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第1話 日没

 モニターの修理は予想よりも困難で、予定していた作業時間を大幅に超えてしまった。D街区の酸素濃度も気圧も温度も湿度もこれで監視している。それらを調整している機器が正常に稼働していても、それを確認する術がないのは致命的だ。たとえば温度管理システムの故障を見逃していれば、72時間以内には該当地区の住民全員が確実に死ぬ。どの住宅棟においても最低20人が居住しているし、D街区は5つの街区の中でも最も大きく、住宅棟は7棟ほどもある。  「街」と名がついていても、それは巨大なドームの中にある。そこに設置された装置のタービンのひとつでも壊れれば、温度調節機能が働かなくなる可能性はある。そうなればドーム内部は外気と変わらぬ温度になり、街はスチームオーブンだ。あるいは深夜には冷凍庫と化す。そしてドームは外側から施錠されていて、こちらが救助に行かなければ住民は脱出できない。大規模災害時の指示が出せるのはこの星の管理局ではなく、地球連邦政府の科学省であり、彼らは流刑の星の人命、それも凡庸なβなど救助しない。要するに見殺しだ。 ――そうなったところで俺の責任は問われやしないのだろうが、さすがにそうと分かっていて手を抜く気にはなれないというものだ。 ――D街区には施術前のβしかいないからな。これが妊娠中のΩ達の住むA街区や、彼らの子が放たれた動物保護区で起きたトラブルなら、話は180度変わるのだろうけれど。  そんなことを思っては、「余計なことを考えるな、集中しろ」と自分に言い聞かせ、なんとか日没までに修理を終えられた。どこにも異常は発生していないことを確認してようやく安堵し、邑井龍都(むらい りゅうと)は額の汗を拭う。だが、モニター室のある環境調整棟は、コンピューターの動作に適正化されているため気温は低めで、滴るほどの汗などかきようがない。拭う仕草は実質的な意味のない行為だった。  心中の澱んだ思いは表情には出さないように気を付けながら、邑井は背後を振り返る。 「よし、最終チェックも問題なかった。ラボに戻ろう。今日はそれで各自解散だ」  待機していた部下達が了解の意味で敬礼した。  研究所(ラボ)と呼ばれている施設は、広大なコロニーのほぼ中心に――本当の中心部にはコロニーのすべてを管理する管理棟があり、ラボはその少し北西に――建っている。管理棟は巨大な高層ビルだが、ラボのほうは各街区と同じく半球のドーム状で、更にその中には、やはり住宅棟と同様の、居住のための建物がある。だが、似ているのは外観だけで、一般街区よりはるかに充実した設備が整っていた。  ラボに勤務する研究員は特別専門職の技官として優遇されており、給与や生活環境は、一年交替の駐在員とほとんど変わらない。駐在員は地球の中央管理局から派遣されてくるキャリアエリートだから、それと同等の待遇といえば相当なものだ。ただ、一年間という期限のある駐在員とは違い、研究員は基本的にこの星に永住することを義務付けられ、二度と故郷・地球に帰ることはない。だからこその高待遇であり、家族との縁が薄く、またそれを苦にせず、極力他人とはコミュケーションを取らずにただ研究だけに没頭したいような変わり者ばかりが集まっているのがラボだった。  1人で暮らすには広過ぎるほどの3LDKの部屋には、キッチンやバスルーム、ランドリー等がついているが、自分でやらないと気が済まない性分でない限りは、家事などはメイドロボットに任せても問題はない。 「キアロ、ビール」  邑井がそう呟けば適温に冷えたビールが目の前に届けられる。キアロは邑井のメイドロボットの名前だ。イタリア語で「明るい」という意味で、邑井が地球にいた頃のお気に入りのイタリアンレストランの店名からつけた。とはいえ地球上には既に「イタリア共和国」という国はない。いや、イタリアに限らず、国家という概念はなくなった。ただ地球連邦の一地域としてのイタリアは依然として存在し、そこに住む人々は、公的な場を除けば、概ね昔ながらの日常生活を送っていた。それはアメリカ合衆国にせよ中国にせよ、邑井の出身地である日本でも同じことだった。 「ソーセージはいかがですか?」  キアロが話しかけてくる。邑井は食べ物の好き嫌いがなく、それゆえに何を食べたいのか自分では明確にイメージできないことが多い。だから、こんな風にキアロが時と状況に応じた献立を提案してくれるようにカスタマイズしてあるのだ。 「やめておこう。もう少しあっさりしたものがいい気がする」 「それなら、ひよこ豆のサラダはいかがですか? ひよこ豆は大豆またはレンズ豆に変更することも可能です」 「ひよこ豆のサラダにするよ」 「分かりました。3分28秒でご用意します」 「それと、明日の朝のジムの予約をしてくれ。6時から」 「分かりました」ピッという音の後に「予約を完了しました」と声が流れた。  ラボ内には共用の施設として、スポーツジムやシアター、それにレストランやバー等もあった。また、希望すれば小さな個人農園を持つこともできた。研究員達は1日6時間の勤務時間のほかは、それぞれの趣味嗜好に合わせて、そういった施設を利用するなり、自室でのんびり読書するなりして過ごす。ただ、放っておくと研究の息抜きに研究を始めてしまうのがラボ勤務の研究員というもので、本人も気づかないうちに疲労を重ねてしまうため、本来のメインの職場である研究室・実験室だけは、時間外の出入りができないようになっていた。  そんな中で、邑井は大抵、地球にいる友人、天野基(あまの もとい)とのモニター越しの会話をして過ごすことが多かった。1日が20時間のこの星と地球とでは生活サイクルにズレが生じがちで、家族を地球に残して単身赴任で来ているエリート駐在員達は日々の連絡にも苦労するようだが、その点、地球にいても生活サイクルなど無視している天野が相手なら、そういった問題はなかった。天野は起きている間はひたすら研究に没頭し、疲労のピークになると意識を失うように眠る男だった。邑井と会話している最中にモニターから姿が消えたことも1度や2度ではない。そんな時の天野は椅子から崩れ落ちて、そのまま寝てしまっているのだ。  ビールとひよこ豆のサラダの夕食を終えると、邑井はキアロに向かって通信システムを起動するように指示した。通信相手は天野だ。白い壁面がそのままスクリーンとなり、天野の姿が映し出された。
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