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Sixteen(7)

「アスラがシャムシュ王朝を徹底的に調べているのは、赤い目を持つイル・セーラに対する差別撤廃の為でもある。まあ、だからこそ第一王族の末裔であるおまえに諸々読み解いてもらいたい歴史書があって」 「なにそれっ?」  ユーリが目を輝かせると、アレクシスが吹き出した。 「なんだよ、さっきまでビビり散らかしていたくせに」 「古書がオレガノにあるのっ? 見たいっ」  持ってきてと言うと、アレクシスが苦笑をもらすのがみえた。 「持ち出し禁止だから、それはできない。おまえがオレガノに来れば別だが」  そう言われて、すぐに白けた表情にすり替える。その手には乗らない。 「ミカエラに古代文字と共通言語仕込んどいてあげるから、解読してもらえば?」  俺から出向くんなら要らないと、素っ気なく言ってのける。大袈裟に両手を広げ、だろうなとアレクシスが言う。もし銀髪のイル・セーラがオレガノに現れたら、神話好きのやつとか、考古学者から手放してもらえなくなるかもと、アレクシスが笑う。そんなことを言われたら余計にでも行きたくなくなる。 「フォルスに帰りたい……ってのが、第一条件だったな」  アレクシスがこちらを見る。ユーリはじろりとアレクシスを睨んだ。 「叶わなかったらおまえに毒を盛ってやる」  なんでじゃとアレクシスが真顔で突っ込んでくる。オレガノ側の意見がミカエラではなくアレクシスの判断なのだとしたら、すべてアレクシスが悪い。そう解釈しているからだ。ひいき目に見て、ミカエラはきっと嘘を吐かない。でもアレクシスは嘘つきだし、いつも自分を揶揄ってくる。 「オレガノは事が済めばそのつもりだが、ミクシアはどうなんかな。あのイカレ野郎が証言台で第一王族のことをそれはもうつらつらと吐きやがったらしいから、いままで以上に狙われる可能性がなくもない。ドン・フィオーレが口達者に妄想と現実の区別がついていないことをしれっと言っていたようだから、わからんけど」  ユーリは眉間にしわを寄せて、ベッドに横たわった。王様が旧王朝の末裔はいないって言ってくれるって約束してくれたのにと、げしげしとアレクシスの腰を何度も蹴って不満を訴える。 「もうやだ」 「わかってるわかってる。こっちからもなんとか秘匿してやるから、ここで大人しく待ってろ」 「そもそも、なんでそんなことをいまさら蒸し返してきて、あんな目に遭わされなきゃいけないんだよっ?」  マジで怖かったんだと、恨めしそうにアレクシスを睨む。思い出したら寒気すらしてきた。相当なトラウマだ。 「シャムシュ王朝の知識は宝の山だからな、オレガノでも困ったらシャムシュ王朝の知識に頼れってくらいに様々なものがある。オレガノの医療の基礎になっているのは、シャムシュ王朝の知識だし、古代イル・セーラは魔術がつかえたって言われているレベルで、心臓が止まった相手が生き返ったとかいう逸話もあるくらいだ」 「サシャも生き返る?」  アレクシスが気まずそうな顔をする。「当て付けかよ」と唸るような声を出した。 「心臓さえあって、シャムシュ王朝の秘密のすべてが分かれば、或いは」 「至福者の丘が閉鎖された理由って、それなんじゃないの? 地下街にあったあの不思議な石でできた棺とかがあれば、もしかするとその中に入れて、ウィルが言っていたような儀式をすれば」 「試すとして、誰の心臓を使う?」 「ウィルの館に、たぶん“ユーリ”の心臓がある」 「おい、クソ野郎。Sig.オルヴェに妙なことを吹き込まないでくださいよ」  いつのまにか音もなく戻ってきていたベアトリスが、アレクシスの足を蹴り上げた。 「やべ、うるせえのが戻ってきた」  つか、蹴るなと、アレクシスがベアトリスに凄んだが、ベアトリスは完全無視だ。 「はい、Sig.オルヴェ、おなか出してください」  ユーリはもう無抵抗で、ごろりと仰向けになってシャツの裾を捲った。自分では怖くて見ていない。さぞとんでもないことになっているのだろうと、感覚でわかる。ベアトリスが傷口を保護しているガーゼを外す。疼くような痛み以外ないが、アレクシスがうおっと引いたような声を出した。 「おいコラっ、これを放置するとか有り得んぞ!」  うるさいですよとベアトリスが声を尖らせる。処置用の手袋を装着して、持参した軟膏を指でとったあと、丁寧に傷口に軟膏を塗っていく。 「傷自体は大したことがないけど、毒が周囲に回って痛みが鈍磨しているはずです。化膿止めと痛み止めを兼ねているので、1日数回、患部が乾ききる前に塗ってください」  ユーリの腹に薬を塗るベアトリスを横目に見たあとで、アレクシスが嫌そうな顔をした。割と範囲が広い。その処置をしながら、ベアトリスが呆れたような溜息を吐く。 「まだ血も止まっていないじゃないですか。それにこれ、腐ってません?」 「ンなわけねえわ」  自分で傷口を見てもいないのに、違うと言い張った。人間に備わっている超回復の機能違いだ。回復には時間がかかる。ただそれだけの話だ。 「おい、弩級のバカ。おまえもしかして、この期に及んで自分が死ねば二度と第一王族の捕獲を目的とした争いが起きない……なんて考えたりしていないだろうな?」  ユーリは答えなかった。それも一瞬考えたけれど、王様を見ていたら、それはただの逃げだと感じた。だからいまはそうは思っていない。沈黙を肯定と受け取ったのか、アレクシスが大袈裟な溜息を吐く。 「言わないであげてください。大佐殿は自分が襲われた経験なんてないから、そんなことが言えるんですよ」 「マジかー、俺もトゥヘッドでヘーゼルアイのプロエリムを見ると体が竦むわ。夜間背後から毒盛られたことがあってさ」  身体を震わせながらアレクシスが言うと、ベアトリスがにこやかに「ヴェノムの毒、もう一回食らってみますかぁ?」と言ってのけた。それはさすがにシャレにならない。 「一応王様に頼んだし、たぶんそういうのはもうないと思いたい。もしあったら、オレガノに逃げる」  絶対にないことを願うがと、付け加える。ベアトリスはユーリの腹の傷を新しいガーゼで保護したあとで、処置に使った道具を持ってきていたトレイに放り込み、手袋を外した。それもぽいとトレイの中に丸めていれる。 「だったら、最初からオレガノに来られたらよいのでは?」  ベアトリスが声を弾ませる。 「絶対にお断りですぅ」  ベアトリスの口調を真似て言ってやる。そうしたら、ベアトリスがユーリの両手を拘束してベッドに押し付けた。うふふと意味深に笑う。 「アスラ様も言っていたけど、本当に銀髪のイル・セーラが子どもを産めるなら、Sig.オルヴェにオレガノに来てもらってアスラ様と准将殿共用にすればすべてが丸く収まるんですよね。どうです、試してみては」 「なんでそういう発想に」 「アスラ様はノリノリでしたよ、Sig.na ディアンジェロと准将殿の間に子どもをという選択肢はないことから、“正妻”を迎えるならSig.オルヴェがいいんじゃないかって」  衝撃発言だ。前からアレクシスが政略結婚だのなんだのと言っていたけど、そういうことかと思う。 「准将殿は大佐殿が蝶よ花よと育てて、性知識ゼロの上にイル・セーラの伝承をおとぎ話程度にしか聞かされていないので、心底呆れた顔をなさっていましたが」 「躾間違ったのは俺だからなんとも言いようがないけど、あの堅物を誘惑してきてくれ、Sig.オルヴェ」 「絶対いやっ!」  「悪いようにはしませんよ」とか、「政治に関われとか言わないから」とか、口々に言ってくる。暴れてベアトリスの手から逃れようとしたけれど、この細腕のどこにそんな力があるのかと思うほどにビクともしない。じわりと涙がにじむ。 「もうやだっ、ほんとにやだって!」 「あーあ、泣かせた。べべちゃん悪い奴」 「なんで二人とも俺のトラウマ抉るようなことばっかり言ってくるんだよっ!?」 「トラウマ?」  二人の声が絶妙にハモる。ユーリは目を固く瞑ってほんとやだと顔を逸らした。こいつらは二人そろうと本当に碌な発想をしない。ミカエラがあんなにクールで冷静に育ったのは、こいつらに翻弄されないようにという自己防衛と、ああ見えて意外と打算的だから、取り合うだけ時間の無駄だという損得勘定だと思う。 「あのサイコ野郎以外にも、そう言った人がいるってことです?」  ベアトリスが不思議そうに尋ねてきた。勢いとはいえ言ってしまったものはもう引っ込められない。言わなければ離してくれないだろうと悟り、大人しく口を開く。 「収容所に連れて行かれた日に、ミクシアの前の王様が言ってた」  しんと静まり返った。恐る恐る目を開けて顔をあげると、アレクシスが神妙な顔で眉を顰めているのが見える。時系列を整理するかのようにぼそぼそと第二言語でなにかを言っているようだ。ところどころ聞き取れるけれど、スラングが多くてよくわからない。 「なるほど、だからオレガノがミクシアのイル・セーラを移送することを決める前に、急に奴隷化宣言を決行したのか」 「Sig.オルヴェが収容所に連れて行かれるまでに4年のラグがあったのは、途中までイル・セーラの秘密に気付いていなかったか、孕ませるなら銀髪のイル・セーラじゃないとっていう情報を経たから……ってことですか?」  ヤバすぎません? と、ベアトリスが言う。 「墓に毒撒いてきていいです?」 「不敬罪だから冗談でもやめとけよ」 「いや、ヤバすぎるでしょ。相手子どもですよ? ただのペドフィリアじゃないですか。秘薬を飲まないと孕むこと自体無理なのに、それを知らないSig.オルヴェを襲うとか、人の所業じゃないでしょう」  「ぼくがそのことを知っていたら、絶対に楽には死なせなかったのに」と、真顔でベアトリスが言う。アレクシスが目配せをしてきた。「余計なことを言うな」と口元が動く。エリゼもそうだけれど、真顔の時はガチだ。 「まあ、最期はろくな死に方してねえんだから、ある程度報いだろ」 「暗殺でしょう? ただの」 「やべえ発想すんな。そもそも“国王”が暗殺だなんて、有り得んぞ。腹心含め、大半が王の失脚を望んでいたってことだ。  オレガノで考えて見ろ。“あの”ファンキー国王を裏切りたいと思うか?」  ファンキー国王とか言っている時点で不敬だろうと思うが、ベアトリスはそこに突っ込まず、首を横に振った。 「いいえ、ぜんぜん。つゆほども。あの方を暗殺したいなんて考える人います? いたらぼくが殺します」 「だろ。男性版アスラだし、あんだけ柔軟に立ち回れる人だからこそ、逆に騙されないように支えたいと思うのが普通だ。  でも死んだほうがいいと判断されたということは、それだけ圧政だったし、悪政を敷いていたということになる。軍部やピエタもそうだけれど、隊によって年齢差が激しいし、中間層がいないところを見るに、割とぽんぽん処刑をしていたりもしてたんじゃないのか?」  アレクシスが言ったら、ベアトリスが眉を顰めた。 「だとしたら、前王が殺されたのは銀髪のイル・セーラの秘密を知って、Sig.オルヴェに手を出したからなのでは?」 「まあその線も考えられるだろうな。  あのコレットって嬢ちゃんも相当な目に遭わされたっぽいことをティナが言っていたし。アイラって子はどう見ても純血のイル・セーラだから、ノルマに孕まされたわけじゃなさそうだよな」  自分に問われているわけではないが、ユーリが目を背ける。エドもコレットも、アイラのことは話さなかったらしい。そりゃそうだ。きっとエリゼから『それをいうとオレガノ、ミクシア間に亀裂が入るから言わないでください』と釘を刺されているはずだ。ユーリも敢えて言うつもりがない。 「レジ卿がフォルスの襲撃を仕組んだのは明白ですが、前王がまさか自分を出し抜いてSig.オルヴェや、ほかのイル・セーラに手を出すとは思っていなかったのかもしれませんね。  これはあくまでも噂ですが、前王の奥方は3人いて、そのうちの2人は病死しているとのことです。もし、仮に、イル・セーラを恨んでいた理由が、レジ卿と同じだとしたら」 「紛争中を理由にオレガノが手を貸さなかったから、だから先代に目を付けたって?  まあ、それなら説明が付く。捕虜を吐かせるには、捕虜と同国の女性を犯したりそいつと同隊の相手を拷問するのが効果的っていうもんな。  ってことは、ミクシアはこれから、二度とそういう“粗相”をしないように、アンナがブラッキアリを継いで、傀儡政権まっしぐらになるってことか」  オレガノの都合のいいように動かせるチャンスですなと、アレクシスが悪い笑みを浮かべた。 「あー、やっぱり? じゃあ予定通りSig.オルヴェにはオレガノに来ていただいて、社会貢献していただきましょう」 「予定通りって何!? 行かないって! 手ぇはなせよ!」 「Sig.オルヴェ、なにか勘違いしていません? オレガノは本国にメリットがない限り動きません。それにぼくはあなたが泣こうが喚こうが微塵も心が痛みませんし、それなら准将殿が心置きなくオレガノに戻ってくださるとおもうんですよぉ」  ベアトリスの目はマジだ。散々手間ぁ取らせやがってとでも言いたげなのがひしひしと伝わってくる。意図せずじわりと視界が歪む。 「おい、ベベやめとけって。こんなとこミカに見つかったらやべえぞ」 「食えないおふたりを恐喝しに行ったのだから、まだ戻ってくるはずないでしょう」 「それ、フラグだからな」  手ぇ離してやれよと、アレクシスが呆れたように言う。それでもベアトリスが解放してくれる様子はない。 「あいにくぼくは大佐殿と違って幸運ステータス振り切っているので准将殿に悪事がバレたことがありません」 「じゃあ俺がバラしてやる」  バラされたくなければ手を離せと睨んだら、ベアトリスが逆に楽しそうに目を細めた。 「ぼくには魔法のお薬があることお忘れなんですかぁ? 往生際の悪いあなたなんて、その薬でパパッとあの双子の番だって刷り込むことくらいわけないんですよねぇ」 「バカだねおまえ。ベベを脅したらこうなるに決まってんだろ」  さらりとアレクシスが言う。助けてくれるつもりもないらしい。双子の番なんてパワーワードすぎて、絶対に嫌だ! と喚いた時だ。下から音がした。アレクシスがベアトリスに離れるよう指示するが、ベアトリスは少し耳を澄ませたあとでイタズラっぽく肩を竦めた。 「准将殿の足音と気配はしないので、チェリオあたりが戻ってきたんじゃないです?」  その足音が階段を上がってくるような気配はない。ベアトリスは不敵な笑みを深めた。「ぼくは優しいので選ばせてあげましょう」と言ったあとで、ユーリを解放した。 「最初から媚薬でぐずぐずにされて身も心も双子に支配されるのと、気がついたら双子の番になっているの、どちらがお好みですかぁ?」  もう突っ込む気力もない。むすっとしたまま答えずにいたら、階段を上って来る音が聞こえてきた。足音はひとつだ。踵から床を叩くような、足音がなるべく立たないように歩く音。  足音でわかる。ユーリはガバッと身体を起こして、早足で部屋の入り口まで向かい、ドアを張り開けた。急にドアが開いたからか、驚いたような様子の二コラがいた。 「ニコラ助けて! この人たちマジで怖い!」  ニコラが戸惑うような声を出すのを無視して後ろに隠れる。上目遣いにニコラを見上げると、困ったように眉を顰めているのが見えた。 「ドン・クリステンから聞いた。推察だけで敵陣に乗り込んだんだろう? そんな無謀なことをするからだ」 「じゃなくて、オレガノに連れて行くって言うんだ」 「補償の会合も兼ねて、落ち着いたらドン・クリステンとともに伺う予定と聞いているが?」  ニコラに言われて、間抜けな声が上がった。アレクシスとベアトリスが笑うのが聞こえてきて、騙されたのだと気付いた。ニコラ越しに2人を睨む。 「Sig.カンパネッリ、人が悪いっすわ。もうちょっと懲らしめたかったのに」 「そうですよ、そんな簡単に種明かしされたらつまらないじゃないですかぁ」  にやにやとふたりがふたりとも悪い笑みを浮かべている。本当にこいつらはたちが悪い。いつか罰が当たればいい。 「おふたりとも、ユーリの反応が面白いからと言ってあまりからかわないでやってください」  ニコラが言った端からアレクシスとベアトリスが同時に悪い顔をする。流石のニコラもあきらかに何かを企んでいる顔だと気付いたらしく、怯んだような声を出す。 「だーれが窮地を救ってやったと思ってるんすかねえ、Sig.カンパネッリ」 「そうですよぉ。ぼくがたまたまアスラ様からいただいた秘伝のお薬を持っていたから事なきを得ただけで、あれがなかったらあなたは今頃お空の上ですよぉ」  「Sig.カンパネッリは媚びを売る相手をよく見極められたほうがよろしいですよ」と、ベアトリス。二コラはものすごく肩身の狭そうな顔をしていたけれど、「お言葉ですが」と言葉を継いだ。 「ユーリがサシャを犠牲にしてまで准将殿の手術をと決めたのですから、オレガノのお力添えがあり無罪放免になったとはいえ、これ以上好き勝手される謂れはありません」  ド正論だ。あまりにすぱっと言い放ったからか、ユーリのほうが驚いた。アレクシスとベアトリスが同時に挑戦的な表情になる。 「ほおほお、そうおっしゃる。べべ、今回Sig.カンパネッリに使ったオクスリ代はいくら?」 「そうですね、保険適用外ですし、治療含めざっと1億リタスですかね」  二コラが唖然とする。 「お待ちください、あれはミクシア軍のものでは?」 「そちらにあんな物資があるわけがないじゃないですぁ、おかしなことをおっしゃる。  たった数年Sig.オルヴェを貸してくださればチャラにして差し上げようかと思っていましたが、そういうお答えでしたらドン・クリステンに耳そろえて一括で払えってお伝えしておきますかねぇ」  ニコラが言葉に詰まったように言い淀む。明らかに焦っている。そりゃ1億リタスなんて言われても、よっぽどの金持ちでもそうそう持っていない。やっぱり負けてんじゃねえかと二コラの足をどんと踏む。 「ユーリを貸せば、とは、具体的には」 「おい、やめろ、人身売買!」  オレガノの挑発に乗るなと二コラの腕を引っ張って制止させる。ユーリは二コラの後ろに隠れながら、ベアトリスをじろりと睨んだ。 「人でなし」  ぼそりと、嫌悪感を滲ませた声で言った。 「こっちは緊急時だったし、学生の身分だし、べつに金銭要求しようだなんて一言も言っていないのに、たかだか人からもらった“大して希少性が高いわけでもない薬”と治療が1億リタスもするわけねえわ。だったらサシャ返せ。いますぐ」  アレクシスが微妙に気まずそうな顔をするのが見えたが、ベアトリスはまったくもって表情が変わらない。サイコパスとはベアトリスのためにある言葉だと心底思う。 「だからあんたらオレガノのイル・セーラは嫌いなんだ。口を開けば王族だなんだ、そうじゃなきゃ価値がないみたいな言い方しやがって。イカレ野郎。手ェ貸さなきゃよかった」 「いや、いまのはこっちが悪かった。すまん」 「え、そこで引いちゃうんですか? どうしちゃったんです? Sig.オルヴェの捜索費用とか、こっちだって諸々お支払いしていただきたいものが山ほど」 「べべ、冗談はこのくらいにしとこうぜ。じゃなきゃ、Sig.オルヴェがマジでオレガノ嫌いになる」 「もうだいぶ最高に嫌いだわ」  マジでサシャ返せともう一度、唸るように言う。 「ユリウスがオレガノが全部悪いって言ってたけど、本当にそうじゃねえか。ユリウスを国外追放しなきゃこんなことにならなかったし、そっちの国王が19年前にフォルス周辺のイル・セーラ全員オレガノに移送してくれていたら、何事もなかったかもしれない……って言われたい?」  蒸し返すの嫌いなんだけど、そっちが蒸し返すんならマジで徹底的に行くからなと、あくまでも二コラの後ろに隠れながら。アレクシスがお手上げとでもいうように両手を広げて見せた。 「ま、いっすわ。お互い持ちつ持たれつで行きましょうや、Sig.オルヴェ」 「はっ? そもそもそっちが仕掛けてきたんだろ」  アレクシスを睨みながら文句を言う。双子の番にすると言ったり、本当にろくなことを考えない。ミカエラが言っていたとおり、アレクシスのいうことは無視するに限る。 「いやいや、申し訳ない。俺としたことが、こっちの立場をすーっかり失念しとりましたわ」  すんませんねえと笑いながらこちらに近付いてきた。明らかな含み顔だ。二コラの後ろに隠れ、腰に回していた手を掴まれないように、背中のベルトを掴んで警戒する。二コラもまたアレクシスの不敵な笑みに気付いたらしい。 「まあ、そんなに警戒しなさんな」  そう言われて警戒しない馬鹿がどこにいるのだと思う。アレクシスを睨んだが、まったく引くそぶりもなく近付いてきた。 「Sig.オルヴェ」  自棄に真剣な声色で、アレクシス。すいと耳元に顔を寄せられる。 『ミカとSig.カンパネッリ、どっちに孕まされるかのセリフでイッたのか、聞かせてやろうか?』  そう言われて、全身に火が付きそうなほど体が熱くなった。あまりの恥ずかしさに涙が滲む。二コラはなにを言われたのかがわかっていない様子だけれど、アレクシスは最大の弱みを握ったとばかりに笑っている。ユーリの反応を見て、二コラが驚いたような顔をした。 「どうした? 顔が赤いぞ」  自分の顔に伸ばされる二コラの手を払いのけ、ユーリはじろりとアレクシスを睨みつけた。 「おまえ嫌いっ、マジで嫌い!」  さっさとオレガノに帰れ! と詰って、ユーリは勢いよくドアを閉めた。  最悪だ。あのセクハラ魔、いつかぶっ殺すと小声で唸りながら、真っ赤になっている顔を両手で覆った。

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