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第5話
「よし。じゃあ服を脱げ。全部だ」
「なっ……」
「脱げ。主は俺だ」
強く言われ、唇を噛み締めた。羞恥より、屈辱が大きかった。
やるしかない。
そう言い聞かせて、あちこち綻びた白い正服を解いた。服は肩から踝までをすっぽり覆う、簡素なつくりだ。脱ぐのは簡単だった。
ぞんざいに、脱いだものを足元に落とす。
露になった肌は、色は白いが、僻地での苦労が滲んでいた。肋が浮き出て、あちこち荒れている。
人前でなど、決して見せる事はないものだと思っていた。
泣き出したいのを、ぐっと堪える。
「お前、女を知らないな」
「……当然でしょう」
「勿論、男も知らない」
「当たり前ですっ! 姦淫など汚らわしい……」
聖職につく身でありながら、女を買う醜い連中とは違う。同性など論外だ。
神に仕えるとは、そういう事ではないのか。
あらゆる欲望に打ち勝ちつ高潔さこそが、敬虔な信徒のあるべき姿の筈だ。
「……そうか」
悪魔はさして気に留めるでもなく、軽々しく手を伸ばす。
強引に髪を掴まれ、上向かされる。
「お前はその、汚らわしい事をされるわけだが」
鼻が触れ合うほどの距離で、悪魔はなんでもない事のように言う。
カッと顔が赤らんだのを、急激に上がった体温で知った。
羞恥でも屈辱でもなく、それは憤怒だった。
「賢明賢明。下手に抵抗するなよ? 無駄な怪我したくなければな」
睨みつけるだけに留まった事を茶化しながら褒めると、薄く長い舌が耳を舐めた。
ぞくりと、背中が震える。
嫌悪か、恐怖か、この神経がざわつく原因は、咄嗟には思い浮かばなかった。
悪魔は執拗に教祖を舐め回す。耳、首、項、頬、味見でもするように、あちこちに長い舌が這う。
いつまでも続く生々しい感触に、教祖は目を逸らした。かと言って目を瞑るのも癪で、下方に視線を落とす。
悪魔に覆い被さられるような体勢では、見えるものも限られていた。
暗雲色の肌、くっきりと浮き立つ筋肉、茶褐色の体毛は臍の下から伸びて陰毛と同化している。
そして何より目を惹くのは……
「うん? 気になるか? こんなデカイの突っ込まれたらどうなるかって」
視線に気付いた悪魔が、けらけら笑って揶揄する。
正直に言えば、その瞬間まで、突っ込まれる、という発想がなかった。これまで余りにも、性欲から遠いところにいた。
ただ単純に、萎えているにも拘わらず、己のものの倍はあろうかという代物に、男として畏怖した。
なんて、おぞましい。
教祖自身が嫌っていても、都市にいた高僧たちは下品な会話が大好きだった。それらは教祖の耳にも入り、知識として幾らかは蓄えられていた。
それが今正に、己の身に降りかかろうとしている、その実感がじわじわと湧いてくる。
あんなもので、犯されるというのか。
「そこは安心しろよ、俺は気が長いんだ。お前が快楽に溺れ、自ら欲するまで、人間の姿で相手してやる」
聖典に登場する悪魔は、もっと残酷で無慈悲な存在だった。
それに比べれば奇特とも思えるこの悪魔は、まるで教祖を気遣うかのような素振りさえ見せて、するすると、裸ではあるが、あの薬売りの姿へと戻った。
突然の出来事に、自ら欲する日など来ないと、反論する事を忘れてしまった。
「神を崇める人間って言うのは、どうしてこうも愚かなのかね。生殖本能にすら逆らおうとする」
そしてまた、舌を這わせる。今度は肉厚な、人間の舌だ。
掌も胸の厚さも、そして股間に至るまでも、多少体格はいいが、どこを取っても人間の肉体そのものだった。
人間のふりをした手が、胸を撫でる。
「そうやって異常なまでに廉潔を貫いて、行き着く先が上級悪魔の餌食だ。哀れな生き物だよ」
声も出なかった。
何も考えられなかった。
認めたわけではなかった。
だが、喋れたところできっと、違うとか、そんな筈はないとか、感情論で喚く事くらいしか、出来そうになかった。
「っ……」
胸を撫でていた指が、乳首を摘む。
びりっとした痛みに、息が詰まった。
性交の仕方くらいは知っているが、愛撫の仕方など知る由もない。知りたくもなかった。
小さな突起を指先で押し潰し、痛みで過敏になったところを、悪魔は指の腹で捏ね回す。
「ぁ……っ」
僅かに、吐息が漏れた。
他人に触れられる事に不慣れな体は、とても鋭敏だった。
ゆっくりと、陰茎が持ち上がり始める。
途端に、教祖の顔が真っ赤になった。紛う事なく、羞恥で。
「敏感だな。抗う事はないさ。人間の肉体は、快楽を得るようにつくられてる」
「ぁ……あぁ……ぁ……」
指先は腹を撫でたかと思うと、ぎゅっと柔らかくペニスを包み込んだ。
自慰すら殆ど経験のないそこは、手淫の刺激に呆気なく勃起した。
男の手の中でびくびくと脈打ち、早くも先走りを溢れさせる。
「ほら。気持ちがいいだろう? 射精したいだろう? もっと擦って欲しいだろう?」
「そん……な……」
耳元で呪文のように、誘惑の言葉が次々と囁かれる。
体が何を求めているか、理性は知らんぷりを続ける。いつの間にか、壁にへばりついた両手の爪で、木造の壁をがりがりと掻いていた。
人間でもない男の手によって射精などしてしまえば、取り返しのつかない事になるのは分かっている。
しかし逃げる事も出来ず、緩急をつけ巧みに動く指先は、着々と絶頂へ導いていく。
「あ……ぁっ……」
息が上がる。
堪えようと思っても、駄目だった。
「イけよ」
鼓膜を揺さ振る言葉に、ぷつんと、理性の糸を断ち切られた。
「あ、あぁっ……ぁああッ……!」
悪魔の手の中に、ずっと禁欲を強いられていた精を放つ。
今まで感じた事のない、とんでもない解放感だ。
腰が抜けて、壁に凭れながら崩れ落ちそうになるのを、男の手が阻んだ。
「良かったか?」
頭が朦朧として、答えが返せない。
酷薄そうに笑う口元に、怒りは覚えなかった。
己の身に起きた事と、確かに感じ取った抑圧からの解放に、ただただ茫然とするばかりだった。
人形のように虚脱していると、不意に視界が大きく動いた。
「っ……!?」
「まだ終わりじゃないぞ?」
今度は腹を壁に押し付けられ、弾みで打ち付けてしまった頭の痛みに、正気が戻る。
悪魔の力は強く、今更足掻いても徒労に終わる事は歴然だった。
たった今、悪魔の手によって達した事。
そんなものは、崩壊への序曲でしかない。
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