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第4話

 薬売りは荷物の中から沢山の薬包を広げると、勘定もせず纏めて教祖へと手渡した。一目見ただけで、村人全てに行き渡るには、充分な量だった。  それを弟子たちに託し、各家を回るように指示をした。  教祖も同行はしたかったのだけれど、すぐに戻るようにと薬売りに言われていたので諦めた。皆、親切な薬売りに感謝し、教祖が対応に当たる事も疑問には思わなかった。  改めて、寝室に戻る。  薬売りはそこにいた。  薄いベッドの上に、横柄に腰をかけて。  その変化に、思わず一歩後退りしてしまった。 「それじゃあ、お代を頂こうか」 「何を用意すれば……既にお話したように、お金は……」 「ああ、分かってる」  何を切り出されるのか、きちんと用意出来るものだと言っていたが、不安は募るばかりだ。  緊張に体を強張らせていると、薬売りはふっと笑って、脚を組み直した。 「その前に、この病の原因の話をしよう」 「原因……? ご存じなのですか?」  気構えていた手前、話を逸らされ思わぬ肩透かしを食らった。  しかし確かに、原因は気になる。教祖は耳を傾ける事にした。 「そもそもこれは、病じゃない。悪魔の仕業だ」  だが男の言葉に、更に毒気を抜かれてしまう。 「え……? 悪魔……?」 「おいおい、神は信じるのに悪魔は信じないのか?」 「い、いえ、そういうわけでは……」  神の物語を紐解く時、悪魔もそこに登場する。  だがまじない師に代わり、医者という職業が確立される程度には、人体についての知識というものも広まりつつある世の中だ。何か平時と違う事が起きたとして、それがすぐに悪魔や悪霊の仕業にされてしまう時代ではなかった。  俄かには信じ難いが、悪魔の存在を否定する事は神を否定する事にも繋がる。教祖は押し黙り、薬売りが饒舌に喋り出した。 「この近くに巣食う、低級の悪魔さ。少し前までは食う気も失せるほど痩せた連中ばっかりだったが、このところは違うみたいだからな。いい餌場にしようとしたんだろうよ」  餌場。その響きは、背筋を震わせるに値した。  もしこの男の言う事が真実ならば、村はとんでもない危機に晒されていた事になる。 「奴らの餌は精力だ。食い尽くされれば気力も体力も衰えてやがて死ぬ。今回起きたのは、それだ」 「で、でもっ、薬で治って……」  しかし病は薬で回復した。これが悪魔の仕業ならば、薬如きでどうにかなるとは思えない。  薬売りの男は目を細めて、にたあ、と笑った。 「あれは薬であって薬じゃない」 「……どういう意味ですか」  ただの流行病と、運良く訪れた薬売り。  真実は、そんな軽いものでなかったとしたら。  教祖の頭の中で、おぞましい想像が繰り広げられる。  嫌でもそういう風に考えてしまうくらい、異常な気配がしたからだ。  この、薬売りを自称する男から。  朝日が暗雲に閉ざされ、室内は再び暗くなる。  男の影が、音もなく伸びた。 「俺の魔力を混ぜ込んだのさ」 「……!」  次の瞬間には、薬売りの姿はそこになかった。  暗雲と同じ色の肌と、長い爪、頭部には羊に似た角。蝙蝠の羽根、赤い目。  衣服は身に着けておらず、立ち上がると体格も一回りほど大柄になったようだった。  悪魔、と聞いて人が思い描く姿。ほぼそれに等しい生き物が、目の前にいた。 「何を驚いている。悪魔だって、信じていたんだろう?」 「あなたは……」 「見ての通り、悪魔さ。今回悪さをした低級な連中とは、格は違うがな」  声だけは変わる事なく、親しみ深げな薬売りのままだった。  そのお蔭でどうにか、教祖は気を失わずに済んだ。 「より強大な俺の魔力を身に宿した事で、雑魚どもは寄り付けなくなった、というわけだ」 「そんな……村の者は悪魔に犯されたと……?」 「酷い言いようだな。それを言うなら病に伏した時点で犯されているし、あの程度口にしただけじゃ、効力は一時的なものだ」  仮にも助けて貰った相手に対する言葉でない事は分かっているのだが、神に仕える身としては顔色が変わってしまうのは仕方がなかった。  害虫を駆除する為に、猛獣を呼んでしまったようなものだ。  小さな悪いものはなくなったけれど、大きな悪いものが現れてしまった。  小さな悪いものにすら、打ち勝てない非力な人間のもとに。 「で、だ。まあ、俺の目の届く範囲で、雑魚どもに好き勝手されるのは気に入らなかったからな。それを駆逐出来たと思えば、人間に見返りなんぞ求めなくてもいいんだが」 「じゃ、じゃあ」 「けど、俺がいなくなりゃ、また戻ってくるかもな」  悪魔の要求するものなど、恐ろしさの余り考えたくもない。  相手は悪魔だ。  そう、悪魔だ。 「どうすれば……いいのですか」  震える声で、問い掛けた。  村を助けて貰った以上、拒否権はない。 「あんたが餌になるって言うのはどうだ」 「え……?」  どうだも何も、答えはひとつなのだけれど、話が読めずに聞き返す。 「雑魚どもにじゃないぞ? 奴ら如きじゃあ、この高潔な教祖様には近付けなかったからな」  悪魔が一歩、距離を詰める。  薬売りの姿の時ですら背の高さが際立っていた相手は、悠然と教祖を見下ろしていた。 「言っただろ、俺も悪魔だと。人間の精力は餌だ。高潔な魂は低級悪魔には毒だが、俺たちのような上級の悪魔には、ご馳走なんだよ」 「……具体的には、どうすれば」  結局は精神を食われるという事か。  それも仕方がないのかもしれない。自分ひとりの命で、村が助かるのならば、安いものだ。  だから、死ねと言うのと、同等の言葉が返されるのだと思っていた。 「そうだな、まずは眷属になって貰おうか」  しかし悪魔は、思いもよらぬ事を言い出したのだった。 「けっ、眷属!? 神を裏切れと言うのですか!」  つまりただ死ぬのではなく、悪に堕ちろと。  すぐには頷く事の出来ない話だった。  あらゆる誘惑を断ち切り、腐敗した都市を去り、ここで新たな道をやっと切り開いた。  それらを、全て捨てろという事だ。 「そんな……」  狼狽えている合間に、壁際に追いやられる。  真っ赤な目が、どんな娯楽よりも酷く魅力的に見えた。 「……お前……村を助けたのは誰だ? 神だったか?」 「…………」  それを言われてしまうと、言葉に詰まってしまう。  この男が薬売りだろうと悪魔だろうと、村を救ったのは彼だ。 「眷属も悪いもんじゃないぜ? 普通の人間よりずっと頑丈で、ずっと長生きだ。俺は食い散らかしたりしない主義でね、良質な餌には出来るだけ生きていて欲しいのさ」 「それは……人である事を捨てろと言うのですか……」  ただ隷属するだけではない。肉体も、闇に染まってしまう。 「あんたがどうしてもって言うなら、今のままでもいいけどな。そうすると耐え切れずに近々死ぬ事になるが。その時は弟子でも食うか……いや、美味そうなのがいなけりゃ、こんなちっぽけな村、やっぱり低級どもにくれてやるか」  最後通牒だ。  この悪魔の利益を考えれば、脅しでは済まないだろう。 「さあ、どうする?」 「分かり……ました」  やはり、そう答えるしかなかった。  これから、神を裏切る。  それでも神は、見捨てずにいてくれるだろうか。

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