 「レナトに抱かれているのも、あれは“感覚に慣れるため”なんだって。どのタイミングでどうやって偽物にあったのか知らないけど、ここの村の住人がイル・セーラにとって猛毒になる薬品を持っていたことがあった。そのときにジジに彼らを探らせたけれど、ジジはすぐにドン・クリステンの偽物がいるって見抜いたんだよね」  だからレナトがここに来るときには、必ずジジをユーリの寝室、若しくは寝室付近に待機させているとリュカが言う。 「まさか、最初から知ってたんすか?」 「疑念があった、という程度だよ。そもそもレナトが死んだら諸々メリットがあるやつらが多いんだ。ぼくはそれを阻止しなければならないし、だから共通の組織であるエポカを動かして彼の身辺を警護しているんだ。エリちゃんなんて一番使えるよね、強いし、レナトの言うこと聞かないし、性欲処理にも事欠かないし」  ぶっとチェリオが吹き出した。 「マジっ? あいつそんなことしてんのっ?」 「どこまでしているかは怖くて聞いたことがないけどね。エリちゃんはあの容姿だし、ユーリ同様なかなかの目に遭わされていたみたいだ。  兄上がナザリオとエリちゃんをフォルスで保護したときに、エリちゃんから誘われたのを素直に応じていればよかったって後悔していたのを聞いて、あの人なんであんなに自由人なのに貴族院に名を連ねていられるのかなと心底軽蔑したよね」  チェリオは苦笑を漏らすことしかできなかった。  アレクシスが捕まえたピエタのことをリュカに報告をする。通常は葉巻を吸うはずのドン・クリステンが煙草を吸っていることがあり、その時には偽物なのではないか。そもそもいつものドン・クリステンは革製のグローブをしている時といないときがあるからそれが見分けにつながるかはわからないが、ジジが襲ったあのドン・クリステンの偽物は革製のグローブをしていたと告げる。リュカが眉根を寄せる。 「その煙草のにおいのせいでユーリが具合を悪くしたってきいたときには、ドラッグの類かと思ったけれど」  言って、リュカが軽く伸びをした。 「まあ、肝心の本人の体調が悪くては、聞き取りもできないんだよね。その件に関しては、エリちゃんには報告を入れておく。引き続きレナトを見張るように、ってね」 「エリゼがこっちにいないのは、そういうことかよ」 「だって一番手っ取り早いでしょ? ピエタの隊員でもあるし、エポカの隊員でもある。レナトとも顔見知りで、一緒にいさせても違和感がない。偽物云々はエリちゃんとドン・フィオーレを頼りにしておくとしよう」  あとはいつユーリの離脱症状が治まるかだねと、リュカが言う。研究も中断してしまっているらしい。アレクシスがお手上げだというように肩を竦めた。 「ありゃ絶対に普通じゃないすわ。薬の離脱症状だけじゃないんじゃないすか? 明らかにトラウマを抉っているというか、なんというか」  リュカが意想外な顔をしてアレクシスに視線を送る。 「Sig.エーベルヴァイン、あなたって意外とその手の知識がある人なんだね」 「まあ、長いことオレガノ軍に在籍してますからね。8年前のことがきっかけで、Sig.オルヴェと似たような症状を引き起こした隊員を何人も見たことがある。ベアトリスはあのときはまだ在籍していなかったし、実際にそれを目の当たりにしたことがあるのは、俺と、あとふたりだけ」 「あのときはイル・セーラにとっても、ノルマにとっても、かなり戦闘ストレス反応を起こした人が多かったって聞いている。案外、彼もそういうのを持っているかもしれないね」 「全然そうは見えねえけど、うまく隠してるんじゃないすか? そういうのが一番まずいんだけど」  ぼそりとアレクシスが言う。殺人や傷害事件など日常茶飯事だったスラム街では、そんな軟弱な精神では生きていけない。チェリオにとっては理解しがたい内容の話だが、わからないでもないと思う部分もある。  イギンたちが流れてくる前は、スラム街はまだ平穏だった。彼らが現れ、アグエロやイオが入り込んでくるようになってからはずいぶん様変わりをした。それこそ約9年もの間、彼らとピエタがスラム街を蹂躙し、様々な利益を得ていたが、その間に薬物による死者がどのくらい出たのかは数えたことがない。チェリオが子どものころ、そこかしこに薬物中毒者がうようよしていた。それこそ、爆発事故が起きたあとの北側のディエチ地区のように、カオスだった。  ノルマとイル・セーラの違いと言われたらそれまでなのかもしれないし、特にユーリはサシャを亡くして間もないこともあって、余計に不安定になっているのか、それともそれ以外になにかべつの理由があるのか。考えてもしょうがないことだけれど、もういないはずのサシャを何度も呼んでいたのはなんだったのだろう。チェリオはそれが気がかりで仕方がなかった。

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