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すれ違いの僕と君3
ピッチでボールを追いかける勢いで、疾風のごとく弓道部の部室に向かう。
額からダラダラと汗を流しながら息を切らして中に入ると、部室の隅っこでノリは正座をしていて、弓を引く時に右手に付ける弽(かけ)を、紙やすりで熱心にこすっている最中だった。
「ちょうど良かったよ。吉川に話があったんだ」
俺を一切見ようともせずにひとりごとのように呟き、黙々と作業をするノリの姿を目の当たりにしたせいで、返事ができなかった。
『何か、こう……素っ気ないんです。冷たいって感じじゃないけど、隙がないっていうか、突っ込めないっていうか』
大隅さんが言ってたようにノリに隙がなさ過ぎて、いつものように突進することができない。ふたりきりでいるというのに、近づけないって一体……。
――見えない壁がそこにある。しかもそれを作っているのは、大好きなノリ自身だなんて――
「吉川悪いけどこれからは、以前のように放課後を一緒に過ごすことができない。練習を早めに切り上げて、大学の弓道部で練習することにしたんだ」
「なっ……どうして?」
ノリの傍らで突っ立っていた俺の声に、やっと顔を上げてくれた。だけどその眼差しはいつも見るものとは違って、どこか冷めた感じに俺の目には映り、心の中が一気に凍ってしまった。
「決まってるだろ、僕たち今年で最後の夏なんだぞ。悔いを残さないように練習しなきゃならないのは、当然のことだろう?」
当たり前の返答に胸を撫で下ろしつつ、探るようにノリの顔をじっと見つめた。
「毎日、その大学に通うのか?」
「ああ、そのつもりでいるよ。吉川もキャプテンとして、ちゃんとサッカー部を引っ張っていかなきゃならないんだから、僕に構ってる場合じゃないだろ」
「わかってる、そんなの。部活も大事だけどさ……。だけど俺たちにとって、ふたりでいられる最後の夏なんだぞ! これだって、俺たちには大事なことじゃないのか?」
あまりの素っ気無さに、つい声を荒げてしまった。だけどノリは一瞬だけ目を見開いただけで、心情を隠すためなのか俺から視線を外すなり手元をじっと見る。
部室の中で紙やすりの音だけが、しばらく響いた。ガシュガシュという音が、まるで自分の身を削られているように、なぜだか感じてしまう。
「同じ時間をすごしてきた僕たちが、いつまでも一緒にいられるワケがないんだよ」
吐き捨てるように告げられた言葉が、俺の心にぐさっと突き刺さった。
「ノリ……?」
喉が一気に渇いてしまい、掠れた声でやっと名前を言うのが精一杯な状態だった。動揺しまくりの俺を尻目に、ノリは更なる言葉を突きつける。
「それに昨年散々、一緒に過ごしてきただろう。もういいんじゃない?」
「何だよ、それ――」
「前にも言ったけど君がいるだけで、弓道の練習に集中ができない。まあそれは僕自身が未熟だっていうのも、原因があるんだけどさ。気持ちが乱れまくって、中るものが中らなくなるし」
はっきりと告げられた理由に、どう反論すればいいのか分からなくなる。
「……それって、俺が邪魔なのかよ?」
「そこまで言ってないって。試合に集中したいから、しばらく距離をおきたいって言ってるんだ。まったく、いつも極端に走るなよ吉川」
相変わらずこっちを見ようともせずに、淡々と作業をしながらなぜか口元だけで笑う。だけどメガネをかけていない瞳がやけに冷徹に見えて、いつものノリじゃないみたいだった。
俺のことが好きだよっていう気持ちが瞳に表れているヤツだったのに、一体どうしちゃったというのだろう?
心臓が耳元で鳴ってるようにバクバクと音を立てて、血液が一気に体の中へと勢いよく流れていく。
見えない壁を作るノリ。冷徹な目をしたノリ……。さっきから俺の知らないノリの姿に、ますます混乱していった。
(距離をおくって、いつまでだろうか? 俺が傍にいちゃいけないって、必要とされてないから?)
聞きたいことが頭の中でどんどん溢れてくるのに、それを言葉にすることができない。それを口にすると、何だか俺たちの関係が崩れてしまいそうで正直怖かった。
気がついたら俺はノリの体を抱きしめ、床の上に押し倒していた。
見えない壁を、自分の手で何とかしたかった。こんなことをしても何もならないことくらい頭では分かっていたけれど、抱きしめることによってノリがいつものノリに戻るのではないかなんていう、甘い考えがどこかにあったのは事実だった。
――心ごと体ごともっと……お前に触れたかった――
「今ここで僕を抱けば、吉川の気が済むのかい? だったら好きにすればいい」
俺を見上げる、心を凍らせるような冷めた瞳。そして信じられない言葉で一気に冷や水を浴びせられ、慌ててノリの体から退いた。
(コイツはノリじゃない!)
見慣れない髪型をして見慣れない顔をしている姿は、本当に別人にしか見えなかった。俺の好きだった優しいノリは、どこに行ったというのだろうか。
激しい後悔に襲われながらゆっくり立ち上がり、両手の拳をぎゅっと握りしめる。
「分かった。しばらく……いや、ずっと距離をとってやるよ! お前の望みどおりにしてやる!」
上半身を起こしたノリに怒鳴るように言い放って、部室の扉を勢いよく開け放ち、走りながら下唇を噛んだ。
あんなノリを、もう二度と見たくないと思った。
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