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結婚相手と、番の関係と、3
マンションから見える空が、オレンジ色に暮れてきた。午後5時くらいの、夕方と言える時間がくると、マンションの玄関のチャイムが鳴った。まるで待ち伏せていたかのような早さだったので、晴也とふたりして、笑ってしまった。
『買ってきたぞ』
「はいはい。……て、鍵忘れたの?」
『忘れた。だから入れない』
「もう。いま開けるから、玄関前に行ったらまたチャイム鳴らしてね」
相変わらず仲良しだなぁと言う雨情の声を尻目に、通話を切ってマンションの自動扉を開ける。晴也は少しソワソワしていた。その額に、軽く手を乗せる。
「熱はもう、大丈夫そうだね」
うん、と晴也は目をきらきらさせながらうなずいた。それから、立ったり座ったり、キッチンに行ってケトルの具合を見たりしていて、全く落ち着きがない。
ぐつぐつと沸騰の音がするようになると、ちょうど玄関のチャイムが鳴った。
「俺が出る!」
「こら、一旦我慢しなさい。薬飲んできてもらうから」
そういうとあからさまにしゅんとして、しおらしくはぁい、と返事をした。
玄関を開けると、
「おかえりなさい。雨情、いらっしゃい」
「ただいま」
彰は、相好を崩して言った。息子の前だというのに、恥ずかしさというものがないんだろうか。一方、雨情は、大学帰りといった様子だった。メガネの奥でにっこり笑って、ケーキ屋のロゴが入った紙の箱を差し出してきた。
「母さん、久しぶり。これお土産、学生から評判がいいらしくって、いろいろ聞いて買ってきた」
「ありがとう。ご飯食べたら、デザートで食べよう」
どうぞ、と二人を玄関にあげる。少し緊張した空気で、いの一番に声をあげたのは、彰だった。
「信治、晴也の具合はどうだ?」
「だいぶ落ち着いてきたよ。来たばかりの時はかなり気が昂ってたけど、昼ごはんも食べられたし、熱もない。けど一応、薬だけ飲んでもらおうかなと」
「うん。わかった」
雨情は神妙な顔でうなずいた。
オメガのフェロモンというのは嫌なもので、親であろうと、子であろうと、噛まれてさえいなければ誰だって誘ってしまう。僕はすぐに満島に引き取られて彰に噛まれたから、結局一回もなかったけれど、晴也は違う。
酷い事件にも遭ったし、なにより指輪こそしているが、晴也にはまだ番がいない。家で二人だけのオメガなのに、その心細さを、僕は全て理解してやることができなかった。
「雨情は薬持ってる?」
「持ってるよ。学生にも職員にもオメガはいるからね」
「じゃあそれを飲んで。弱い方でいいからね」
「本当に?」
「大丈夫だよ、3日目って言ってたし、気分が落ち込んでるから、いきなり発情期になるようなことはないと思う。でも、即効薬も準備しておいてね」
「わかった。どっちも持ってるから、安心して」
彰に抑制剤を渡すと、眉間にシワを寄せて、それでも何も言わずに薬を飲み込んだ。それに僕はほっとした。彰の考えてること、苛立っていることもなんとなく理解できるからだ。
考え事の壺に入りそうになった時、雨情が声をかけた。
「ごめん、ちょっとお手洗い行っていい?」
「どうぞ、ケーキは入れておくよ」
ありがとう、と言いながら大きさにしては軽いケーキ箱を渡される。そこまでとはいえ、そろそろ暑くなる季節だ。早めに冷蔵庫に入れなければ、クリームが溶けそうだ。けれど、それを控えめな彰の声が止めた。
「……努くんから、なにかあったか?」
「……やっぱり、原因で思いつくのはそこだよね」
お互いに顔を見合わせて、ため息をついた。それで、彰にも、努くんから連絡がないことがわかった。
彰は、努くんと晴也を引き合わせた張本人だ。彰と努くんは、境遇が結構似ているので、彰はわりと、努くんに同情的である。そして、二人は会社の上司と部下の関係にある。つまり、普通に義理の親子として怒るのが難しい相手なのだ。
彰は腕を組んで、深いシワができている眉間をもんだ。
「仕方ない。あそこの家もめんどくさい家だからな…」
僕はもう一回、大きいため息をついた。
「そうやって仕方ないって努くんを庇って、晴也はどうなるんだ。いけないところや理不尽さがあったらちゃんと叱ってやらないと、その方がかわいそうだよ」
かわいそうなのは、努くんも、晴也自身もどちらもだ。
もちろん、晴也が全て悪くて、家を追い出されたという可能性もあるけれど、性格的に拗れやすい二人だ。多分、おそらく、お互いに思い込みやら言わなかった我慢があって、それが爆発した形なのだろうと思っている。
「心配はするよ。でも手出しはしない。いくら晴也が可愛くても、努くんの味方もしてやりたいな、僕は」
「……本当にお前は、優しいな」
「そうかなぁ。僕はただ、息子の大事な人にも幸せになってほしいだけだよ」
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