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忘れ物6

 はっとした。そうだ、おじさまが満島さんと結婚したくないかしたいかって話だった。そのためにわざわざご飯だけで終わらなかったのに、つい熱くなって忘れていた。  ふと、思い出した。おじさまが会社に入りたての頃、聞いたことだ。かつてのオメガは大昔の奴隷のように売り買いする存在で、特に男性のオメガは売値が高かったこと。でも、それでも、おじさまは、アルファに唯一として見初められて、一途に想い合って――と。  そのときそういえば、「結婚はしていないけれど」と言っていた、気がする。 「えっと、じゃあ、お聞きします」 「なんでしょう」 「斎木さんは」  なにも考えず、口が勝手に動いていた。何を言おうとしたんだろう、私は。 「斎木さんは、満島さんと、どうなりたいんですか?」  その問いを予測していたように、おじさまは本当に曖昧に笑っていた。 「……春さんは、覚えていますか。僕が就労したきっかけが、満島の入院だと言うことを」  頷いた。そこで、死が身近にあるということに気付いたと言っていた。  人間は生まれた時から致死率10割の生き物だ。それが遅いか早いか、どんな物を残していったかというだけで、生から死の直線は、誰にでもあるものだ。だからといって、みんながみんな、死を意識して生きてるわけじゃない。私だって、「明日あなたは死にます」と言われたら、待ってとなくと思う。  もし、大切な人の目の前に、死があると気がついたら、おじさまだったら、どう思ったんだろう。 「僕はね、満島が死なないとでも思っていたんです」  嘲るような口ぶりだった。おじさまにしては珍しい。でも、その言っていることは何となく分かる気がした。 「病気はお前のせいではないとは言われました。けれど、そんなの分かりませんよね」 「……母が大病を患ったとき、病気はいろんな原因が絡み合って起こることだから、ひとつに絞ることはできないと言われました」 「もちろん、僕も、同じようなことを言われました」  仕方が無いとでも言わんばかりに、途中で話を遮る。苦しげで、ようやく絞り出したような言葉だった。 「頭では分かっています。でも、数十年共に在って、衣食住を守ってきた自負があります」  おじさまは、無理矢理そこで言葉を切った。手に握られたフォークの先が、小さく震えている。ぽつり、ぽつりと小さく吐き出していた。 「――もしかして、僕が出してきた料理に悪い物が入っていたのかもしれない。若い頃に夜更かしさせて子どもの世話を見せたのが悪かったかもしれない。そうでなくても、一緒に居た場所が、彼の体に悪かったのかもしれない。どこに原因があろうと、そこには僕がいます」 「遺伝的なものじゃなかったんですか?」 「さあ。彼のご両親の病気は、知らない間に終わっていましたから。どういう死因の多い家系かという話題にすらなったこともない」 「じゃあ、断言できないじゃないですか」 「僕にとって最も身近な病は、オメガの発情期です」  だからなんだろう、と思わず顔をしかめた。おじさまも、自分が何を口走ったかよく分からないようで、もう渋くなりきったであろうホットじゃないティーを口に含み、嚥下して、お冷やで口直しした。 「……オメガの発情期は、僕は病だと思っているんです。春さん、春さんは発情期についてどれくらい知っていますか」  どれくらいって…と私は首をかしげた。  たいていの人が、三ヶ月に一度の周期で訪れるということ。期間の間は、甘い誘引香がして、同性と運命の番と結ばれたアルファ以外を引きつけるということ。妊娠しやすくなるということ。  発情期中にうなじを噛まれると、番としてオメガのみ締め付けられること。番になると、番以外には誘引香を感じなくなり、その相手以外との性交渉で拒絶反応が起こること、など。うんうん唸りながら、浮かんでは消えていった。  私だけじゃなくって、保健体育で習ったなー程度の、そんなに詳しいわけじゃない人たちはそんな感じだろう。 「……発情期をほとんど目の当たりにしたことがない人くらいの知識ですかね」 「周りに居ませんでしたか」 「居ました。というか、大学時代の親友がそうでした。けど、もう彼女には番が居ましたから」  おじさまはなるほど、と頷いた。 「簡単におはなししましょう。さっきまでの話と絡めて」  話は、だいたいこういう風だった。  オメガの発情期は、良くも悪くも当人の感情やストレスに左右される。ストレスを感じたり、番や相手への悪感情が募ると、周期が乱れ、症状が現れにくくなる。逆に、ストレスなく、相手へ恋慕なりなんなりの良い方向の感情が多いと、正しい周期で、症状が顕著に表れる。  逆じゃないのかと目を剥いた。女の生理だったら、ストレスが溜まると重くなるし、ないと軽くなったりする。もちろんいろいろ、重さの原因はあるんだけど、そこは置いておいて。  おじさまは、話していた間、とても静かな顔をしていた。けれど、その瞳は、迷いや不安で渦巻いて、落ち込んだ光を宿していた。 「そうやって、人生の半分以上を乗っ取られて、僕の感情ひとつでどちらにも転がる病を抱えていたんです。他の人間の体はわからなくても、自分という、オメガの体は誰より知っています。だから、彼の病気の原因は僕であって、おかしくはないという結論に行き着きました」 「……」 「彼の病気の原因が僕ならば、僕が最期まで看るべきです。医師でも、子どもたちでも、満島に他にいるかもしれない、愛したい人間でもなく、僕が看取るべきです。でも、それに、添い遂げる意志は必要ない」  ほどよいざわめきが、沈黙を埋める。

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