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抗えない衝動・唇から熱――2

***  藤城との話し合いから、一ヶ月が経った。  あれから何度かノリの姿を遠くから目撃したり、実際にドキドキする場面はあったが、歯をぎゅっと食いしばって堪えまくった。  俺も負けないようにと部活で精を出して気分を紛らわせつつ、高体連の試合に集中している。その状態が何だかノリに片想いをしていた頃みたいだなと、懐かしく思い出したり。両想いまであと少しじゃないけど、お互い試合さえ終わっちゃえば、もう辛い思いをしなくてすむ!  なぁんて密かに、カウントダウンをしていた。何だか目の前にニンジンをぶら下げられた、馬の気分。  ――だからこそ、頑張れたというのに――  淳に毎日くどくど注意されながら(どんだけ信用されてないんだ俺)部活中心の日々を送っていた、ある日のこと。 「吉川たまには、肩慣らしのキャッチボールに付き合ってよー」  にっこりと微笑んできた淳に誘われ昼休み、外へ出る前にトイレに寄った。 「淳、悪りぃ。汗ばんだ顔を洗ってくるから、先に行っててくれ」  言いながら中に入ろうとしたとき、出てくる人物とぶつかりそうになり、慌てて一歩退きながら、くっと息を飲む。 「ノリ……」  ノリは固まったまま俺の顔を凝視してから、あからさまに視線を逸らした。伏せられた睫が影を作り、妙に色っぽく映る。  今まで前髪が長くて、メガネで隠されていたノリの顔。意外と睫が長いことに今更気づき、思わずときめいてしまった。  ――大好きなノリが、目の前にいる――  俺は無意識にノリの両肩を抱き寄せながらトイレの奥に押し込み、その唇を奪ってしまった。こんなことをこんな場所でしちゃいけないことくらい、頭では分っているのにだ。  だけど抗えない衝動が俺を突き動かして、どうにもセーブできなかった。触れられなかった今までの距離を埋めるように、その細い体をぎゅっと抱きしめる。  ノリの体温。ノリの香り。ノリの唇……。何もかもが愛おしすぎて、混ざり合う唾液を飲み干してしまう勢いで貪り、舌を絡めようとした刹那――。  ぱんっ!  左頬に突然走った、叩かれた痛み。 「煌のバカッ! 余計なことしないでよ!」  体をふるふる震わせながら大きな目に涙を溜めて、胸の前に叩いたであろう右手を、左手で握りしめたノリ。  あまりの出来事に対処できず、両腕をぱっと上げる。そんな俺を押し退けるように体当たりをして、トイレからさっさと出て行ってしまった。 「あーあ、ブッキングしちゃったんだねー。ご愁傷さま吉川。しかも、予想を裏切らない展開をしたんだ。頬についたモミジ、超みっともないよー」 「淳……どうして」  情けないことに俺は、両腕を上げた状態を維持しながら、呆然と淳を見上げた。 「どうもこうもじゃないってば。トイレの外にまで聞こえたんだよー、吉川が叩かれた音。そしてノリトのあの怒った声。まさか手を上げるなんて、ビックリだよねー」  言いながら手洗い場の蛇口を勢いよくひねって、ジャージャー水を出す。 「そのみっともない顔、さっさと洗いなよー。ついでに頬の腫れが、早くひくだろうし」  俺の肩を優しくぽんぽんと叩き、珍しく慰めてくれる。ショックが大きすぎて、どんな顔をしていいのか分からず、俯いてやっと口を開いた。 「悪りぃ……。あんだけ言われてたのに、心配させちまって、さ」 「いいから、いいから。水が勿体ないから、早く顔を洗いなって。頭を冷やせば、気持ちも落ち着くだろーしねー」  その言葉に迷うことなく、頭から水をジャブジャブ被った。だけどノリから伝わった熱がずっと心に残っていて、叩かれた痛みよりも俺を苦しめる。  ――キスしたとき一瞬だけ躊躇したノリが、しっかりと俺を求めた――  キスだけじゃなく俺を掴んだ手が縋るように、ぎゅうっとシャツを握ってきたんだ。それが嬉しくて堪らなかったのに突然平手打ちされて、あっという間に現実の世界へと一気に引き戻されてしまった。  深いため息を一つだけつき、きゅっと蛇口を締める。髪の毛からぽたぽたと、雫が零れ落ちた。髪から雫が次々と伝って、自分の頬を濡らしていく――それを拭った瞬間、大きな瞳に涙を溜めた顔を思い出してしまった。  ――ノリのヤツ、泣いてたよな……。今頃ひとりで、涙を流しているんだろうか? 「吉川、屋上で泣くんじゃないよー。キャッチボールは、次の機会に回してやるからさ」  濡れた髪をかき上げた俺に、軽く体当たりして出て行った淳。言われた通り、屋上に行きたかったけど、そこから動けなかった。  目の前の鏡に映る、自分の頬についた叩かれた痕がまだうっすらと残されていたから。その痕すら愛おしいと思ってしまい、ずっと眺めていたかったから――。

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