ダニエルとアルバートの死生観

ふたりともおじいさんのシーンを書きましたが、このふたりの死生観がちょっと違うので、一応解説を。

ふたりともきちんとした家の出身なので、生まれた時にクリスチャンとして洗礼を受けています。

その上で、英国国教会では通常十代くらい、自分で信仰の道に進む決意をするconfirmation(堅信礼)という儀式があります。昔はきちんとしたイギリス人なら堅信礼はしているべきという考えが強いですし、アルバートは堅信礼も受け、なんの迷いもないクリスチャンです。

なので、死んだら家族と再会すると書いてますが、死んだら天国に行って復活の日を待つという考え方を持ってますのであまり悲劇的に死を捉えていません。悲劇的に捉えていないのは、戦争を多く体験していて、多くの友人がすでに若くして亡くなっているせいもあると思います。

アルバートが残酷なのは、家族とは天国で再会できると思ってるけど、そこにコンラッドが出てこないことにあります。

一方、多分ダニエルは堅信礼を受けていないし、信仰もあまりありません。死を前にしてたまには教会に行って救いを求めようかという、言ってみれば現代人です(教会に行ってるイギリス人のクリスチャンが最近は生まれた時に洗礼はするけどその後は全然クリスチャンとは言えない人が多くて…と嘆いていたけど、そんな感じ。今の日本人がお宮参りや初詣に行くような感覚に近いのかな?)。彼自身十歳の時には自分の愛に気づいてしまったのも一因にはあると思います。今はゲイを公表している牧師さんもいたりして、絶対だめではないみたいですが。(アルバートの頃は、イギリスでは法律でもゲイだと服役か化学的去勢だったんですよね。ちなみに今でもケニアだと信仰心は篤いし相当ホモフォビアは強いです。今でも服役だし)

なので彼はあまり兄にも恋人にも再会できるか自信がありません。

一応結構キリスト教っぽいアイテムが出てくるのになんでダニエルは信仰に救いを求めないのか、というツッコミがきそうだったので、自ら解説してみました。

 
ちなみに私がキリスト教の死後の世界観を、ビジュアルで「あーなるほど」と腑に落ちて理解したのは、「レ・ミゼラブル」(2012年版)の映画の最後のシーンでしたので、よろしかったらご覧になってください。故人に呼ばれてすっと歩いていくと、自分が死んだ教会の庭の外が開けて、この世より立派なバリケードの上で、革命が成功した様子で死んだ革命の仲間が歌って待っているという…。