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オメガのおじさま3

 おじさまといっしょのせいか、今日の藤村はよく働いた。百度のお湯を注いでできた紅茶は、猫舌の私じゃまだ飲めない。おじさまは飲んで「うん、美味しいね」と感想を漏らす。その時の藤村の顔ったら、あとでからかってやろうと決意するほどのものだった。  湯気に息を吹きかけながら、私はおじさまの方を向く。今までの疑問を、この機会にぶつけたかった。そしてあわよくば、距離を縮めて気軽にマドレーヌを差し入れられる仲になりたかった。 「斎木さんは、なんで五十から働こうと思ったんですか?」  おじさまは、特に気分を害した様子もなく、ううんと唸った。どうぞ、とマドレーヌをおすすめしてみる。受け取ってくれて、包装を剥がしてチョコレート味のマドレーヌを口に含んでいる。  おっとりとした中に、思案の色が浮かんでいたから、私は口を挟まず待った。私も塩味のマドレーヌを食べる。 「そうですね、どこから言ったものか」  午後の部再開まではまだしばらく時間があるから、ゆったりと待ってみる。藤村が聞きたげにそわそわしているけど、視線でまあ待てと伝え、またおじさまに視線を戻す。 もそもそとマドレーヌを食べ終えると、おじさまは口を開いた。 「やはり最後は僕の意地だったかも知れません」  少し長い話ですけど、と確認するように視線を交える。 「聞きたいです」  そう言いながら頷いて、おじさまを挟んで向かいの藤村に目をやる。 「俺も、聞きたいです」  食い入るように同意して、藤村は身を乗り出した。それを耳に捉えると、おじさまはほっとしたように目を細めた。 「ありがとう。……僕は、誰かに言いたかったのかも知れないな」  ぽつりと言った言葉は、聞かなかった振りをした。  残りのマドレーヌを咀嚼し、わずかに冷めた紅茶と舌の中で混ぜる。甘みの中にほどよい塩味が効いてて美味しいし、なんなら洋菓子屋のプレーンよりは断然好みだ。洋菓子屋のは食べづらい。こればっかりは好みの話だから、藤村あたりには大バッシングされるかもしれない。 「まずね、去年の秋頃に、パートナーの彼が体調を崩して、入院したんです」  昔話の語り部のように、彼はぽつり、ぽつりと話し出した。  おじさまのパートナーの方は、ほんの少し年上の、でもほとんど同い年の人らしい。わりとよく稼ぐ人で、潤沢にお金があったから、今まではさして苦もなく生活してきたという。典型的なアルファだけれど、浮気もなく、子煩悩のいい人。パートナーのことを話すおじさまの顔は、穏やかだった。 「病院に行くと、色々な人がいるでしょう。闘病中の方、お医者さんに見捨てられてしまった方……そういう方々とお話しするうちに、怖くなってきてしまって。現実味のない死が、そういえば間近にあった、ということに気付きました」 「……パートナーの方、今は…」 「今は元気ですよ。今日もお弁当を作ってくれたくらいですから」  聞いた藤村がほっと息を吐く。そういえばそうだと何度か頷きながら、私も知らずに止めていた呼吸を緩めた。私たち二人の中で漂う緊張感に、おじさまは笑ったようだった。優しい微笑みだった。 「けれど彼が死んだらどうなるか、想像してしまいました。……恥ずかしながら、この年まで働いた経験がないですし、僕たちはあくまで番でありパートナーシップであって、法律上の家族じゃない。相続できませんし、お金のことで子どもに依存するのは嫌ですし」  自分の老後くらい、自分で面倒を見るために働くことに決めました。そういうおじさまの顔は、どことなく晴れがましかった。私もそうだったけれど、初めて労働を意識したとき「大人になれた」と、思ったのかもしれない。 「幸いこちらの会社に拾っていただけて、まあ、いろいろありますが、それでも感謝しています」  なるほど、と私は何度も頷いた。おじさまが、あんなに何度も無駄な憤怒の叱責を受けても、決してやめる仕草をしなかった理由がわかった。働くことへのお楽しみ、矜恃、安心感…私たちが、これからも長く感受していく物を、おじさまは、齢50を超えて初めて知ったのだ。  私が納得して、自分の中で何度も反芻していると、藤村が恐る恐る手をあげた。 「その、さっき気になってんですけど…」  おじさまは、慈しむような視線を、藤村にそそぐ。なんでしょう、と問う口ぶりは本当に優しい。 「番なのに、結婚してないってことですか? ……その、なんででしょうか」

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