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第85話
◇ ◇ ◇
それから基地中の視察が終わったのは、夕日が沈みかける頃だった。
アゼルは到着した時に降り立った眺めのいいデッキの手すりから項垂れて、沈んでいく夕日を絶望の表情で見つめている。
本当は昼食を食べてから数日かけて視察する予定だったのに、それを半日に詰めたわけだから異常な速さだ。
疲れきったまま気落ちするアゼルだが、十分仕事ができすぎるし誇ってもいいと思う。
どうして気に食っていないのだろうか……もっと自分を褒めていいと思うぞ?
俺は魔族の競歩に合わせて走りきった自分を自分で存分に褒めそやしながら額の汗をぬぐって、呼吸を整えた。
「むぐぐ……しぶとい人間風情が……!」
予想を外してどうにか完走した俺を、ユリスは憎らしげに睨みつける。
ゲシッと足を蹴られるが、まだ幼い魔族であるユリスの蹴りはさほど痛くない。
フィジカルが強い魔族や魔力が強い魔族。魔族にもいろいろあるのだ。
しかし人間の俺にダメージがないのが更に気に触ったのか、「弱小種族の分際で僕の攻撃力より防御力が高いなんて許さない~!」と小技を連打される。
ふむ、やはり痛くない。
ユリスはかわいいな。
「俺は魔法も使うが……体を鍛えているからな。気を落とすことはない」
「慰めないでよこの馬鹿人間っ!」
慰めたのに逆に怒られ、俺は困ってしまって眉をハの字にたれさせる。ううん、ここでやられたフリをすると怒られそうだ。
次は最初にやられたフリをしよう。演技の下手な俺にうまくできるだろうか。
ゴホン。まぁそれは次のミッションとして、現在の俺にはやらなければならないことがある。
「うぅ、なんてこった。終わっちまった、うぅ、うぅ」
それはこちらの絶望王をどうにか元気付けるという、高度な任務だ。
ブツブツと嘆きながらショックを受けすぎて、どんどん手すりの向こうにうなだれていくアゼルに、俺は慌てて近づく。
心配だぞ。お仕事モードが別人のような落ち込みっぷりだ。
嘆きの魔王とは、まさかここから来ているのか……?
「アゼル、お疲れ様。それでええと……どうしてそんなにしょげているんだ? どこか日が落ちるまでに行きたいところや、済ませたい用事があったのか?」
真横に立ってポン、と肩に手を当てると、顔だけ振り向いたアゼルは、うりゅうりゅとしょぼくれた表情で俺を見上げて呟く。
「で、デート……」
デート。
思いがけない言葉についなにも言えず、目を見開いてきょとんとしてしまった。
それをどう受け取ったのかズゥンと更に闇を背負ったアゼルが、ついには魔王らしからぬことに勇者の足元で丸くなってしまう。
膝を抱えてじめじめと絶望している姿を見ていると、そのうちキノコが生えてきそうだ。
アーライマの花を取りに行きたい俺とそれを知らないアゼルとですれ違って関係が壊れたあの時以来の湿っぽさで、アゼルはブツブツとなにごとか呟く。
「ちょっとお前、魔王様になにしたの!?」
「う、ぅん……?」
状況が飲み込めなかったユリスが、座り込んだアゼルを見てぎょっとしながら近づいてきた。
いや、俺がなにをしたというか、俺となにをできなかったからというか……冗談じゃなかったのか。
「魔王様が膝をつくなんて、お前がなにかしなきゃこうならないでしょっ。なにをしたのさっ! 言ってっ! 言わないと食べるよ!」
「それは困る。えぇとだな、どうやらアゼルは……俺とその、デートをしたかったみたいだ」
──その時のユリスの顔は、羨望と怒りと混乱とで、そうはできないし見ないような表情だったな。
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