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【そうだ、京都行こう】圭琴子

「いやぁ、喜一(きいち)ちゃん、すっかり垢抜けてはるなぁ。流石やわぁ、東京は違うんやねぇ」 「叔母(おば)さん、お久しぶりです。皆さん、お元気ですか」  京都の本家に、お盆休みに親戚が集まるのは、子どもの頃は日常だった。だが高校を卒業して東京の大学に入った喜一にとって、京都まで里帰りするのは忙しいバイトと勉強に阻まれ、ひどく億劫なことだった。あっという間に大学卒業まで時は経ち、就職して有給が取れるようになって、ようやく重い腰を上げたのが、二十四の夏だった。 「へぇ。(ひろ)も喜一ちゃんが帰ってきはるて聞いて、楽しみにしてたんよ。喜一ちゃんの高校卒業以来やし、六年ぶりやねえ。また、なかようしたってね」 「もちろんです」  母親は亡くなって久しく、喜一の母の妹にあたる女性が、甲斐甲斐しく出迎えてくれる。彼女の子ども、つまり従兄弟(いとこ)にあたる人物が、(くだん)の博だった。三つ年下で、子どもの頃は毎年お盆に会うのが楽しみだった弟分。よく二人で悪戯をしては、母親たちに怒られていた。博は京都の大学で三年になったところだろう。喜一は、懐かしく思い出す。腕時計をチラと見ると、午後四時だった。 「もう宴会、始まってますか?」 「へぇ、お義兄(にい)さんなんか、昼から呑んではるんえ。あんたさんと一緒に呑めるて、そら楽しみにしておいやしたし、はよ行ったげよしや」 「はい。ありがとうございます」  京都弁の(おもむき)が、心地良かった。六年間東京弁を話してきた自分には、慣れないけれど。喜一は思う。玄関から廊下を進んで大広間に入ると、真っ先に喜一の父親が、威勢良く手と声を上げた。 「おお、喜一! 待っとったぞ。まあ、座りぃや。ビールか? 日本酒か?」  だいぶ出来上がっている父親に、喜一は苦笑する。 「挨拶くらいさせてよ、父さん」  十五人余り集まった親戚が、どっと笑う。長い座卓の向こうの隅に、懐かしい、だが何処か憂いのある雰囲気の青年を見付けて、喜一は思わず手を振った。 「博! 久しぶり」  小さい頃は毎年飛び付くようにして寄ってきたのに、だが博は、視線を合わせず曖昧に会釈しただけだった。違和感を覚え、話をしたくて奥に足を運ぼうとしたが、手前の父親に阻止される。 「喜一、ほれ、ここ座れや。息子と呑める日ぃがくるなんてなぁ、俺は幸せもんやなぁ」 「ああ……うん」  一人ポツンと、隅で料理をつまんでいる博が気になったが、父親に強引に腕を引かれて喜一は乾杯の輪に加わった。     *    *    *  喜一と博は、高三と高一だった。お盆休み、いつものように悪巧みを立てる。博が父親の煙草を一本掠め取って、ライターは喜一がコンビニで買って。大人にしか許されない嗜好品がどんなものか、興味があった。いつも二人に用意される、二階の六畳間の並んだ布団の上で、ひそひそと企てる。 「……()かへんなぁ」 「吸うんや。父さんが、そう()うとった」  ただライターの炎に煙草の先をかざす喜一に、博が教える。言われたとおり、喜一は吸った。窓が開け放してあったから、火が消えないように博が掌で包み込む。加減が分からず思い切り吸い込んだものだから、確かに火は点いたが、喜一は派手に咳き込んだ。 「ど、どうもない?」 「ゲホッ……!」  涙を拭う喜一の背を、博がさする。 「(けむ)いし。そうっと吸いや、博」 「う、うん」  博は一本きりの煙草を受け取って、静かに吸い込んだ。それでもやっぱり、咳き込んでしまう。二人して涙を拭いながら、笑い合った。 「大人て、こんなもん美味(うま)そうに吸うてんねなぁ」 「うん、(にご)うて、不味(まず)いわ」 「もう要らんわ。博、勝手口の吸い殻入れに、そーっと捨ててこう」 「せやね。大人て、おかしいなぁ」  そう言って、自分たちは大人になっても煙草を吸わないだろうなと話し合った。喜一が東京の大学に行くことは決まっていたから、気分的に最後の悪戯だった。  頭上の白熱球の周りを、ジジ……と()が飛んでいる。いつも二人に用意される、二階の六畳間の並んだ布団の上で、博は煙草を吸っていた。部屋には蚊取り線香が焚かれ蚊帳(かや)がかかっていたが、出入りする時に、蛾は入ってきたらしい。深く吸って煙で肺を満たし、細く吐く。酒の呑めない博は、早々に夕食を済ませて、こうしていつもの部屋で煙草を吸っていた。  いつもの? いや、六年前までの、だ。喜一はすっかり東京の男になって、スカして東京弁で話しているし、六年も帰ってこなかった。大人げない、と博は思うが、心の片隅で、六年前のあの夏の自分が泣いているのを意識する。六年間待ちぼうけだったし、今も酒を呑んでいる喜一を三時間も待っている。だがそれを悟られないように、三~四本吸い殻がたまると、勝手口の吸い殻入れに捨てに行った。  何を今更、見栄を張っているのだろう。博は思う。喜一はもう、自分の手の届かない存在なのだ。『あの頃』とは違うのだ。そんな些細なことになんて、気が付きもしないだろう。待っても無駄だ。酒宴(しゅえん)は、真夜中まで続く。待っていること自体が、無駄なのだ。灰皿にまだ長い煙草を押し付けて、博は溜め息を吐いた。やめよう。待つのは。そう思った時だった。 「博、煙草吸うようになったんだな」  物思いにふけっていて、気が付かなかった。蚊帳の向こうに、喜一が来ていることに。博は深緑の甚平(じんべい)、喜一は(あい)の甚平だった。本家の人間が用意してくれたものだ。下履きの丈は短く、殆ど下着と変わらない。薄く毛の生えたすねを見て、博は見てはいけないような気がして目を逸らした。 「……せや」 「久しぶりだな」 「酒、(つよ)うないん?」 「いや。お前と話したくて、弱いフリして上がってきた」  喜一が蚊帳をくぐって入ってくる。その隙間から、白熱球の周りを回っていた蛾は出ていった。(ささ)やかなノイズはなくなって、互いの声だけが全てになる。喜一は布団の上に胡座をかいて座り、安心したように大きく息を吐いた。 「変わらないな。ここは」 「……変わったわ」 「ん?」  博は、先に寝てしまわなかったことを後悔した。押さえようとしてもわき上がってくる、浅ましい想い。 「喜一、まるきし東京弁しか話さへんし」 「ああ……六年も東京弁だったからな。京都弁を話そうとすると、エセみたいになるから、敢えて話さないんだ」  博は何と返して良いか分からずに、今しがた消したばかりの煙草を一本箱から出して、また吸い込んで火を点けた。 「煙草、美味いか?」 「……不味いわ」  喜一は笑った。『あの頃』みたいに。 「じゃあ、何で吸ってんだ? 俺たち、大人になっても煙草は吸わないだろうなって、言ってたろ」  ギクリとした。喜一は、本当に『あの頃』のままだった。変わってしまったのは、自分だけだろうかと、博は罪悪感に(さいな)まれる。 「今、大学三年だろ。就職、どうするんだ?」 「……関係あらへんやろ」 「……どうした?」  いけない。博は思う。喜一に、不機嫌が伝わった。いけない。放っておかれて拗ねてるなんて、そんな子どもっぽいことが知れたら、ますます喜一は遠くなる。だが言葉が口を突く。 「どうもせえへん。まだ決めてへん」 「そっか。じゃあ、東京来ないか?」 「は?」  努めて逸らしていた視線が、思わずバチッと合う。初めて六年ぶりに正面から見た喜一の顔は、幼さが抜けてすっかり男臭くなっていた。朝剃っただろう髭が、夜になって(うっす)らとまばらに生えている。産毛ばかりでろくに髭も生えず、まだ少年のような面差(おもざ)しの博とは、明らかに違っていた。  短い下履き同士の素肌の膝小僧は、今にも触れてしまいそうで。博は、思わずキュッと膝を抱えて小さくなった。反して喜一は、何の気負いもなく腕を枕に寝転がる。 「大学時代はバイトで忙しいし、交通費が勿体なくて一度も帰ってこなかったけど、久しぶりに帰ってきて、ああ、俺の故郷はここなんだなあ、って改めて思った」 「そんで何で、俺を東京に呼ぶん?」  つっけんどんに博は言って、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。 「俺の故郷は、お前なんだよ、博。凄く懐かしかった。だから、お前が東京に来たら、毎日楽しいだろうなあって」  一拍おいて、喜一は笑う。 「もちろん、俺が京都に帰っても良いんだけど、もう東京流の働き方しか分かんないからなあ。悪いけど、お前に東京に来て貰う方が、現実的だ」 「……やの」 「ん?」  小さな博の声に、喜一が起き上がって顔を近付けた。 「何やの、それ……!」  こみ上げる。涙が。かろうじてせき止めていた感情の堤防が、決壊する。 「俺が煙草吸うようになったんは、あの夏の喜一が恋しかったしや。めっちゃ悩んだん。俺、ゲイなんやろか、て。せやけど喜一は、ちっとも帰ってこうへんし。自分が何なのかわからへんし、悩んだわ」  間近でキョトンと目を見開いている喜一に向かい、視線は外したまま後ろめたい激情を吐き出していく。 「勝手や。もう、諦めよて思うた頃に帰ってきて、東京来いやなんて。勘違いするやろ。俺は喜一が好きなんやし。恋愛感情ないんやったら、簡単にそばに来いなんて言わんといてぇな……!」  隠しようもなく涙声だったが、せめてもの意地で博は抱えた膝に顔を伏せて内に秘める。細い肩が、しゃくりあげる度に大きく揺れた。 「……ック……」  しばらくそうして、博の泣き声だけが響いていた。階段の方から、一階の酒宴の喧騒も細く聞こえてくる。対比が、何だか滑稽だ、と博は思った。そう考えてみると、自分の言動はひどく馬鹿馬鹿しく思える。博は顔を伏せたまま、小さく笑い始めていた。 「ッククク……可笑(おか)しいわ」 「可笑しくない」 「(わろ)たらええやろう」 「笑えない」 「何でや! いっつも能天気に笑うてたやん。変やって、笑たらええ……っ!」  顔を上げて目を合わせて、困惑してるだろう喜一の顔を、逆に笑ってやろうと思っていた。だが反射的に博は目を閉じる。 「……っ」  喜一の顔が離れても、夢が覚めてしまうのが恐くて、なかなか瞳が開けられなかった。そうしたら、もう一度唇を(ついば)まれた。まつ毛を震わせて、博はゆっくりと、瞼を上げる。はしばみ色の瞳には、喜一の顔がドアップで映っていた。二人の顔の隙間は、僅か十センチ。 「な……何でや……」 「ごめん」 「え?」 「一回目のキスは、試してみたんだ」  博は黙り込んだ。告白されたから、愛情はないけど試しに付き合ってみる。そんな話は、よくあることで。それがどんなに相手を傷付けるのか、博は身をもって知った。 「でも二回目のキスは、謝らない。俺も博が好きだって、分かったから」  信じられなかった。これは喜一の悪戯で、今にも彼が一階に下りていって、博がゲイだと笑い話にするのではないかと思った。喜一が低く囁く。 「今度は目、閉じないで」  そうしてもう一度、唇が触れ合った。ゼロ距離で、視界いっぱいに喜一の顔。その顔は、笑っても憐れんでもいなく、真剣だった。喜一は博の肩を掴んで、そのまま体重をかける。トスンと博の背がついて、布団の上に(つや)やかな黒髪がハラリと広がった。 「俺な」  博を組み敷いた姿勢のまま、穏やかに喜一が微笑む。博は、心臓が口から飛び出すんではないかと思うほど、惑い乱れているというのに。 「好きになったら、男から……ああ、お前も男か。つまり、俺の方から告白したいタイプなんだ。だから、俺に言わせてくれ。……好きだ、博。付き合ってくれ」  ――トクン。トクン。トクン。  心臓の音が、ひどくうるさい。こんな予定ではなかった。喜一にフラれて、笑われて、最悪ゲイだと言いふらされると考えていた。だから、にわかに反応出来ない。喜一は真摯に博を見詰める。 「……返事は? 博」 「……ふざけてるんやろ」 「ふざけてない」 「せやったら、遊びや」 「本気だ」 「嘘……んっ」  四度(よたび)、唇が触れ合った。今度は触れるだけでなく、上唇を優しく()まれた。 「俺は、ゲイじゃない。だけど、『お前』が好きだよ、博」 「俺も……喜一以外の男には、興味ないし」 「凄いな」  一瞬、喜一が何を言っているのか分からなかった。 「何がや」 「だってそれって、凄い確率じゃないか?」  喜一は拳を軽く握り、指の甲で博の白い頬をゆるゆると撫でる。不意に実感がわいて、博はまた涙腺を緩ませた。 「……ほんま?」 「ああ。大真面目だ。おい……何で泣くんだよ。まだお前の笑った顔、見てない」 「やって……」  あとはもう言葉にならず、目尻を伝って大粒の涙が布団を濡らす。喜一は博の濡れたまつ毛に、何度も口付けた。飴玉を転がすみたいに、瞼の上から眼球を舐められて、博は思わず口角を上げる。 「……こそばい……」 「やっと笑ったな」 「うん。俺……喜一のこと、好きでええの?」 「言っただろ。俺も好きだって。返事は?」 「うん。俺も、好きや」  おずおずと、博の腕が喜一の背に回った。ただ嬉しさでいっぱいで、不思議と性的な興奮はなかった。 「喜一、いつまで居てるん?」 「明後日の朝、起つ。だから明日、デートしようぜ」 「デート、て」  涙と一緒に余計なものが流れていって、ひとが変わったように博はクスクスと吐息で笑う。月灯りの(もと)で咲く白い月下美人の花のように、たおやかで綺麗な微笑みだった。 「何だよ。付き合ったんだから、デートだろ」 「赤ん坊の頃から一緒やったのに……なんや、今更や。照れ臭いわ」 「ウニバ行くか?」  ウニバ。その響きが懐かしいと、博は思った。東京弁なら、UFJだ。 「ええね。子どもの頃行った時にはあらへんかったアトラクションとか、ようけある」 「よし、明日はウニバでデートや!」  喜一が言った通りその京都弁は、何だか少しエセっぽかった。二人は同時に噴き出して、額をつき合わせて笑い合う。 「喜一。俺、卒業したら東京行くな」 「ああ。待ってる」  白熱球で照らし出された、薄いヴェールのような蚊帳の中は、二人の、二人だけの世界だった。待ちぼうけで、膝を抱えて泣いていたあの夏の博は、もう何処にも居ない。 「明日は、朝っぱらから遊ぼうな。博」 「せやな。寝坊せんと起きてや、喜一」  悪友から恋人になった二人はヒタリと身を寄せ合って、明日(あす)の期待に胸膨らませながら、おやすみと甘く囁き眠りの淵に沈んでいった。 End. ※ 京都弁は、関西の方に監修して頂きました。 ありがとうございます! BLを監修させてごめんなさい(笑) 関西弁萌えなので、自分で書いたのにニヤニヤが止まりませんでした(^q^)

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