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忘れ物10
僕は笑っていた。言っていることは酷い言葉ばかりなのに、なぜかほっとして、胸が締め付けられるように痛かった。
「……彰は本当に、わがままで、酷いよ」
心臓の音がうるさかった。こんなに大きく鼓動してたら、すぐに死んでしまいそうだ。優しく抱き締めてくれている彰の腕が、ふと離れた。一瞬目を合わせると、彰は神妙に笑った。
「わがままで、すまなかった」
彰の顔を見ていたら、やけに心がざわついた。
30年。30年以上一緒に居た。赤ん坊が大人になって、その子が子どもを生むほどの、長い年月。それだけの間、僕の番という、それだけのか細い、いつ途切れるかも分からないものでつながっていた。
結局、もっとそれ以上細くなることも、途切れることも決してなかった。
全部、彰の言う通りだ。
短い髪の間に指を通す。病気をしてから白髪の増えた髪が、愛おしかった。いや、全部だ。一緒にしわを刻んで来た手は、繋ぎやすくなった。年を取って少し落ち込んだ目元は、若い頃よりずっと優しげで、温かい。少し小柄になったけれど、腕が回って抱き締めやすくなった。
抱き締めたまま、か細い声で告げる。
「彰が、僕の最初の発情期から最期の発情期まで一緒に居られて、誰より幸せなアルファだって言うなら、僕は、世界で一番幸せなオメガだよ。勘違い、するな」
彰は頷いた。小さく何度も頷いて、そのまま一緒にソファに倒れ込んだ。眼鏡が少しずり上がる。笑い声を上げて髪をくしゃくしゃにしてやると、彰は泣きそうな顔をしていた。
「なんていう顔をしているんだ」
「……ちゃんと、ちゃんと言葉にしてくれ。俺は言われなきゃわかんないから」
随分長かったなぁ、と遠くを見て思う。僕はとうに言ったつもりになっていたし、彰は自分勝手に言い過ぎて、信用がなかった。お互い寄り道して、好き合っていたのに言葉もなく遠回りしていた。
彰の重みを感じる。温かくて、僕より大きい体。でも、この上なく優しくて、誰よりも僕を想ってくれている。
「好きだよ、彰。ずっと昔から、君と結婚したかった」
上にある、彰の頬に手を添える。彰は泣きそうな顔をして、唇を噛んでいる。それを見ると、頬が緩むのを感じた。
「僕は君の何も要らない。ただひとつだけ、君との間に名前のある関係が欲しい」
番と代わる、新しい関係が、君と欲しい。母と父のように、誰かが間に入って成り立つ関係じゃなくって、新しい名前の関係が欲しい。
そう言うと、彰は笑った。泣きながら笑った。ぽろぽろ泣きながら、触れるだけのキスをした。ありがとう、ありがとう、と合間に言いながら何度も、少しずつ触れる場所を変えた。
やっと言えたという充足感に満ちていた。
体温の上がった耳や体に触れながら、今日はあの夢を見ないで済みそうだと、小さく微笑んだ。
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