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忘れ物3
わー、と手をぱちぱちしながら、店員さんの説明を聞くとなしに聞いて、伝票を置くのを見送っておじさまにフォークとスプーンを渡す。いただきますと言うやいなや、くるくる器用に長いパスタを絡めて、もちもちの食感と濃厚ソースの爽やかでコクのある風合いに、舌鼓を打った。
貧乏舌だけれど、美味しいものは大好きなのだ。
ずっと無言で麺と格闘しているおじさまに、「美味しいですね。これ」と笑いかけた。おじさまは私がここにいると、初めて気付いたような顔をしていた。
「えっ…ああ、うん」
その曖昧な返答に、私はちょっとむっとした。
ご飯を一緒に食べているのに、心ここに在らずで、おじさまはつるんとパスタを落としてばかり居る。よそ事なんてお行儀悪い! なんて言うつもりはないけれど、ちょっと寂しい気持ちだ。
おいしさを共有したくて同じものを頼んだのに、相手は酷く上の空で、私は瞑目するのだった。あんなに美味しそうに、すっごい安いマドレーヌを食べてくれたのに。私の気落ちを察したように、おじさまはくたびれたように苦笑した。
「すみません、僕、変ですね。……何をやっているんだか」
「正直言って、最近どんどん変になってきてます」
のびますよ、とお茶を濁すも、ひどく毒っぽい言葉で、自分で言っておいてちょっとだけ傷ついた。確かにおじさまは最近変だったけど、それを私が指摘するのは更に変だ。
「そうですよね」
おじさまはちょっとだけ気を持ち直したようで、いつものように背筋を伸ばして、丁寧にスパゲッティをフォークにくるくる巻き付けた。スパゲッティなんて、心が乱れてる日に食うもんじゃないんだなと理解した。
「……」
別におじさまとの沈黙は、苦でも何でもない。というか、そうでないと私はご飯なんか誘われても行きたくないし。でもだからこそ、今日のそれが重く感じる。なんだかきまずいというか…もしかして、おじさまが会話の糸口を探ってるからかもしれないけど。
私は半分ほど食べたところで、どうかのびませんようにと祈りながら、スプーンとフォークを置いた。
「斎木さん。言いたいことがあるなら言ってくれませんか。私、こうやって探り探り話すの、疲れます」
はっきり告げると、おじさまは一瞬驚いたように目を大きくし、すぐそうだよなぁと、眉を八の字にして頷いた。
「もしかして、番さん――えっと、満島さん、と、何かあったんですか? さっきなんか変な雰囲気でしたけど」
「うーん…」
「話せないことは話さなくて良いんですけど…」
「いや…その、お願いがありまして」
おじさまは軽くフォークを止めて、お茶を濁すように曖昧に笑った。なんとなく胸騒ぎのする笑い方だ。
「一晩で良いので、泊めてくれませんか」
「……はい?」
「不躾なお願いごとで、唐突だと言うことも分かっています。でもお願いできるのが、春さんと藤村くんくらいで、今日彼居なかったでしょう。だから……一晩で良いんです、本当に」
一瞬、脊髄反射でOKしかけた。確かに藤村は居なかったし、ご飯食べたついでに一緒に一緒の家に帰るって、お泊まり会みたいでわくわくもする。相手はかなり、年上だけど。
うーん、と考え込んだ。その悩む様子が真剣すぎたのか、おじさまも同じくらい真剣にぐっと顔を寄せてきた。
「むずかしいですか?」
仕方が無くて頷いた。元々入っていた予定なのだ。
「人が泊まりに来るので…」
「それはしょうがない」
そう言っておじさまは、ハッと腕時計を見た。申し訳なさの籠もった瞳で、こちらをじっと見つめてくる。
「あ、時間は大丈夫ですよ。来る人、深夜1時くらいに来るらしいので、終電までに帰られれば」
「大丈夫じゃないでしょう、若い娘さんが終電って、そんな危ない…」
「痴漢にも盗撮にも遭わない体質なんですよ」
「今まで大丈夫でも、今日大丈夫な保証はないでしょう。春さん、自分を大事にしてください。付き合わせたのは僕なので、お送りしますよ」
あまりの勢いで、押されるように頷いた。ぼうっと見つめ合っていると、やがておじさまは恥ずかしげに頬を抑えた。
「……満島のようなことを言いました。ご迷惑でなければ、お家の近くまでお送りさせてください」
「そんな、迷惑なんて…こちらこそお願いしたいくらいです。そうやって言ってますけど、なんだかんだ夜道って怖いんですよね」
「僕も、一人で歩いているとぞっとすることがありますね。こう、後ろから細かな足音が聞こえてきて、すぐそばを通り過ぎられる時とか…」
わかります、怖いですよねと良いながら、フォークとスプーンでまたくるくる巻いていく。今度はうまく巻けた。おじさまも同じようにきれいに巻いている。まったくソースが跳ね飛ばないあたり、うまいなぁと思った。
そう言えばと、口元に付いたボロネーゼの赤いソースをぬぐってから、口を開く。
「それで、なんでいきなりお泊まりの話になったんですか」
「あー…これを食べ終わってからでも良いでしょうか? デザートを食べながらのんびりでも」
「そうですね。ソルベとかじゃない限りその方が…追加注文しますか」
「奢らせて貰いますね」
「やった!」
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