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1.お友達から、始めましょう②

「……こんな人気のないところに連れてきて、なーんだ名木くんも結局そういう、」 「君に、俺のピアノを聞いてほしい」 「へっ」 「聞こえなかったか? 俺のピアノを聞いて、率直な感想をくれと言っている」 「あっ、ハイ」  男の人に人気のないところに連れ込まれたら、大体そういう行為を求められる俺だから名木もそうだと思ったが、見当違いだったようだ。大きなグランドピアノはさすが一流の芸大って感じで、部屋に入る際に名木は部屋の札を『使用中』に変えていたからもう誰も入ってこないだろう。名木はさっさと椅子に座って曲を弾く準備をする。スッと背筋を伸ばして、一旦目を閉じては指を鍵盤の上に乗せ、ちらっと間抜けに突っ立っている俺の方を見てから、 「いくぞ」  そう言って、俺にも聞いたことのある、ショパンの曲を少しだけ弾いて見せた。それは穏やかでやわらかで、でもどこか寂しい曲……エチュード第三番の『別れの曲』だったのだが、確かに名木の技術力は抜群なのだが、どこか、どこかそう。第三番を終えて名木が『ふー』と息を吐いて、鍵盤から手を離す。まるでひとつのコンサートを終えたように俺に向かって立って一礼して、顔を上げると『……で』と俺に問う。 「どうだった」 「え……ぁ、」 「俺のピアノはどうだった、唯月」  名乗っていない名前を呼ばれたことにも気が付かないくらい、俺は戸惑っている。あの名門名木家の長男の演奏を、目の前で聞いたというのに俺の耳は馬の耳なんだろうか? 感銘を、一切受けなかったから戸惑っている。確かに名木はピアノが上手だ。だけれど……。まっすぐな名木から目をそらして、俺は床のタイルを眺める。名木はなおも、俺を責めるでもなく淡白に続ける。 「君の、正直な感想を聞きたいんだ」 「あ、えっとその……俺、耳まで悪いのかな」 「……」 「なんか、何も、感じなかった。技術はあるって思ったけどすごく淡白で、揺さぶられる感覚が一切なくて」  正直に言ったのだ。俺は名門の長男を否定した。まるで自分の兄ちゃんを否定したような罪悪感にざわざわと胸がなって、気分が悪くなる。でも名木が、正直に言えっていったから、そうなのだ。名木は『はー』と俺に幻滅したのか溜息を吐く。これじゃあレジュメ、見せてもらえないな。思ったけれど次の瞬間、一歩名木が俺に近づいてきて、俺の金髪をポンポン、と優しく撫ぜてきた。 「正直に言ってくれて、ありがとう」 「えっ」 「皆が皆、俺のピアノを褒めることしかしない。君の意見は大変貴重なものとしていただく」  俺の答え、名木の答えと一致したのか? 名木はさっきまでの淡白な表情を和らげて、穏やかに笑ってなぜなぜしつこく、猫にするように俺の頭を撫ぜてくるから、そのうち気が付いてパパっとその美しい手をやんわり払う。 「え、え? じゃあレジュメ、見せてくれるの?」 「勿論、頼みを聞いてくれた礼だ」 「よっしゃ、ラッキー!」 「これは幸運なことではない。唯月、キミの感性の力の成した業だ」 「……俺の感性、」  落ちこぼれの、絵を描いたっていつも銀賞のこの俺の感性を、この男は褒めた。そりゃあ音楽と絵、畑違いってのもあるけど俺はムッとする。ここしばらく真剣には描いていない絵のことを思ってまたざわざわする。ってゆうかそれより、 「あれっ、なんで俺の名前!?」 「唯月、キミは前から俺のことを格好いいと思っていたと言ったよな」 「あっ、えっ、うん(嘘だけど、)」 「俺も前から、あの『阿須間(あすま)家』の次男の、君のことが気になっていた。唯月、俺たち友達になろう」 「えっ、友達!?」  それはセフレってこと? 汚れた頭が有り得ない想像をするも、名木はごく真剣な表情で、俺に握手を求めて手を差し出している。俺は混乱して、大体こいつ、俺の家柄のこと知ってたんだ!そう思って、胸のざわざわを思って、そうだ。俺の感性を褒めたりした罰を、落ちこぼれだと知っていながら褒めたりした罰を、この男に味わわせてやろう。と、ぎらっとその大きな目を光らせる。俺の大きなコンプレックスを、刺激した罪は大いに大きい。ニコッと猫をかぶって笑っては、俺は名木の差し出された手を取って、そのまま好意的なように握手する。 「良いよ、名木。今日から俺たち、友達ってことで!」 「ありがとう、唯月」 「ところで名木、サークルとか入ってる? テニスとか好きじゃない?」 「……テニスサークルか」 「今日この後暇なら、見学にでもおいでよ。みんなフレンドリーで楽しいよ?」 「そうだな、唯月が入っているなら」  そう、このエリート男前を、ヤリサーに(この俺に)墜として落として、その人生の軸をちょっと俺みたいに曲げてやろうと、俺はそう目論み始めたのであった。

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