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結婚相手と、番の関係と、4
先だって扉を開けると、晴也が、期待するようにこちらを見ていた。部屋の奥のテーブルには、人数分の湯飲みが揃っていて、お茶を淹れてくれていたんだなと、少し感心した。僕らと一緒に住んでいた頃は、一切家事をしなかっただけに。
「……兄ちゃん?」
「後ろにいるよ。薬飲んでしばらく経ったから、もう大丈夫」
「本当? ……兄ちゃん…!」
僕は冷蔵庫にケーキの箱を入れながら、横目に見ていたけれど、本当に長く会わなかった恋人同士の再会のようだった。生き別れたわけでもないし、そんな大袈裟なとも思うのだけれど、本人たちが本当に嬉しそうなものだから、きっとそれでいいんだろう。
へばり付くようにギュッと抱きしめあって、晴也は花が咲くように破顔した。
「へへ、本物の兄ちゃんだ。兄ちゃん、恋人できた?」
「まだだなぁ。しばらく研究で忙しくて」
ちなみに晴也には言っていないが、雨情は溺愛していた弟が他のアルファに取られたのが悔しかったらしく、しばらく恋人はいらない、と僕らに宣言していた。兄馬鹿ここに極めり、だ。
「そっかぁ、兄ちゃんはどんな人が好きなの?」
雨情が唸って考えているところで、僕は二つ手を打った。
「はいはい、そこまでにしなさい。そこでずっと話してると、お父さんが通れないよ」
「あ、父さん!」
「……父さんには、そういうのないのか」
「そういうの? あ、結婚おめでとう、二人とも」
晴也はにっこり笑った。けれどその笑みは、少し辛そうにも見えた。まるで胸にトゲが刺さって、それを誤魔化しながら笑っているみたいだ。
ありがとう、と言いながら僕は、三人の背中を押して座らせた。それは照れ隠しでもあったけど、晴也の苦しげな笑顔が気にかかってしまっていたからでもあった。
程よい酩酊感が心地よい。僕は自分からは滅多に飲まないけれど、彰に付き合って晩酌することは本当にたまにあった。
今日は病気からこっち、禁酒し続けている彰以外は飲んでいて、雨情と晴也に釣られる形で飲んでしまった。爽やかな日本酒とハンバーグは、意外とよく合う。
夕食を食べ終わった今は、ソファの近くに集まって無言になった。というのも、僕ら二人は、ソファでのんびりする習慣はあっても、ぼうっとテレビを眺める習慣がなく、自然とスマホに手が伸び、スマホをいじるために無言になってしまっていた。
そんな少し重い雰囲気に嫌気がさしたのか、彰は立ち上がった。
「雨情、なんのケーキ買ってきた?」
「果物系? フルーツタルトが珍しく残ったらしいから、それと、クリームパイ、あとは…なんだっけ、忘れた」
「わかった。淹れてくるよ」
彰さんの特技は、意外にもお茶やコーヒーを淹れることだ。そのせいか、僕らにとって家族団欒の時間といえば、「テレビを見ること」よりも「一緒に何かを食べること」だった。
キッチンの方からことことお湯を沸かす音がしはじめた。
二人きりになって引っ越して、アイランドキッチンの家になった。リビングから誰かが料理を作ったり、作業しているのが見えるのがなんとなくほっとする。
「僕も手伝ってくるよ」
ふわふわと雲を踏むような気持ちよさに包まれながら、僕もキッチンへ立った。冷蔵庫からケーキの箱を出し開く。人数分、四切れが入っていた。いろいろな種類を買ってきたという話に間違いはなかった。
フルーツタルト、クリームパイ、レアチーズケーキ、それと、ザッハトルテ。フルーツタルトはゼリーみたいなコーティングできらきら光って、きれいにカッティングされた色とりどりのフルーツが、生き生きとしている。目にも鮮やかだ。季節の果物がふんだんに使われていて、甘い苺の香りだけでも美味しそうだった。
苺とオレンジのフルーツタルトに目を奪われていると、彰が背中から話しかけてきた。
「本当にいろいろだな。信治は何が食べたい?」
「なんでも。最後に余ったやつをもらうよ」
「たまには遠慮するなよ。フルーツタルトずっと見てたよな、それでいいか?」
優先しようとしてくれる気持ちは、嬉しいのだけれど「本当? じゃあそうしようかな」と言えるほど、意志を通すのは得意じゃない。
曖昧に笑って首を横に振った。
「大丈夫だよ、どれでも美味しそう。ほら、クリームパイはバニラビーンズが入ってて、本格的で美味しそうだし、レアチーズはとってもいい匂いがする。ザッハトルテは上の飾りまで写真にとっておきたいくらいきれいだし、ね」
気にしないで、とちゃんと誤魔化すためにもう一回繰り返そうとした。けれどそれは、ソファに座っている晴也が手を挙げながら張り上げた声に、掻き消されてしまった。
「あ、おかーさん! 俺チーズケーキがいい! 兄ちゃんのおすすめなんだって! 取っといてね!」
晴也のそれを、雨情は苦笑混じりで嗜めた。その声は少し面白がっているようにも聞こえた。
「確かに言ったけど、別に大声で言わなくっても聞こえるだろ。あ、俺はクリームパイで。せっかくお勧めしてもらったし」
「じゃあ俺は、チョコで。ああ、ちょうどフルーツタルトが余ったな」
あまりの都合の良さに、呆れてしまってため息をついた。嬉しいけれど。嬉しいけれど、ちょっと、調子が良さすぎないか。
「………仕方がないなぁ」
本当に、僕の家族は、困るくらい僕に優しすぎる。
そうやって、譲られたあとに、ソファの隅で、晴也がどんなに切ない顔をしていたかは、誰も知らなかった。
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