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第137話

 自分は間違っている。  なら正しい王とはなにか。  見本を見たことがなかったアゼルは、一番近い他国──人間国の王城へ、正しい王を見に行くことにしたのだ。  幸いにして人に見える自分は、人間国では珍しい黒髪を染め粉で赤毛に染めて魔力を完全に消し衣服を奪い忍び込めば、侵入はわけなかった。  見本を見よう。  そして、間違いを正すのだ。  その覚束無い一念が衝動的にアゼルを魔界から追い出し、まるで迷子のように人間国の城内を彷徨う。  人間国の城は、軍事が最も尊ばれる要塞のような外観をした魔王城よりもずっと華美で、ずっとたくさんの人間がいた。  みなにこにこと笑い、人間同士で会話に花を咲かせている。  魔族のように決闘で物事の是非を決めることもない。姿かたちにそれほど個性がない人間たちは、強かろうが弱かろうが扱いや立場に差はなく、一定を保っているようだ。  それはもちろん、裏の意図を持った笑顔が多かった。しかし経験値が少なく人の会話の意図を読むことが苦手で、言葉通りに受け取り勘違いや思い込みをしてしまうアゼルには、含みの奥が見えない。  だから人間国の王城は皆が仲良く、王の人柄と為政が優れているのだと思えた。  華やかで誰もがお互いを誉めそやし、誰も争いをしていないし、それなのに上下関係もしっかりとしているように見える。  豊かで明るい世界。  その城で王は、家臣に囲まれ威風堂々としていた。  番にも愛され、幼い娘もいるようだ。たくさんの人に望まれる王。正解の王。  誰かに受け入れられるという、アゼルがどうにかこうにかそつがないようこなしても怯えられ避けられる困難なことを、人間の王はいとも簡単にこなす。  正解の王は笑い、その周囲も笑う。  家族がいる。仲間がいる。ひとりぼっちでは──ない。  夜を生きる者には、その明るさが地獄の業火に等しいのだ。  見ていられなくて、走り去ってしまった。その動きは人間たちにとって、見るからに不審だっただろう。  しかしそれに構う余裕ももちろんなく、人気のない城の裏庭のすみで膝を抱えた。  嫌われるというのは、怖いことだ。  今まで悪意を向けてくる他者すらいない場所で一人だということに気がつかず、魔物の血を吸って野生を生きていた彼には、初めてのことだ。  それが自分の仲間、と定義される魔族から、来る日も来る日も感じる。  本当に紋章に選ばれた魔王なのか? と、直接的に揶揄されることもある。  魔王だとか強いだとか、関係ない。  自分だって誰にも嫌われたくないし、どうにか好かれたいとさえ思って湧いてくる仕事をこなしていた。  しかし会話も下手くそで自信なく考えていると黙ってしまうし、どうにか口を開くと威圧的になってしまう。挙げ句無愛想だ。  制御する必要もなかったからしなかった生まれつきの魔眼は、見るものに恐怖を味わわせる。知らなかった。  目を合わせて怖がられるのが嫌で目を閉じて、考えなしに思ってもないことを言ってしまって、怯えさせることもある口を噤む。  人間は感情が特に豊かだ。  なのにどうして、そんなに上手く生きていけているのだろう。  自分は情けなくてもたついて、泣いてしまいそうだ。魔王が侵入してるなんてバレてはいけないから、そんなことはできないが。  百年以上生きているのにはじめて自分以外の刺激を受けて心が動き出した魔王は、幼い子ども程度しかない情緒を持て余して、疲弊しきっていた。 『泣いているのか?』  そんな彼に、一人の男が声をかけた。  足首まである黒いロングマントをはおり、フードを目ぶかにかぶった怪しげな人間。  しゃがみこんでいたところに声をかけられ、驚き、振り返る。  気配を感じなかった。アゼルの精神が乱れていたこともあるが、彼には声を発するまで気づかせないなにかがあったのだ。  アゼルに合わせ膝を折って座った彼は、フードから少しだけ覗く口元にゆるりと笑みを浮かべた。 『大丈夫、傷つける気はないぞ。悲しむことはなにもない。君が落ち着くまで……俺はただ、君のそばにいよう』  ──傷つき、全てが億劫になりそうなアゼルに、その言葉がどれほど響いたか。  どうしたとアゼルの返事をじっと待ってくれている彼に、気が付けば自分の身の上を隠しながらも、頼り方がわからず一人で抱え込んでいた弱音を悲鳴のように吐露していた。

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