廉潔な行為に胸を打たれたので。
このサイトでは個人に対するメッセージ、ブロック機能がなく、またこちらからフォローを外すことはできない。
今、この機能のことを非常にもどかしく思っている。
私は基本、他人の諍いには関わらないのが最善と考えているのだが、
今回は他人ではなく私のフォロワーさんだった。
詳細は伏せるがこのサイト内で今起きている、ある由々しき問題に対し、
ご本人のブログやコメントでフォロワーさんが相手方に真摯且つ冷静に倫理やルールを説いているのを見て、私は胸が熱くなった。(ブログの方は、既に削除済のようである)
話が通じそうにもない相手に懇切丁寧に説明するのは、とても私には真似できないことである。
しかもその発言の場ではたったお一人だったにも関わらず、決して雑な対応に走ることなく一つ一つ論点を整理して、見事にその場をおさめていらした。
もうただただ感服するのみで、その毅然とした態度には大人としての真の美質を感じる。
また私のフォロワーさんではないけれど、同じことを問題視している方はいらっしゃるようで、
この方も一人の大人としてはっきりと意見を述べておられた。
正直、実に痛快な物云いで私は一人、パソコン前でくすりとしてしまった。
何にせよ、こういう方々を正真正銘の大人というのだと思う。
当たり前だが皆が集まるところでは、基本、個人の事情よりルールが優先される。
正しいことは正しい。だめなものはだめ。
知らぬ存ぜぬでも済むはずなのに、あえて立ち向かってくれる人々のありがたさよ。
私だって問題には正面きって立ち向かいたいが、そんなことをしたら相手方の低レベルな煽りに頭に血が上って余計な言葉を乱発し、墓穴を掘り、個人ページは悪意による書き込みによって荒らされ、創作意欲どころではなくなって、しまいには体調を崩してしまうのではないかと思うと、怖くてできない。
前述のような方々のモラルの高い大人の人々を眼にする度に、何だか泣きたくなる。
こういった一部の正しい方々を不当に野次する輩がいないか非常に心配なところである。
そして自分がまるで卑怯なコウモリにでもなったような気になる。
そう。
先日、電車内での喫煙を注意した高校生が暴行を受けるのを見て見ぬふりをした周囲の大人達のように。
「関係ない」、「事情を知らない」、「他人の火の粉はごめんだ」
あの電車にいたのはきっと私だ。
賛同しているなら割って入るべきだったのに、何も云わなかった自分の愚かさよ。
私の作品を、私をフォローして下さった人の廉潔な行為に胸を打たれたので。