『玉座に、Ω』の表紙の格子がズレてる件について。
こんばんは、あさぼらけです。
新参者にも関わらず、先日公開させて頂いた『玉座に、Ω』に沢山のリアクション、そしてお気に入り登録、ありがとうございます。
(気が狂いそうな程嬉しくて、「!」を連打したいのですが、大人気ないのでやめときます。)
オメガバース、という世界観で一作書いてみよう、と思い立ち、半日で書き上げた掌編ですが、
思いの外楽しかった上に、読者の皆様からのリアクションを頂いて、嬉しさのあまり禿げそう、そして死にそう(語彙力)。
もう15年程前に、こういう類の小説を書いていたなぁなんて懐かしく思いながら書き上げました。
後日談というか、その後の話も──書いた方がいいんですか──。
なんて考えながら読み返していたら誤字と誤用を見つけて、今先程修正致しました。
そして、表紙の格子がズレているのは全てのレイヤーを結合してから気付きました。
(取り返しつかないじゃん!)
また折を見て修正しておきます。(檻だけに)
それで、後日談、と考えてみたのですが、今のところはやっぱり「完結」です。
しおりを差してくださっている方もいらっしゃるので、一応お伝えしておきたくて。
以下、余談。
(正直に言うと、のし上がって這い上がったΩを玉座に座らせて、αを跪かせたかった。)
(当初のエンドは満身創痍な司を玉座に座らせて、跪いたみなせが「ボロボロになっても玉座が似合うんだな、αって奴は。癪だよ、司。跪いてあげるからさ、──、早く噛んでよ」とせがむ予定でした)
司の淡い恋心や、淡いながらに強烈な初恋への執着が全く見えない、知ろうともしないみなせ。
全てを打ち砕いて暴力的な愛を爆発させるのですが、司はしっかりと受け止めます。
恋心や執着は、欲求を生みます。しかし、独り善がりな強い欲求は決して満たされません。
欲求不満。
そして、それは時に無謀な行動や衝動に繋がります。
追い詰められた人間は、自己中心的な思考の割に、意外にも自分自身すら見失っている事も少なくありません。
自己を省みない押しつけがましい無謀な愛は、本当に愛と呼べるのでしょうか。
向こう見ずでその場凌ぎの愛は、本当に愛と呼べるのでしょうか。
少なくとも、司もみなせも自己中心的で、自己を省みる事もなく、向こう見ずです。
それでも彼らは、自らの胸の奥深くにあるそれを愛と呼ぶでしょう。運命の番なのだからと宣うでしょう。
しかし、目が覚めた二人は現実に引き戻されて、はたと気付きます。
「自分達は一体何をしでかした──?」
そこから始まるストーリーの終わりは、ハッピーエンドでしょうか、トゥルーエンドでしょうか、それともバッドエンド──?
どれもあり得る事で、きっとどれも書いていて楽しい。
二人でまた初恋のつづきを始めれば良いと思うし、許嫁や親族、そして会社、社会に追われて立場を失い、最終的に安定を選んで離れ離れになる道を進んでも良いと思います。
アバンチュールを楽しんだ後に、もう後戻りできないから一緒に死んで欲しい、と心中してしまっても良い。
その広がりの入り口が、『玉座に、Ω』という掌編なのだろうと思います。
今はまだ、そのさまざまな広がりを楽しむ余韻の時でありたいなと思います。
『玉座に、Ω』
https://fujossy.jp/books/19688
作者からは以上です!(!?)
いろいろな世界観の、いろいろなオメガバースを題材にしたお話がある中で、
『玉座に、Ω』という作品の後にどうしても描きたくなった、「抑制剤ができるまで」のお話。
もしも私がオメガバースを書くなら、割とダークサイド寄りに書いていくぜべいべー、という心持ちで『7Days Nightmare』、始めました。
私なりの研究として、完結を目指していく次第です。
HOTワードは「グッドボーイ、ルディ」。
もしよければ、そちらも宜しくお願いします。
『7Days Nightmare』