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第151話

 ──ドサッ、と柔らかな地面を踏む音がして、周りの風景が変わった。  むせ返るほどの土と木々の香り。それすら上手く感じられない。  血の気を失った顔を木漏れ日が照らす。  勇者に掴まれたままの腕が痛いことに気がついたが、もう俺にはどうしようという思考すらなかった。  これでさよなら。  回路は複雑で一回きり。固定された場所にしか飛べないのが転送魔法陣だ。  場所もわからないならどんなに速く走ったとしても追いつけるわけない。追いかけてくれるわけもない。だからさよならだ。  呆然と立ち尽くす俺の頬を、手甲をつけたままの硬い手がバシッ! と平手打った。 「……なんだ?」 「チッ、ボサッとしてんなよ。極悪人のくせに死人みたいな顔しやがって。ちったぁ自分がどうなるのかとかここはどこかとか気にならねぇのか。寝ぼけてんじゃねェ」 「あぁ……」  鋭い三白眼に睨みつけられ、打たれた頬が赤くなっているのも感じるが、どうにも今は全てが遠い世界のようだ。  受け入れるのに時間がかかる問題が一気に投下されて、俺の脳は処理することをやめてしまった。  不器用な俺には前を向いて頑張ることだけしかできないはずが、今は真っ暗闇に落とされた気分なのだ。  勇者は反応の薄い俺に苛立ち、再度頬を打ってから俺の手を後ろ手にロープで縛って、犬のように歩かせ始める。 「……ここは人間国の端だ。魔界から脱出する時用に仕込んでもらってたんだよ。俺はこれからお前を城に連れて行く。王には生きていたら殺せと言われてッけど……罪人とはいえ、無抵抗の人間を殺すのは違ェ。だから、ちゃんと裁いて処刑したほうがいいと思う」 「そうか……」 「お前は死んだことになってンだ。お前をシャルとしていたんだから、勇者が二人だとまずいンだよ。本当は偽物でも、なッ」 「ゴホッ……ん、わかった」  のろのろと歩く俺の背中を突き飛ばした勇者に従い、俺は森に身を潜めながら人間国を目指した。  言葉は乱暴なのに結局ここがどこかも俺の処遇も教えてくれた勇者は、本来憎い相手でなければ優しい男なのだろう。  もう魔界から出ていたんだな。アゼルが本気で走ったって半日以上かかる距離だ。  そう考えて、すぐにハッとして自分の思考を恥じた。追いかけてくれるわけがないのになにを考えているんだ、俺は。  浅ましくて馬鹿らしい。  アゼルが俺を愛していてくれたあの優しく温かい気持ちが綺麗サッパリなくなったなんて思えなくて、残骸にすがっているんだ。  ──俺はアイツの何者でもなかったのに。  アイツが欲しいのは、俺じゃない。  記憶がないなんて当たり前だった。俺は別人だったんだから。  何度訂正しても聞く耳持たずシャルと呼ばれたのは、影武者だったのだから当然だ。  塔から出してもらえなかったのも、民衆にはバレるわけにいかなかったから。  過去のピースを埋めていくと辻褄が合う。森の中を進みながら、俺の足は鉛のように重かった。  恩義があると大切な気持ちを十年も抱えて生きていたんだ、アイツは。  やっと手に入れたと思って幸せそうに笑っていたのに、それが偽物だったなんて知ったアゼルは、どんな気持ちだろう。  ましてや恩人が亡くなっていたなんて。  アゼルが一途に、眩しいほど美しく大切に抱きしめていた思いは、こんなにあっさりと行き場を失ってしまった。  アゼル、アゼル、アゼル。  泣いていた。  苦しそうに、泣いていた。  そんな冷たい思いから、お前を傷つける悲しみから守ってあげたい。  今すぐ抱きしめてキスをしたい。  だけど、悲しませているのは俺なんだ。  そんな資格はない。  アゼルが求めているのは、俺の腕じゃない。 「……アゼル……」  か細く未練がましい声は、無意識に愛しい男の名を呼んでいた。  なんだよ、シャル。そんな返事はないのにな。 「……こんな時まで、魔王のことかよ」  俺の綱を引きながら、理解できないような、困惑した表情で勇者がなにかをつぶやいたが、俺にはなにも届かなかった。

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