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オメガのおじさま4

「その、さっき気になってんですけど…」  慈しむような視線を、藤村にそそぐ。なんでしょう、と問う口ぶりは本当に優しい。 「番なのに、結婚してないってことですか? ……その、なんででしょうか」 「そうですねえ……」  逡巡した様子で、おじさまは机の上の袋を指さす。 「春さん」 「はい」 「もう一ついただいてもいいですか?」  どうぞどうぞと抹茶マドレーヌを差し出す。ありがとうと言っておじさまは受け取り、丁寧に袋を開けた。焼き色の付いた緑の生地を、白く細い指がつまむ。 「甘いものお好きなんですね」 「昔はそうでもなかったんだけど…子どもができてからね」  ぽろっと言葉が漏れて、おじさまは首の後ろをさする。ちょうどそこは、うなじと呼ばれる部分だ。耳のあたりがほんのりと赤い。 「子どもくらい年の離れた子に、こんな話して良いのかな?」 「聞いたのは藤村ですよ。藤村もアルファですし、将来番ができるかも知れません」  ね、藤村、と水を向けると、そうですよと言わんばかりに大きく頷いた。 「……後学のために、差し障りのない範囲で教えていただけると」 「うーん…」  ぱくりとマドレーヌを食べた。おまじないのようにうなじをさする。そこにあるのは恐らく、おじさまの番との間にある絆がかたちを成したもの――番の契約の、愛咬痕なのだろう。  おじさまは、やはり逡巡して、昔のことだから参考にはならないと思うよ、と言って話し出した。 「二人は若いから、テレビの中のことだと思ってるかもしれないけど、僕らが番になった頃は、オメガは家のもので、せいぜい愛人関係くらいに思われてたんだよ。婚姻関係は別で」 「えっ……」 「だから昔の話だよ。時代が時代なら、藤村くんも今の歳で数人オメガを囲ってたのかもしれない」  おじさまは笑ってはいる。けれど、その瞳の奥には、一抹の寂しさがあった。  今だってオメガ差別や、アルファって言うだけで優良扱いされることもある。女性差別だって。でもきっと、本当にのように扱われていたのだろう。私みたいな、なんの特徴もないベータ女が、十数年前までは25日をすぎて安売りされるクリスマスケーキにたとえられたのと同じように。 「僕もおなじで……いや、同じ歳のオメガよりマシだったかもしれないな。買い取られたんだ、今パートナーの彼の家に」 「買い取……え? ペットみたいに?」 「そうそう、ペットみたいに。藤村くん、良いたとえだね」  期限つきの骨董品とか美術品みたいに、でもあってるかも知れない、なんてけらけら笑っている。藤村はそれを見て、顔を青くしたり唇を戦慄かせたりしていた。それを見ておじさまは、軽い笑いをしっとりしたほほえみに切り替えて、藤村くん、と呼んだ。 「言ったでしょう、昔のことですよ。今はよっぽど特別なおうち以外はそんなことされてないんじゃないかな」 「で、ですよね…」 「そうですよ。少なくとも僕は聞いていないから」  安心させるような、柔和な声。藤村はほっとしたようにそうですよね、と何度も頷き、続きをお願いしますと言った。優しい顔のまま、おじさまは首肯した。 「その頃の彼は、なんというか……荒れていて。守るべき番ができたら少しは落ち着くだろうし、あわよくば子どもなんてできたら、そのうち家に迎えるはずの、立派なおうちのお嫁さんの負担も減る」  おじさまは指折り数える。事実を淡々と言っているが、その内容は時代劇の中の出来事のうだった。そういえば、おじさまと同い年くらいの自分の母と父は、お見合い結婚だったっけと思い出す。結婚が家同士の関係繋ぎだった頃のことだ。 「オメガをアルファが囲っている愛人って位置にしておけば、子どもができても本妻の養い子にできる。子どもはオメガが育てようと、アルファのものだからね。それと、これはよく言われてたことだけど、家の所有物だから、飯炊きの使用人代わりに使えるし、いつか彼の親が寝たきりになっても、介護させることができる。はじめにお金を払えば一生涯使えるから、人を雇うより買った方が安いんですよ」 「……」 「一人、実家がお金に困ったオメガを買うだけで、一石六鳥くらいがついてくる。肉体労働もできる私のような男のオメガは、とくに高く買われました」 「……」 「言っておくけど、良い方のことですよ。僕より年上の人は、道端に立たされて客を……ええと、やめましょうか」  昼間っからする話じゃなかった、とおじさまは至極穏やかだった。自分を落ち着かせるために、私はお茶を口に含んだ。苦いんだかさっぱりしているんだか、味がよく分からない。ざらりとした安いお茶の感触だけ残った。 「話を戻すと、僕と彼が出会った頃は、オメガとアルファが結婚するなんて考えられなかったんですよ。所詮オメガは欲のはけ口にできる使用人くらいでしかなかった。僕なんて、大して見た目が素晴らしい訳じゃなかったから、人によっては愛人ですらなかったかも」 「そんな…!」  いつの間にか声を上げていた。そんなわけがない。品があって、ほどよく色っぽくって、なにより人に気を使えるほど優しさと余裕がある。そんな人が、愛人で終わる訳がない。  そう憤っていると、おじさまは口の前で一本指を立てた。子どもにシーッとするような、そんな仕草。  私はハッとした。 「……私の最大の幸運は、彼が心までも結ばれた関係に憧れていた、いわゆるロマンチストだったことですよ」  おじさまは、遠くを見ていた。 「……」  藤村と一緒に、私はぽかんとしてしまった。そしてそのあとに、ほっと息を吐いた。おじさまと視線を交わすと、微笑んでくれた。その笑みが心の底からわき出るような――本当に、本当に、幸せそうな笑顔で、私は胸がじんと温かくなるのを感じた。 「世間にとやかく言われて、ここまで結婚せずに来てしまいましたが。それでも、私は、彼とパートナーである自分が誇らしく思うんです」 「じゃあおじ……斎木さんは」  おじさまは少し幼い表情をして、私の言葉を待ってくれる。 「幸せ、なんですね」  少し驚いて、頷いてくれる。うなじの愛咬をさすって、そうですね、幸せですと言ったおじさまは、今まで見た中で1番優しそうな顔をしていた。

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