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発情期4
ドアを開けると、いつもは灯りがともっている玄関が、真っ暗なままだった。上がり框のすぐ上に人影があって、そこに自分のオメガが座っている、ということは見ずとも分かる。何年ぶりだろう、と記憶をたどると、もう前の発情期から二年も経っていたことに気がつく。
番のオメガ――信治は、悄然とした様子だったが、意識は何とか保てているようで、おかえりなさい、と力のない笑みを作った。両足を伸ばして、壁にもたれかかっている。わずかに発情の匂いがするのに、そういう人形のようで生気がなかった。
そんな様子にぞくりとした。
「なんでこんな所にいる。風邪引くぞ」
「そこじゃないだろ、言うべきは」
「寒かっただろうに、ベッドにいれば」
「寝室に入って、こんな歳で巣作りなんてしたくない」
はねのけるような言い方だ。
信治、と腕を引っ張りあげて立ち上がらせる。足に力が入らないようでふらついたので、肩を組んで無理矢理ベッドに運んだ。昔は横抱きもできたが、今は歳が歳でそんなこともできない。
ベッドに信治を下ろすと、顔が見えないように隠されてしまった。腕を持って引きはがそうとするが、どうにもならない。部屋中を埋め尽くしているであろう、信治の甘い香りを感じて、アルファ用の抑制剤を飲んでいて良かったと心底思った。飲んでなかったら、今すぐ覆い被さってた。
「信治」
ふう、と息を吐いた。信治のそばに横たわる。
ベッド脇の間接照明を付けると、真っ赤な耳と、いつの日か噛んだうなじの痕が目の前だった。耳朶を柔らかく食むと、恥ずかしそうに濡れた声を漏らす。
「二年ぶりか」
「もう終わってると、思ってたんだ」
「……」
オメガの発情期が終わると、自然に番の関係も消失する。目に見える変化を言えば、オメガを番にするために噛んだ首筋の痕がすっかり消えるのだ。
2年前、あのときも1年ぶりに発情期が来た。生理現象だとわかっていても、俺は本当に嬉しくて、異様なほど匂いを付けてしまった。娘が妊娠中で、互い以外の家族に会わない時期だったからまだ良かった。
あのあと外に出たら、まわりのアルファの目が痛くて、信治にも散々怒られた。
俺は、信治を腕の中に閉じ込めた。うなじに鼻を埋めれば、抑制剤を飲んでいようとお構いなしに、甘い蜜のような匂いがする。俺だけを誘惑する匂いだと思うと、それだけでたまらない心地になってしまう。
「終わってたら、どうする気だった」
「……」
答えないときは、たいてい良からぬ事を考えてるときだ。
俺がどんなに愛情を注ごうと、自分自身すら恥ずかしくなるような甘い言葉で埋め尽くそうと、信治は根っこの部分が卑屈だから、愛せば愛すだけ、離れようとしてくる。――番にまでなったのにだ。お前だけだと言って、どんなに他のオメガに誘惑されようと、無視してきたというのに。
歯型の部分をなぞるように唇を落とす。触れる度、びくびくと跳ねる体が愛おしい。
「うっ……五年経てば、もう発情期は来ないと思った。五年経つまではそばにいようと思っていたんだよ。——でも多分、これが最後の発情期だ。なんとなく、僕には分かる」
俺にもそれは分かった。それでも嬉しいと思う気持ちと、少しだけ寂しさがある。ずっとこの関係のままでいたいけれど、無理だという予感もある。言葉では言い表すことができない不安だ。
「……番じゃなくなったら、僕らはどうなるんだろうね」
上から信治を見ると、赤い顔に、不安げな光が宿る瞳が震えていた。そんなのは、俺にだって不安だ。落ち着かせるように目元へ口付ける。震えるまぶたから、涙が一筋流れた。
「変わらないだろうな。そのままだ」
言葉を飲み込ませるように、俺は無理矢理口付けた。信治の息が上がる。これ以上、言葉はいらなかった。
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