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マロン・タンゴ
幸せは歩いて来ない、という歌が日本にはあるらしい。
その話をしたのは、最近友人になった日本人の青年だった。すっかりフランス語も板につき、発音の端をからかう事も少なくなったアンリに、幸せってどこにあるのかなと零した時に貰った言葉だ。
幸せは歩いて来ない。だから自分から迎えに行くんだってさ、と笑う彼の笑顔は少し茶目っ気があり、彼の同居人である口うるさい黒人を彷彿とさせた。
一緒に暮らしていると、性格も似てくるのか。あの他人の幸福にやけに敏感な男と似たような事を言うものだから、僕は苦笑いで全くその通りだなんてありきたりな台詞を返すことしかできなかった。
幸せを迎えに行く気力は最早残っていない。先週、さらりと振られたばかりの僕には、足を踏み出す勇気など使いきったジャムの瓶の底に残る甘い液体程も無かった。
勝手に恋をしたのは僕だ。そして勝手に盛り上がって、告白したのも僕だ。振った彼女に非は無い。それでも彼女を悪役にしたがる僕の保身的な気持ちがひどく惨めで、溜息は日に何度も出た。
そんな僕の様子を心配してくれるのはいいのだけれど、ついでに余計なひと言を言ってくれるのは同居している母親だった。
「もうすぐ春だってのに、そんな病気の猫みたいな顔してちゃあ、陽気も女の子も逃げて行くよ」
焼きたてのパリジャンにマロンクリームを塗りながら呆れた顔で小言をぶつけてくる。けれど僕は、煩いよ、とは言えない。まったくその通りではあったし、僕だって自覚はあった。
毎日華やかな香りと彩りに溢れた店で、陰気な顔をしている僕は非常に場違いだ。春先は花の種類も一気に増える。暖かくなると人間はどうも、花を買いたくなるらしい。繁盛記を前に、せめて仕事くらいはちゃんとこなそうと思っていても、枯れた感情が付いていかない。
僕が気落ちしている理由を母親は聞かないが、まあ、なんとなく察しているのだろうと思う。二十代ももう終わりという頃合いの一人息子が恋に破れて憂鬱に付き纏われているだなんて、親としても微妙な心持だろう。
母は花屋の経営をほとんど僕に任せたせいで、最近はすっかり暇になったらしい。時折仕入れや接客に口を出す彼女は、今は社交ダンス教室にご執心だ。課題曲だと言って家ではずっと同じ曲を流してステップの練習をしている。哀愁漂うキューバのタンゴは、僕のセンチメンタルを助長させるが、やめてくれとも言いにくい。曲にも母にも非は無いのだ。
女手一つで切り盛りした花屋を手離すのはちょっとした勇気がいる決断だったようだが、第二の人生は趣味に捧げると毎日楽しそうに習いごとに通っている様子は、年齢的に若い僕よりも数段若々しく輝いている。
毎日がめまぐるしく楽しいと笑う母から見れば、僕は本当に幽霊のように暗く覇気のない男に見えるだろう。
「そんな重い髪型でどんより溜息をついてちゃ、それこそキノコが生えてきそうじゃない。いっそさっぱり短く切ったら?」
「……髪型は関係ないだろ。短いのは似合わないって知ってるからいいんだって。なんかこう……サッカー選手みたいになる。運動なんかしないのに」
「いいじゃないの、サッカー選手。快活そうで素敵。よぼよぼと溜息ばかりつく花屋よりよっぽど良い」
まったくもってその通りという言葉ばかりだと、反論できないから感情が溜まってしまう。ぐっと飲み込んだ僕のどうしようもないふてくされた気持ちは、結局母に向けられることなく珈琲と一緒に飲みこむしかなかった。
焼きたてのパリジャンでつくるタルティーヌは僕の好物だ。フランス人は朝からクロワッサンとカフェオレを優雅に味わう、というのは偏見だ。イタリア人だって毎日ピザを食べているわけではないだろうし、日本人だって寿司で生きてるわけじゃないだろう。
朝は手軽に、焼いたバケットにコンフィチュールを塗ってタルティーヌにして食べるのが一般的じゃないか、と思う。勿論うまいパンを焼くに越したことはない。幸い僕の店の近所にはパン屋が多い。特にクレマン氏のパン屋『シュミネ』は、なかなか良い味のバケットが朝一番から店に並ぶ。
花屋の開店前にシュミネに並び、焼きたてのパンを買うのは母の日課だった。僕の家業である花屋は夜遅くまで営業している代わりに、昼に近い時間に開店する。朝は比較的ゆっくりとパンを齧ることができた。
口の中に広がる甘いマロンクリームの風味を味わっても、僕の憂鬱は晴れないのだけれど。まったく、女々しい男だと自分でも思う。
「いっそあんたも外にでる趣味を持ったらどう? ダンス教室はね、曜日毎に他のダンスもやってるんだって。基本は社交ダンスだけど、ジャズダンスとか、エアロビクスとか。あと、バレエも教えてるって言ってたかしら」
「いや、僕は動くのはちょっと……バレエとか、子供の頃からやってないと駄目なんじゃない?」
「あら、そんなことないわよ。オバサンになってから興味がでてレッスンに通ってるってご婦人も居たわ。あと、そう、ちょっと今風の高校生の男の子も。あの子も始めたばかりだと先生が言ってたと思うし。何を始めるにも、遅いなんてことないじゃない。やってみないと向いているかどうかもわからないわ」
母の言葉は正しくて、積極的で、僕にはちょっと痛い。僕は昔から奥病で、どうにも行動するまでに時間が掛る。何度も何度も自分に言い訳をして、先延ばしにして、大丈夫なんとかなるという見通しができないと物事に手を伸ばせない。
そんな臆病者なのに彼女に声を掛けたのは、僕らしからぬ行動だったし、やっぱり浮かれてておかしくなっていたんだと思った。
浮かれていた僕が、日常に戻っただけだ。
朝起きて母の焼いたタルティーヌを齧り、珈琲を飲み、店を開けて花を求める人々にリボンでデコレーションした花を渡す。昼に簡単な食事を取って、また夜まで店番をする。仕事帰りの人々が夕飯を食べ終える時間になるとやっと店の明かりを消して、そして遅い食事を取って翌日の準備をして寝る。
地味で、堅実な人生が戻って来ただけだ。
「あんたの前にも、パンを分かち合う素敵なひとが現れてくれたらいいんだけどね」
なんと答えて良いかわからず、さりとて笑って流すこともできず、仕方なく僕は曖昧な言葉と感情を珈琲で流し込む事しかできなかった。
僕だって幸福とパンを彼女と分かち合いたい。……正直全然諦められない。振られたと言っても、デートの誘いにノーと言われただけではあるし、見たくない程嫌いというわけではないのではないか、なんて未練がましく自分を擁護してしまう。
でも、彼女は僕が誘ったあの日から、店には姿を見せない。それがつまりは答えだろう。
もう日が暮れた後に彼女が来るんじゃないか、と、そわそわした気分で待たなくていい。それは少しだけ心が楽になった分、どうにも、もの悲しい事だったけれど。
僕の気分が浮き上がるまでには、もう少し時間が必要だ。あと数週間したら、きっと、僕の中の溜息を吐きつくしてしまう。そうしたらまたどうでもいいことで笑えるようなささやかな日常が帰ってくる筈だ。今は、そう願うしかない。
大体僕は彼女の名前と、仕事が終わる時間しか知らない。何をしているのかも、どこに住んでいるのかも、連絡先も知らないのだから、一歩を踏み出す勇気があったとしても何から始めたらいいかわからない状態だった。
幸せは歩いて来ない。でも、それを探しに行くにはもう少しだけ勇気と、時間と、そして情報が必要だ。
珈琲を飲みほした後に出そうになった溜息はさすがに呑み込んだ。本当にこれ以上憂鬱に浸食されると、人格まで変わってしまいそうだ。
母の言うように、身体を動かすのも、もしかしたらいいのかもしれない。ダンスは流石に無理だけれど、ウォーキングやジョギングなら僕にだってできる。
身体を動かして、たまには母親を食事に誘おうか。夫を早くに亡くした母は、ずっと一人で働いてきた。友人とランチに行くのもいいけれど。親子二人でディナーを取るのも悪くはないだろう。少し歩いた所に、アンリの勤めるレストランがあった筈だ。アンリはまだひよっこで、半分見習いみたいなものだから料理を作るっていうよりは皿洗いに近いと笑っていたけれど。
ドレスコードはカジュアルだっけ? シャツはどこに仕舞ったかな。
甘いマロンクリームの味を珈琲で流し込みながら、花とパンの鮮やかな香りに、僕の未練がましい哀愁が早く溶けてしまいますようにと祈った。
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