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結婚相手と、番の関係と、7

 今ですら「オメガ」の性に関わることが起こると、酷い拒絶反応を起こす。発情期や、妊娠出産の話題だと、だいたい辛そうな顔をする。それでも頑張ってアルファ相手に見合いをし、なんとか、今の結婚相手と出会うことができた。それが努くんだ。  晴也は努くんに、深い感謝と愛情を持っていて、半ば惚気のような愚痴混じりの話はあっても、特別こう言った話を聞くのは、初めてだった。  晴也の頭を撫でてやりながらも、段々興奮してきているのを感じて、努くんを呼んでやるか迷った。 「俺は、おかしいんだよ。だって、ちゃんと発情期の時に相手をしてくれるのに、一回も子どもができなかったんだよ」 「………」 「こんなめんどくさい俺に、あんなに優しくしてくれて、なのに努さんの望むことすらできてない。そんなの…」  昨日今日の悩みではないということだ。  経験則でいくと、『やることはやってるのに子供ができない』という状況は、かなり心にくる。体を疑うし、それもなんともないなら次は親になる資格とか、相手への愛情がどうとか、そういう精神的なものにすり替わる。  晴也の場合は、体がネックになっているんだろう。晴也はよく冗談めかして「こんなめんどくさい、トラウマ持ちで内弁慶のオメガ」と言う。被害者向けのカウンセラーや、病院にも数年通ったけれど、それでも心の深くまで突き刺さったトゲは、見た目が綺麗になっても抜けていないのだ。  雨情がうなだれて、声だけ明るく、ちょっとお茶のお代わり汲んでくるね、と全員分の湯飲みを持っていった。晴也はすごく寂しそうな顔をしたけれど、そのまま気づかずいってしまった。  雨情にとってもかなりきつい話だろう。だから、いつも通り空気を読まないフリをして自分自身にも、晴也にも気を利かせたのだ。褒めてやるべきかもしれない。  しばらく考えてしまって、黙っていると、晴也はおそるおそる顔をあげた。顔色を窺わせてしまったようだ。 「母さん?」 「ああ、ごめんね。なんて応えるか、迷っちゃって」 「いいよ、返しづらいよね」  そんなことないよ、と言いながら、体を離す。 「彰、話しづらいから隣に来て」  厳しい顔をしながらも、彰は隣に座る。 「ええと…」 「どうすればいいの? どうすれば、子どもってできるの?」  できることなら、子どもはコウノトリが運んでくるよ、なんて誤魔化したかった。いや、無理だし、やり方はお互い知っているし、何より晴也の気持ちを踏みにじることだから、そんなことはしないけれど。 「……病院へは行った?」  一番に思いついたのはそれだった。高校生の時のことを思い出すのか怖がるだろうけれど、多分一番力になれるのは、僕らじゃない。晴也は俯いて、嫌なものを見たときのように腕を摩った。 「行ったけど、オメガなんだからとりあえず噛んでもらえば? って言われて、相手にしてもらえなかった」 「……」  思わず、首の後ろをかいた。  数十年前、雨情ができた時に、彰さんの付き合いの関係で、アルファの医者に見てもらったことがあった。その時に笑いながら言われたことがある。 『オメガへの最良の治療は、セックスと番ですよ、それ以上はプラセボ効果以上のものはないです』  今思えば馬鹿にされていると感じる。けれどその時は、雪子の時に、オメガの専門医に優しくしてもらえたことをかなり引きずっていて、『医者はオメガの味方をしてくれる』と思い込んだりしていた。  当然、医者だって人格者じゃない人間もいる。立派な信念を持っているわけじゃなく、お金のため、地位のために命を燃やす人間の存在を、あの頃は今ほど認識していなかった。  僕がもやもやまた黙り込んでいるその隣で、彰は大袈裟なほど大きいため息をついた。 「まだそんな医者が生きてるんだな。いっそ絶滅危惧種だ」  彰は、僕以上に苦い顔をしていた。 「絶滅危惧種って…」 「数十年前からいる人種だよ。アルファになんとなく多い気がするな。アルファが大好きで、アルファを奪えるオメガが大嫌いなんだ」  ふ、と思わず笑みがこぼれた。確かにオメガを嫌うアルファは案外多い。その割に、オメガに夢中になるアルファは多いのだ。そして多分、晴也の努くんも、そういう経緯は辿ってきている。 「晴也、僕らに言えることは、医者を変えなさいってことだよ。そのお医者様は、オメガがあんまり得意じゃないんだ。分野としてね。眼科医が胃腸の検査をするようなものじゃないかな? ……習っていても、深く知らないなら言えることは少ないだろう」 「でも、そのお医者さんは、お義父さんの親友の息子さんなんだよ…?」 「お父さん」  同じ轍を自分のオメガにも踏ませていた彰は、気まずげに僕を見た。僕は僕で、小さい復讐を果たしたように気分がすっとした。 「そういうのはな、得意なやつに任せておけばいいんだよ。でも、医者は別だ、生死や人生に関わる。そんなところで真剣に取り合ってくれない医者なら、変えた方がいい。……というか、そもそも、その話を震えながらしている時点で、本当にやめたほうがいい」  最後の一言は、僕も気づかなかったことだった。僕はびっくりして晴也を見ると、晴也も呆然として父親の顔を見つめ返していた。 「……わかってるけど…」 「僕も、そう思うよ。だけど、大事な人に関係がある人だから、言いづらいんだよね。でもね、今の晴也のやっていることは、割と自殺行為だと思う。ここに来てからずっと、晴也は気を抜けばふらっとどこかに消えそうな顔をしてる」  来たばかりの時に、クッションを抱えて呆然としていた顔がまさにそうだ。追い詰められてしまった、消えたがり。居場所がないから消えたくなるのではなく、居場所が狭いから、鎖で繋がれている気持ちになるから、消えてしまいたくなる。そんな気持ちでいたのだろうと想像がつく。 「それにね、そういう人はね、子どもを取り上げたとして、真っ先にアルファ側に抱かせるような人たちだから」  それから僕は、晴也に雨情の生まれたときの話をした。  我慢してその嫌な医者に見てもらっていたけれど、雨情を取り上げた瞬間、僕じゃなくって外にいた彰に抱かせようと、看護師さんの制止も聞かずに、分娩室の外へ出てしまった。そこでやっと、色々発覚して、彰は生まれたての雨情を抱いたまま激しく激昂した。雨情が生まれて一番最初に見た顔は、本気で怒っている彰さんだったので、本当に気の毒だった。  そこまで言ったけれど、まだ晴也は物足りない顔をしていた。 「……うん…」 「まだ、何か言いたいことがある?」 「ううん、大丈夫」 「本当に?」 「……うん」  心もとなそうな顔で、一応うなずく。話がひと段落したからか、隣で彰さんが、笑いながらいった。 「晴也。それでも、発情期に家から飛び出すのはいけない。絶対にダメだ。今日は本当に肝が冷えたぞ」 「……抑制剤、俺には効かないけど、匂いは抑えれるから、いいかなって…」  いいながら晴也は首輪を撫でた。そこにはまだ真っ白なうなじがある。  むっすりと拗ねた顔をした晴也に、メッというつもりで、指差した。これを笑い話にできたからよかったものの、もしまた襲われたり、もしくは拐かされたりしたら、それこそ笑ってはいられない。一大事だ。 「それは僕も思うなぁ。いくらこの辺りが安全でも、安全ってことはアルファも多くいるんだよ。晴也はもっと、自分で自分を大事にしなさい。そうすれば、きっと努くんにも通じるよ」 「……」  身に覚えがあるのか、晴也は黙ったままだ。しばらく考えるように視線を彷徨わせた後、遠慮がちに口を開いた。 「それでも、今日泊まっていい?」  いいよ、と間を開けずにうなずくと、一口だけ残ったクリームパイを含んで、晴也は兄の元へかけて行った。夜も遅いというのに、二人が立っているキッチンからは、香ばしいコーヒーの匂いがしてくる。 「本当に大丈夫なんだろうか」 「なにが?」 「晴也も、努くんも。あの家は、ちょっとめんどくさい家ではあるあから」 「……そうだね」  不安はつきない。晴也は、彰にとっても僕にとっても、あらゆる意味で特別な子だ。そして、そうでなくても子どもは、孫もパートナーも含め全員幸せになってほしい。そんなささやかなわがままを、願ってしまう。

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