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Sixteen(4)

 アルテミオの処置のおかげで、キアーラは一命を取り留めた。けれど予断を許さない状況のようで、リズとフレオがつきっきりで看病している。  車の中でそう聞かされてホッとした。まだ微妙に手が震えている。ぐすぐすと鼻を啜りながらアルテミオの処置を受ける。運転をしているのはジャンカルロだ。ネーヴェ族とのダブルだからなのか、さすがに回復が早かったようだ。 「自重しねえからこうなるんだぞ」  もう何度おなじことを言われたかわからない。ユーリは返事をしなかった。代わりにアルテミオを恨めしそうに睨む。ドン・ナズマが明朗に笑う声がした。 「いじめないでやってよ、ジャンカルロ。自業自得とはいえ、たぶん本当に怖かっただろうから」 「かもしれねえけど、下手したら殺されるところだったんだぞ」  本当にそうかもしれない。あとから聞いたけれど、ウィルの館周辺にいたスコーピオの手下たちは、みんなドン・ナズマとナザリオに捕獲されていたらしい。「蜘蛛の子みたいにわさわさいたんだよ」と、ドン・ナズマが嫌がらせのように言ってくる。  中に出されたものはさすがに館の中で処理をしてもらったけれど、腹の傷は血が止まらないせいで、落ち着くのを待つよりもいったんミクシアへ戻る手筈になった。  じりじりと焼け付くような痛みがあるけれど、それよりも諸々の不快感で感覚がおかしい。だらりと後部座席に身体を預けていると、アルテミオがユーリの目の前でひらひらと手を翳した。 「何本かわかる?」  差し出されているのは3本だ。素直にそう答えると、ふうと小さく息を吐くのが聞こえた。 「アースィム、替わってもらえるかな?」 「え、アレ入れます?」 「俺はユーリがかわいそうでできない」  アルテミオの発言で、怪訝そうに眉間にしわを寄せて睨む。なにをする気だと声を荒らげたけれど、身体を起こすよりも早くドン・ナズマに押さえ込まれた。 「はいはぁい、暴れない暴れない。言ったよね、きみが悪いんだよ、自業自得。知ってる? 自業自得って言葉」 「何回も言われなくてもわかっとるわ! もうしない! 絶対に! だからさっさとフォルスに帰してくれ!」  そういう約束だったんだ! と喚いていたら、腹にびりっとした痛みが走った。いつのまにかユーリがよく使うタイプのシリンジでなにかの薬液を打たれていたらしい。あまりの早業に目がまん丸くなる。 「え、こわっ」 「終わりましたよー、ボス。このぐらい奴隷時代は普通だったんだし、本人も気にしちゃいないでしょ」 「傷口に直接解毒剤だなんて、俺にはかわいそうでとてもとても」 「いや、これ作ったのあんたですからね」  「自分は善人みたいな面しないでくださいよ」と、ドン・ナズマが言う。アルテミオは嫌な顔ひとつせずにへらりと笑って、ユーリの腹の傷に視線を落とした。 「傷が残らないといいけど。怖いなあ。オレガノがなんていうかなあ」 「ま、最悪ユーリくんがオレガノにとられるだけでしょう。問題ないない」 「いや、大有りなんですけど」  なに言ってんだと、ドン・ナズマを詰る。そもそも、あの人形が示す意味を紐解いたこちらがわるいとアルテミオは言ったけれど、それも織り込み済みだったんじゃないかと思うほどにスムーズだった。絶対に見張られていたなと思いつつ、ドン・ナズマを睨む。 「おい、覗き魔」 「なにかなー、鈍感ユーリくん」 「いつから見張ってた?」  ドン・ナズマが楽しそうに笑って、そうだなあと間延びした言い方をする。 「きみが二コラくんに会いに来た時、かな」 「ってことは、最初から俺を“献上”する気満々だったってことだよなァ?」 「おや、そちらこそ“手土産”にされるつもりで諸々仕込んでいただろう?」  ムッとしてアルテミオを見る。こちらに非はないと言わんばかりの表情だ。 「そうかもしれないけど、マジで怖かった」  「あんな怖いなんて聞いてない」と、むすっとした表情でぼやく。 「まあ仕方ないね、ジョスを揺さぶったんだろう? フォルス一帯に加えて、ジェオロジカまでくれなんて言うからだよ」 「そのくらいの働きはしたじゃないかっ。俺が手土産にならなかったら、オレガノと拗れていたかもしれないし、ミカエラは既に読んでいたぞ」  そう言ったら、アルテミオが苦い顔をした。 「准将殿も頭が回るからなあ。おそらく元々目星をつけていたんだと思う。オレガノ軍の制服を纏っていない、“エクリプスにいないはずのイル・セーラ”がちょろちょろしているって噂になっていたんだよね」 「赤い目をしていないってこと?」 「おそらく。周辺の村人を装ってふらふらしていたのは、Sig.エーベルヴァインの部下かな? それとなく危ないから引き返すように言っておいたし、彼の部下は血の気が多い割に聞き分けが良いから、調査をやめて戻っているはずだよ」  怖い怖いとアルテミオがまったく心にもないようなことを言う。  ウィルが使った毒は、旧王朝の終末を迎えた際に使ったものと同じ毒だと言った。だからなのか、本当に血が止まらない。ガーゼを換えてもまだ真新しい血が滲む。ほんの数センチの傷だというのにだ。ユーリは痛む腹を押さえ、気を紛らわせるためにふうと息を吐いた。  ユーリが身体に仕込んでいたのは、ドン・クリステンが処方した秘密のお薬だ。絶対に知りたがるからと、中身も名前も教えてもらえなかった。それに加えて、元々あの手の毒に耐性があったこと、そしてたぶん、二コラに渡したあの薬効の相乗効果で、自分はこれで済んでいる。毒が仕込まれていない状態で毒消しを飲んでもなんにもならないが、ウィルにあれこれされるだろうと思って用意していたものが功を奏したと言っても過言ではない。おかげで、ナザリオが連行したあと、軍医団の収容所でそれはもうべらべらと余計な言葉でしゃべっていたらしいことを聞いた。  ナザリオが死んだ――とは、正直思っていなかったけれど、まさかアルテミオと通じていたとは思わなかった。いや、そういえば、フォルスの遺構の入構許可証は、ドン・フィオーレから発行してもらったと言っていたような気がする。つまりあいつは、リュカ、ドン・クリステン、アルテミオの犬だったということだ。もう本当に誰も信じられない。  これでフォルスに帰してくれなかったら、一生恨んでやると恨みがましい声色で。「さすがにそれはないと思うよ」と、アルテミオが穏やかな表情で言った。 ***  ミクシアに戻ったのは日が登ったころだった。少し眠っていたのか、「着いたよ」と揺すり起こされる。ユーリは身体を起こしたあと、社外の光景に目を丸くさせた。  見たことがない風景だ。一瞬どこか別の場所に連れてこられたのかと、顔が引きつる。車のドアを開けて、中を覗き込んできたのはドン・クリステンだった。その姿を見て、目を見張る。普段の軍服やピエタの高官の制服ではない。明らかに、貴族の服装だ。 「わざわざお出迎えどうもです、ブラッキアリ公」  ドン・ナズマが丁寧なお辞儀をしながら、ふざけた口調で言った。ドン・クリステンは薄く笑って、こちらに視線を向けた。 「ユーリ、こちらへ。最初にきみと出会った時に伝えたことは覚えているかね?」  言われて、頷く。ピエタの高官が着る制服や、軍服を纏っていないときには「ブラッキアリ公」と呼ぶようにと言っていた。ここに来る間に、車の中で着替えさせられたり、髪を整えられたり、なにか不自然だと思っていたけれど、こういうことかと思う。ただ、まだ傷口からは血が滲む状態だ。数時間経っても変わりがない。ドン・クリステンはその様子を見て、静かに目を伏せた。 「まあ、その程度の傷で戻ってくることができたのは僥倖だと思いたまえ。ほかのイル・セーラたちは軒並み殺されているのだからな」  それはわかっている。そう言いたかったけれど、言葉にならない。ドン・ナズマに打たれた薬すら無効化してしまうらしい。徐々に痛みが増すのを堪えて、黙っていたけれど、そろそろ限界だ。自分が妙に大人しいからだろう。ドン・クリステンがアルテミオを呼んだ。 「あれは城に入ったのか?」 「今日の9時に面会予定が入っているはずだ。変更されたとは聞いていない」  ドン・クリステンが懐中時計を開き、時計を確認する。すぐにこちらに視線を向け、手招きをする。 「動けるかね?」  言われて、立ち上がろうとしたけれど、足に力が入らない。 「無理。まだ腰が抜けてる」  腰が抜けているのか、毒のせいなのか、もう判断がつかない。少し息が上がっているのが自分でもわかる。ドン・ナズマが車から降りるのに手を貸してくれた。そのままドン・クリステンにひょいと抱きかかえられた。 「地下通路にいるであろうネズミどもは、チェリオたちが片付けてくれた。いま、ジジと共に残党を追っている。あれはいい嗅覚をしているな」 「お役に立てて恐悦至極」  冗談めかして言ったら、ドン・クリステンが静かに息を吐いた。 「さて、仕上げと行こうか。ついておいで、ジル」  ジルと言われて、ユーリは驚いて顔をあげた。ドン・クリステンの補佐官だ。彼もまた、いつもとは違う、貴族のような恰好をしている。思わず目を瞬かせた。 「え、これ、どういうこと?」  なにが起こるの? と、目を白黒させる。 「もう一仕事しておいで、ユーリ。終わったら、ちゃんとウォルナットに送り届けてあげるから」  ウォルナット!? と声を張り上げる。 「なんでっ!? フォルスに帰らせてくれるって言ったじゃん!」 「事後処理が終わったあとだと言ったはずだぞ、ユーリ。時間がない。きみは私が振ったこと以外に答えないように」  いいねと、念を押すように言われる。マジかとぼやきながらアルテミオを見ると、にこやかに手を振られた。 「くれぐれも粗相のないようにね、ユーリ。“元”奴隷の立ち場を存分に振り翳しておいで」 「余計な知恵をつけるな、アル」 「そうかな? 俺なら、そのくらいは“保障”してやるけどね」  意味深に笑いながら、アルテミオ。ドン・クリステンは目を眇めて見たあとで、軽く肩を竦めた。 「まあいいだろう。きみが調合した薬の褒美代わりだ」

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