5 / 11

第5話

「よし。じゃあ服を脱げ。全部だ」 「なっ……」 「脱げ。主は俺だ」  強く言われ、唇を噛み締めた。羞恥より、屈辱が大きかった。  やるしかない。  そう言い聞かせて、あちこち綻びた白い正服を解いた。服は肩から踝までをすっぽり覆う、簡素なつくりだ。脱ぐのは簡単だった。  ぞんざいに、脱いだものを足元に落とす。  露になった肌は、色は白いが、僻地での苦労が滲んでいた。肋が浮き出て、あちこち荒れている。  人前でなど、決して見せる事はないものだと思っていた。  泣き出したいのを、ぐっと堪える。 「お前、女を知らないな」 「……当然でしょう」 「勿論、男も知らない」 「当たり前ですっ! 姦淫など汚らわしい……」  聖職につく身でありながら、女を買う醜い連中とは違う。同性など論外だ。  神に仕えるとは、そういう事ではないのか。  あらゆる欲望に打ち勝ちつ高潔さこそが、敬虔な信徒のあるべき姿の筈だ。 「……そうか」  悪魔はさして気に留めるでもなく、軽々しく手を伸ばす。  強引に髪を掴まれ、上向かされる。 「お前はその、汚らわしい事をされるわけだが」  鼻が触れ合うほどの距離で、悪魔はなんでもない事のように言う。  カッと顔が赤らんだのを、急激に上がった体温で知った。  羞恥でも屈辱でもなく、それは憤怒だった。 「賢明賢明。下手に抵抗するなよ? 無駄な怪我したくなければな」  睨みつけるだけに留まった事を茶化しながら褒めると、薄く長い舌が耳を舐めた。  ぞくりと、背中が震える。  嫌悪か、恐怖か、この神経がざわつく原因は、咄嗟には思い浮かばなかった。  悪魔は執拗に教祖を舐め回す。耳、首、項、頬、味見でもするように、あちこちに長い舌が這う。  いつまでも続く生々しい感触に、教祖は目を逸らした。かと言って目を瞑るのも癪で、下方に視線を落とす。  悪魔に覆い被さられるような体勢では、見えるものも限られていた。  暗雲色の肌、くっきりと浮き立つ筋肉、茶褐色の体毛は臍の下から伸びて陰毛と同化している。  そして何より目を惹くのは…… 「うん? 気になるか? こんなデカイの突っ込まれたらどうなるかって」  視線に気付いた悪魔が、けらけら笑って揶揄する。  正直に言えば、その瞬間まで、突っ込まれる、という発想がなかった。これまで余りにも、性欲から遠いところにいた。  ただ単純に、萎えているにも拘わらず、己のものの倍はあろうかという代物に、男として畏怖した。  なんて、おぞましい。  教祖自身が嫌っていても、都市にいた高僧たちは下品な会話が大好きだった。それらは教祖の耳にも入り、知識として幾らかは蓄えられていた。  それが今正に、己の身に降りかかろうとしている、その実感がじわじわと湧いてくる。  あんなもので、犯されるというのか。 「そこは安心しろよ、俺は気が長いんだ。お前が快楽に溺れ、自ら欲するまで、人間の姿で相手してやる」  聖典に登場する悪魔は、もっと残酷で無慈悲な存在だった。  それに比べれば奇特とも思えるこの悪魔は、まるで教祖を気遣うかのような素振りさえ見せて、するすると、裸ではあるが、あの薬売りの姿へと戻った。  突然の出来事に、自ら欲する日など来ないと、反論する事を忘れてしまった。 「神を崇める人間って言うのは、どうしてこうも愚かなのかね。生殖本能にすら逆らおうとする」  そしてまた、舌を這わせる。今度は肉厚な、人間の舌だ。  掌も胸の厚さも、そして股間に至るまでも、多少体格はいいが、どこを取っても人間の肉体そのものだった。  人間のふりをした手が、胸を撫でる。 「そうやって異常なまでに廉潔を貫いて、行き着く先が上級悪魔の餌食だ。哀れな生き物だよ」  声も出なかった。  何も考えられなかった。  認めたわけではなかった。  だが、喋れたところできっと、違うとか、そんな筈はないとか、感情論で喚く事くらいしか、出来そうになかった。 「っ……」  胸を撫でていた指が、乳首を摘む。  びりっとした痛みに、息が詰まった。  性交の仕方くらいは知っているが、愛撫の仕方など知る由もない。知りたくもなかった。  小さな突起を指先で押し潰し、痛みで過敏になったところを、悪魔は指の腹で捏ね回す。 「ぁ……っ」  僅かに、吐息が漏れた。  他人に触れられる事に不慣れな体は、とても鋭敏だった。  ゆっくりと、陰茎が持ち上がり始める。  途端に、教祖の顔が真っ赤になった。紛う事なく、羞恥で。 「敏感だな。抗う事はないさ。人間の肉体は、快楽を得るようにつくられてる」 「ぁ……あぁ……ぁ……」  指先は腹を撫でたかと思うと、ぎゅっと柔らかくペニスを包み込んだ。  自慰すら殆ど経験のないそこは、手淫の刺激に呆気なく勃起した。  男の手の中でびくびくと脈打ち、早くも先走りを溢れさせる。 「ほら。気持ちがいいだろう? 射精したいだろう? もっと擦って欲しいだろう?」 「そん……な……」  耳元で呪文のように、誘惑の言葉が次々と囁かれる。  体が何を求めているか、理性は知らんぷりを続ける。いつの間にか、壁にへばりついた両手の爪で、木造の壁をがりがりと掻いていた。  人間でもない男の手によって射精などしてしまえば、取り返しのつかない事になるのは分かっている。  しかし逃げる事も出来ず、緩急をつけ巧みに動く指先は、着々と絶頂へ導いていく。 「あ……ぁっ……」  息が上がる。  堪えようと思っても、駄目だった。 「イけよ」  鼓膜を揺さ振る言葉に、ぷつんと、理性の糸を断ち切られた。 「あ、あぁっ……ぁああッ……!」  悪魔の手の中に、ずっと禁欲を強いられていた精を放つ。  今まで感じた事のない、とんでもない解放感だ。  腰が抜けて、壁に凭れながら崩れ落ちそうになるのを、男の手が阻んだ。 「良かったか?」  頭が朦朧として、答えが返せない。  酷薄そうに笑う口元に、怒りは覚えなかった。  己の身に起きた事と、確かに感じ取った抑圧からの解放に、ただただ茫然とするばかりだった。  人形のように虚脱していると、不意に視界が大きく動いた。 「っ……!?」 「まだ終わりじゃないぞ?」  今度は腹を壁に押し付けられ、弾みで打ち付けてしまった頭の痛みに、正気が戻る。  悪魔の力は強く、今更足掻いても徒労に終わる事は歴然だった。  たった今、悪魔の手によって達した事。  そんなものは、崩壊への序曲でしかない。

ともだちにシェアしよう!